元日本拳法部員3人逮捕=大商大、後輩に傷害容疑—大阪府警
2015 年 5 月 10 日 18:01 JST 更新
大阪商業大(大阪府東大阪市)日本拳法部の合宿中、1年生だった男性部員(19)を集団で暴行したとして、府警捜査1課などは10日、傷害や暴力行為等処罰法違反などの疑いで、主将だった同大4年の矢田秀人容疑者(21)=大阪市浪速区大国=ら元部員3人を逮捕した。矢田容疑者は大筋で容疑を認め、「(暴行を)一緒になって楽しんでいた」などと供述しているという。
他に逮捕されたのは、3年の井上直也容疑者(20)=奈良県大和高田市市場=と2年の男(19)。3人は4月1日付で退部し、無期停学処分を受けた。
逮捕容疑は3月6〜8日、東大阪市の大学施設の浴室で男性部員の首を絞め、顔を浴槽内に沈めたり、頭突きしたりして軽傷を負わせたほか、裸にして背中をライターであぶるなどした疑い。
同課によると、合宿は同4〜8日に行われ、部員8人と入部予定の高校生5人が参加していた。矢田容疑者は男性部員について「態度が生意気で下に示しが付かない」と供述しているという。
[時事通信社]
http://jp.wsj.com/articles/JJ11085103655789813295218501590670859546682
日本拳法(にっぽんけんぽう、にほんけんぽう)は、防具(面・胴・股当その他)とグローブを着用して殴打技、蹴り技、関節技を駆使して勝敗を競い合う競技武道。日拳(にっけん、にちけん)と略されたり、単純に拳法と呼ばれることがある。
1932年(昭和7年)に柔道家で、空手家の摩文仁賢和に一時師事していた[1]澤山宗海(さわやまむねおみ)により創始考案され、澤山が立ち上げた日本拳法会を基に複数の流派・団体が存在しており、ルールも各々で違いがある。
後述のように創始当初から大学のサークル活動を中心に普及が進められ、ボクシング・キックボクシング等の格闘技にも多数の選手を輩出している。
澤山宗海(さわやま むねおみ、1906年12月12日 - 1977年9月27日)は、奈良県出身の武道家。日本拳法の開祖。本名は勝(まさる)。
澤山宗海は1906年に奈良県に生まれ、幼くして養子となり、山陰地方の名門として知られる、豪族・山名氏の門流である澤山家の人となる。生来病弱であったうえに養父母が溺愛し、少しでも危険と見れば、わずかな運動すらさせなかったゆえに、小学生の頃は通学するだけで疲れるほどひ弱だったという。
自分の体力のなさに一念発起し、大正8年(1919)、偕行社小学校の尋常科を終え、日進商業学校に進学したときにボディービルと柔道を始め、のちに五段の腕前になる。しかし、柔道に当身がないことに失望し、のちに糸東流を創始する摩文仁賢和との出会いを機に彼に師事して空手(当時は「唐手」と呼ばれていた)を学び、昭和5年(1930)6月、通っていた関西大学に「唐手研究会」を立ち上げる。
山名氏(やまなうじ、やまなし)は、山陰地方を中心に勢力を持った武家(守護大名・戦国大名)である。
山名氏の本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の棟梁・鎮守府将軍・源義家の子・義国を祖とする名門・新田氏の一門。新田義重の庶子・三郎義範[1](または太郎三郎とも)が上野多胡郡(八幡荘)山名郷(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として山名三郎と名乗ったことから、山名氏を称した。
山名氏の祖の義範は鎌倉時代には早くから源頼朝に従いて御家人となり、頼朝の知行国の一つである伊豆の国主に推挙され伊豆守となる。源伊豆守の公称を許され源氏の門葉として優遇された。
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1 件のコメント:
大阪商業大学の日本拳法部で、1年生部員の体をライターであぶるなどの暴行でけがをさせた疑いで、キャプテンら3人が逮捕された。
傷害などの疑いで逮捕されたのは、大阪商業大学日本拳法部のキャプテン・矢田秀人容疑者(21)ら、部員3人。
矢田容疑者らは2015年3月、大学内で合宿中に、当時1年生だった男子部員を全裸にして、ライターで全身をあぶったほか、顔を殴るなどの暴行を加えて、けがをさせた疑いが持たれている。
矢田容疑者らは、ほかにも、男子部員の陰部をほかの部員の顔に押し付けさせたり、肛門に竹串を刺したりもしていたという。
矢田容疑者は、「にらみつけるような態度をとっていて、ほかの部員に示しがつかないと思った」と話している。 (関西テレビ)
www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00292079.html
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