2015年4月14日火曜日

接着剤@円教寺@天台宗@姫路








圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写山にある寺院で、天台宗別格本山である。山号は書寫山(書写山、しょしゃざん)。西国三十三所第27番。現住職は第140世。

「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三所中最大規模の寺院で、中世には比叡山大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇法皇も多かった。
境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371m)山上一帯は兵庫県指定書写山鳥獣保護区の特別保護地区に指定されている。
山内には姫路藩本多氏の墓所である本多家霊所があり、本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子宮本三木之助などの墓もある。室町時代から明治時代までは女人禁制だったため、女性は東坂参道の入り口にある女人堂(現・如意輪寺)までしか行けず、そこに札を納めて帰っていた。

また近年では、2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』、NHK大河ドラマ武蔵』(2003年)や『軍師官兵衛』(2014年)のロケ地にもなった。

書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝える。元は素盞嗚命が 山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」と言われ、性空入山以前よりその地には祠が祀られていたと言われる。山号の由来はこの「素盞」か らのものと言われ、創建当初は「書写寺」と称した。姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左」も素盞に由来する。
性空の生年については西暦910年説、928年説があるが、いずれも没年からのものだが、98歳説、80歳説による。『性空上人伝記遺続集』によれば、性空は延喜10年(910年)の生まれで、貴族の橘氏の出であったという。性空は出家した時はすでに36歳であり、それから約20年間、霧島山脊振山など九州で修行を積んだ後、霊地を求めて旅に出、康保3年(966年)、57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるという。『遺続集』によれば、天人が書写山内の桜の霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空は、弟子の安鎮に命じて、生木の桜に如意輪観音の 像を刻み、それを覆うように堂を建てた。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建で、天禄元年(970年)のことという。性空の伝記や説話は、前述の『遺続 集』のほか、『元亨釈書』、『今昔物語集』などにもみえる。それらによると、性空は俗事を厭い、栄華や名声に関心がなかったが、都の皇族や貴顕の崇拝が篤 かったという。中でも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)来山して圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに大講堂を建立したという。花山法皇以外にも、後白河天皇後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立がおこなわれている。
花山法皇勅願の「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形は徳において欠けたところがなく、人間として最も成就した状態を 象徴していることから、自己完成の道を教える寺ということになる。性空と結縁した法皇は、性空の姿に崇高な僧侶本来の姿を見たのであろう。

武蔵坊弁慶は一時期書写山で修行したとされており、机など、ゆかりの品も伝えられ公開されている。ただし史実である確証はない。 一遍一向俊聖国阿時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。

境内の概要

圓教寺の境内は、姫路市街の北方に位置する書写山(371メートル)の山上一帯を占め、境内地は東西に長く広がる。市街地から近く、標高もさほど高 くないが、境内地には自然環境が良好に保持され、山岳寺院の様相を呈する。古来、書写山への登山道としては、東坂、西坂、六角坂、刀出坂(かたなでさ か)、鯰尾坂(ねんびさか)、置塩坂(おしおさか)の6つのルートがあったが、1958年に東坂に沿ってロープウェイが開通してからは、ロープウェイ山上 駅から仁王門を経て、本堂にあたる摩尼殿へ上る参道がメインルートとなっている。
境内地は、明確な境界線はないが仁王門などのある「東谷」、摩尼殿付近の「中谷」、大講堂、食堂(じきどう)、常行堂、奥之院などのある「西谷」に 分けられる。西国三十三所観音霊場の札所でもある摩尼殿が一山の中心となる堂であるが、大講堂や開山性空の像を祀る奥之院も、信仰上重要である。

東谷

ロープウェイ山上駅から、ゆるやかな登りの参道を歩み、仁王門を経て摩尼殿までは徒歩15分ほどである。山上駅から仁王門へ至る参道は「西国巡礼の 道」と称され、道の左右には、西国三十三所の各札所本尊を表した銅像が設置されている(1989年完成)。仁王門を通り、寿量院、圓教寺会館、十妙院を過 ぎると、道は「権現坂」と称する下りの階段になり、下りきったところが摩尼殿の縁下である。

  • 椎名麟三文学碑 - ロープウエイ山上駅近くの広場にある。地元出身の作家椎名麟三を記念して1980年に建立されたもの。「言葉のいのちは愛である」の碑文は岡本太郎書。
  • 慈悲(こころ)の鐘 - 山上駅近くにある鐘楼で、1992年10月建立。鐘は参拝者が自由に撞くことができる。
  • 如意輪観音像 - 銅製。摩尼殿(本堂)本尊の分身像。1987年11月造立。
  • 西国三十三観音像 - 慈悲の鐘から仁王門までの参道沿いに並ぶ西国三十三所の観音像。
  • 仁王門 - 切妻造八脚門。江戸時代初期建立。県指定文化財。安置する金剛力士(仁王)像は室町時代の作で、姫路市指定文化財。
  • 圓教寺会館(宿坊)(旧金輪院)。本尊は阿弥陀三尊。




赤岩 栄(あかいわ さかえ、1903年4月6日 - 1966年11月28日)は日本の思想家。日本基督教団の牧師。牧師をしながら共産党入党宣言をしたことが教団内の大きな問題になった。椎名麟三に洗礼を授けた牧師としても知られる。


、、、(爆wwwwwwwwwwwwww

1 件のコメント:

ミネ さんのコメント...

ラストサムライ、武蔵、官兵衛w

官兵衛は特に
史料が追随されてて 
焼討ちの描写とかへしきり長谷部とか
旧説覆ってたり、もう異説扱いなのにまだそれ持ち出すか~ッ してたって意味では一番悪質かもねw

この接着剤の件は油の件と違って
確実に我ら比叡山とともにの示しだろうね
パンピーにしたら めんどくさいね、チミタチとしか言いようがないレベルなのは変わりない