2015年4月12日日曜日

イカサマ宝くじで巻き上げたカネが流れる先は今も昔も生臭坊主・仏教テロリストとそのサマナ(爆w

宝くじ、ルーツは大阪の寺(謎解きクルーズ)
大当たりに熱狂 江戸時代から 商都、投機に関心高く
2015/4/11 6:00

大阪駅前第4ビル(大阪・梅田)にある宝くじ売り場。よく当たるといわれ、発売日ともなれば長蛇の列ができる大阪の風物詩だ。人気の秘密はどこにあるのだろうか。調べてみると、大阪の庶民が古くから楽しんだ「富突き」の歴史が浮かび上がった。


「これより“億の近道”」。松尾芭蕉「奥の細道」をもじった横断幕を通り抜けると、大阪の宝くじの聖地ともいえる「大阪駅前第4ビル特設売場」がある。ジャンボ宝くじの販売期間だけ開かれる売り場で、関係者は「高額当選者数が日本一よく出る」とPR、実際に昨年の年末ジャンボでは1等が2本出たという。

売り場で購入者に話を聞く。10年以上前から常連という和歌山県有田市の男性会社員(57)は「どこで買っても同じかもしれないが、毎回1等が出ているから」。大阪府吹田市のパート従業員の女性(44)は「当たりやすいと聞いた」。宝くじファンの“信仰”を集めているのが分かる。

大阪人は「宝くじ好き」のようだ。みずほ銀行によると、大阪府の1人当たりの宝くじ購入額は8509円(2013年度)と関西圏で最多。全国でも4番目に多い。

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実は大阪と宝くじの縁は古くに遡る。「弥次さん喜多さん」の珍道中を描いた「東海道中膝栗毛」には、2人が天神橋の近くで拾った当時の宝くじ「富札」にまつわる話が登場する。大金持ちだとほらを吹く宿屋の客が、主人から富札を買わされ大当たりする「高津の富」は上方落語の名作だ。

さらに、宝くじ発祥の地は大阪にあるらしい。宝くじの公式サイトには、大阪府箕面市にある「箕面山瀧安寺(りゅうあんじ)」とある。


同寺では毎年、札を突いて当たった人に「大福守」を授ける宗教行事「富法会(とみほうえ)」が開かれてきた。一時中断したが歴史は400年以上続いている。お守りには健康や商売繁盛の御利益があるとされ、江戸時代後期の観光案内書「摂津名所図会」にもその様子が描かれている。

富法会に参加するには有料のお札が必要。売り上げで寺の修繕費などをまかなった。収益の一部をまちづくりなどに充てる現在の宝くじの仕組みの源流となった。山本照覚住職(76)は「宝くじは外れた分も国民のために生かされる。その仕組みがこの寺から生まれたのは誇り」と胸を張る。

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大阪商業大学商業史博物館の池田治司学芸員によると、瀧安寺発祥の富法会は近世に金銭が当たる「富突き」として江戸に伝わる。その後、幕府許可制の「御免富(ごめんとみ)」となり、江戸、京都、大坂の寺社で行われるようになった。

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東京都千代田区の日比谷図書文化館の滝口正哉氏の論文「上方の富興行について」をひもとくと、幕府はギャンブルである富突きを規制、販売から当選金の受け渡しまで全て寺社内で行うことを原則とした。だが実際には富札屋と呼ばれる業者が街中で販売。江戸では取り締まりが厳しくなると、屋台などで隠れて売られることもあったという。

一方、大坂では江戸と対照的に幕府の締め付けが緩やかだった。富札屋は店先にちりめんやビロード製ののぼりを何本も立てて大々的にアピール。鈴やのぼりなど派手な飾りを付けた馬で当選金を運ぶさまは、人々の羨望のまなざしを浴びていたと想像される。

当選金の最高額にも東西差があった。江戸では幕府の規定を守り上限を300両に設定したが、大坂では売り上げ増のため最高1000両の富も販売された。池田さんは「商業が発達した大坂ならでは。投機に対する関心も高かった」とみる。

かつて富くじに熱狂した浪速っ子の姿を思い浮かべると、現代の第4ビルの売り場のイメージに重なる。派手に楽しんだ町人の気風が、大阪に受け継がれているのかもしれない。

(大阪経済部 井沢真志)

http://www.nikkei.com/article/DGXLASIH31H0F_S5A400C1AA1P00/


別名:白山ライン(ケツモチはイエズス会@ヴァチカン)







瀧安寺(りゅうあんじ)は、大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院。山号は箕面山(みのおさん)。宝くじの発祥である富くじの発祥の地とされる[1]


寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりである。平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。後醍醐天皇隠岐島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。そのほかにも、山岳霊場として栄え、空海日蓮蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。
山門は光格天皇1809年(文化6年)に京都御所から移築したものである。また、弁財天本堂は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられた。この弁財天は日本四弁財天に数えられる。通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物である。
室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建された。また、天正年間に日本で初めて宝くじの発祥である富くじを始めた寺院としても伝えられる。2009年には富くじが復活した。
弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門坂田藤十郎上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。

富くじ

富くじ発祥の年は1575年(天正3年)に始まる「富会」であり、その行事は地元民により受け継がれ、明治時代まで続いた。これが「宝くじ」の発祥だと主張する地元民もいるが、2009年時点で定かではない。
宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥した。富くじは江戸時代に流行ったものであり、番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというものである。
藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていた。富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたという。だが江戸幕府により富くじ禁止令が発令され富くじは中止された。その後2009年に地元住民によって復活した。

本堂・伽藍


  • 本堂(弁天堂):後水尾天皇の寄進で、奥殿と拝殿から成る神社形式になっている。本尊に弁財天、脇尊に毘沙門天大黒天を安置する。
  • 行者堂(開山堂):本堂同様に、奥殿と拝殿から成る。主尊に役小角、脇尊に不動明王蔵王権現を安置する。
  • 観音堂:2002年再建。中央に如意輪観音(重要文化財)、左右に阿弥陀如来弘法大師を安置する。



、、、(爆wwwwwwwwwww

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

相撲然り
神事然り
オーディション然り
コンクール然り

全て始まる前から裏で話がついてシナリオが書かれ
その通りの八百長プロレスが行われているだけw
与えられた作り話はどんなに出来が悪くても真に
受けるように洗脳された日本のマグルは永久にカモw
宝くじ自体「選ばれたい」「楽して儲けたい」という
ゲスい庶民の欲望を見透かされたものですしねw
つくづく海に囲まれた水属性の強い国だけありますわ

ミネ さんのコメント...

まじかよ 勧銀 最低だな

で終わらそうか 超迷ったww

そういえばお面て下地というか骨というかは箕と同じだよね、籠状というかde瀧安寺@箕面すか?w

折角縄文から居ついた人たちがいるってのに これだから日本史がいつまでもフェイクなんだよ

富籤の流行時がちゃんとイエズスからの~『御免富』な点とか客観的には笑えるんだけど

無防備一般人への影響力(つまり自浄のなさ)と生臭の臭さの性質の悪さからここは1つ
信長にちなんで焼き払っちゃえYo
勝尾deかつを の付け火ちなみでもいいよこの際
とヴァチカンの人に誰か伝えておくれw
勿論国内の総務省ラインを酷使してくれていいからも付け足しも忘れずにw