2015年2月14日土曜日

で、映画アンブロークンは何時公開されるのですか? Remember 小笠原事件!(爆w










小笠原事件(おがさわらじけん)は、1945年(昭和20年)に小笠原諸島父島において日本陸海軍高級幹部が、アメリカ軍航空部隊の搭乗員である捕虜8名を処刑し、そのうち5名の人肉を嗜食した事件[1]。父島人肉食事件とも
当時の父島は住民を疎開させた上で要塞化(父島要塞)されており、陸軍立花芳夫陸軍少将以下の混成第1旅団(3月に第109師団に改編、立花は陸軍中将に昇進し同師団長[2])と、海軍森国造海軍少将以下の父島方面特別根拠地隊(5月に森は海軍中将に昇進)が駐留していた。

本事件はそれら立花・森両将官および、独立歩兵第308大隊長的場末男陸軍少佐・父島方面特別根拠地隊通信隊司令吉井静雄海軍大佐といった、日本陸海軍の守備部隊において高級幹部として要職にある者が主犯となり犯した戦争犯罪である。大戦末期、補給が崩壊し餓死・病死者の続出する飢餓状態に陥った各南方戦線(ニューギニア戦線ビルマ戦線フィリピン戦線等)において、生存する為に戦死した友軍・敵軍将兵の人肉をやむを得ず食した事例は存在するものの、本件はそれらとは大きく性格が異なる事件であった。舞台となった父島は空襲のみで地上戦はおきておらず、現地自活が営まれ食糧事情は極端には悪くなく補給はある程度確立されており、人肉嗜食は恵まれた立場に居る陸海軍幹部が酒宴の場にて敵愾心高揚・士気高揚を目的とし行ったものであった。


1945年2月、まずは末吉実郎海軍大尉が的場陸軍少佐を経由して入手した捕虜を海軍において処刑、的場陸軍少佐らが独歩308大においてこの遺体を大隊附軍医に解体させ摘出した肝臓等 を嗜食。同月、新しく捕虜となった2名の内、1名は陸軍にて立花陸軍中将の旅団長命令によって処刑・嗜食、もう1名は海軍にて処刑され吉井静雄海軍大佐ら が特根通信隊において肝臓等を嗜食。また、23日には1名を立花陸軍中将の依頼により海軍において処刑・嗜食。 後の証言によれば、立花は米兵の手足の肉や内臓を食べると、「これは美味い。お代わりだ!」と喜んだという。 第109師団参謀として司令部のある硫黄島から父島に派遣されていた堀江芳孝陸軍少佐は、立花らの素行にかねてから不安を感じており、捕虜の将校を自分の英語教師として身近に置くことで守っていたが、3月26日、外出後に戻るとすでに処刑され森海軍中将・的場陸軍少佐らによって喰われた後であった。
的場陸軍少佐の部下の供述調書によると、犠牲者の一人であるウォーレン・アール・ボーン中尉の処刑・嗜食時に的場が発した命令は次の通り[3]
  • 一、大隊は米人飛行家ボーン中尉の肉を食したし
  • 二、冠中尉は此の肉の配給を取り計らうべし
  • 三、坂部軍医は処刑に立会い、肝臓胆嚢を取り除くべし

1945年3月9日 午前9時 大隊長 陸軍少佐的場末男
発令方法…冠中尉並に坂部を面前に呼び口頭命令、報告は立花旅団長へ、通告は堀江参謀へ




愛媛縣護國神社(えひめけんごこくじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社護国神社)である。神紋は山桜花拝殿には高松宮宣仁親王揮毫した「護國」の額面が正面に掲げられている(昭和28年(1953年)の参拝時に奉納)。



高松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年明治38年)1月3日 - 1987年昭和62年)2月3日)は、日本皇族大正天皇貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵徳川慶久の次女喜久子御称号光宮(てるのみや)。身位親王お印若梅(わかうめ)。勲等功級は大勲位功四級。











、、、(爆wwwwwwwww



おまけ











12 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そしてナチスへ続く、と。
あの時代ってなんだったんでしょうね。

匿名 さんのコメント...

鋼の錬金術師なつかしい(笑
ファフナーも今更の続編やっててわかりやすい(爆www

ミネ さんのコメント...

土人 の誹りはこういう時しか使えない

匿名 さんのコメント...

思い出したんですけど自称カトリックやら異端共とは違う(爆)
プロテスタントでも
 パン=キリストの肉
 ワイン=キリストの血
つって一同で食うんですよねぇ(爆w
道理で・・・(爆wwwww

匿名 さんのコメント...

Becky Sullivan Academy Unbroken

匿名 さんのコメント...

powresearch.jp/jp/archive/camplist/

捕虜の問題はジュネーブ条約における日本赤十字社の実態と不可分であるならば・・・

匿名 さんのコメント...

太平洋戦争中の日本国内における欧米人捕虜の処遇に関する日本赤十字社文書の研究

匿名 さんのコメント...

http://trove.nla.gov.au/newspaper/article/95628562

匿名 さんのコメント...

>一方、日本軍が東南アジア方面で数十万人にのぼる欧米人(軍人、民間人を問わず)を収容所に収容したが、国際赤十字委員会や日本赤十字社が積極的な救護活動をしなかったとして連合国側のメディアから非難があった。

http://tokumei10.blogspot.jp/2012/01/blog-post_8563.html

匿名 さんのコメント...

あの戦争から世代が一巡したといってもよい時期に、いまだに先輩後輩の配慮で、政治的な決断ができず及び腰というなら愚かだ。
国立公文書館の機能を標準の実力に強化できなければ日本はおわりだ。
戦争に負けたから割に合わないレッテルを貼られるんだとビビりまくって、これが、今の段階で明らかになっている事実だ、ということを明確に打ち出すことにさえ躊躇している。
戦争に突入するのも無謀で、敗戦後も怖じ気付いて、どこが美しいニッポンなんだか、わかんなーい。
敗戦の分析ができない。
本当は凄いニッポン像にこだわりすぎて、肝心なところでだらしなーい。
戦後何十年経っていて関係者の大半が物故者になるまで、国全体としてはどこか素知らぬ顔をして、世界平和に貢献したいと欲張るわけだけだが、ちょっと待ってほしい。
もっと早く着手すべきだったことができなかったから、もうしなくていいってことではない。
天皇の戦争責任を問われることを懸念しているのだったら、責任は無いことになっているんだろうから、遠慮なくやればよい。
過去は変えられないが、今できる選択から逃げたとしても、同じく変えようが無い。
当の本人たちが後ろめたいと思ったかどうか知る手がかりは乏しいが、あるべき形で整理することから逃げて曖昧にしておくことの後ろめたさを、これからの世代に負わせる暴力がまかり通ってよいはずがない。
ことの重大さを認識できず証明する手段が乏しいことを理由に、何十年さぼってりゃ気が済むんだ?

匿名 さんのコメント...

日本人の貧しさの悲哀

匿名 さんのコメント...

こういう次元で強弁したり立ち往生したりすることそのものが認識の貧しさや卑しさを反映している。
この程度の民族性で、中国ガー、韓国ガーと騒いで、なんぼのものかね。

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