2015年2月21日土曜日

李景美(リ・キョンミ)ことLeekoこと然松DULEE は細木数子の後釜



細木が安岡氏に初めて会ったのは1983年3月。そして氏が亡くなったのは同じ年の12月である。その間わずか9ヶ月。しかも安岡氏は、10月に病気の療養のため実兄である高野山真言宗大本山管長、金剛峯寺第四〇三世座主の堀田真快氏のもとへ移されて、細木との面会を拒絶されている。

その1983年の出来事を表にすると「3月 1日」 自衛隊関係者の政治団体の会合で知り合あう。安岡は細木の自宅および細木の経営する赤坂のフランス料理店「マンハッタン」にしばしば通う。(「マンハッタン」は当初クラブだったが、このころにはフランス料理店に替わっていた)「8月29日」 安岡は細木との結婚誓約書、および追記を書き捺印。誓約では「翌年の4月に入籍する」とされていた。
「9月 6日」 安岡は体調不良を訴える。この頃から、安岡家側は細木との接触を避け始める。
「10月 4日」 安岡が家族および師友会側の計らいで高野山の寺院に移される。
「10月25日」 細木が「結婚誓約書」をもとに文京区役所に「婚姻届」を提出、受理される。
同じ日、安岡家側も同区役所に「婚姻届不受理」の手続きを行なおうとしたが、細木の正式住所確認に手間どり、10分間の差で不受理となる。
「11月 9日」 細木が安岡家に「婚姻通知」を内容証明郵便で郵送し、安岡の居所を明らかにするよう要求。
「11月11日」 安岡家側、細木に反論の手紙を内容証明郵便で郵送。
「11月16日」 細木、東京地裁に「人身保護の請求」の申し立てを行う。
「11月18日」 安岡家側、東京地裁に「婚姻無効」の調停申し立てを行う。
「11月29日」 細木の「人身保護の請求」にもとづく東京地裁の第一回審理において、安岡の居場所が大阪・中之島の住友病院と判明。
「12月 7日」 細木、住友病院にマスコミと共に押しかけ、安岡との面会を要求。
「12月13日」 安岡正篤死去。享年85歳。
「12月19日」 裁判所での調停が和解し安岡の初七日に籍を抜く。
















、、、(爆wwwwwwwwwwww

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

きみのためなら死ねる【BGM】.mp4
https://www.youtube.com/watch?v=pGjg-sbuUAQ

(゚∀゚)Rabbi!!


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B

匿名 さんのコメント...

Hattan Torah