2014年12月13日土曜日

No British Royal @ Belgium








、、、(爆wwwwwww

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

皇太子妃が王室離脱=王位継承にも影響か―タイ

【バンコク時事】タイのワチラロンコン皇太子(62)の妻シーラット妃(43)が王室から離脱したことが13日、分かった。地元メディアが官報を引用して伝えた。皇太子妃をめぐっては、警察高官の汚職事件に親族が関与したとされ、動向が注目されていた。
 体調不良のため5日の国王誕生日の祝賀式典を欠席したプミポン国王(87)の健康問題に関心が集まる中、皇太子妃の王室離脱は王位継承にも影響を与える可能性がある。
 皇太子夫妻は2001年に結婚。皇太子にとって3回目の結婚で、05年には男児が生まれた。しかし、今年11月に警察高官らが収賄や不敬罪などの容疑で逮捕された事件に絡み、逮捕者の中に皇太子妃の親族が複数含まれていることが発覚。皇太子妃一族は王室から与えられた姓を剥奪され、英BBC放送は「離婚への第一歩」との見方を伝えていた。
 皇太子妃は公の場から姿を消し、自身の誕生日だった9日も動静が全く報じられないなど身辺に「異変」が続いていた。

ご近所 さんのコメント...

お姿は正に黒い(自粛

匿名 さんのコメント...

en.wikipedia.org/wiki/Category:House_of_Saxe-Coburg_and_Gotha_(Belgium)
en.wikipedia.org/wiki/Category:Princesses_of_Saxe-Coburg_and_Gotha

匿名 さんのコメント...

特異で痛々しい

匿名 さんのコメント...

【王室外交物語】わずかな無配慮が長い遺恨に 弔問外交のあやうさ
08:39

ベルギーのファビオラ前王妃の国葬が営まれたブリュッセルのサンミシェル大聖堂=2014年12月12日(ロイター)
(産経新聞)

1993年8月7日。ベルギーの首都ブリュッセルのサンミシェル大聖堂で盛大な葬儀が執り行われた。民族・宗教・言語をめぐる議会内の複雑な党派対立を公正中立の立場から常に調整し、戦後のベルギー政治を40年以上も支えてきたボードワン1世国王が急逝されたのである。国王の遺体はまずは王宮に安置され、50万人以上にのぼる市民がこの名君に最後の別れを告げに訪れた。
葬儀の日、棺(ひつぎ)は王宮から葬送礼拝が営まれる大聖堂へと移送された。棺のすぐ後ろには親族をはじめ、弔問に訪れた世界各国の貴顕たちが並び、大聖堂へと厳かに行進した。最前列の中央を歩かれたのが天皇、皇后両陛下。その左右にはスウェーデン国王夫妻とスペイン国王夫妻が、さらに2列目にはデンマーク女王夫妻、ノルウェー国王夫妻、オランダ女王が亡きボードワン国王の追憶とともに、ブリュッセル市民が見守るなかを行進した。
現代国際政治においては、飛行機などの交通手段が発達したおかげもあって、各国の偉大な政治家の葬儀を機に、日頃は敵対し合うような指導者同士をも結びつけてくれる「弔問外交」が頻繁に見られるようになった。ケネディ(63年)、チャーチル(65年)、ドゴール(70年)、チトー(80年)などの葬儀とともに、昨年9月にエルサレムで行われたイスラエルのペレス元大統領の国葬は読者の記憶にも新しいことだろう。
こうした政治家たちの葬儀と並んで、君主として長年国を治めた人々の葬儀の際にも、同様の外交が繰り広げられるとともに、世界規模での王室同士のつながりの深さも改めてうかがわせるものである。わが国でも89年2月に執り行われた昭和天皇の「大喪の礼」の折には、164もの国や地域から元首や代表が弔問に訪れた。その筆頭格の弔問客として葬儀で最上席に着いたのがベルギーのボードワン国王であった。
ところがそのボードワン国王の葬儀の際に、今日にまで尾を引くような「儀礼上の衝突」が生じてしまったのだ。国王の棺が大聖堂に到着すると、賓客たちはそれぞれの席に着いた。しかしそこには一足早くに到着していた英国のエリザベス女王夫妻が、大聖堂の最上席で待ちかまえていたのである。なぜ女王夫妻は王宮からの葬列に加わらなかったのか。
実は英国王室は葬儀に駆けつける前に、葬列に加わりたいので最前列を用意しておいてほしいとベルギー王室に要請していたのだが、ベルギー側からの返事は「最前列は亡き国王がもっとも親しかった王族のための場所なので、次の列に入ってほしい」というものであった。ブリュッセル駐在の英国大使がベルギー政府にかけあってもダメであった。このため女王は葬列には加わらずに、直接、大聖堂へと向かったのである。
20世紀の2度の世界大戦を経て、その勝利者でもあった英国の王室は欧州でも最高の格付けを自他共に認める存在となっていた。それは女王自身の態度にも表れている。
彼女が65年に及ぶ在位のなかで世界の王侯の冠婚葬祭に出席したのは、オランダのユリアナ女王の銀婚式(62年)とこのボードワン国王の葬儀の2度だけだったのである。それをベルギー王室側は意に介さなかった。こののち次代のアルベール2世国王が英国から公式訪問を打診されることはなく、歴代国王のように英国最高位のガーター勲章を授与されることもなかった。そればかりではない。2014年12月に同じ大聖堂で行われたボードワンの未亡人ファビオラ前王妃の葬儀には、皇后陛下を最上席に欧州のすべての君主たちが集まっていたにもかかわらず、英国王室からの出席者はいなかったのである。
弔問外交も、時としてそれを機に「わだかまり」の原因となってしまうことがあるのだ。

次回は9月21日に掲載します。

■儀式での序列
君主の葬儀や戴冠(たいかん)式などで頭を悩ますのが首脳たちの「席次」であろう。国家元首、王族、副大統領、首相、閣僚といった序列が存在するが、同じカテゴリーの中では、「即位(就任)順」で並ぶのが通例である。また国家元首でも、君主制をとる国での儀式の場合には、大統領より王侯のほうが優先される場合が多い。昭和天皇の大喪の礼では、ボードワン国王(1951年即位)が筆頭で、次がヨルダンのフセイン国王(52年即位)だった。

◇【プロフィル】君塚直隆
きみづか・なおたか 昭和42年、東京都生まれ。立教大文学部卒業後、英オックスフォード大留学を経て、上智大大学院文学研究科史学専攻修了。博士(史学)。専門は英国政治外交史。著書は『女王陛下のブルーリボン 英国勲章外交史』(中公文庫)など多数。

news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-lif1708170019.html