2014年11月23日日曜日

小河荘






歴史

  • 戸隠三院を支配していた顕光寺(戸隠神社)が鳥羽院に寄進し、小川の庄と言われる皇室荘園となっていたことが知られている。
  • 南北朝時代の末期(1392年)に三河を追放された小川左衛門貞綱が最勝寺領となっていた小川庄に定着した。貞綱は布留山城(古山城)を築城し、三代にわたって周辺を領した。しかし北信濃で有力だった村上氏に背いたため、村上氏の命を受けた香坂氏大日方氏に攻めこまれて落城し三河に逃れた。
  • 古山城は大日方長政の居城となり、以後、現在の小川村の地は大日方氏の支配下に置かれることとなった。
  • 戦国時代初期の大日方氏は村上氏に従っていたが、武田信玄の侵攻により武田氏家臣へと転じ水内郡から安曇郡を勢力下にして軍役110騎をつとめたとされる。武田氏の滅亡後は上杉氏派の小笠原洞雪斎方と徳川氏配下の小笠原貞慶方に分派した。しかし上杉景勝が豊臣秀吉の命で会津に移封になると上杉氏派は随行することなくそのまま帰農土着したと伝えられ、後にその一部が松代藩真田家に臣従した家もある。

小河荘小川荘、おがわのしょう)は、信濃国水内郡(現在の長野県小川村)にあった荘園
天養2年7月9日1145年7月30日)付の鳥羽院庁下文が初出。当時は院の知行下にある最勝寺領であった。当時戸隠三院を支配していた顕光寺戸隠神社)が鳥羽院に寄進して皇室の荘園になったと伝えられる。

その後、上西門院領となり、以後後白河院宣陽門院鷹司院後深草院に継承された。一方、現地では地元の豪族である小川氏が支配していたが、後に大日方氏が進出してこれを滅ぼし小川氏は三河に逃れたという。








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3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

長野 善光寺で灯ろう倒れる被害

長野市の善光寺では、境内にある石の灯ろうが地震の揺れで倒れるなどの被害が出ました。

善光寺では23日朝から地震による被害を調査していて、これまでに境内にある石の灯ろうが数十基倒れているのが確認されたということです。
3連休の中日の23日は多くの参拝者が善光寺を訪れ、境内の地震の被害に驚いていました。
東京から夫婦で訪れた女性は「灯ろうがいくつも倒れていてびっくりしました。地震があったときはホテルでお風呂に入っていましたが、湯船の水が大きく波打って怖くて身動きできませんでした」と話していました。
また、善光寺の仲見世通りの土産物店にも被害が出ていて、信州産のワインなどを販売する店では、棚からワインボトルや湯飲みなどが床に落ちて割れ、破片が散乱していました。
床にこぼれたワインをモップで拭き取っていた従業員の女性は「片づけは本当に大変ですが、早く店をきれいにして多くのお客さんに来てもらえるようにしたい」と話していました。

匿名 さんのコメント...

地震:石の灯籠が多数倒壊 長野・善光寺
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E7%9F%B3%E3%81%AE%E7%81%AF%E7%B1%A0%E3%81%8C%E5%A4%9A%E6%95%B0%E5%80%92%E5%A3%8A-%E9%95%B7%E9%87%8E%E3%83%BB%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA/ar-BBfjBen

匿名 さんのコメント...

牙笏 象牙笏