2014年10月14日火曜日

石田治一郎氏死去

石田自民県連幹事長 死去
2014年10月13日

 自民党県連幹事長で、同党の各都道府県連幹事長でつくる全国幹事長連絡協議会の会長も務めた石田治一郎県議が12日午前、肝細胞がんで死去した。77歳だった。告別式は近く近親者で執り行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男、治氏。

 石田氏は1979年の県議選で初当選し、現職県議では最多の9期目。2001年~02年に県議会議長を務め、03年からは党県連幹事長として知事選や長野市長選などの主要選挙を取り仕切った。麻生政権時の09年には党の全国幹事長連絡協議会長に就任。民主党に政権交代した後に発足した自民党の「政権構想会議」では、地方議員の代表メンバーだった。

 田中康夫知事の時代には、県議会最大会派「県政会」の団長として激しく対立。独自政策を次々と打ち出す田中知事に対し、「知事と県議会の信頼関係はズタズタになった」と不信任決議を主導し、田中知事の“政敵”として全国的にも名が知られるようになった。

 関係者によると、石田氏は2年ほど前から体調を崩して入退院を繰り返していたが、13年10月の長野市長選では候補者擁立を主導。今年8月の知事選でも、阿部知事の再選を後押しし、存在感を示した。

 2期目の阿部知事にも「是々非々で対応する」、「(県議会は)イエスマンではいけない。これからも意見を申し上げていく」と、県政への情熱を燃やしていたが、9月定例県議会は病気療養を理由に欠席が続いていた。

     ◇

 阿部知事は12日、石田氏の死去について「五輪や新幹線など、県の発展の基礎を作るのに大変なご尽力をいただいた。(石田氏が)表に出ない場面でも県政の方向付けをしっかりされてきた。心からご冥福をお祈りするとともに、より良い県にしていくことが我々の使命だ」と述べた。
2014年10月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/news/20141012-OYTNT50134.html



→長野



どうやら好ましくない特定人脈は左右問わず自民だろうが何だろうが完全パージの方向で確定のようですな。(爆wwwwwwww

2 件のコメント:

ミネ さんのコメント...

なんか このひとに限らずだけど
中途半端に金持ちだと意識無意識構わずゴリゴリであろうとなかろうと結局フラグ人生歩むよう(つまりシーケンス)になってるんだろな
大学1つとっても 東大ムリなら早稲田いっとけ みたぃなさ

匿名 さんのコメント...

成蹊さんはシーケンスなのか個別的なクルシファイなのかw

近頃キレキレ(?)のノビーが岸信介方面の切捨を叫び出した様ですw