2014年10月5日日曜日

「電通」設立の公益財団法人「吉田秀雄記念事業財団」


着服容疑:元財団事務局次長 1億円「競馬につぎ込んだ」
毎日新聞 2014年10月05日 19時14分

大手広告代理店「電通」が出資して設立した公益財団法人「吉田秀雄記念事業財団」の口座から現金を引き出し、着服したとして、警視庁捜査2課は5日、住所不定、元同財団事務局次長、小口芳和容疑者(63)を業務上横領容疑で逮捕した。同課によると「競馬につぎ込んだ」と容疑を認めており、2006年ごろから総額1億円以上を着服したとみて調べる。

逮捕容疑は今年2月下旬、同財団の口座から現金80万円を引き出し、着服したとしている。

同財団は広告などのマーケティングに関する研究助成事業をしており、小口容疑者は01年に電通から出向。電通を定年退職した11年から事務局次長として1人で経理を担当していた。今年3月に不正が発覚、同財団が警視庁に被害を相談した。
http://mainichi.jp/select/news/20141006k0000m040041000c.html


吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 1963年1月27日)は、日本実業家

電通の経営者で、「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。福岡県小倉市(現・北九州市)出身。小倉中学鹿児島市第七高等学校 (旧制) を経て、東京帝国大学経済学部卒業。1928年電通(日本電報通信社)入社。1947年GHQにより公職追放された上田碩三の後任として、電通の第4代代表取締役社長就任。1953年日本プロレス協会理事。なかにし礼の小説『世界は俺が回してる』(2009年)の主人公・渡辺正文の叔父として実名で登場している。


上田 碩三(うえだ せきぞう、1886年2月27日 - 1949年1月30日)は日本のジャーナリスト実業家。元電通社長。

熊本県八代宮原町(現・氷川町)出身[1]。1909年に東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、日本電報通信社(のちの電通)入社。語学力を活かしパリ講和会議ワシントン会議ロンドン軍縮会議で特派員を務め、「カミソリ上田」と呼ばれた。電通で常務取締役通信部長等を務めたのち、同盟通信社編集局長、常務理事。
1945年電通社長に就任。同年、大学の後輩で、結核の療養中だった田中寛治郎を再入社させた。田中は結核の療養を続けながら、電通の監査役兼渉外部長や秘書役等を歴任し、パブリック・リレーションズ(PR)研究・導入の日本における草分けとなった。1946年には電通の経営基本方針に「PRの導入と普及」を掲げ、PRの普及に努めたが、1947年GHQにより公職追放され、社長を退任。
1949年、親友のUPI通信社極東担当副社長マイルス・ボーンらとともに和船で浦安沖で鴨猟に出たところ、乗っていた船が転覆し、ボーンらとともに水死体で発見された。享年64[2]。1951年、妻のミエも、品川区の自宅で絞殺体で発見された。享年55[3]

死の翌年である1950年に、上田とボーンを記念しボーン・上田記念国際記者賞が創設された[4]。また上野恩賜公園に、上田とボーンをたたえた「真友の碑」が建てられている。












、、、(爆wwwwwwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

マイルス・ボーンさんの情報が非常に抑制されているのが不思議。