東京都八王子市出身。洗礼名は「ペトロ」。1994年に日本人で4人目の枢機卿に親任された。濱尾文郎枢機卿の死去後、唯一の日本人枢機卿であった。世界宗教者平和会議日本委員会理事長、日本宗教連盟理事長などもつとめ、宗教対話や平和活動に熱心であった。
護憲派としても知られ、九条の会が主催するイベントの発起人や呼びかけ人となったこともあった[2][3]。
慰安婦問題については、日本政府による公的な謝罪と補償をすべきという観点から、女性のためのアジア平和国民基金に反対するメッセージを当時の村山富市首相宛に送付した[4]。
2009年12月30日午前6時45分、心筋梗塞により死去(帰天)。
、、、(爆wwwwwwwwwwwwwww
6 件のコメント:
アカヒが叩かれて
便乗したってミズポタンも叩かれてますが
>白柳誠一
この御仁の名はチットモ出て来ないですよね
>世界宗教者平和会議
の項目自体がwikiから消去されてますなあw
ちなみにオイラの知り合いの某宗教団体信者de元日心会会員が、
イスラエルで会議やったんだよ
ってハッキリ申し上げて居りました^^
1981年2月
ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日
chikyuza.net/archives/37835
シンポジスト:中山 武敏(弁護士・狭山再審事件主任弁護人)
主催: 日本カトリック部落差別人権委員会 03-5632-4482
東京都江東区潮見2-10-10 日本カトリック会館
~父と相馬司教、白柳枢機卿との出会いの中でカトリック協会の中に部落差別人権委員会が発足し、狭山事件の支援運動もされている。
>ja.wikipedia.org/wiki/中山武敏
直方市の被差別部落に生まれる[1]。実父の中山重夫は大日本帝国陸軍戦車隊の整備兵として中国戦線に参加し、日本軍の残虐行為を目撃したと主張、戦後は南京大虐殺の証言を続け[2]、反戦平和運動やカトリック教会の部落解放運動の発足に寄与し、部落解放同盟東京都連合会江戸川支部長や東京江戸川区日中友好協会会長などを務めた。
(BOOKS→「一人だけ非信者の中山重夫さんがいたことだ」)
1985年11月1日
部落解放基本法制定を求める署名について 日本カトリック司教協議会 社会司教委員会 委員長 白柳誠一
1986年1月1日
座談会 日本にとっての解放の神学とは 単行本 – 1986/1/1
相馬 信夫 (著), アンセルモ マタイス (著), 酒井 新二 (著)
第104回国会 白柳誠一
1986/02/25 指紋押捺拒否 神父 在留許可
1886/05/15 部落解放基本法制定に関する陳情書
・・・余談その1
>潮見
ヨハネ・パウロ2世 ゼノ・ゼブロフスキー
1985年6月1日に完成した新しい教会堂には「蟻の町のマリア」の名称が冠せられている。ja.wikipedia.org/wiki/北原怜子
・・・余談その2
>ゼノ・ゼブロフスキー マキシミリアノ・コルベ、
と ヨハネ・パウロ2世
ポーランド出身
ふと思ったんですが、
湯田の侮蔑的な呼び方 → 獣
日本の自称ヒシャベツ民wの侮蔑的な呼び方 → よつ、四つ足
やっぱそういうこってすよね^^
滋賀でもいまだに普通に、エッタ、って使う人居ますよ
なんせ職場に居ましたからw
ペトロw
朝日で沸き立つ今TBSでは小泉Jr.ドラマやってますね
原作読んだ人の既に知ってる感よそに
オチはペトロアゲかサゲかを楽しみにしてるこの頃でやんす
3・11
中山武敏 『朝日新聞』2011年3月11日「ひと」
記者 木村英昭
>1001040769042 早稲田大学法学部卒業
>spork.jp/?p=4628 早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞
>asahi.com/articles/ASG5L51KCG5LUEHF003.html
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