豊科寺所に生れました。細萱伝平について朱子学・書と和歌を修めました。御嶽教の信者となり、御嶽山へ33回参拝に行きました。また、東北・中国・四国の各地方の霊地を訪れました。1878年(明治11)に有明山を信仰の山として御嶽山同様にしようと考え、3年間かけて巨額の私財を投じ、有明神社里宮の復興し、以後、約30年間にわたり、その付随施設整備のため一生を捧げました。1880年(明治13)には、御嶽教と同様に「有明講」を起こしました。1888年(明治21)に、有明神社里宮の増築が完成、また、有明講を起し、日夜伝導教化に務め、講数800、講員3,200、信仰者3万520余戸、信徒10万人となり、地方宗教界の一王侯の観がありました。当代名流の人々を含めて1,200人に及ぶ有明神社献詠歌集「残月集」を取りまとめた。1913年(大正2)9月に、74歳で亡くなりました。
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