フジに限ったことではないけどテーマパーク放送局してニュース時間そこまで裂いて宣伝しまくってるって何?ってなる18時半か、、発生時刻に合わせてるんだろうけどその後のドラマがクソ過ぎるんだからどうせならその時間にやればいいのに思う
カルト脳な連中がよく言ってる米軍機のミサイル誤射では無いようですなw
日航機墜落 原因は「修理ミス」 米政府、意図的に漏えい2015年7月26日 朝刊 【ニューヨーク=共同】一九八五年の日航ジャンボ機(ボーイング747)墜落事故後、ボーイング社による修理ミスが原因であることを米政府が意図的に米有力紙に漏らしていたことが分かった。事故調査に携わった米運輸安全委員会(NTSB)の元幹部が二十五日までに証言した。日本の運輸省航空事故調査委員会が情報公開をためらったことを受け、事故原因がボーイング同型機全般の構造上の問題に起因するのではなく、事故機だけの固有の問題であることを早期に明らかにし、同型機の安全性をアピールする狙いがあった。日本の事故調が早期の情報公開を避けたのは、刑事捜査していた群馬県警への配慮や、修理ミス情報に確信が持てなかったためとみられる。乗客乗員五百二十人が死亡した事故は八月十二日で三十年になる。客室の与圧に必要な圧力隔壁の破壊が当初から原因とみられていたが、八五年九月六日付のニューヨーク・タイムズ紙の報道で、隔壁の修理ミスとの関連が初めて公になった。ボーイングは報道の直後、修理ミスの公表に追い込まれた。NTSB航空事故調査部門の元幹部ロン・シュリード氏らによると、米調査団は八月下旬、群馬県の墜落現場で残骸を調べ、修理ミスの痕跡を見つけた。シュリード氏は運輸省の事故調に修理ミスを伝えたが、日本側は九月に入っても公表しなかった。国際的な取り決めで、航空事故の調査は発生国が主体となり、その他の国は調査に関わる情報を勝手に発信できない。このため当時のバーネットNTSB委員長(故人)が業を煮やし、同紙にひそかに情報提供するようシュリード氏に指示した。シュリード氏は「連邦航空局(FAA)や米議会が、同型機への問題の波及を気にしていた」と当時の事情を語った。米国では、故意や重大な過失がない一般的な航空事故での操縦士らの刑事責任が免責され、NTSBの権限も強い。日本は群馬県警の捜査が並行し、事故調の独断で情報を出せない事情もあった。◆日本側は官僚主義<日航機墜落事故を題材にした著書があるノンフィクション作家吉岡忍氏の話> 当時、運輸省航空事故調査委員会の事故原因に関する情報公開が遅れたことが、遺族たちの不安を大きくした。事故調は早い段階で事故機の修理ミスを把握していたはずで、日本側の公表の遅れには中央官庁や群馬県警が互いの組織に配慮した、ある種の官僚主義を感じる。米国側については、一つの事故がボーイング全体にダメージを与えるとして米政府が一企業に配慮した背景を考えると、事故原因を早く公表することで国益と業界、企業の利益を守るという米政府の考え方がよく表れている。 (共同)http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015072602000125.html?ref=rank
墜落日航ジャンボ機の乗客・乗員名簿1985.08.14 東京朝刊 4頁 特設ニュース面 (全19,087字) http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
全日空機緊急着陸、日航機墜落事故から32年…同日、同じ羽田発伊丹行きで : スポーツ報知http://www.hochi.co.jp/topics/20170812-OHT1T50297.html2017年8月13日5時0分 スポーツ報知 乗客乗員520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から32年となった12日の午後6時50分ごろ、羽田(東京)発伊丹(大阪)行きの全日空37便が機内の気圧トラブルのため羽田空港に引き返し、緊急着陸した。乗客乗員273人にけがはなかった。国土交通省や全日空が原因を調べている。トラブルが発生した便は当時と同じく午後6時発予定。行き先も同じだった。 午後6時すぎに羽田空港を出発したボーイング777使用の全日空37便にトラブルが発生したのは、全日空の広報室や国交省などによると午後6時半ごろ。伊豆大島付近の上空を飛行している最中だった。 機長が機材の不具合に気付き、緊急事態を宣言。手動で客席に緊急用の酸素マスクを出すなどの対応を行った。ただ、火災の発生等がなかったことから、機長は離陸した羽田に戻ることを決め、管制に連絡。着陸態勢に入ろうとしていた他の飛行機からの優先権を受け、午後6時51分に羽田空港に無事、到着した。 全日空によると機内には乗客262人(うち4人は幼児)、乗員11人の計273人が乗っていたが、けが人はなし。気分が悪くなった人が1人おり、病院を紹介したという。機長によると、機内の機器には与圧(乗り物の内部を一定の気圧に保つこと)系統のトラブルを示す表示が出ていた。 32年前のこの日は、日航ジャンボ機墜落事故が起きた日。航空会社こそ違うが、くしくもこの日トラブルが起きた37便は出発予定時刻、出発地、行き先ともに墜落した日航123便と同じだった。さらに、トラブルが発生した地域も同じ伊豆大島付近。日航ジャンボ機事故の原因は、後部圧力隔壁が破損して機内の気圧に問題が生じたとされている。 同便は羽田に引き返した後に欠航となったため、乗客は希望により大阪行きの新幹線の切符を受け取ったり、翌日以降の便への振り替えを行ったりした。今後は機体の整備不良の可能性も含め、国交省や全日空が詳しい原因を調べる。
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フジに限ったことではないけど
テーマパーク放送局してニュース時間そこまで裂いて宣伝しまくってるって何?ってなる
18時半か、、発生時刻に合わせてるんだろうけど
その後のドラマがクソ過ぎるんだから
どうせならその時間にやればいいのに思う
カルト脳な連中がよく言ってる米軍機のミサイル誤射では無いようですなw
日航機墜落 原因は「修理ミス」 米政府、意図的に漏えい
2015年7月26日 朝刊
【ニューヨーク=共同】一九八五年の日航ジャンボ機(ボーイング747)墜落事故後、ボーイング社による修理ミスが原因であることを米政府が意図的に米有力紙に漏らしていたことが分かった。事故調査に携わった米運輸安全委員会(NTSB)の元幹部が二十五日までに証言した。
日本の運輸省航空事故調査委員会が情報公開をためらったことを受け、事故原因がボーイング同型機全般の構造上の問題に起因するのではなく、事故機だけの固有の問題であることを早期に明らかにし、同型機の安全性をアピールする狙いがあった。日本の事故調が早期の情報公開を避けたのは、刑事捜査していた群馬県警への配慮や、修理ミス情報に確信が持てなかったためとみられる。
乗客乗員五百二十人が死亡した事故は八月十二日で三十年になる。客室の与圧に必要な圧力隔壁の破壊が当初から原因とみられていたが、八五年九月六日付のニューヨーク・タイムズ紙の報道で、隔壁の修理ミスとの関連が初めて公になった。ボーイングは報道の直後、修理ミスの公表に追い込まれた。
NTSB航空事故調査部門の元幹部ロン・シュリード氏らによると、米調査団は八月下旬、群馬県の墜落現場で残骸を調べ、修理ミスの痕跡を見つけた。シュリード氏は運輸省の事故調に修理ミスを伝えたが、日本側は九月に入っても公表しなかった。
国際的な取り決めで、航空事故の調査は発生国が主体となり、その他の国は調査に関わる情報を勝手に発信できない。このため当時のバーネットNTSB委員長(故人)が業を煮やし、同紙にひそかに情報提供するようシュリード氏に指示した。シュリード氏は「連邦航空局(FAA)や米議会が、同型機への問題の波及を気にしていた」と当時の事情を語った。
米国では、故意や重大な過失がない一般的な航空事故での操縦士らの刑事責任が免責され、NTSBの権限も強い。日本は群馬県警の捜査が並行し、事故調の独断で情報を出せない事情もあった。
◆日本側は官僚主義
<日航機墜落事故を題材にした著書があるノンフィクション作家吉岡忍氏の話> 当時、運輸省航空事故調査委員会の事故原因に関する情報公開が遅れたことが、遺族たちの不安を大きくした。事故調は早い段階で事故機の修理ミスを把握していたはずで、日本側の公表の遅れには中央官庁や群馬県警が互いの組織に配慮した、ある種の官僚主義を感じる。米国側については、一つの事故がボーイング全体にダメージを与えるとして米政府が一企業に配慮した背景を考えると、事故原因を早く公表することで国益と業界、企業の利益を守るという米政府の考え方がよく表れている。 (共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2015072602000125.html?ref=rank
墜落日航ジャンボ機の乗客・乗員名簿
1985.08.14 東京朝刊 4頁 特設ニュース面 (全19,087字)
http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
全日空機緊急着陸、日航機墜落事故から32年…同日、同じ羽田発伊丹行きで : スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/topics/20170812-OHT1T50297.html
2017年8月13日5時0分 スポーツ報知
乗客乗員520人が亡くなった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から32年となった12日の午後6時50分ごろ、羽田(東京)発伊丹(大阪)行きの全日空37便が機内の気圧トラブルのため羽田空港に引き返し、緊急着陸した。乗客乗員273人にけがはなかった。国土交通省や全日空が原因を調べている。トラブルが発生した便は当時と同じく午後6時発予定。行き先も同じだった。
午後6時すぎに羽田空港を出発したボーイング777使用の全日空37便にトラブルが発生したのは、全日空の広報室や国交省などによると午後6時半ごろ。伊豆大島付近の上空を飛行している最中だった。
機長が機材の不具合に気付き、緊急事態を宣言。手動で客席に緊急用の酸素マスクを出すなどの対応を行った。ただ、火災の発生等がなかったことから、機長は離陸した羽田に戻ることを決め、管制に連絡。着陸態勢に入ろうとしていた他の飛行機からの優先権を受け、午後6時51分に羽田空港に無事、到着した。
全日空によると機内には乗客262人(うち4人は幼児)、乗員11人の計273人が乗っていたが、けが人はなし。気分が悪くなった人が1人おり、病院を紹介したという。機長によると、機内の機器には与圧(乗り物の内部を一定の気圧に保つこと)系統のトラブルを示す表示が出ていた。
32年前のこの日は、日航ジャンボ機墜落事故が起きた日。航空会社こそ違うが、くしくもこの日トラブルが起きた37便は出発予定時刻、出発地、行き先ともに墜落した日航123便と同じだった。さらに、トラブルが発生した地域も同じ伊豆大島付近。日航ジャンボ機事故の原因は、後部圧力隔壁が破損して機内の気圧に問題が生じたとされている。
同便は羽田に引き返した後に欠航となったため、乗客は希望により大阪行きの新幹線の切符を受け取ったり、翌日以降の便への振り替えを行ったりした。今後は機体の整備不良の可能性も含め、国交省や全日空が詳しい原因を調べる。
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