2014年4月11日金曜日

山之内幸夫@山口組顧問の弁護士を在宅起訴



山口組顧問の弁護士を在宅起訴 建造物損壊教唆罪で大阪地検

依頼人の男に倉庫の壁を壊すようそそのかしたとして、大阪地検は8日、建造物損壊教唆の罪で、大阪弁護士会の山之内幸夫弁護士(67)を在宅起訴した。山之内被告は指定暴力団山口組の顧問で、「悲しきヒットマン」などの暴力団を扱った本の著者として知られる。

起訴状によると、山之内被告は大阪府摂津市で昨年9月9日、解雇をめぐり会社と紛争中だった依頼人の男(39)に、会社の倉庫の扉を開けるため壁を壊すようにそそのかし、縦55センチ、横20センチにわたって壁を破壊させた、としている。
2014/04/08 19:47 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201404/CN2014040801002337.html



山之内幸夫


山之内 幸夫(やまのうち ゆきお、1946年 - )は、日本弁護士大阪弁護士会所属。山口組元顧問弁護士として知られる。

人物

1946年、香川県小豆島に生まれる。2歳のころより、大阪方面で、幼少時代を過ごす。
1970年早稲田大学法学部を卒業する。1972年司法試験に合格する。司法修習を終え、1975年、大阪弁護士会に登録する[1]
刑事弁護を担ううち、1976年より暴力団関係者の弁護が多くなる。1984年山口組の顧問弁護士に就任する[1][2]1987年、大阪弁護士会より、「暴力団の顧問は弁護士の品位を害する」という理由で、懲戒処分を受ける[1]1988年徳間書店より、著作『悲しきヒットマン』を出すが、有名になり、翌年に東映にて、映画化される。
1991年2月、恐喝罪で逮捕される[3]1995年3月23日にて、大阪地方裁判所は無罪判決を下すが、検察側は控訴する[3]1997年2月25日大阪高等裁判所で控訴棄却となり、同年3月13日無罪が確定する[3]。この際、150人の弁護団が結成される。その後、一時相場師として生計を立てようとするが、相場の下落で失敗。
その後も、著作活動をしつつも、弁護士活動を続けている[2]

その他

  • オウム真理教を弁護した横山昭二弁護士を「大阪弁護士会2000人のうち2001番目の弁護士だ」などと発言し、横山から名誉を毀損したとして、民事訴訟を起こされ1審では勝訴したが、2審では敗訴し、30万円の損害賠償請求が命じられた。

主な著作

  • 悲しきヒットマン 徳間書店 1988年 ISBN-13: 978-4198928582
  • チャカ - その愛、その死 巨大ヤクザ組織・抗争に生きる人々 徳間書店 1990年 ISBN-13: 978-4191342958
  • 悪徳弁護士 飛鳥新社 1994年 ISBN-13: 978-4870311602
  • はぐれ弁護士「生贄」の記 システムファイブ 2002年 ISBN-13: 978-4915689178


横山 昭二(よこやま しょうじ、1927年12月18日 - 2007年?)は、日本検察官弁護士1996年に大阪弁護士会から除名処分を受け弁護士を廃業した後は、歴史(主に世界史)を研究しながら余生を送った。オウム真理教幹部の横山真人とは同姓であるが縁故はない。

東京都江東区深川生まれ。炭坑夫を経て、中央大学第二法学部夜間部)に入学するも後に中退。大学中退後は肉体労働に従事しながら、30歳のときに司法試験に合格。司法修習13期を修了。同期に山花貞夫一井淳治堀田力がいる。1961年検察官任官。検察官を退官した後は弁護士に転じる。
かつて弁護した暴力団員の紹介で、一連のオウム真理教事件でのオウム真理教教祖の麻原彰晃松本智津夫)の最初の私選弁護人を1995年6月9日より務めた[1]。弁護料は月150万円[2]。 初公判の前日の10月25日に麻原により解任されるが、10月27日に再任される。10月22日には横山を乗せたオウム信者が運転する車が交通事故を起こ して横山が負傷して2週間の予定で入院したり、11月17日、翌年の大阪弁護士会除名の原因となる債務整理の預託金の返還請求の訴訟を起こされ、12月2 日に再び麻原により解任された[3]。12月21日には『週刊現代』に掲載された麻原の供述調書を流出させた秘密漏洩罪容疑で自宅マンションが家宅捜索され、事情聴取も受ける[4]
これらの過程で、横山の独特のキャラクターは、マスメディアの注目を集め、連日連夜報道機関から追い回される日々が続いて、お茶の間の話題を独占。一時期はバラエティー特番への出演も頻繁に行っていた。
1996年6月13日、横山は麻原の供述調書の横流しや弁護士費用の着服疑惑のため、大阪弁護士会から除名の懲戒処分を受け、弁護士を廃業した。その後はかねてから関心のあった歴史(世界史)を研究しながら、大阪府河内長野市で余生を送った。また弁護士廃業後も、何度かテレビ番組に出演している。
2006年7月19日肺癌を患い闘病中であるとスポーツ紙で報じられた。同年春先、中期ガンであると診断され、本人は延命治療を拒否しようとしたが、家族が抗がん剤による治療を勧め、本人も承諾することになった。治療の結果、危機的な状態からは脱し、その後は「日本の刑事裁判における裁判官の暴走」というテーマで本を執筆中だったという。

2007年8月6日発売の写真週刊誌FLASHの特集「日本の人権派弁護士」の中で麻原の弁護人として紹介され、「故人」と表記された。死因は肺癌と思われるが正確な死亡日時、死因は不明。


横山 真人(よこやま まさと、1963年5月16日 - )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚神奈川県出身。ホーリーネームヴァジラ・ヴァッリィヤ
教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は科学技術省次官の一人となる。

来歴

1986年東海大学工学部応用物理学科卒業。在学中は太陽電池などのクリーンエネルギー開発を専攻した。卒業後は沖電線へ就職。麻原彰晃の著書を読んだことがきっかけで1988年2月に入信し、1989年5月15日出家
地下鉄サリン事件においては、唯一死者を出さなかった東京メトロ丸ノ内線池袋行き列車でのサリン散布実行犯となった。しかし、サリンの2つの袋に穴をあけて漏出気化させるところ、実行において1袋しか穴をあけることができなかった。結果として横山がサリンを散布した車両では約200人の重傷者を出したが、死者は出なかった。
地下鉄サリン事件、自動小銃密造事件起訴された。公判では元々人付き合いが苦手だったこともあり、自らが事件を語ることはほとんどなかった。1999年9月30日第一審では、地下鉄サリン事件では横山自身がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、地下鉄サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことを裁判所は重視し、地下鉄サリン事件全体の関与者の一人として殺人罪が適用され、横山は死刑判決を受けた。一審判決後、弁護団に「死刑の方が被害者に納得してもらえる」と述べた。その後、2003年5月19日控訴審でも死刑判決を受けた[1]。その後最高裁上告したが、2007年7月20日に最高裁は上告を棄却。死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定するのは3人目である。地下鉄サリン事件の実行犯で死刑が確定したのは初めてであった[2]

2014年現在、東京拘置所収監されている。





、、、(爆wwwwwwww

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