なぜ長年会ってくれなかったの…横田夫妻に孫娘
2014年04月07日 22時59分
特集 北朝鮮
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの両親、滋さん(81)と早紀江さん(78)夫妻が6日、奈良県吉野町の吉水神社を訪れ、早紀江さんは3月にモンゴルで孫娘のキム・ウンギョンさんと初めて面会した際、「どうして長年会ってくれなかったのですか」と尋ねられたことを明らかにした。
横田さん夫妻は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための奈良の会」(佐藤一彦会長)の招きで、毎年この時期に吉野山を訪れている。
早紀江さんは支援者らへのあいさつの中で、ウンギョンさんとのやりとりの一部を語った。ウンギョンさんから「私たちを信用できないのですか」とも聞かれ、早紀江さんが「そんなことはない」と強く否定する場面もあったという。早紀江さんが「(面会を)毎日どんなに祈ったか分からない。国と国でいろんなことがあり、こんなことが起きている」と説明すると、ウンギョンさんは涙を流していたという。
この後、横田さん夫妻は署名活動に参加した。滋さんは、ひ孫になるウンギョンさんの娘について「(生後)10か月で丸々と太った子どもと会うことが出来た」と喜びを語った。早紀江さんは「めぐみは(拉致された当時は)13歳だったのが、今年50歳。私たち親も衰弱してきた」と、一刻も早い救出に向け協力を訴えた。
2014年04月07日 22時59分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。
もとは金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったが、明治維新の神仏分離(廃仏毀釈)により、神社となった。後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀する。
歴史
社伝では、白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられる。南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所とした。後醍醐天皇の崩御の後、後村上天皇が後醍醐天皇の像を作って吉水院に奉安した。明治時代に入ると神仏分離の観点から天皇を仏式で供養することが問題視され、明治4年(1871年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて吉野神社とする案を太政官政府に提出したが、政府は後醍醐天皇をまつる神社を別に作ることを望み、許さなかった[1]。しかしいよいよ金峯山寺の廃止が迫る情勢となったことから、奈良県が神社への改組を働きかけ、明治6年(1874年)12月17日に後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認された。明治8年(1875年)2月25日に吉水神社に改称し、やがて村社に列した[2]。
後醍醐天皇のほか、源義経や豊臣秀吉ゆかりの地でもあり、多くの文化財が所蔵されている。本殿は旧吉水院護摩堂である。隣接する書院には、後醍醐天皇の玉間と源義経が潜居したと伝えられる間があり、重要文化財に指定されている。
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