2014年3月11日火曜日

庭野欽司郎@立正佼成会死去


立正佼成会参与の庭野欽司郎さん死去 教団開祖の次男
2014年3月10日00時30分


庭野欽司郎さん(にわの・きんじろう=庭野平和財団理事長、立正佼成会参与)が9日、間質性肺炎で死去、73歳。教団の庭野日敬開祖の次男。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前11時から東京都杉並区和田2の8の36の立正佼成会法輪閣で。喪主は妻匡代さん。葬儀委員長は同会の川端健之理事長。
http://www.asahi.com/articles/ASG396W4TG39UTIL013.html

民主党支持者だった方ですな。(w


、、、(w

6 件のコメント:

ミネ さんのコメント...

吉田サオリの父も車運転時死亡だそうです

匿名 さんのコメント...

http://gamayauber1001.wordpress.com/

いまの日本人の目でみると一見して奇妙に見えるのに違いないのは、孫文やラス・ビハリ・ボースを右翼の大立て者たちである、宮崎滔天、頭山満、内田良平というようなひとびとにひきあわせたのは「憲政の神様」リベラル人犬養毅であることで、「大アジア」というキーワードなしで歴史を辿る人たちにとっては、混乱するというか、滅茶苦茶というか、単なる思想的惑乱にすぎないように見える可能性もある。

日本語学習者にとって日本の政治史をベンキョーするときの困難は、まず日本において最も社会主義的主張をもっていたのが帝国陸軍将校たちであったことで、左翼のなかでも(思想的に)最も正統的な左翼が最も右翼的な国家主義組織のなかに内在していた、ということの奇妙さにうたれてしまう。
社会主義であるはずの陸軍の外の活動家はコミンテルン的、というべきか、ソ連の出先機関のようなもので、到底(日本人から見て)革命的と呼ぶわけにはいかなかった。

このブログでもSNSでも何度も「日本には西洋的な意味における左翼も右翼も存在しない」と述べたのは、要するにそういうことで、日本においては右翼も左翼も、もともと「アングロサクソン支配」に対抗しうる政治思想と、その実質としての暴力装置(たとえば国家)を希求する運動だったので、ともすると左翼であるか右翼であるかは、「アングロサクソン支配からの独立」をめざすための「効率」の問題にしか見えないことすらあった。
政治勢力として目指す目的が左翼と右翼と同じものだった。

ご近所 さんのコメント...

来た来たw

ウチの田舎では栗栖ちゃんもアレですが
ソーカよりもコイツラや奈良のアレやら完璧自由の方が幅きかせてますけどね
立山の施設も立派だしねぇ

あの町には全国にあるカルトがほとんど有りまんねんw

あ、Bob兄貴んとこに張り付いてる
チームドアホの必死な皆様はこんな話聞きたく無かったかしら?(核爆笑wwwwww


咲~き~ほ~これ~ワ~イルド~フラ~ワアア~♪

あら?なんか上空が騒がしくなってきたようなw

匿名 さんのコメント...

ベクター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E4%BC%81%E6%A5%AD)

感染

匿名 さんのコメント...

蔵敷事件

匿名 さんのコメント...

立正佼成会 若狭勝