黒塗りせず「昭和天皇実録」公刊へ…宮内庁方針
宮内庁が24年がかりで編修作業を進めている昭和天皇の生涯の動静を記録した「昭和天皇実録」が今春にも完成し、新年度から順次、公刊される見通しとなった。
戦前から戦中、戦後の激動期を含めた昭和天皇の初の包括的公式記録で、一部を消す「黒塗り」はしない。新資料も含まれ、昭和史研究の基礎資料として専門家が注目するだけでなく一般にも高い関心を呼びそうだ。
天皇実録は元々、完成時の天皇に献上するために作られており、ほぼ同時期の公刊はされてこなかった。明治天皇紀は1933年(昭和8年)に完成したが、刊行は35年後の68年から。大正天皇実録は、情報公開請求により、完成から約65年後の2002年から11年まで、4回に分けてようやく公開された。当初宮内庁は、昭和天皇実録の早期公開に消極的だったが、「国民の財産でもあり、昭和天皇の事績を広く知ってもらうべきだ」として方針転換。公刊に伴う費用として2014年度予算に600万円を盛り込んだ。
昭和天皇実録は、誕生(1901年)から、87歳での崩御(89年)、大喪儀の終了(90年)までを記録の対象とし、昭和天皇の活動や言動を、月日を追って(編年体)記録したもの。参考にされるのは、侍従の日誌や、侍医の拝診録、歴代首相の日記、当時の報道のほか、宮内庁が約50人の側近から聞き取った内容や公になっていない側近の日誌など多岐にわたる。
(2014年1月1日15時29分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140101-OYT1T00225.htm
2014年1月1日水曜日
東伏見慈洽氏(京都仏教会会長)死去
今年は阿Qサマナにとって色々マズ~な歴史上の真実が表に出てしまいそうですなあ・・・(w
1,154 件のコメント:
1 – 200 / 1154 前› 最新»スッテキーなお年玉だ
早く受取たいもんです
宮内庁の書陵部に電話で相談しますと、たいへんお優しい丁寧な女性の方が、こちらの実録の電子版を情報公開制度に基づいて申請する方法の詳しい手続き、電子版ですべて請求した場合のおよその料金、件名の書き方など、初心者にもわかるように教えてくださいます。
それぞれの通信社や識者とされる方々の意向や解釈によって癖がありますので、このような制度を利用して、対価を払って自宅で読めるのはありがたいですね。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140909_73035.html
昭和天皇像、異なる光 御祭文 終戦工作を秘匿?
2014/9/9 5:00日本経済新聞 電子版
「公開を楽しみにしていました。割と近代的な教育を受けていた印象で、昭和天皇はユーモアがあったということが分かりました」
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140909/lif14090919380035-n1.html
「昭和天皇の人物像に興味があって来ました。小さな頃の日記とかお手紙とか、本人の言葉があっておもしろかったです」
http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20140909/4440091.html
19+*=♪秋が終われば冬が来る ほんとに早いわ…
2014.9.14 10:57
【昭和天皇実録公表】
「家庭的な環境で人格形成」 佐々木隆・聖心女子大教授
2014/09/17 4:21 pm ET
宮内庁「昭和天皇実録」、配布先は記者クラブに限定
個人で情報公開請求しても審査期間がながーいんだよ
30日間の審査期間を経て、開示が認められました。
次の段階の書類の手続きと提示された額の収入印紙を納付したのち、昭和天皇実録の原稿(61ファイル)の電磁的記録を光ディスクに複写したものを入手できる見通しがつきました。
2014.10.23 19:24
昭和天皇実録の一部を訂正 陛下のご指摘で
宮内庁の風岡典之長官は23日、昭和天皇実録で、昭和天皇が昭和35年7月1日に香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。
御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。
風岡長官は「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」と釈明。両陛下にも謝罪したという。
http://www.sankei.com/life/news/141023/lif1410230026-n1.html
いろいろなできごとを、いろいろな角度から光をあててご紹介してくださってきた団長さんのおかげで、昭和天皇実録を読んでいるときにも大助かりです。ありがとうございます。
宮内庁との約束を破って、PDF版をアップしたり、売買の糧として使う人が出ないことを願うばかりです。
2014.11.10 15:22
「昭和天皇実録」公刊本は東京書籍が出版へ 宮内庁が入札で選定
宮内庁は10日までに、昭和天皇の87年余の生涯を記録した「昭和天皇実録」の公刊本の出版業者に、教科書の出版で知られる東京書籍(東京)を入札で選定した。
実録は宮内庁が24年かけて編さんし、今年9月に天皇、皇后両陛下に提出、公表した。両陛下に提出した正本は全61巻、計約1万2千ページ。研究者や一般向けの公刊本は全19巻。本年度末から5年計画で順次刊行する予定。目次や脚注を整え、提出後に見つかった誤記も訂正する。
宮内庁は9月に公募を開始。過去5年以内に日本史関係の出版実績があるなどの条件を満たした14業者が応札し、10月10日に決定した。各巻の販売価格は平均1890円。各巻平均1万6100部を発行する予定で、うち500部ずつを宮内庁が買い取る。
明治天皇紀は明治百年記念事業として1968~77年に公刊本が出版された。大正天皇実録は情報公開請求に基づき一部黒塗りで公表されたが、公刊はされていない。
http://www.sankei.com/life/news/141110/lif1411100009-n1.html
昭和の60有余年は私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:vqidX-BpVD0J:www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
ある意味、今の日本は欧州の状況を読み間違えた戦前の状況と酷似してるね。
http://tokumei10.blogspot.jp/2014/11/blog-post_949.html?showComment=1417186526249#c5147957602533353050
site:www.kunaicho.go.jp 憲法
今年でないとお伺いできないかなと思いまして、殿下にお伺いしますけれども、昭和天皇実録に関してなんですが、私が読んでおりまして、ちょっと感じたことがございまして、昭和の前半期ですけれども、世の中が非常に非合理的といいますか、非寛容的な風潮の時代がございました。そういう中にあってですね、昭和天皇が非常に合理的で、かつ、他国や他の民族に対する立場を考えて、他者に対する思いやりを持った考えを貫いてらっしゃるということが、実録を読んで非常によく分かりました。それは現在の天皇陛下にもしっかりと受け継がれていると私は思います。そこで、改めましてちょっと抽象的な質問で恐縮なんですけれども、合理的に物を考えるということと、寛容ということですね。これについて、殿下のお考えをお伺いしたいんですが、なぜこの二つを聞くかと申しますと、昭和天皇と現在の天皇陛下が、こういうお考えを基礎に持ってらっしゃるのは、科学者であったということと、皇室の伝統である慈しみというのがですね、非常に影響してるんではないかと思っておるんですが、そういう点で殿下はこの二つのことについて、どんなお考えをお持ちかなと思いまして、お伺いいたします。
http://www.sankei.com/life/print/141130/lif1411300016-c.html
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Ja11FGf23eQJ:blogs.yahoo.co.jp/yfujita_mystery/37681123.html+&cd=1&hl=en&ct=clnk&gl=us
2015.1.1 05:07
「日本のあり方考えていくこと極めて大切」 天皇陛下ご感想(全文)
昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
また、東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。
本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。
この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。
http://www.sankei.com/life/news/140101/lif1401010017-n1.html
満州事変
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201409/20140909_73040.html
昭和天皇 金谷 参謀総長 朝鮮軍
戦前、戦中、戦後の皇族について、あるいはそれらを取り巻く複雑な人脈や思想的政治的な背景を考察することをタブー視する歴史認識は、歪みが出ることを厭わないという複雑さを抱えるわね。
1945 Documents Relating to World War II
www.ibiblio.org/pha/policy/1945/1945_Documents_Relating_to_World_War_II.htm
site:www.kunaicho.go.jp 当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います
The last major B-29 raid on Tokyo, on the night of May 25-26, 1945, did damage the imperial Palace. During that massive incendiary raid, flaming debris from the fires hurdled across the moat of the Imperial Palace, which was initially constructed in 1888. Despite the best efforts of some 10,000 firefighters, troops, and government workers to extinguish the flames, 27 palace buildings were destroyed in less than four hours. Twenty-eight members of Imperial staff were killed in the flames, while the Emperor, Empress, and their senior attendants cowered in a newly built bomb shelter beneath the palace library.
On all the Tokyo missions, bombardiers were advised to avoid hitting the Imperial Palace which sat in the middle of Tokyo but due to the heat of battle on this mission, some bombs dropped on the Imperial Palace grounds and numerous buildings were destroyed.
5/25/45 Twentieth AF During 25/26 May, 464 B-29’s pound urban area of Tokyo immediately S of the Imperial Palace just N of that bombed on 23/24 May, including financial, commercial, and governmental districts as well as factories and homes. 26 B-29’s are lost on this mission, the highest single-day loss of VHBs in World War II. US gunners claim 19 ftrs destroyed.
http://www.afhso.af.mil/shared/media/document/AFD-100525-035.pdf
<社説>昭和天皇実録 二つの責任を明記すべきだ
2014年9月10日 6:02
琉球新報
【沖縄メッセージ】昭和天皇実録では直接触れず 沖縄の軍事占領継続を望んだのか?
The Huffington Post
2014年09月09日 16時29分
www.stgeorges-windsor.org/archives/blog/?tag=japan
昭和天皇イメージに配慮か=エピソード選別し記載―慎重姿勢に識者から疑問も
昭和天皇実録には、これまで昭和天皇の発言としてよく知られていながら記載されなかったエピソードも多い。宮内庁は「実録に書くと公認された発言として一人歩きするので慎重を期した」と説明するが、逆に参考のような形であえて記載している部分もあり、識者からは「昭和天皇のイメージにプラスでないものは削っているのでは」との指摘も出ている。
例えば連合国軍最高司令官マッカーサー元帥との最初の会見では、昭和天皇が「全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」と語り、マッカーサーが感動したという有名なエピソードがある。しかし外務省が2002年に公表した記録にこの発言はなかった。
実録ではこの公式記録のやりとりがそのまま記載され、「全責任」発言はマッカーサーが回想記にそう記しているとだけ書かれている。宮内庁は「ほかに史料はないが、実録として書いておくべきだと考えた」と説明している。
昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示し、以後参拝を控えたという富田朝彦宮内庁長官のメモをめぐる記述では、A級戦犯合祀と靖国参拝について述べたとだけ記載。「だから私あれ以来参拝していない」などのメモの内容には触れていない。その上で、06年にメモとされる資料が日本経済新聞に報道されたと簡単に記されている。宮内庁は「メモの解釈がいろいろあるため」としている。
昭和天皇が米軍による沖縄の軍事占領継続を希望したとされる「沖縄メッセージ」については、昭和天皇が宮内府御用掛の寺崎英成に会ったことや、寺崎が連合国軍総司令部(GHQ)のシーボルト外交局長を訪れたことなど、事実関係だけを記載。それぞれの関連性については触れていない。
時事通信 9月9日(火)5時24分配信
第1回会見の記録公開 昭和天皇とマッカーサー
(2002)/10/17 【共同通信】
外務省は17日、終戦後に昭和天皇と連合国軍総司令官マッカーサー元帥(当時)が初めて会見した際の記録を公開した。文書では、戦争責任に関する天皇発言を「自分ノ最モ遺憾トスル所」と記載。明確な言及はなかった。 会見は1945年から51年にかけて計11回行われ、マ元帥は自らの回想記の中で、昭和天皇が第1回会見で「全責任を負う」と発言したと記していた。 天皇が「コノ戦争ニツイテハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度(た)イ考デアリマシタガ、戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ、自分ノ最モ遺憾トスル所」と言及。マ元帥が理解を示した。 さらに、天皇から「ポツダム宣言を忠実に履行したい」という趣旨の発言があり、マ元帥から占領が天皇の威光によりスムーズに進んだことへの謝辞などがあった。会見は37分間で終了したという。
www.47news.jp/smp/news/archive/200210/CN2002101701000139.html
昭和天皇とマッカーサー元帥の会見録は次の通り。
「マッカーサー」元帥との御会見録 昭和20年9月27日 午前10時 於在京米国大使館
石渡宮内大臣、藤田侍従長、徳大寺侍従、村山侍医、筧行幸主務官 扈従 定刻米国大使館に御到着、玄関より「フェラーズ」准将の御先導にて館内に入らせられ、居室入口に於て「マッカーサー」元帥御出迎申上ぐ。 陛下より御握手を賜はれは
「マ」 本日は行幸を賜り光栄に存じます
陛下 御目にかかり大変嬉しく思ひます
元帥の御案内にて居室中央に立御、元帥其の向つて左側に立ては、米国軍写真師は写真3葉を謹写す。
更に元帥の御案内にて「ファイア、プレイス」に向つて左の椅子に陛下御着席あり、元帥は右側の同様なる椅子に着席す。
元帥は極めて自由なる態度にて
「マ」 実際写真屋といふのは妙なものでパチパチ撮りますが、1枚か2枚しか出て来ません
陛下 永い間熱帯の戦線に居られ御健康は如何ですか
「マ」 御陰を以て極めて壮健で居ります。私の熱帯生活はもう連続10年に及ひます
之より元帥は口調を変へ、相当力強き語調を以て約20分に亘り滔々と陳述したるが、その要旨左の如し(英語の性質に鑑み、此の部分は此処には特に敬語を省略して弁述す)
「マ」 戦争手段の進歩、殊に強大なる空軍力及原子爆弾の破壊力は筆紙に尽し難いものがある、今後若し戦争か起るとすれば其の際は勝者、敗者の論なく斉しく破壊され尽して人類の絶滅に至るてあらう、現在の世界には今猶憎悪と復讐の混迷か渦を巻いて居るが、世界の達見の士は宜しく此の混乱を通じて遠き将来を達観し、平和の政策を以て世界を指導する必要がある。
日本再建の途は困難と苦痛に充ちて居ることと思ふが、夫れは若し日本が戦争を継続することに依つて蒙るべき惨害に較ぶれば何でも無いてあらう、若し日本が更に抗戦を続けて居たならば、日本全土は文字通り殲滅し何100万とも知れぬ人民が犠牲になつたであらう、自分は自ら日本を相手に戦つて居つたのであるから日本の陸海軍が如何に絶望的状態に在つたかを充分知悉して居る、終戦に当つての陛下の御決意は国土と人民をして測り知れさる痛苦を免れしめられた点に於て誠に御英断であつた。 世界の世論の問題であるが、将兵は一旦終戦となれば普通の善い人間になり終るのである。
然し其の背後には戦争に行つたことも無い幾100万の人民が居て憎悪や復讐の感情で動いて居る、斯くして所謂世論が簇出するのであるが其の尖端を行くものが新聞(プレス)である、米国の世論、英国の世論、支那の世論等々色々出て来るが、「プレスの自由」は今や世界の趨勢になつて居るので、其の取扱は中々困難である。
陛下 此の戦争に付ては、自分としては極力之を避け度い考でありましたが戦争となるの結果を見ましたことは自分の最も遺憾とする所であります。
「マ」 陛下が平和の方向に持つて行く為御軫念あらせられた御胸中は自分の充分諒察申上ぐる所であります。只一般の空気が稻々として或方向に向ひつつあるとき、別の方向に向つて之を導くことは1人の力を以ては為し難いことであります。恐らく最後の判断は、陛下も自分も世を去つた後、後世の歴史家及世論に依て下さるるを俟つ他ないでありましやう。
陛下 私も日本国民も敗戦の事実を充分認識して居ることは申す迄もありません、今後は平和の基礎の上に新日本を建設する為私としても出来る限り力を尽し度いと思ひます。
「マ」 夫れは崇高な御心持であります。私も同じ気持であります。
陛下 「ポツダム」宣言を正確に履行したいと考へて居りますことは先日侍従長を通じ閣下に御話した通りであります。
「マ」 終戦後 陛下の政府は誠に多忙の中に不拘凡ゆる命令を一々忠実に実行して余す所が無いこと、又幾多の有能な官吏が着々任務を遂行して居ることは賞讃に値する所であります。又聖断1度下つて日本の軍隊も日本の国民も総て整然と之に従つた見事な有様は是即ち御稜威の然らしむる所でありまして、世界何れの国の元首と雖及ばざる所であります。之は今後の事態に処するに当り 陛下の御気持を強く力付けて然るべきことかと存じます。
申し上ぐる迄も無く 陛下程日本を知り日本国民を知る者は他に御座いませぬ、従て今後 陛下に於かれ何等御意見乃至御気付の点(Opinions and advice)も御座いますれば、侍従長其の他然るべき人を通じ御申聞け下さる様御願ひ致します、夫れは私の参考として特に有難く存ずる所で御座います。勿論総て私限りの心得として他に洩らすが如きことは御座いませんから、何時たりとも又如何なる事であらうと随時御申聞け願ひ度いと存じます。
陛下 閣下の使命は東亜の復興即ちその安定及繁栄をもたらし以て世界平和に寄与するに在ることと思ひますが、この重大なる使命達成の御成功を祈ります。
「マ」 夫れ(東亜の復興云々)は正に私の念願とする所であります。只私より上の権威(オーソリティー)が有つて、私はそれに使はれる出先(エージェンシー)に過ぎないのであります。私自身が其の権威であればと云ふ気持が致します。
陛下 閣下の指揮下の部隊に依る日本の占領が何等の不祥事無く行はれたことを満足に存じて居ります。此の点に於ても今後共閣下の御尽力に俟つ所大なるものがあると存じます。
「マ」 私の部下には苛烈な戦闘を経て来た兵士が多勢居りまして、戦争直後の例として上官の指示に背き事件を惹起する者が間々居りますが、此の種事件を最小限にする為には充分努力するつもりであります。
陛下 以前にも日本に御出になつた様に聞いて居りますが、何時頃でしたか。
「マ」 私と東洋との関係はもう45年になります。最初は1905年日露戦争当時で、父が大山元帥の下に従軍し私は父の副官として参りました。其の関係で大山元帥、児玉元帥、乃木大将、黒木大将等数々の日本の偉大なる人物を知つて居ります。黒木大将が米国に派遣せられたときは、私は父と共に政府の命を受けて案内役を致しました、又「タウンゼンド、ハリス」祭に出羽海軍大将が派遣せられました際にも接伴致しました。此の前東京に参りましたときは比島の「ケソン」大統領と一緒で御座いまして此の米国大使館に居りました。「ケソン」が謁見を賜はりましたことは 陛下も御記憶のことと存じます。
陛下 それは好く覚えて居ります。
「マ」 「ケソン」は肺を病んで居りました。戦争勃発後比島を去り暫時濠州に滞在の後米国に渡りましたが、病亢じて約1年前死去致しました。「ケソン」の死は東洋の為に大なる損失と存じます。彼は平和の士であり困難な事態を穏に取纏め得る人物でありました。
陛下 夫人も最近御到着になつたそうでありますが、御元気のことと存じます。
「マ」 御言葉有難く存じます。又御花までも賜はり感激致して居ります。実は7歳になる愚息も参りまして「マニラ」に比べて此の気侯を共に楽しんで居ります。愚息は近頃小さな日本犬を飼ひ始めまして大悦びで御座います。
陛下 日本の秋はよい気侯でありますから、夫人の為にも亦永い間酷熱の地に居られた閣下の為にも御気持のよいことと存じます。
「マ」 有難く存じます。日本の秋には度々参りまして、其の好さは充分存じて居ります。只ここに居りますと周りの荒廃が余りひどくて昔の東京の気分はありません。すこし田舎へでも車で行けば破壊も少なく、昔の懐しい有様に接することが出来るかも知れませぬ。
陛下 日本に御滞在中もつと御会ひする機会もあることと存じますが、御忙しいことと思ひますから今日は之で御別れします。 「マ」 先刻も申上げました通り今後何か御意見なり御気付の点も御座いましたならば、何時でも御遠慮なく御申聞け願ひ度く存じます。本日は行幸を賜はり破格の光栄と存じます。
陛下より再び御握手を賜はり、元帥の御案内にて控への間に玉歩を進め給ひ、此処にて 陛下より元帥に対し宮内大臣、侍従長、侍医、行幸主務官を御紹介あり、元帥夫々握手を行ひたる後玄関迄陛下を奉送す。(此の間約37分。奥村謹記)
【共同通信】
www.47news.jp/smp/news/archive/200210/CN2002101701000407.html
昭和天皇実録、残された謎
2014年09月09日
1945年9月27日、米大使館にマッカーサー元帥を訪問した昭和天皇
◆マッカーサー会見・靖国参拝見送り◆
9日付で公表された昭和天皇実録は、昭和天皇の生涯にわたる初めての公式記録だ。宮内庁が24年をかけ進めた一大事業だけに、新事実の発見に期待が集まったが、「昭和史を塗り替えるような新事実はない」と分析を進めている専門家は口をそろえ、残された「謎」も少なくない。今後、編修に使用された原史料の公開が進めば新たな昭和史研究の第一歩となる。(昭和天皇実録取材班)
◆両論併記◆
宮内庁は、実録の編修にあたり、確実な史料に基づき「ありのまま叙述」することを基本方針とした。史料により内容が異なる場合は、「可能な限り検討した上で」(同庁書陵部)簡単な記述にとどめたケースや、両論併記の部分がある。
1945年(昭和20年)9月27日の連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーとの第1回会見が、その代表例だ。「戦争の全責任を負う者として、私自身を委ねるためお訪ねした」という昭和天皇の有名な発言がマッカーサーの回想記にある。だが外務省と宮内庁が2002年に公開した公式記録にはこの発言は含まれていなかった。
実録は、戦争責任への言及がない公式記録の全文を載せる一方で、マッカーサーの回想記の一文も引用し、両論併記の形となった。マッカーサーとの会見は全11回のうち10回分の公式記録は確認されていない。宮内庁は米国にも職員を派遣して調査したが、新史料は発見できなかったという。
◆「拝聴録」の行方◆
もう一つ、天皇の「本音」を知る重要な手掛かりになるのが「拝聴録」だ。戦前や戦中の出来事を戦後になってから天皇が側近に語り、まとめられたもの。
複数回作成されたことはこれまで知られており、元宮内省御用掛の遺品の中から見つかり、90年に月刊誌で発表された「昭和天皇独白録」は、その一つとされる。編修にあたり、宮内庁は拝聴録の原文を探したが、所在は確認できなかった。ただ、占領期の「退位問題」について、天皇が68年(昭和43年)に回顧していたことは、聞き取りに関わっていた側近の関係史料などから特定された。
靖国神社のA級戦犯合祀ごうしと昭和天皇の参拝見送りとの関係についても、実録は判断していない。06年に見つかった富田朝彦・元宮内庁長官の手帳メモには、天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、それ以降参拝しなかったとする内容が書かれていた。しかし実録では、88年(昭和63年)4月28日に天皇が富田長官に「靖国神社のA級戦犯合祀、御参拝について述べられる」とだけ記した。宮内庁は「富田メモは断片的でいくつも解釈ができるため、正確な気持ちがわからなかった」と説明する。
47年(昭和22年)9月に天皇が宮内府御用掛を通じて、米国に沖縄を長期間にわたって軍事占領することを希望したとされる「沖縄メッセージ」についても、天皇が御用掛に会ったことや、後年、米国から文書が見つかったことは記されたが、天皇が御用掛にこうした発言をしたかどうかには触れなかった。
こうした言動が盛りこまれなかったことについて、宮内庁は「確実な史料が少なく、また信ぴょう性が乏しかった」と説明する。
◆事実を「確定」◆
一方、実録が事実を“確定”したケースもある。29年(昭和4年)6月27日、張作霖爆殺事件の処分を巡り、天皇が当時の田中義一首相を厳しく叱責する場面。
天皇は「独白録」で「辞表を出してはどうかと強い語気で云つた」と振り返っているが、当時の重臣の日記などから「辞表までは求めなかった」との学説もあった。実録は、「辞表提出の意をもって責任を明らかにする」よう求めたと明記し、「独白録」説をとった。宮内庁は「侍従日誌なども検討して掲載を判断した」と説明している。
◆発掘史料の開示に期待◆
宮内庁は、実録の編修作業の過程で「取材」を行い、元侍従長の百武三郎の日記など、存在が知られていなかった約40件の外部史料を発掘した。これまで未公開だった「お手元文書(皇室文書)」も引用した。
これを生かした実録は、2・26事件をはじめ、重大時の時々刻々、そして天皇の衣食住のありようから、生物学者としての研究ぶり、見た映画の題名まで明らかにしている。天皇の「心労」「落涙」など身近な人たちしか分からない心の内も、要所要所で書き、戦争と平和の時代を生きた天皇の複雑な思いも伝えている。
ただ史料収集には限界があった。同庁では、昭和天皇と接点のあった関係者の遺族らに日記類などの提供を要請したが協力を得られない場合も多く、「存在自体を公にしない」との条件で引用したケースもあった。
同庁は「所有者の要望もあり、すぐには公開できないが、将来、条件が変われば史料名も開示することができる」と説明している。
「お手元文書」原本は情報公開の対象外とされているが、実録執筆に使った「写し」は行政文書で情報公開請求の対象になる。古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「記載を検証するためにも、職員が書いた日誌はすべて公開するのが当然だ」と話す。宮内庁は9日から、同庁書陵部で全文を誰でも閲覧できる措置をとり、情報開示に積極的な姿勢を見せた。戦前、戦中、戦後と激動期にあった昭和時代の検証を進めるためにも、原史料を極力開示していくことが求められる。
◆腰引けた記述も◆
伊藤之雄・京都大教授(日本近現代史)の話「実録を分析することで、これまでの仮説が裏付けられたり、事件の評価が変わったりしていくだろう。そこは評価したい。ただ、昭和天皇の人物評価や皇族とのあつれきなどは、意図的と思うが書かれていない。マッカーサー会見の記述も論争を避けようと腰が引けている。事実を挙げるだけでなく、合理的に解釈していかないと歴史の流れは見えてこない」
◇
◆昭和天皇を巡る残された謎◆
(→は実録の内容)
◇マッカーサーとの会見で、「戦争の全責任を負う者として私自身を委ねる」と語ったか
→「語った」とするマッカーサーの回想記と、その発言が不記載の公式記録の両論を併記
◇複数作成された「拝聴録」の行方は
→宮内庁は2回調査したが、原本は見つからず
◇靖国神社の参拝見送りはA級戦犯合祀が原因か
→史料の解釈が分かれるとして断定せず
◇米国に沖縄の長期軍事占領を希望したか
→天皇の意向かどうかは特定せず
◇
◆百武三郎=1872年(明治5年)、佐賀県生まれ。日清、日露戦争に従軍し、1928年に海軍大将となる。36年11月、2・26事件で重傷を負った鈴木貫太郎の後をうけて侍従長に就任し、44年8月まで務めた。戦後は、結婚前の昭和天皇の三女、孝宮(たかのみや、後の故・鷹司和子さん)を百武家で預かり、家事見習いを教えたこともある。63年10月に死去。
2014年09月09日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20140909-OYT1T50017.html
>「実録を分析することで、これまでの仮説が裏付けられたり、事件の評価が変わったりしていくだろう。そこは評価したい。ただ、昭和天皇の人物評価や皇族とのあつれきなどは、意図的と思うが書かれていない。マッカーサー会見の記述も論争を避けようと腰が引けている。事実を挙げるだけでなく、合理的に解釈していかないと歴史の流れは見えてこない」
NHKという公共放送や民放放送のドキュメンタリータッチの逸話の紹介、半藤一利氏や保阪正康氏や御厨貴氏、あるいはその対極にある方々が主導する皇族のイメージ、それらが生み出すバイアスと一定の距離を置き、特権階級としての皇族の政治的な選択を見究めていくこと、これは絶対に見逃してはならない視点であり、このことを無視して戦争とその遺産を整理しながら平和を構築する手段を選び抜く作業はできない。
渡辺理事長:ちょっと質問を変わった面に移しますが、陛下は、長い陛下としてのご在位の中で、いろんなご経験をなさったわけですけれども、その中で一番うれしくお思いになったことは、何でございましょうか。もちろん今度のアメリカのご訪問もその一つだと存じますが。
天皇陛下:今言われたようにアメリカ訪問はそのひとつでありますが、そのほかにも私と皇后と一緒にヨーロッパを訪問したことであります。しかしなお、終戦後、日本国民が努力して、りっぱに日本の復興ができたということが一番うれしく感じています。
渡辺理事長:それとは逆に、ご在位中に最もつらく、悲しかった思い出というのは、どういうことでございましょうか。
天皇陛下:それは言うまでもなく、第2次大戦であると思います。私はこういう悲しむべきことが、今後も起こらないことを祈っております。
渡辺理事長:不幸な戦争のことでございますが、今度のご訪米中に、大統領の晩さん会でのお言葉とか、あるいはアーリントン墓地においでになりましたことで、アメリカとの間で、不幸な戦争の問題というものは、これですっかり消えたと存じます。大変われわれもうれしく思っております。
ところで、今度は日本の国内の方でございますが、不幸な時期に親や子や妻をなくした国民もたくさんございますけれども、その国民が先ほど仰せになりましたとおり、焦土の中から立ち上がって、日本に見事な復興をなし遂げたわけでございますから、陛下がこの際、そういう日本の国民に対して、お言葉がございましたらぜひお聞かせいただきたいと存じます。
天皇陛下:そのことについては、毎年8月15日に、私は胸がいたむのを覚えるという言葉を常に述べています。今これらの非常に苦しい人たちが、今述べたように、日本の発展に寄与したことはうれしく私は感じております。
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
渡辺理事長:陛下がこれまでに戦後国内の各地をご巡幸になっておられますが、まだ沖縄にはおいでになっていないようでございます。戦後、日本に復帰してきた沖縄を、ご訪問になるご希望がございますでしょうか。
天皇陛下:戦後、私は、今いわれたように各地を巡幸して激励しましたが、沖縄県には残念ながら行かれなかったのであります。機会があるならば、今言ったように近い・・・・・・行きたいと、私は希望しております。
沖縄県は過去においていろいろ問題があったとは思いますが、今後りっぱに沖縄県の発展することを、私は祈っております。
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
渡辺理事長:わが国は戦争の最中に、アジアの隣近所の国に大変迷惑をかけたわけでございますが、陛下はヨーロッパとアメリカをご訪問になりましたが、今後中国を含めてアジアの国々をもお訪ねになるお気持ちでいらっしゃいましょうか、どうでしょうか。
天皇陛下:いま述べたことについては、アメリカの記者が「平和条約ができたならば、中国を訪問しますか」という質問であったので、私はそういう機会があれば、中国を訪問するつもりである、と答えたように記憶しています。
そのほかにも訪問しなければならない国が多々あるように思いますが、まだわが政府は決定していません。
http://www.jnpc.or.jp/img_activities/img_interview/img_specialreport/specialreport_19751031.pdf
Hirohito Catholic site:news.google.com/newspapers
Addresses by Their Majesties the Emperor and Empress on the Visit to Philippines (2016)
http://www.kunaicho.go.jp/e-okotoba/01/address/speech-h28e.html#AIRPORT
平成二十八年歌会始御製御歌及び詠進歌
御製
戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ
象徴天皇観と憲法の交錯 ー吉田茂と芦田均を中心に声
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:acXSLK6TlDQJ:www.kiss.c.u-tokyo.ac.jp/eng/docs/kss/vol16/vol1605higashi.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
Accepting responsibility for the war, he offered to abdicate or do whatever else was necessary.
http://trove.nla.gov.au/newspaper/article/12158821
http://archives.chicagotribune.com/1945/09/22/page/6/article/diplomats-see-abdication-by-hirohito-soon/
http://images.indianexpress.com/2016/07/akihito-7591.jpg
ジレンマを象徴
日本の皇室は長い歴史を通じて、政治を動かしてきた時期は極めて短いのが特徴であり、外国には無い例ではないかと思っています。
政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最もふさわしいありかたではないかと思っています。
これは今上天皇自らが発したものですが、記録の電子化のズレなのか、公文書としての扱いの法的な問題なのか知りませんが、国民が再確認することに工夫がいるわけ、これが今の日本国。
象徴天皇 素顔の記録
音声のみ確認できます、現時点では
000000898568
だけれども、敗戦に伴う昭和天皇の地位をめぐって展開された皇族方の暗闘の歴史を開示する時期を迎えているこの現実を、いつまで見て見ぬふりをして耐えれば、国民が納得する日がやってくるのだろうか。
玉音放送の原盤の公開や乾門の通り抜けを許可することだけが、民主主義の本質では無い。
民主主義も茶番だから仕方ないか。
ただし、時代の変化に伴って、英雄賛歌を目的にした歴史観そのものが無意味となった今、選択のセンスの鋭敏さが問われる局面にあって、答えの出し方そのもの、旗幟を鮮明にする手法とそのタイミング、ドジるな、歴史に残る負の遺産を増やしてくれるな。
情報をマスキングして英雄伝として遺すことを目的として編纂されるすべてのものは、それだけの価値しかない。
ただし、それはそれで仕方がない面もあるのだろう。
こうしたことは、いろいろなことにあり得ることだし、それで丸く収めても悪くはない。
でも、そうしなければいけない理由がどこにあって、誰が何に耐えられないのか、突き詰めるとわからないが、それを気持ち悪く感じると住みにくい国がどこかにあることはよくわかる。
site:news.google.com/newspapers Hirohito abdicate
macarthur cold war hirohito myth
macarthur hirohito myth
昭和天皇の大喪の礼にエリザベス女王が御出席になることを、英国の国民は非常に強く抵抗を示したという事実であり、その根底にある痛みを、どのようにして和らげることができるのか、そのために具体的にどのような行動を選択したか、ということについて、無関心であってはならない。
誰かが、あそこの国は親日国だから、というから、親日国だと信じるのは、迷妄にすぎないということを、肝に銘じることができなければ、積極的に誤解して相手をより傷つけることになり得る。
本来ならば、お気持ちという情緒を暗示する表現ではなく、明確な論理に基づいた判断を意味するお考えとして発表すべき。
だって
WSJ
Japanese Emperor Akihito Indicates He Is Ready to Abdicate
Emperor Akihito says age and ill health could make it difficult for him to carry out his official duties
Emperor signals wish to abdicate in near future
japantimes
Japan's Emperor Akihito hints at wish to abdicate
Japanese Emperor Akihito's address in full
bbc
Japan’s emperor Akihito reveals desire to abdicate
FT
もう、これはどう解釈したって、意思の表明で、お気持ちという情緒より、お考え。
情緒で空気を覆い尽くして一気に流れを生み出そうというのは浅はかであり、憲法や法律に抵触しないように慎重に配慮して、考えられない状態ではないのだから、お考えとしてはじめから本日に至るまで扱う問題。
皇室という日本の家制度を象徴する棲家が永続性をもつことに、日本の国民全体のコンセンサスを今も得て、将来も得るのかは、天皇陛下が決めることではないはずだ。
空気を読むという日本の弊害を悪用することを前提に、闊達な議論がすすめられると判断することが、気持ち悪い。
どの家も跡継ぎがいて、その家が永遠に続いてくことができればいいですけど、そうもいきませんよね。
空気は地球のどこにでもあるが、日本の空気は日本語が世界で有用な言語としては全く通用しないことと同じく、日本の空気で馴れ親しんだ気分を主体とした談話的な発想で、日本語が通じない空気の人にその内容を英語で話しても意味が通じないから。
お気持ちという情緒を中心にして世論に訴えたことは、一般の日本人のみなさまもずいぶんと軽くみられたわけで、手法としては健全とはいえない。
ただし、このシャープな感覚が失せているという現実こそ、その時機が到来したことを意味したわけですな。
だって、英語で表現してみれば、お気持ちという刻印が、これからの議論のはじまりとして違和感があるのは自明のことから。
Draper Hirohito
"Draper worried the climbing birth rate would threaten the Japanese economy"
(昭和二十一年二月十九日火曜日)
全国の戦災復興状況その他一般民情御視察の思召しにより、その最初として神奈川県下に行幸される。この日の行幸は、以後昭和二十九年の北海道行幸まで行われた地方巡幸の嚆矢となる。午前九時自動車にて御出門になり、同四十五分、川崎市扇町の昭和電工株式会社川崎工場に着御される。天幕張の御休所において取締役社長森暁より、化学肥料、硫酸アンモニウムを主として製造する同工場の概況及戦災・復興状況につき、ついで川崎市長江辺清夫より川崎市内工場地区の戦災及び復興状況につき、それぞれ説明をお聞きになり、工場長渡瀬完三・技師長中村健次郎の案内にて工場内を廻られ、硫安生産の実状を御視察になる。途中、従業員に対し、生活状況について御下問になり、また激励の御言葉を賜う。なお、この工場の御視察の模様は、工場内五箇所に設置されたマイクにより録音され、同二十二日にNHKラジオにより全国放送される。次に横浜市神奈川区宝町の日産重工業株式会社横浜工場に向かわれる。着御後、貴賓室において取締役社長山本惣治より同社の現況についての説明をお聞きになり、ついで工場長合武克人ウィリアム・R・ゴーハム(日本人になったアメリカ人技師)の案内にて工場内に入られ、トラックのコンベアラインから、熱処理工場・変電室・鋳造工場・圧造工場・機械工場・試運転場等を巡覧される。熱処理工場においては工員に生活状況につき御下問になる。その際、米第八軍第七十三兵器部長L・G・スモーク陸軍大佐、堂軍政部経済部長R・J・バラード陸軍大佐ほか米軍将校の謁見を受けられる。午後零時三十一分、神奈川県庁に着御される。御休所において横浜市長半井清より戦災復興状況についてお聞きになり、御弁当サンドウィッチ、缶詰果物、カルグルトにて御昼食を取られた後、屋上より戦災した市街・港湾を展望される。一時三十分県庁を発御、伊勢佐木町通を経て、西区の稲荷台国民学校の焼け跡に建設された稲荷台戦災者共同宿舎に着御され、住宅営団横浜支所長副見喬雄より罹災者を収容する同住宅建設概況についてお聞きになる。副見の説明により宿舎内を御巡覧になり、罹災者の種々労りの御言葉を賜う。ついで二時五分、元横浜市図書室の二階に設置された横浜市復興局に着御され、半井市長の説明にて、屋上より戦災復興状況を御展望になる。それより昨年五月の戦災後五十日足らずで新商店街の再現がなった神奈川区大口町商店街を徐行にて進まれ、市内最初の復興住宅となる大口第二町会仮設住宅を御視察になる。その際、神奈川県知事内山岩太郎の説明をお聞きになる。終わって同所を発御され、三時五十分、宮城に還幸になる。これより先、宮内省では従来の慣例に固執することなく、昨二十年十一月に行われた関西行幸を例としてこの度の行幸を立案した。一般民衆に対しては民業に支障を来さざるよう特別の制限を行わず、交通上も整理程度に留め、可能な限り間近く奉拝の機会を設け、天皇と民衆の接する機会を多からしむるように図り、御服も御平服をお召し頂くこととした。その上で、地方長官の一般的概況の奏上は前日に参内して行い、当日の拝謁及び奏上は原則として無くしてご説明に留めることとした。また、行幸先の便殿そのほか御用に供する調度品は原則として行幸先のものを用いることとし、随員数及び鹵簿も簡略としたほか、新聞記者とう報道についても御視察に支障なき限り御写真の撮影を差支ないこととし、さらに御下問等の場合には直接の奉答を差し支なしとした。また、今後も引き続き頻繁に行われると考えられる地方行幸と皇室財産上の問題との関係を考慮し、従来の地方行幸に伴った賜物は一切廃止とした。
× 合武克人
○ 合波武克人
× 新聞記者とう報道についても
○ 新聞記者等報道についても
>川崎市扇町の昭和電工株式会社川崎工場に着御される
森 鈴木 安西 昭和電工
鈴木三郎助 沃度 硝石
満州事変 ヨード 火薬 軍需物資 カジメ アラメ
千葉県漁業組合連合会 カジメ採集ニ関スル件
"戦時中、昭和電工が海藻の「カジメ」を利用してヨードを作った過程が知りたい。"
背景の相関図も含めて詳しく知りたい
「ショウワアメフラシ」公開中
昭和天皇ゆかりの珍しい海の生き物、「ショウワアメフラシ」がこのほど青森市の海岸で見つかり、市内の水族館で公開されています。
「ショウワアメフラシ」は昭和24年に相模湾ではじめて発見された巻き貝の一種で、海洋生物の研究者として知られる昭和天皇に献上されたことからこの名が付けられました。
9月24日、大学生が青森市浅虫にある島の潮だまりで見つけ、青森市にある浅虫水族館で展示されています。
見つかった「ショウワアメフラシ」は体長およそ15センチで、茶色に白い斑点があり、背中にある2枚の大きなひだで羽ばたくように泳ぐのが特徴です。
浅虫水族館によりますと、「ショウワアメフラシ」が国内で見つかるのは珍しく、県内では初めてだということです。
神奈川から夫婦で訪れた60代の女性は「ひだで泳ぐ様子を見て驚いた。貴重なものを見ることができてよかった」と話していました。
浅虫水族館の櫛引俊彦さんは「国内で発見されるのは珍しいので、ひらひらとチョウのように泳ぐ姿を多くの人に見てほしい」と話していました。
10月06日 12時39分
www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/6083256151.html
夷隅郡 カジメ ヨード 安西
天皇制から独立したいという考えを持つ人がいても、そのこと自体はある意味では自然なことのはずだが、じゅうぶんに時間をかけて練られた天皇陛下の「おきもち」を国民にお示しなられるという一連の演出のなかで、意見がとりあげられるのは、ほとんどがゆかりのある方々なので、このように造られた流れさえも自然だと受け止めるのが日本人のつとめなのだと突きつけられているように感じる。
生前退位なさって上皇になる、というご発言もあられたということをNHKを通じて三谷氏が公開することで、皇室がこれからも日本にとって必要なのかどうかということを議論する時期ではない、天皇陛下のおきもちに添うことがもっとも大切なことだという「相場」を醸成することに、国民こぞって協力いたしましょう…。
"天皇陛下、日本にこれからも皇室は必要だといふお気持ちを表明(爆w"
敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
Monday, October 17, 21:37
Former advisor reveals talks with Emperor
A former Imperial Household advisor says Emperor Akihito expressed his wish to
abdicate 6 years ago at a meeting of advisors.
University of Tokyo Professor Emeritus Taichiro Mitani spoke with NHK in an interview. Until last year, he had served for 9 years as an advisor to the Imperial family on important issues.
Mitani said the Emperor suddenly expressed his wish to abdicate during a meeting of advisors that included the Grand Chamberlain of the Imperial Household Agency, the Grand Steward and himself.
The Emperor was 76 years old at the time. He allegedly referred to his wish to abdicate in a clear tone, citing the need for a new system should the Emperor become unable to fully perform his duties due to advanced age.
Mitani said the Emperor told the participants that abdications are not unusual in the long history of the Imperial system. The Emperor's remark surprised them, the atmosphere became tense, and the discussion continued until late into the night.
Mitani said the participants suggested that the Emperor stay on the throne and entrust his duties to the Crown Prince. He said the Emperor did not agree, saying being the symbol of the state and performing its duties are indivisible. He added that even when the meeting was almost over, all participants continued talks while standing.
After that, the conferences came to be held more often, mainly to discuss the Emperor's abdication. The Emperor allegedly did not change his mind.
With his approaching 80th birthday, the Emperor said he wants to work hard until 2018. Mitani said he may have thought that he would more clearly establish the Emperor as the symbol of the state by that year.
www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20161017_31/
陛下が意向を示した会議は
2010年7月22日夜
両陛下の住まいの皇居・御所の一室で開かれた
関係者によると、両陛下と
当時の参与で元宮内庁長官の湯浅利夫
元外務次官の栗山尚一(たかかず)(故人)
東京大名誉教授の三谷太一郎の三氏をはじめ
当時の宮内庁長官(羽毛田信吾)
侍従長(川島裕)らが出席した
会議は午後七時に始まり、深夜まで続いた
wiki/7月22日
2010年7月22日、応用生命化学専攻・阿部啓子 名誉教授、佐藤隆一郎 教授、三坂巧 准教授が、「食と生命の研究—その伝統と新たな息吹」というテーマで、皇居・御所において両陛下にご解説、ご懇談いたしました。磯田文雄・文部科学省研究振興局長も同席されました。当初、懇談は1時間の予定でしたが、両陛下のご興味は尽きず、1時間半に及びました。
東京大学 農学生命科学研究科
「新成長戦略~「元気な日本」復活のシナリオ~」
民主党新政権が2010年という区切りの年に今後10 間の戦略を示したもの
お気持ちご表明直後の安倍総理大臣
本日、天皇陛下よりお言葉がありました
わたしとしては、天皇陛下が国民に向けてご発言されたということを重く受け止めております
天皇陛下のご公務のありかたなどについては、天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき、天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければならないと思っています
(VTR 53秒)
news/special/japans-emperor/
2016年8月8日
菅官房長官
天皇陛下のご公務のありかたについては、これまでもご年齢にふさわしいものになるよう、必要な見直しを図ってきたところでありますけれども、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」、このようにされていますので、このことを踏まえて引き続き考えていくべきもの、というふうに思っています
N
また、記者団が政府の有識者会議を設置するのかと質問したのに対し、安倍総理大臣が天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのかをしっかりと考えていかなければならないと述べており、そうした考え方に基づいて、どのようなことを考えることができるのかを、今、思っているところだと述べました
(VTR 1分1秒)
news/special/japans-emperor/
2016年8月8日
武田真一さん
ここからは政治部の原記者とお伝えします
原さん
原聖樹さん
はい
武田さん
天皇陛下のお気持ちの表明を受けて、政府は今後どう対応するのでしょうか
原さん
はい
政府内では、天皇陛下のお気持ちが明らかにされたことを受けまして、現行憲法の枠内でなんらかの対応が必要だという認識ではほぼ一致しています
武田さん
はい
原さん
ただ、速やかな対応を求める意見の一方、憲法との関係を含めて慎重な検討が必要だという指摘も出ていまして、今後、調整がすすめられる見通しです
また、お気持ちの表明を受けて、ただちに具体的な対応をとれば、憲法違反という指摘を受けかねないという懸念があります
政府は皇族の減少に対応するため、内閣官房の皇室典範改正準備室で検討を行っていますので、当面、この準備室が中心となって水面下で作業をすすめるものとみられます
そのうえで、今後、各界の代表からなる有識者会議を設置する方向ですが、一定の期間を経たあとに、政府独自の判断というかたちで着手することになるとみられます
武田さん
はい
生前退位と、そして、憲法との関係をめぐる議論ですが、これまでもあったんですよね
どうだったんでしょうか
原さん
そうですね
実は、天皇の退位はですね、戦後の国会でも議論が行われてきました
政府や宮内庁はこれまで退位や生前の譲位に否定的な見解を、くりかえし示してきたんです
(以下のボードを示し)
政府・宮内庁 退位・生前の譲位に否定的な見解
▼退位した天皇が上皇・法皇などとなり弊害が生じるおそれ
▼天皇の自由意思に基づかない「退位の強制」の懸念
▼天皇の恣意的な退位は象徴天皇制にそぐわない
理由は幾つかあるんですけれども、天皇の譲位などをきっかけに、歴史上、混乱が起きたことなども踏まえまして、退位した天皇が上皇や法皇などとなり、弊害が生じるおそれがあること
また、天皇の自由意思に基づかない退位の強制が行われる懸念があること
さらに、天皇の恣意的な退位は、象徴天皇制にそぐわないことなどをあげてきました
政府関係者によりますと、この象徴天皇制にそぐわないというのは、天皇は政治的な権能を有しないとされているいじょう、退位や即位に自由意思が反映されるべきではない、と
また、象徴であるいじょう、国事行為の量や質などで、地位が揺らぐようなことがあってはならないという主旨だということです
武田さん
はい
そうしますと、課題もかなり多いようですけれども、政府内で有力視されている選択肢は、あるんでしょうか
原さん
そうですね、あの、さきほどもありましたけれども、生前退位を実現するということになりますと、皇室典範の改正、あるいは特別法の制定が有力な選択肢になると思います
現在の制度のもとでは、天皇が重い病気で国事行為にあたることができない場合などには、代役をつとめる摂政を置くことが
認められているほか、一時的な体調不良や外国訪問などのさいには、皇太子などによる国事行為の臨時代行が行われています
このため、政府内には摂政制度の拡大で対応できないか模索すべきだという意見もありますが、生前退位を望まれる陛下のご意向が明らかになっているいじょう、新たな法整備をするしかないという意見が大勢となりつつあります
また、政府内には、今の憲法のもとでは、昭和天皇と今の天皇陛下のおふたりしか天皇をつとめられていないことを考えれば、皇室典範の改正など、恒久的な法改正ではなく、特別法の
制定が望ましいという指摘もあります
武田さん
はい
法整備をめざすということになりますと、国会の対応も焦点となってきますね
原さん
そうですね
政府は法整備を目指す場合は、天皇陛下のお気持ちを政争の具にすることがあってはならないとして、国会で全会一致をめざす必要があるとしています
政府は今後、憲法との関係に加えまして、国民世論の動向も見極めながら、各党の賛同も得られる方策をさぐるという、難しい対応を迫られることになります
武田さん
はい
ここまで、政治部の原記者とお伝えしました
news/special/japans-emperor/
2016年8月8日
ナレーション N
天皇陛下がお気持ちを表された午後3時
・東京、新宿の大型ディスプレイを見つめて聞き入る人々の映像を映しながら、以下の発言を挿入
【~その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます】
【~個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います】
・皇居周辺で、タクシーの運転手さんがラジオから流れる陛下のお言葉を聞く映像と共に、以下の発言を挿入
【~私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました】
N
東日本大震災の被災地でも
・宮城 女川町で3名のご婦人がテレビの前に座っている映像と共に、以下のご発言を挿入
【~加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から】
・皇居周辺で、若い男性が、汗をぬぐうのか、涙をぬぐうのか、判別しにくい映像と、中年の男性が帽子を脱ぎ、右手に持ち、頭を軽く垂れた姿勢でじっと聞き入る映像を挟み込み、その男性をクローズアップして終える映像と共に、以下のご発言を挿入
【~国民の理解を得られることを、切に願っています】
・東京 有楽町で在京の通信社の関係者らしい人物が、道行く人に号外を配布している映像
・自己の説明で年齢が判断できる男性
「僕自身、平成生まれなので、昭和から平成の流れを知らないので、天皇が代わったら、まあ、時代がどのように変わっていくのか、天皇という立場の大きさを感じました」
・広島、原爆資料館の近くにいらした女性
「ひとつの大きなこれからの時代、社会の転換になっていければいいなとは思ってます、はい
ええ、天皇陛下もお疲れ様ですっていう
一生懸命、被災地の方に赴かれたりしている姿をみると、ほんとに倒れてもらいたくないという気持ちもありましたし、やはり、おからだのことも考えて、病気も何度も繰り返されているので、やっぱり、そのことが、うん、すごく心配でしたので」
・三重の伊勢神宮にいらした女性
「すごい優しいね、お顔を、いっぱい、テレビで拝見して、みなさんの心のね、支えにね、ずっとなってこられて、寂しい気もするんですけど
でもねえ、やっぱり、そうやってお決めになられたなら、あたしはそれでいいのかなあって」
N
東日本大震災の被災地、宮城県女川町です
天皇陛下が3月に復興状況を視察されました
駅前の商店街で人々が声に聞き入りました
・天皇陛下から励ましの言葉(を受けた)安部鳴美さん
「国民のことを第一に考え、国のことを、なりゆきを第一に考えているっていうお気持ちが、とてもよく伝わってきましたので、わたしたちは、ほんとうに、両陛下から、あの、元気をいただきました
なので、今度は、わたしたちが、こう、恩返しとして、被災地で頑張っている姿をお届けして、あの、元気を届けたいなと思いますので」
N
国立ハンセン病療養所、多磨全生園です
去年、ここを訪問した天皇陛下と面会した元患者の平沢保治さん(89)は、陛下が誰にでも優しく父親のように耳を傾けられたのが印象的だったと言います
平沢保治さん
「陛下が、そういうお気持ちならば、わたしたちは、それを叶えてあげたい
みんなで考えて叶えてあげるのが、国民としての責務じゃないかと、こう、考えたからです」
N
前の侍従次長として、平成24年まで17年余りにわたり、天皇皇后両陛下を補佐してきた佐藤正宏さんは、陛下の声を、こう、聞きました
佐藤正宏さん
「いつものように、たいへん穏やかで、えー、率直な、あー、お話しをされましたけれども、ご自身が象徴天皇として、なさっていること、あるいは、将来について、どうお考えになっているかということを、国民のみんなに、よく理解してもらいたいなという思いが強く込められたように思います」
N
安倍総理大臣は
「わたしとしては、天皇陛下が、国民に向けてご発言されたということを重く受け止めております
天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければならないと思っています」
N
アジアのメディアは速報で、こう、伝えました
中国 CCTV
戦争を体験し平和を愛する天皇だ
日本国民と政府にとって大きな出来事
韓国 KBS
メッセージが発表されたことで
日本政府も今後対応に入るだろう
N
イギリスの公共放送、BBCは、ビデオメッセージの全文を10分あまりにわたって伝えました
日本政府に生前退位のプロセスを進めるよう求める強いメッセージとなった
(VTR 5分31秒)
news/special/japans-emperor/
2016年8月8日
N
天皇陛下は昭和天皇の崩御に伴い55歳(即位の礼、平成2年)で即位されました
憲法に定められた天皇のありかたを念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたいと思っております
現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております
そうした天皇陛下の考えが目に見えるかたちでしめされたのが、平成3年、長崎の雲仙・普賢岳の噴火災害でした
避難所で膝をついて被災した人たちに、同じ目の高さで声をかけて励まされたのです
その後も、東日本大震災(平成23年4月にご訪問された映像)や阪神淡路大震災をはじめ、全国の被災地を訪れ、ひとりひとりに声をかけるなど、心を寄せ続けられてきました
天皇陛下
みなさん、ご無事でした?
そうですか
よかったですね
N
また、高齢者や障害者の施設を毎年訪問するなど、社会で弱い立場の人たちを思いやり寄り添われてきました
昭和8年12月23日に誕生された天皇陛下
昭和天皇と香淳皇后の、はじめての男のおこさまでした
戦争で空襲が激しさを増したころ、天皇陛下は日光に疎開し終戦を迎えられました(昭和20年8月の映像)
結婚されたのは、昭和34年4月10日です
(馬車でのパレードの映像)
当時の実況放送のナレーション
誠に見事な眺めでございます
両殿下、皇太子殿下、ただいま、右手をおあげになっておられます
N
皇后様とともに、慣習にとらわれず、時代の流れにそった子育てを実践し、新たな皇室像を築かれました
結婚25年の会見 昭和59年
「まあ、点をつけるということはむずかしいけれども、うーん、まあ、努力賞、と」
「あたくしも、もし差し上げるとしたら、お点ではなくて、感謝状を」
N
皇太子のときから向き合われてきたのが、先の大戦です
昭和50年には、昭和天皇が戦後訪れることのなかった沖縄をはじめて訪問されました
先の大戦で亡くなった人たちに思いを馳せ、戦没者を慰霊されてきました
天皇陛下 (平成27年の全国戦没者追悼式)
過去を顧み、先の大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります
N
戦没者の慰霊は、国内だけでなく、海外にも及び、サイパン(平成17年)、パラオ(平成27年)、フィリピンで、霊を慰められました
天皇陛下は即位10年(平成11年)に際しての記者会見で、障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは、社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくことは、わたくしどもの大切な務めであると思いますと述べられています
一方で、天皇陛下がご高齢になるにともない、公務の負担軽減が検討されます
平成21年には、宮内庁が具体的な負担軽減策を発表
式典で述べられるお言葉の多くを取りやめ、宮中祭祀も見直されました
平成24年には、天皇陛下は心臓のバイパス手術を受けられます
その年、79歳の誕生日を前にした記者会見では、次のように述べられていました
天皇陛下
負担の軽減は公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません
今のところ、しばらくはこのままでいきたいと考えています
N
現代にふさわしい皇室の在り方を求めて、新たな社会の要請にこたえ続けられてきた天皇陛下
高齢となっても、公務を大きく変えられることはほとんどありませんでした
去年12月の82歳の誕生日を前にした記者会見では、次のように述べられました
天皇陛下
年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました
したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです
(VTR 7分49秒)
news/special/japans-emperor/
2016年8月8日
河野憲治さん
政治部官邸クラブの原(聖樹)記者とお伝えします
原さん、あの、有識者会議、きょう始まった有識者会議のですね、冒頭で安倍総理がですね、国家の基本にかかわる極めて重要なことがらだというふうな発言をしていますが、そういった発言からですね、どんな、こう、狙いがですね、意図がですね、読み取れますか
原聖樹さん
はい、やはり、憲法第一条に明記された象徴天皇制にかかわるこれは問題なんですね
ですから、安倍総理としてはですね、生前退位を実現するためのテクニカルな法整備の議論、これに移る前にですね、象徴天皇制のありかた、そこまで根本的に掘り下げたですね、議論をしてもらいたいという意図が読み取れました
さらには、安倍総理大臣は国民のさまざまな意見をふまえた、という発言をしておりまして、ここからは、この生前退位をめぐっては賛否両論ありますので、こうした意見を踏まえましてですね、国民の各層がなるほどなと思うような提言をまとめてほしいという思いも感じられました
河野さん
なるほど
それで、生前退位をですね、実現する方法としてなんですけれども、そのNHKがですね、今月行った世論調査で、まあ、国民のみなさんに聞いたところですね
(以下のボードを示して)
特別法を作りいまの天皇陛下に限り認める 27%
皇室典範改正し今後すべての天皇ができるようにする 56%
生前退位認めず現在の制度の範囲内で対応 7%
NHK世論調査
期間(2016年)10月8日~10日
対象 18歳以上の1533人
方法 電話(RDD)
回答 979人(64%)
特別法を作って今の天皇陛下に限って認めたらいいんじゃないかというのが27%ですね
で、皇室典範を改正して今後すべて天皇陛下が、まあ、天皇ができるようにするというのが56%という、まあ、こういうふたつの考え方があるんですが、いずれ、あの、両方ですね、どんな点が議論になっていくんでしょうか
原さん
はい、生前退位の実現に向けてはですね
(以下のボードを示して)
「特別法」制定
ご高齢であることを踏まえて迅速に対応
"皇室制度の安定性損なわれる"
「皇室典範」改正
将来の天皇も含めた法整備可能
"短期間では難しい"
特別法の制定、あるいは皇室典範の改正というのが考えられるわけなんですけれども、
特別法の制定というものが政府では有力視されているものなんです
これは、あの、天皇陛下がご高齢であることををふまえてですね、迅速に対応できるというのが最大のメリットです
また、あのー、さらにですね、政府関係者によると、今の天皇陛下に限ってですね、法整備をすることによってですね、ほかのさまざまな課題を検討する必要が無いんで、まあ、迅速に対応できるという指摘があるんですね
ただ一方でですね、特別法の制定であってもですね、前例になりまして、再び、特別法の制定を求めるような声というのが、将来が出てくることも可能性としてはありますので、そうなると、皇室の安定性が損なわれるんじゃないかという問題点、指摘もあるんですね
で、こうしたことから、まあ、皇室典範の改正を求める声も根強くあるわけなんです
この場合は、ここにありますようにですね、将来の天皇も含めた法整備が可能になります
この、皇室典範の改正をめぐってはですね、政府関係者の間には、まあ、皇位の継承ですとか、皇位の安定を維持するためには、将来起こり得るさまざまな課題について、精緻な議論を積み重ねる必要があるので、短期間で行うのは難しいという指摘があるわけですね
河野さん
短期間では、難しいと
原さん
はい
一方でですね、この皇室制度の見直しの議論にかつて関わった元政府高官からはですね、今の陛下に限定した特別法の制定というのはですね、まあ、歴史的な評価に耐えられないおそれがあると
ですから、その、先ず、皇室典範の改正によって、いまの陛下の生前退位を実現できるようにしたうえでですね、さらに抜本的な制度の改正に向けて検討を行って、二段階でですね、法改正を行うことが望ましいという意見もあるんですね
河野さん
二段階論というのもあるんですか
原さん
はい
鈴木奈穂子さん
なるほどねえ、こうしたように、いくつかの手法があると思うんですけど、まあ、ただ、どういう手法を取るにしても、生前退位にはいろんな課題があるといえそうですね
原聖樹さん
そうですね
こちらにも課題を出したんですけれども
(以下のボードを示して)
退位後
天皇の地位・権能の位置づけ
住まい
身の回りの世話をする人員
葬儀
皇室予算
特に、そのなかでも大きな課題といわれているのがですね、退位したあとの天皇の地位ですとか、身分、あるいは権能ですね、これをどのように位置づけるかというのが、大きな課題となります
まあ、歴史的にみてますとですね、退位した天皇というのは、上皇ですとか法皇と呼ばれたわけなんですけれども、まあ、天皇と上皇が並び立つことになりますと、まあ、あの、国民の象徴が二分されてしまってですね、権威の二元化、さらには新たな天皇の権能などにも影響が及びかねないという指摘もあるんです
さらに、こちらにあります、あの、住まいですとかですね、身の回りの世話をする人員、あるいは、あの、退位後亡くなった場合の葬儀をどうするのか
さらには、退位後の天皇を含めましてですね、皇室予算をどのように割り振るのかという検討すべき課題はですね、まさに膨大にあるんですね
河野さん
うーん、なるほど
今後の、その、有識者会議ですね、これ、どんなふうにすすめていくのか
あるいは、法整備がですね、実際、どういう日程で、こう、行われそうだという、そのへんの見通しはいかがでしょう
原さん
はい、あの、政府はですね、菅官房長官が、こう、いつまでも結論を先延ばしにするつもりはない、と述べるなどですね、まあ、陛下のご年齢も考慮しまして、来年の通常国会で法整備を行う方向で議論をすすめたい考えなんです
河野さん
来年の通常国会
原さん
はい
まあ、こうしたことを踏まえましてですね、有識者会議では、当面は憲法ですとか歴史、あるいは皇室などの詳しい専門家十数人程度から意見を聞いたうえでですね、年明けにも論点整理を行って、早ければ来年春にも提言をまとめるものとみられます
河野さん
春にも提言をまとめると
原さん
はい
まあ、この問題をめぐってはですね、民進党が恒久的な退位の、退位制度の創設も含めた幅広い検討をはじめる方針を示すなど、国民各層で議論が活発になっています
このため政府はですね、専門家の意見聴取に加えまして、有識者会議の内容などについても、できるだけ迅速に公開してですね、この問題に対する国民の理解を深めていきたい考えなんですね
そのうえで、有識者会議の論点整理に対する世論の反応ですとか、与野党の反応なども見極めたうえでですね、最終的な方策を慎重に検討していくものとみられます
鈴木さん
ここまで、政治部の原(聖樹)記者とお伝えしました
news/special/japans-emperor1/
2016年10月17日
●速報
天皇陛下「生前退位」の意向示される 内外にお気持ち表明検討 宮内庁関係者(18:59)
●Emperor considers abdication
NHK has learned that Emperor Akihito has been telling close aides that he wants to abdicate within the next few years and pass the throne to the Crown Prince.
The Emperor is 82 years old. Sources say that he wants to step down before he is too frail to carry out his duties fully.
And they say he has already informed his family members.
Sources say the Imperial Household agency is planning an occasion for the Emperor to address the public.
k.nhk.jp/daily/index1.html
>close aides
>And they say
>Sources say
●Emperor mulls abdication while still alive
NHK has learned that Japanese Emperor Akihito has expressed his intention to abdicate while he is alive and hand over his position to Crown Prince Naruhito within several years.
Informed sources say the 82-year-old Emperor conveyed the intention to Imperial Household Agency officials. He is still conducting a number of duties, including his constitutional functions.
Sources within the Imperial Household Agency say that officials are arranging an occasion for the Emperor to address the public.
They say the Emperor told Agency officials that someone who can fully carry out the required duties of the national symbol as stipulated in the Constitution, should be in that position.
The informed sources say the Emperor does not want to remain in his position by significantly reducing his duties or asking other people to stand in for him.
They say the Emperor's wishes were accepted by Empress Michiko, his eldest son Crown Prince Naruhito and younger son Prince Akishino.
The sources say the Emperor would like to see the abdication take place within the next several years. They say arrangements are underway for the Emperor to announce his wishes to the public.
One of the sources says that in the event of his announcement, as a national symbol the Emperor may avoid direct expressions. But the source says the announcement will be one that conveys his feelings well.
Three years ago, the Queen of the Netherlands and the Pope announced their intention to abdicate while they are alive.
In Japan, nearly half of the 124 Emperors before the current Emperor's father, Emperor Showa, abdicated in such a manner.
But after the Meiji era, which was 3 periods before the current Heisei era, the system of abdication ended. An abdication has not taken place for about 200 years.
The Imperial Household Law has no provisions regarding abdication. The will of Emperor Akihito is likely to lead to a national debate including a possible revision to the law.
k.nhk.jp/daily/index1.html
>Informed sources say
>Sources within the Imperial Household Agency say
>They say the Emperor told Agency officials
>The sources say
>One of the sources says
●BBC Breaking News @BBCBreaking
Japanese emperor says he will abdicate in coming years - Akihito, 82, has had health problems
3:24 - 2016年7月13日
twitter.com/bbcbreaking/status/753173256262258689
開かれた皇室 OR 御用*
参考対訳日本語版
tokumei10.blogspot.jp/2016/07/blog-post_13.html
天皇陛下「お気持ち」表明 実現へ課題は?
2016年8月8日 16:54
天皇陛下は8日午後3時、「生前退位」をめぐり「お気持ち」を表明された。今後の課題などについて、学習院の同級生・明石元紹氏、皇室ジャーナリスト・久能靖氏、日本テレビ報道局政治部・伊佐治健部長が解説する。(詳しくは動画で)
2016/08/08/07337463.
井田由美さん
伊佐治政治部長、当然、政府としても、もう、注視している
伊佐治健さん
そうですね
やはり、これはとてもデリケートな問題を含んでおります
井田さん
はい
伊佐治さん
やはり、天皇の政治への関与を禁じた憲法にですね、違反しないかたちをとるためにも、安倍総理大臣としましては、今日のおきもちを直接受け止めて、それですぐに政治が、政府が、なにか動くというかたちはとりにくいんですね
従いまして、今日は、政府の具体的な対応には、踏み込まないと思われます
まあ、これは、天皇が政治にかかわる発言をしたことにならないようにという配慮ですね
だた、あの、もともと、安倍政権はですね、この、天皇陛下の生前退位を認めるかどうかにつきましては、憲法上の問題などから、非常に慎重とみられております
また、この摂政という考え方も、政府の中で検討されているんですけれども、今日のお気持ちを受けてですね、やはり、天皇陛下は否定的なお考えを持っておられる
まあ、ここは、ひとつのポイントになるかと思われます
井田さん
そうですね
まあ、今後、お気持ちを受けて、しかし、政府としてはなんらかの動きが改めてはじまるということになるのでしょうね
伊佐治さん
はい、やはり、政府としましてはですね、世論の動きを非常に重視していますね
今日のお気持ちを受けて、国民がどう考えるか
その反応をですね、すくなくとも、一か月くらい、じっくりとみてですね、そして、政府として、今後、どんな動きをするか、これをまあ考えて動いていくということですね
(ボード)
天皇陛下の"お気持ち"ポイント
▼既に80歳を越え、象徴の務め 果たすことが難しくなるのではと案じる
▼公務を縮小していくことは無理がある
▼摂政では天皇が十分に務めを果たせない
▼殯・葬儀と新時代の諸行事の同時進行を避けたい
井田さん
はい
今日の陛下のビデオメッセージの締めくくりにも、国民の理解を得られることを切に願っています、というお気持ちの表明でした
久能靖さん
あの、天皇陛下がですね、これまでお気持ちを率直に述べていらっしゃるわけですけれども、どうか、理解を、ということをさいごにおっしゃってる
その理解なんですけれども、世論調査などによりましてもね、たいへんに多くの方々が、この、天皇の退位ということを認めているわけですね
これが総意なわけですから、そういった総意というものを、どう、政府がくみとっていくのか、ということになろうかと思いますね
藤井貴彦さん
はい
伊佐治部長の手元にですね、その、生前退位についての世論調査がありますね
伊佐治さん
はい、これは7月の日本テレビの世論調査の結果なんですけれども
(ボード)
NNN電話世論調査
2016年7月15日~17日に調査
全国有権者 1448人
回答率 49.5%
天皇陛下の"生前退位"について
よいと思う 90.9%
よいと思わない 4.0%
天皇陛下のですね、生前退位について、聞いたところ、90%以上の人が、生前退位されてよいと答えました
こうした世論がですね、この、非常に、この、陛下の生前退位に理解を示している
まあ、これは、安倍政権としましてもですね、まあ、そもそも、生前退位に慎重、後ろ向きなところはあるんですが、やはり、この、世論というのはですね、非常に大きな材料にはなるかと考えられます
井田さん
そうですね、意向が明らかになった直後でも、これだけの方が「よい」と考えていて、それでまた今日、陛下のお気持ち表明を受けて、人々の、国民の受け止め方が、どのようになっていくかといういことですね
あの四つ目のポイントなんですけれども、もがりの行事、つまり、お通夜にあたるまでの行事や葬儀と新時代、つまり、昭和の終わりを知る者としては、なかなか、社会的に、自粛ムードなどがあって、難しい、ある意味、時代を過ごしましたよね
そういうことを、あの、避けたいということと、残される家族が非常に厳しい状況に置かれざるを得ないという、家族という言葉は、この、どういう?
久能さん
この場合の、家族はね、当然、次の皇后、天皇になられる皇太子ご夫妻のことを念頭に置いておられるとは思うんですけれども、ただ、そのなかでですね、やはり、ご自分で、昭和から平成に変わったときの、あの混乱というものを、じゅうぶんに体験をされているわけですね
で、これではいけない
こういったことが二度とあってはならないし、たいへんな負担になるってことは、ご自分で体験されているわけですから、そういったことを避けたいというお気持ちが非常に強いんじゃないかっていう気がしますけどね
明石元紹さん 学習院で同級生・馬術部の仲間
まあ、これに限らずですね、やっぱり、いろんな宮中行事の簡素化というか、まあ、これを、たびたび仰っていまして、実行もなさっていますからね、それと・・・
藤井さん
今、安倍総理大臣が会見場に到着しました
途中ですが、お聞きいただきます
安倍総理大臣
本日、天皇陛下よりお言葉がありました
わたしとしては、天皇陛下が国民にむけてご発言されたということを重く受け止めております
天皇陛下のご公務のありかたなどについては、天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき、天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのか、しっかりと考えていかなければならないと思っています
井田さん
安倍総理、短い会見でしたが、陛下のご心労に思いを致し、どのような動きがとれるのか、しっかり考えていきたい、ということでした
伊佐治さん、安倍総理のこの受け止め方をどういうふうにみますか
伊佐治さん
はい
やはり、国民がこれだけ支持している陛下の思いですから、このお気持ちをしっかりこたえるという思いを示したい、しかし、この、政治への関与を禁じた憲法違反への配慮もあって、まあ、安倍総理大臣の言い方は、ひとつのぎりぎりの言い方だったと考えられますね
まあ、たとえば、天皇陛下のご発言を重く受け止めて、そして、しっかりと考えていく、という表現で、直接、なにかを、今、おこなう、ということは発言しませんでしたね
井田さん
しかし、今、抜粋の陛下のお気持ち表明をみていても、あの、さきほど、ちょっと、おはなしが途中になってしまいましたが、明石さん、皇室行事の簡素化なども目指しながら、伝統に思いを馳せて、そして、なによりも、ご家族や、そして、国民へ、望ましくない負担がかかることを、ほんとうにお気遣いなさっているのだなあっていうことは伝わってきますね
明石さん
そうですね、それと、わたくしは申し上げたいんだけれど、陛下は非常に控えめにね、ご自分の活動について述べていらっしゃいますけど、あの、ご即位以降ですね、まあ、それまでもそうかもしれませんけど、えー、まあ、365日、毎日24時間、ほんとうに、その、国民を思い、--(主体?)にしましてね、人々への幸せを念じていらっしゃる
まあ、このことはね、肉体的なものもさることながら、たいへんな、その、ご負担というかね、思いだと思いますのでね
そういう方が、こうやって、あの、国民に、ま、お願いをされているような事態についてね、やっぱり、政府は、できるだけ早く実現をしてあげていただきたいなって思いますね
天皇陛下「お気持ち」表明 街の反応は?
2016年8月8日 17:30
天皇陛下は8日午後3時、「生前退位」をめぐり「お気持ち」を表明された。お気持ち表明を受け、街の人たちの反応を伝える。(詳しくは動画で)
2016/08/08/07337465.
井田さん
街の人々の反応です
東京、新宿駅前の牧尾さん
牧尾太知さん
はい、こちら新宿駅東口では、駅前に設置された大型ビジョンから天皇陛下のビデオメッセージが流れました
午後3時、街の大型ビジョンから天皇陛下のビデオメッセージが流れ始めると、通行中の100人以上が足を止め、真剣なまなざしで画面を見つめました
都内各地でも、お言葉を聞いた人から、象徴天皇としての陛下の責任感が伝わってきたなどの声が聞こえました
東京 新宿駅前 男性
国の象徴であるためには、やっぱり、その、万全で臨みたいっていうか、その、やっぱ、その、陛下の責任感ていうか、その、陛下なりのメッセージがあったのかなあと思いました
東京 秋葉原 女性
民(たみ)にわかるような言葉を使ってらっしゃったなあと思ったんですけれど、はい
東京 秋葉原 男性
わたくし、あの、陛下と同い年なもんで、うーん、残念ですけども、戦後、こう、陛下が一生懸命お務めをしてきたことに対してですね、非常に感銘を受けているんです
また、気持ちが、気持ちがよくわかります
東京 秋葉原 女性
すごく、勇気がいったんじゃないかなあって思ってね
でも、そういうことを言ってくれたのは、なんか、嬉しかった
生前退位を巡る陛下の強い思いがにじみ出たビデオメッセージについて、街の人からは、「陛下の健康を第一に考えてほしい」といった声が多く聞かれました
以上、新宿駅前からお伝えいたしました
>そうですね、それと、わたくしは申し上げたいんだけれど、陛下は非常に控えめにね、ご自分の活動について述べていらっしゃいますけど、あの、ご即位以降ですね、まあ、それまでもそうかもしれませんけど、えー、まあ、365日、毎日24時間、ほんとうに、その、国民を思い、--(主体?)にしましてね、人々への幸せを念じていらっしゃる
まあ、このことはね、肉体的なものもさることながら、たいへんな、その、ご負担というかね、思いだと思いますのでね
そういう方が、こうやって、あの、国民に、ま、お願いをされているような事態についてね、やっぱり、政府は、できるだけ早く実現をしてあげていただきたいなって思いますねこの
>えー、まあ、365日、毎日24時間、ほんとうに、その、国民を思い、--(主体?)にしましてね、人々への幸せを念じていらっしゃる
まあ、このことはね、肉体的なものもさることながら、たいへんな、その、ご負担というかね、思いだと思いますのでね
そういう方が、こうやって、あの、国民に、ま、お願いをされているような事態についてね、やっぱり、政府は、できるだけ早く実現をしてあげていただきたいなって思いますね
日本語としての意味が、予測として、錯覚すれば、了解できるような気もするが、日本語がよくわからない。
そして、その行為が事実だとすれば、正直な感想を表現することに躊躇してしまう。
そして、象徴という見立ての解釈に強迫的にならざるを得ない状況に翻弄されてきた面があるのならば、人間の営みの健全さという視点からは強いストレスであり、直ちに救われるべき健康問題と解釈できる。
質問(Question) 大喪の礼の際に柩を担ぐ人について知りたい。世襲なのではないか。
”only 200,000 turned up for the procession, when police expected 800,000.”
真偽もふくめてはじめて知った
Visit of Japanese emperor
Fri 3 Oct 1975
http://www.bbc.co.uk/programmes/articles/2HcsLclG60Lws98xDrD33yW/visit-of-japanese-emperor
http://www.bbc.co.uk/programmes/b03z91w9
平戸「旗松亭」再生計画案
民事再生法の適用を申請していた平戸市の老舗ホテル、「旗松亭」は旅行業などを手がける中国人実業家から支援を受けることを盛り込んだ再生計画案を提出しました。
昭和44年に開業した平戸市の老舗ホテル「旗松亭」は、昭和天皇や天皇、皇后両陛下が宿泊されるなど平戸有数のホテルとして知られていましたが、観光客の減少などでおよそ22億円の負債を抱えて経営に行き詰まり、去年1月に民事再生法の適用を申請していました。
24日ホテル側が佐世保市で記者会見を開き、旅行業などを手がける中国人実業家から支援をうけて営業を継続するとする再生計画案を発表しました。
それによりますと、現在ホテルが所有する株式をすべて消却したうえで、支援会社が980万円出資して新たに発行する株式をすべて取得するほか、2億円あまりをホテル側に貸し付ける方法で負債を精算するとしています。
ホテルによりますと、再生にあたってホテル側が条件としていた現在の従業員の雇用や地元業者との取引も継続できるということです。
今回の再生案は、1月22日付けで長崎地方裁判所佐世保支部に受理されたということで、今後、債権者に対して再生計画案の説明会を開くことにしています。
01/24 19:12
中国人実業家から支援を受けることを盛り込んだ再生計画案で
祈る御本家も国民もなかよく揃って少子化、人口爆発に貢献
絶対に擁護しなければならない価値
neo国体護持
どんどん焼け野原なっても、とてつもなく大切だとだれもが信じ込まされた装置
>この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
>亡くなられた方々のことを決して忘れず,多くの犠牲の上に今日の日本が築かれてきたことを心に刻み,戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう過去の歴史に対する認識を深め,平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
皇室は軍部に利用されたにすぎないという定説めいたものを実証するためにも、戦時下にあっても、皇族方が国民の生命や財産を守るためにどれほどご尽力なされたか、そしてどのようなことに限界をお感じになられたか、経過の詳細を国民に開示していただきたい。
皇族方の名誉を重んじるという理由で開示できないのだとするならば、あれほど多くの人の命を失うという計り知れない犠牲を払いながら、あれからの時代を生きていく国民は惨めです。
あの戦争の歴史を予断や偏見もたずに十分に学ぼうと努力しても、必ず大きな戸惑いをかかえながら飛躍した推論をして理解したふりを迫られるという現実があります。
国民も過去の歴史に対する認識を深めたいと強く思っています。
ただ、皇室は軍部に利用されたにすぎないということを理解しようとする過程で、さまざまに素直な迷いが生じても、カーテンはこちらからは絶対に開けることができないのです。
そしてこの種の機微にふれる課題を提示するたびに、右翼だ左翼だ日本人のくせにという怒号の応酬という無意味な論争に強制的に転換させられてしまうのです。
この悲しい愚かな現実がくりかえされていくなかで、いったいどのようにして戦争の歴史を十分に学びとっていくことができる手段があるのか、正直なところわかりません。
なにかの不作為を確認し糾弾しようというつもりは全くなく、よく整理して考えるためには安易な飛躍で理解をすすめていくことは不可能、その理由に尽きます。
Hirohito's Mental Health Deteriorates
November 29, 1988|United Press International
TOKYO — Emperor Hirohito's mental health is deteriorating, and he has spent most of his days asleep and has rarely spoken since suffering a life-threatening drop in his blood pressure three weeks ago, a palace official said Monday.
The senior official said the mental condition of the 87-year-old monarch, who has been battling suspected abdominal cancer since Sept. 19, took a turn for the worse Nov. 8.
"His reactions have changed (since Nov. 8), and he is mentally weaker," said the official, who asked not to be identified.
On Nov. 8, Hirohito's blood pressure fell to 68 over 30--about half his normal level and low enough to cause brain damage if sustained for several hours. His blood pressure returned to a near-normal level the same day, and palace officials said it was at the dangerously low level for less than an hour.
http://articles.latimes.com/1988-11-29/news/mn-571_1_mental-health
でも、その切なる願いって、象徴天皇教?
その永遠の価値を互いに認め合うことの重要性を挙げ
こちら側に純真さや清らかさ、つまり従順さも求めてはいるが
その関係性を窮屈に感じたり不自由に感じる場合
違和感をおぼえる個人は反日的な異物に成るのだろうか
日本人は衝撃と衝動に翻弄されることから距離を置いて
よくじっくり考えたとしても
本当は誰も叱ったりしないはずだ
でも、なにかとってもこわいんだね
なにがこわいんだろう
こわさを探ることもいけないんだろうか
よっぽどこわいんだね
闇ってる
皇室祭祀令
>日本が米帝に勝てない主な原因がやたら「愛国!愛国!」とほざく反米な連中だってのは皮肉な事ですね。(爆w
愛国というわりにはよその国のことをずいぶん丁寧に心配してみたり
象徴天皇制を永遠に続けていくために必要なアリバイづくりの保守点検作業が愛国保守の本性だし
皇族やその関係者の地位保全に忠誠を尽くすことと
国民の充実した人生の設計を可能にする教育や社会のシステム、経済の発展にまじめに取り組むことの間にはなんら接点が無いことは明白であって
こんなことでは国民のバンザイは喜びじゃなくてお手上げのサイン
メディアが演出する皇室像、皇室観は、どこも平板でお決まりのコードに添ったもの
今般のヴェトナム訪問の取り上げ方一つとっても
アジアの解放を正当化するために
我が国が原子爆弾を含む空襲で焦土と化す代償を払う意義を検討することはすっぽり抜け落ちちゃって
頭がおかしくなりそう
ほんとうにのんきで奇妙で異常な演出満載で気味悪いったらありゃしない
1947年に象徴天皇という概念を設けてたった70年ほどしか経っていない歴史の浅い国ともいえる2677年。
それまで全く馴染みのなかったとってつけたようなもの珍しい概念で造形しなければ位置づけさえ難しい存在であって、国家神道というカルト的な要素を剥いでしまうと、素直なおさまりどころを見つけることに誰もがたいへん苦労し、これまたつきつめると説明することがきわめてややこしい「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」というわかりにくさ。
>昭和61年5月11日
昭和天皇実録DVD版59巻目の20頁
第三十七回全国植樹祭のために大仙公園をご訪問されていらっしゃいます。
会場を御発の際、奉送の列に加わっていた幼稚園児二名により花束を受けられる。なお、これは御予定外のことであった。
こうした記述はありますが、幼稚園児二名の所属については明示されていませんでした。
全部で59巻、すべてに検索をかけることは可能なれど眠くてできません。
DVDではなく宮内庁が実費で頒布しているPDF化した電子媒体の複写物と表現するのが適切でした。
ただ、メディアも漠然と質問するのはなく、この記述の参考文献(時系列で記述された実録は側近の日記だけでなく新聞や雑誌の記事も利用されている)などもあたって、やや特徴的な記述の意味合いを明らかにすることもできるでしょうし、現在30代の当時の園児、縦社会のスカウト関係者を探すことも無理ではないでしょう。
Rose 3-35-40 Rosa Peace 1945
Rosa Peace - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosa_Peace
The Peace rose, correctly Rosa 'Madame A. Meilland', is a well-known and successful garden ... 3-35-40 were grown in Meilland's rose fields in June 1939. .... name "Peace" was publicly announced in the United States on 29 April 1945 by the ...
The adoption of the trade name "Peace" was publicly announced in the United States on 29 April 1945 by the introducers, Messrs Conard Pyle Co. This was the very day that Berlin fell, a day considered a turning point in the Second World War in Europe.
>This was the very day that Berlin fell, a day considered a turning point in the Second World War in Europe.
the very day
29 April 1945
29 April
Later that year Peace roses were given to each of the delegations at the inaugural meeting of the United Nations in San Francisco, each with a note which read:
"We hope the 'Peace' rose will influence men’s thoughts for everlasting world peace".
2017.1.3 05:00
【平成30年史 第1部皇室(2)】
「私の中国訪問は良かったのか」 国際親善に触れ合いと葛藤
初の訪中で上海交通大学に到着された天皇、皇后両陛下=平成4年10月27日
天皇陛下が即位されてから間もない平成元年10月16日、平成初の国賓としてジンバブエのムガベ大統領が来日した。
「私が作ります」。宮内庁の儀典担当OBは、陛下が宮中晩餐会で述べる挨拶の文面を、陛下が自ら書く意向を示されたことを覚えている。
昭和の時代は、外務省が原案を書き、宮内庁が修正していた。陛下が導入された新しいスタイル。時には推敲が重なり、完成が当日朝になることもあった。
「外務省はキツいですよ。相手の言葉に翻訳しないといけない。通訳がいないような言葉の時は、専門家を呼んで待たせていないといけないから」。OBはそう苦笑いする。
「(お言葉は)どうですか?」「まだワープロを打っておられます」-。当日朝に外務省と宮内庁でそんなやりとりもあった。ワープロはその後、パソコンに代わり、陛下はインターネットも使いこなされているという。
「陛下がよく言われていたのは、国と国との関係は、基本的に人と人との関係だ、ということです」
多くの外国訪問に随行した前侍従次長の佐藤正宏氏(75)は平成18年のマレーシア訪問が印象に残っている。
15年前の3年、マレーシアを訪問された両陛下は、クアラ・カンサ―という町の「マレーカレッジ」を訪ねる予定だった。だが、インドネシアで起きた山火事の影響で飛行機が飛べなくなり訪問は中止。落胆したのは案内役だった当時3年生のムハマド・ハフィズさん(40)だった。
大の日本好きで日本語を学んでいたハフィズさんは、両陛下に手紙を書いた。「私はなきました。なみだがかれてとまるまで…(中略)だからてんのうこうごうりょうへいかといちばんあいたいです」
そして15年後、ハフィズさんのもとに母校から連絡があった。「マレーシアを訪問する両陛下が学校を訪れることになった。案内役を引き受けてほしい」。驚いたハフィズさんは休みごとに片道4時間、母校へ車を走らせ準備を始めた。
佐藤氏は「両陛下が手紙を詠まれたかは分からない。ただ、(訪問中止を)15年間、気にとめていた」と“再訪”の背景に両陛下のご意向があったことをにじませる。
平成18年6月10日、同校を訪れた天皇陛下はハフィズさんに気づき、「この方は15年前、ここにいらっしゃいました」とすこし離れた皇后さまは「15年前のこと、大変失礼しました」と語りかけられたという。ハフィズさんは涙が止まらなかった。
それから10年、すっかり流暢になった日本語で、ハフィズさんは話す。「両陛下と会い、日本の良いところも、悪いところも好きになった。日本とマレーシアの架け橋になりたい」
佐藤氏は「陛下は常に国民との心のふれあいを大切にされている。それは海外でも同じ。現場にいって相手と話して、心を通わせることが重要とお考えなのだろう」と話す。
象徴天皇として新しいスタイルを活発化させる陛下。だが、その思いとは別のところで、政治的に利用しようとする勢力も忍び寄る。
平成4年の中国訪問をめぐっては、国内の賛否で二分された。当時の宮沢喜一内閣は、石原信雄官房副長官の主導で官邸に識者を招き意見を聞いた。
天安門事件の3年後で、中国は欧州各国から制裁を受けていた時期。当時の外務省の担当者によると、中国側は「陛下に来てもらえれば、感情的なわだかまりは終わる」としきりに主張したという。政府は結局、「中国を孤立させるのは正しくない」と訪中に踏み切った。
10月23日からの訪中では、両陛下はいつも通り親善に努められた。その中で、後に陛下が周囲に印象深く語られた場面があったという。
5拍6日の日程の最終日、上海を訪れた両陛下が繁華街を車で視察されると、人々が沿道に集まり笑顔で手を振った。動員された様子ではなく、陛下も車の速度を落として応えられた。陛下が大切にされる“人と人との交流”の場面だった。「時間がなく、その場面はあまり記事にならなかった。そのことを陛下は残念に思っておられるようだ」。側近の一人はそう回顧する。
だが後年、銭其*元中国副首相は訪中について、回顧録に「日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打ち破る上で積極的な役割を果たすものだった」と記した。「わだかまりは終わる」の言説はどこへやら、平成10年に国賓として来日した江沢民国家主席は歓迎の宮中晩餐会で陛下を前に「痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」と述べた。当時の関係者は「陛下は数年後、私の中国訪問は良かったのだろうか、と話されていた」と打ち明ける。直接、晩餐会のことを言ったわけではないが、陛下は今も考え続けられているのだろうー。関係者はそう話した。
2017年1月3日 産経新聞 一面 平成30年史 第1部 皇室②
痛ましい歴史は事実
死刑執行 12月23日
産経ニュース閉じる
2017.5.12 07:49
両陛下、欧州の新国王とご交流 国際親善、新時代に 各国で進む世代交代
スペイン国王フェリペ6世夫妻の歓迎行事に臨まれる天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻 =4月5日、皇居・宮殿東庭
天皇、皇后両陛下がここ数年、前国王・女王の退位に伴って即位した欧州各国の国王を相次いで国賓として迎え、交流を持たれている。国王側にとり、親世代と長い年月をかけて絆を強められてきた両陛下は「尊敬の対象」(宮内庁幹部)。天皇陛下は各国で世代交代が進む中で譲位の意向を強められたとされ、皇室の国際親善も新たな時代に向かっているといえる。(伊藤真呂武)
◇
「常に国民のために奉仕するという姿勢を貫かれるお姿こそ、世界中の人々が尊敬する日本の生きたイメージであります」
4月5日、皇居・宮殿で両陛下が催された宮中晩餐(ばんさん)会に招かれたスペイン国王フェリペ6世。陛下のごあいさつに続く答礼スピーチで、両陛下への「深い敬愛と憧憬(しょうけい)」の思いを込めた。
フェリペ6世は2014年6月、76歳となった父のカルロス1世が高齢などを理由に退位したため、46歳で即位。
皇太子時代に3回来日したが、国王としては今回が初訪問となった。両陛下は、カルロス1世と50年以上にわたって親交を温められてきた。
晩餐会に先立つ、両陛下とフェリペ6世夫妻との会見の場では、陛下がカルロス1世の体調を気遣われる場面もあり、宮内庁幹部は「和やかな雰囲気の中にも、国王夫妻から両陛下への敬意が伝わるやり取りだった。世代交代が印象に残った」と打ち明ける。
晩餐会の後、国王夫妻が宮殿を立ち去る間際には、57歳の皇太子さま、53歳の皇太子妃雅子さまが「大変親しそうに」(宮内庁幹部)別れのあいさつを交わされていた。皇太子さまは04年の国王夫妻の結婚式に参列されている。
■
前国王・女王の退位が相次いだ欧州の王室からは、オランダのアレクサンダー国王夫妻が14年10月に、ベルギーのフィリップ国王夫妻が昨年10月に国賓として来日、両陛下が晩餐会でもてなされている。
両陛下が両国王の親世代と長年の交流を育まれてきた一方、皇太子ご夫妻が両国王の結婚式に出席されるなど、次世代間の友好親善も着実に進んでいる。
特にアレクサンダー国王とは、皇太子さまのライフワークである「水問題」をめぐっても結びつきが深く、国際会議の場で顔を合わされる機会も多い。療養中の雅子さまが11年ぶりの晩餐会出席を果たされたのも、前出の14年の来日の際だった。「陛下にとってベルギーの元国王ボードワン1世が親友と呼べる存在だったように、皇太子ご一家には、オランダ国王一家が家族ぐるみでの付き合いになっている」(宮内庁幹部)
■
宮内庁関係者によると、陛下は約7年前から周囲に譲位の意向を打ち明ける中で、海外の王室で続いた退位の事例を挙げられることもあったという。この関係者は「陛下は皇后さまとともに、象徴としての公務を即位前から考え続けてきたが、長年かけて築かれてきた各国との友好親善もその一つ。同年代の国王・女王が退位するのを見て、次世代に譲った方がいいと思われたとしても不思議ではない」と推し量った。
http://www.sankei.com/life/print/170512/lif1705120017-c.html
emperor japan site:www.trumanlibrary.org/oralhist/
Britain faced diplomatic dilemma with Emperor Hirohito's funeral, documents show | The Japan Times
www.japantimes.co.jp › news › national
2016/02/20 - Britain faced diplomatic dilemma with Emperor Hirohito's funeral, documents show ... sent Prince Philip, the husband of Queen Elizabeth II, and then-Foreign Minister Geoffrey Howe to attend the ...
Unnatural Selection: Choosing Boys Over Girls, and the ...
https://books.google.co.jp › books
Mara Hvistendahl - 2012 - Science
Choosing Boys Over Girls, and the Consequences of a World Full of Men Mara Hvistendahl ... 2,” Draper would later joke, as if Emperor Hirohito wielded so little power he wasn't worth naming.4 But some factors were ...
https://archive.org/stream/jamesforrestal000092mbp#page/n0/mode/2up/search/emperor
象徴 国民の憧れの中心 site:www.*.go.jp
憧れの中心が批判される道理が無いとするなら、それはファッショ
そもそも「象徴」といふ文言を解釈することに苦労したわけですから、厄介な始発
日本に生まれた人間に、個人の価値観として、それぞれ自由に皇室と距離を置く自由があるはずだが、率直な意見を出した途端に、非国民か国賊か革命を煽動する活動家のように括られそうになるので窮屈だ。
よくよく考える訓練をすることにまで神聖不可侵の領域があるような社会がこどもたちに授ける教育の質も、どこかで奇妙に歪んでくるだろうし、それが生きにくい社会の土壌の一因になっていないと言い切る自信がない。
皇室礼賛への執着をほどくことが天変地異の災いをもたらすという脅しや呪いがあるわけでもないし、誰もが忌憚のない意見を自由に発言できるテーマとして、皇室に関してだけは例外的に過敏なほど神経を使えというのなら、戦後の占領下の日本のほうが、この件に限れば自由な発言が今よりも許される空気があった。
皇室に関して何かを自由に発言するときに、このテーマに関して、互いを監視し逸脱しない同調圧力を自然な形で行使するような空気が全く無いと言えるだろうか。
結局は心理的な操作であって、操作する側が手段を選ばない自由に適った自由を、こちらもきちんと持つこと、責任ある自由な考察を軽んじた結果、それらすべての損害と犠牲を払うのは国民だという厳しい現実を忘れ去るには世代的に戦争の実体験が一巡した今、危険な感覚が容易に蔓延する可能性が高い、絵空事の平和として。
人は多様な形で提示される事象を気分で解釈する生き物で、だからこそ、選択したことの結果をよく見きわめるだけの冷徹さが欠かせない。
切迫感を帯びて皇室の重要性について国民を煽動している主体の目的は何か、ほんとうに豊かな人間の営みを育むために必要なシステムとして洗練された形なのか、そのことを予断なく活発に議論することを異端視するのであれば、上意下達の封建制にすぎない。
アリバイとしての民主主義、自由主義でしかないのなら、英語教育のメソッドを故意に低次元に放置してきた歴史の謎の一端も解けるかもしれない。
どんどん人口が減って、日本語が通じる空間が極端に狭くなるスピードは加速して止むことは無い。
日本語では描きにくい通用しにくい世界観が存在する事実から日本人を隔離する壮大な社会実験は、直ちに中止できる。
タチの悪い社会実験を容認した文部科学省も国会も、国民を不自由にしたことを否定できないだろう。
簡易すぎる百科事典の、日本語版への極端な欠損に素朴に反映されているように、日本人の視野を意図的に制限する手段として、言語の壁を悪用している。
時代遅れという肌感覚、知覚に直接的に障害をひき起こす言語の壁が守るのは、人間らしさ、だろうか。
♪ みんな私が悪いのよ~ といふ全能感が滑稽なように、続けば丸く収まるという呪文も滑稽すぎるのである。
"How did post-occupation Japan view Hirohito and were there large groups still loyal to him?"
CA57235 Hirohito
占領政策の円滑化に象徴的に天皇という地位を活用する意図
8月31日が大正天皇のお誕生日なのに祝日ではない理由。
第2節 日本の外交の課題
90年11月12日,即位の礼の中心的行事である即位礼正殿の儀が行われた。即位礼正殿の儀には、世界158か国、欧州共同体(EC)及び国連の代表、並びに在京外交団総計474名が参列した。湾岸危機が進行中であったこの時期にこれほど多くの参列者が即位の礼のために訪日したことは、89年2月の大喪の礼に引き続き、日本の皇室に対する各国の尊敬と親しみの深さとともに、今日の世界における日本の地位の高まり、各国の日本に対する関心の大きさを再び示すものとなった。こうした日本重視の姿勢は、また、日本に対する期待の高まりを反映したものでもある。
国際社会が新しい秩序を摸索する中、このような関心と期待に対し、日本外交はいかに応えていくべきであろうか。
mofa
即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律 - Wikisource
https://ja.wikisource.org › wiki › 即位礼...
2014/08/26 - 法律第二十四号. 即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律. 平成二年において即位礼正殿の儀の行われる日は、休日とする。 附則. 1 この法律は、公布の日から施行する。 2 この法律に規定する日は、他の ...
即位礼正殿の儀 支出
天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(第10回)議事録 1 日 時 ...
www.kantei.go.jp › dai10 › gijiroku
2017/03/22 - また、譲位した天皇の位置づけは天皇に準ずる存在とみなされておりまして、潜在的に. は天皇と同等の政治 .... 小というのはもちろんあると思うのですが、ただ、格下げと映る措置はやはりするべきで. はないのではない ...
予算 支出 品位
国事行為 即位礼正殿の儀 祝賀御列の礼 饗宴の儀
皇室行事 国家行事 宮中祭祀 宗教 即位
Hirohito Akihito "Dr. George D. Stoddard"
City of London: The History - Page 512 - Google Books Result
https://books.google.co.jp/books?isbn=1448114721
David Kynaston - 2011 - History
When. soon after its launch, Russell Taylor of the Italian international Bank (one of the ... 'have always looked up to the City of London . . . as the depository of ... and respect. its indomitable spirit of freedom, strict code of gentlemanly conduct. and courage to make a startling departure from old practices as occasion arises.
Japan and the City of London - Page 29 - Google Books Result
https://books.google.co.jp/books?isbn=1780939531
Sir Paul Newall - 2013 - Business & Economics
In his speech at the State Banquet in Guildhall, His Majesty Emperor Hirohito stated, 'The Japanese people have always looked up to the City of London . . . as the ... respect, its indomitable spirit of freedom, strict code of gentlemanly conduct, and courage to make a startling departure from old practices as occasion arises.
伯爵ルイス・マウントバッテン 昭和天皇に ユナイテッド・ワールド・カレッジの公的支持を求める
昭和天皇実録巻50昭和46年.pdf
174頁
UWC(本部:ロンドン)は、世界各国から選抜された高校生を受入れ、教育を通じて国際感覚豊かな人材を養成することを目的とする国際的な民間教育機関です。 ... 我が国でも、UWCのプロジェクト、理念に賛同し、経団連の支援を受けて、1972年9月に「UWC日本国内委員会」が設立され、1975年2月、社団法人格の取得とともに名称を「社団法人 ユナイテッド・ワールド・カレッジ日本協会」に改称、
Hirohito Hailed at Start of Belgian Visit - The New York Times
https://www.nytimes.com/1971/09/30/.../hirohito-hailed-at-start-of-belgian-visit.html?...
Sep 30, 1971 -He said it was a great joy for him to return as Emperor— “Symbol of the Japanese nation and of the unity of a people who have no greater ambition than the search for peace, in the world.”
【皇室ウイークリー】(493)両陛下、チェロ演奏会をご鑑賞 神宮祭主の清子 ...
www.sankei.com/premium/news/170701/prm1707010019-n3.html - Translate this page
6 days ago - 同30日、陛下は皇居・宮殿で、半年に一度のおはらいの儀式「節折(よおり)の儀」に臨まれた。皇居・宮中三殿に付属する神嘉殿の前庭では、皇族方や国民のための儀式である「大祓(おおはらい)の儀」が営まれ、皇族方代表で秋篠宮ご夫妻 ...
九州北部 豪雨被害 全壊・半壊の住宅は18棟
NHK-36 minutes ago
今回の記録的な豪雨で、福岡県や大分県などでは全壊や半壊の住宅が合わせて18棟に上っているほか、九州各地で建物が水につかる被害が相次いでいます。 続きを読む. 建物の全壊・半壊など. 福岡県災害対策本部によりますと、6日午後3時現在、朝倉市 ...
眞子さま婚約内定 8日正式発表 会見へ
NHK-Jul 4, 2017
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまの婚約内定について、今月8日午前、宮内庁が正式に発表することになりました。 ... 眞子さまは先月以降、たびたび秋篠宮邸で小室さんと会い、婚約内定の発表や記者会見に向けて準備を進められているという ...
>no greater ambition than the search for peace, in the world
NEW TECHNOLOGIES TO PREVENT CONFLICT AND BUILD PEACE CRITICAL REFLECTIONS OF THE BASEL PEACE FORUM WORKSHOPS ON “ARTIFICIAL Intelligence basel-peace.org › assets › listitem › Basel... This workshop discussed ways in which new technologies, in particular Artificial Intelligence (AI) and virtual online platforms, can enhance global efforts to prevent conflicts and build peace. Two core ideas emerged ...
世界平和を追求する試みは実に野心的であり
利害の調整と排除、つまり追求すればするほど衝突するという矛盾
勝者と敗者を再生産し、限界に直面するたびに秩序の再編が要求され
創られた新たな秩序にどれだけ巧みに乗り換えるか
乗り遅れるほどに貧乏くじのおまけつき
損切り、見返り、取引き
早いもの順
野心まるだしの闘争
ズルく上品に賢くないとバカまるだし
理想郷を壮大な叙情詩で詠んでも、現実の選択としては全く無意味、非情で無慈悲
経験則
両陛下 豪雨被害にお見舞いとねぎらいのお気持ち | NHKニュース - ...
www3.nhk.or.jp › news › html
2 days ago - 天皇皇后両陛下は、九州北部の記録的な豪雨で大きな被害が出ている福岡県の小川洋知事と大分県の広瀬勝貞知事に対し、宮内庁の河相侍従長を通じて、被…
宮内庁 眞子さまの婚約内定発表を延期 豪雨災害で | NHKニュース - ...
www3.nhk.or.jp › news › html
3 days ago - 九州北部の記録的な豪雨で甚大な被害が発生していることを踏まえ、8日予定されていた秋篠宮ご夫妻の ... 九州北部の豪雨による被害については、天皇皇后両陛下も心を痛め、テレビなどを通じて被災状況の把握に ...
高貴な方々に限らず誰もが心を痛めている
事前に警告が出ていたのにもかかわらず、情報の受け手側のリテラシーに個体差が大きい
きちんと検証し、なにを判断しなにを無視したかを明らかにして学習する機会がないと、この先、たいへんなことになる
救助にあてる人間の絶対数が極端に減ってくる
高齢者の多い地区でも平時の話し合いで、情報分析能力を向上させ事前に避難していた地区もあった
祈ったり心を痛めたり慰めたりとは別な次元で、革命的な意識の変革がなければ、この国の疲弊は重症化する
人口植林のありかたも地主の抵抗と離れた次元できちんと論議される時期だ
少ない数しか生まれてこない人間で成り立つ社会の地獄は、高貴な慰めなど一切通用しない
終戦ではなく敗戦だ
目指した世界観に出された答えだ
Yasokai no Nihon nenpō - Volume 2
https://books.google.co.jp/books?id=P0HSAAAAMAAJ
Jesuits - 1598 - Read - More editions
序 日葡協會會長 公爵 鷹司信輔
鷹司信輔 鷹司平通 昭和天皇第3皇女孝宮和子
"Heber J. Grant" "Emperor Hirohito"
幕末から終戦まで、木戸孝允と木戸幸一を中心に - 岩倉使節団・米欧亜 ...
www.iwakura-mission.gr.jp/tokubetu-kikou/kikou/sho-yosino.pdf
幕末から終戦まで、木戸孝允と木戸幸一を中心に、. 芳野健二 .... ロンドン在住の横浜正金銀行の加納久朗からの的確な情報、助言にも耳を傾けているが、. 残念ながらそれ ... 天皇の免責を立証しようとする彼の努力は、膨大な『木戸幸一日記』の提出や、優秀.
加納久朗 - 閨閥学 - Seesaa ブログ
keibatugaku.seesaa.net/article/442157673.html
2016/09/22 - 加納家(千葉県),皇族、華族、政治家、軍人、官僚、学者など、多岐にわたる人々が一大家族を構築して閨閥地図を形成している。綿密に幾重にも絡みあう一族の系図、系譜をまとめてみました。
加納夏(麻生太郎の妻)
加納久朗 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/加納久朗
加納 久朗(かのう ひさあきら、明治19年(1886年)8月1日 - 昭和38年(1963年)2月21日)は、日本の銀行家、政治家。子爵。千葉県出身。 ... 叔母); 長男・久道; 二男・久次(男爵中村貫之の娘婿); 二女・英子(実業家伊藤英吉に嫁する); 妹・夏子(実業家麻生太吉三男・太郎の妻。実業家麻生太賀吉の母。元首相麻生太郎の祖母。) 孫・久美子(元首相橋本龍太郎に嫁する); 曾孫・橋本岳(政治家) ...
[PDF]そ の 精 神 と 実 績 ~ そ の ② - UR都市機構
www.ur-net.go.jp/info/novel/pdf/20161003_novel_plus.pdf
2016/10/03 - 日本住宅公団総裁加納久朗. 唯. 今、. 諸. 君. に ..... 秩父宮・高松宮両妃殿下が両団地を視察. 日. 本. 住. 宅 ... シ. ヨンを含んでいます。 加納久朗. 親愛なる加納様(注:加納和訳). 貴. 邸. に. 於. け. る. 住. 宅. 建. 設. に. 関. 係. の. あ. る. 人. 々.
資料館だより - 港区立図書館
https://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/letter/shiryokandayori-076.pdf
2015/10/28 - ... し、また戦後に平和の尊さ. を伝え続けながら復興に奔走した人々の思いを .... 港区内で戦後一番早くに供給された公営住宅. は、昭和21年5月の都営住宅 ... 東京都へ払下げられた高輪一丁目の高松宮邸敷. 地の一部があてられました。
団地書紀 - 団地百景
danchi100k.com/shoki/page-2.html
ここまで日本住宅公団の設立まで振り返ってきましたが、住宅公団の供給住宅 が初めての団地というわけではなく、公団設立以前にもすでに団地と呼んでいい集合住宅が存在しています。 ... 戦後復興院総裁の阿部美樹志氏はこれについて
大株主「日銀」、17年末に日経平均4分の1で筆頭-ETF増功罪 - Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-08-14/OBMQHN6KLVRU01
2016/08/15 - ブルームバーグの集計によると、8月初旬時点で日経平均株価を構成する225銘柄のうち、75%で日銀が大株主上位10位以内に入っており、楽器・音響の ヤマハに至っては既に事実上の筆頭株主状態にある。日銀が今回、ETF購入枠を従来 .
Emperor Hirohito > Sir Max Hastings > WW2History.com
ww2history.com › experts › Emperor_Hi...
But because Hirohito was worshipped as a god, and possessed this extraordinary popular respect, it is probably true that if he had been a stronger personality, and if he possessed more personal courage, that he might have been able to keep Japan out of the war and he certainly might have been able to get Japan out of the war and surrender sooner. But it was only in August 1945 at the last extremity that Hirohito mustered the personal strength to insist that the war must be ended, and for that he deserves some credit.
if についての考察は皇室制度が終了しない限り、最大の御法度
ただし、大正天皇の諸事情で、昭和天皇のお立場はごく初期から想像を絶する複雑な環境であったことでありましょう
が、もし、真に強く勇敢であられたら
現実は、世界の英知を結集し莫大な投資をした力学があり、DNAに変異を及ぼす新たな創造主の宣言を新型の兵器で代弁する人間の欲求をコントロールできなかった、のかもしれない
8月15日に発揮できた超強力なパワーが、それ以前にどうして行使することができなかったか、公教育で徹底的に考える場を設けることを避ける理由は、はっきりいって、どこにも無い
責めるとかじゃない、そんなつもりは一切無い
ただ、折ったり祈ったりではないことでも大切なことはある
天皇を持ち出された途端、無意識のうちに判断にバイアスをかけていく習性は、自覚しない限りコントロールできない社会に、日本人は暮らしている
3/4 終戦と「昭和天皇退位工作」 [社会ニュース] All About
https://allabout.co.jp › ...
Aug 12, 2005 - 終戦前後、昭和天皇を退位させようとする動きがあったことは知られてはいても、その詳細を知っている人は少ないで ... しかし、三笠宮の兄で、昭和天皇の弟、高松宮の動きが影響していないとは、いえないでしょう。
NHKアーカイブ 「秘録・高松宮日記の昭和史 H8/6/23放送 : 日々の覚書
nekotamago.exblog.jp › ...
Jan 11, 2005 - 同年6月22日高松宮は御所に上り、サイパンを死守するか戦争を終結するかと提言するも、昭和天皇 は内閣 ... 一年前には高松宮はご退位は歴史にもたびたびあることでお上がそのお気持ちならすぐ出来ると思うと言っ ...
昭和天皇の弟・高松宮宣仁親王が友達を作らなかった理由とは NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com › archi...
May 23, 2013 - 時代が移り変わる中でも、「天皇家の兄弟たち」はそれぞれの務めを果たしてきた。その歴史を小田部雄次・静岡福祉大学教授(日本近現代史)が紐解く。ここでは昭和天皇の弟・秩父宮と高松宮の人柄について ...
Declassified British document depicts Emperor Hirohito as being wary ...
www.japantimes.co.jp/.../declassified-british-document-depicts-emp... -
Declassified British document depicts Emperor Hirohito as being wary of WWII military aggression
KYODO
JUL 20, 2017
LONDON – Emperor Hirohito, who is posthumously known as Emperor Showa, was uneasy with Japan’s drift to war in the 1930s and 1940s but was unable to alter the course of events, according to a declassified British government assessment upon the Emperor’s death in January 1989.
Debate has often raged over the extent to which Emperor Showa was culpable for Japan’s wartime past, with some critics claiming he was complicit in the atrocities.
Writing a few weeks after the Emperor’s death, John Whitehead, Britain’s ambassador to Japan, stated, “A man of stronger personality than Hirohito might have tried more strenuously to check the growing influence of the military in Japanese politics and the drift of Japan toward war with the Western powers.
“The contemporary diary evidence suggests that Hirohito was uncomfortable with the direction of Japanese policy.
“The consensus of those who have studied the documents of the period is that Hirohito was consistent in attempting to use his personal influence to induce caution and to moderate and even obstruct the growing impetus toward war.”
But Whitehead wrote that ultimately the Emperor was “powerless” and any comparisons with Hitler are “ridiculously wide of the mark.”
Whitehead’s dispatch to the then-Foreign Secretary Geoffrey Howe was declassified on Thursday at the National Archives in London.
The Emperor was described in the letter as “ill-suited” by personality and temperament for the role of emperor.
The ambassador argues Emperor Showa did try and influence the military in an indirect way, and says one of his biggest achievements was to secure Japan’s surrender in 1945, as well as suppressing a coup in 1936.
However, Whitehead wrote there was a real possibility that if the Emperor was too insistent in his views he could have been completely isolated or replaced with a more pliant member of the royal family.
Whitehead explains that although the Emperor was considered “sacred” and all-powerful in Japan’s prewar Constitution, his power was limited by ministers and the military.
After World War II, the Emperor’s formal powers were vastly reduced and the ambassador believes the “humility” he showed was fundamental to the Japanese accepting the new constitutional framework and Allied Occupation.
He paid tribute to Emperor Showa for Japan’s international rehabilitation with his tour of European capitals in 1971.
Whitehead noted that Japanese — particularly the young — showed increased indifference toward the Emperor in the 1980s. He put this down to the Emperor’s age and the fact that he no longer played such a central role in the Constitution.
Hirohito 'uncomfortable' with war but powerless to stop
July 20, 2017 (Mainichi Japan)
Emperor Hirohito (Mainichi)
LONDON (Kyodo) -- Emperor Hirohito was uneasy with Japan's drift to war in the 1930s and 1940s but was too weak to alter the course of events, according to a declassified British government assessment of the Japanese monarch upon his death in January 1989.
Debate has often raged over the extent to which Emperor Hirohito was culpable for Japan's wartime past with some critics claiming he was complicit in the atrocities.
Writing a few weeks after the monarch's death, John Whitehead, Britain's ambassador to Japan, stated, "A man of stronger personality than Hirohito might have tried more strenuously to check the growing influence of the military in Japanese politics and the drift of Japan toward war with the western powers."
"The contemporary diary evidence suggests that Hirohito was uncomfortable with the direction of Japanese policy."
"The consensus of those who have studied the documents of the period is that Hirohito was consistent in attempting to use his personal influence to induce caution and to moderate and even obstruct the growing impetus toward war."
But Whitehead wrote that ultimately Hirohito was "powerless" and any comparisons with Hitler are "ridiculously wide of the mark."
Whitehead's dispatch to the then Foreign Secretary Geoffrey Howe was declassified on Thursday at the National Archives in London.
Hirohito was described in the letter as "ill-suited" by personality and temperament for the role of emperor.
The ambassador argues Hirohito did try and influence the military in an indirect way and says one of his biggest achievements was to secure Japan's surrender in 1945, as well as suppressing a coup in 1936.
However, he wrote there was a real possibility that if the Emperor was too insistent in his views he could have been completely isolated or replaced with a more pliant member of the royal family.
Whitehead explains that although the emperor was considered "sacred" and all-powerful in Japan's prewar constitution, his power was limited by ministers and the military.
After World War II, the emperor's formal powers were vastly reduced and the ambassador believes the "humility" shown by Hirohito was fundamental to the Japanese accepting the new constitutional framework and Allied occupation.
He paid tribute to Hirohito for Japan's international rehabilitation with his tour of European capitals in 1971.
Whitehead noted more indifference -- particularly among the young -- toward the emperor in the 1980s which he put down to his age and the fact that he no longer played such a central role in Japan's Constitution.
That said, he noted the "strength of emotion" displayed by the Japanese during the emperor's terminal illness. Despite this, he adds there is no interest in returning to a prewar position where the emperor is predominant.
mainichi.jp/english/articles/20170720/p2g/00m/0dm/061000c
Evidence of the Showa Emperor's deep regret | The Japan Times
www.japantimes.co.jp/.../evidence-of-the-showa-emperors-deep-reg...
Evidence of the Showa Emperor’s deep regret
BY HIROAKI SATO
OCT 29, 2012
NEW YORK – Checking the galley of the endnotes to “Persona,” my biography of Yukio Mishima with Naoki Inose, I decided to augment a note on Japan’s monarchical system. The tenno institution had a singular meaning for Mishima, and I set aside substantial space in the book for the subject.
The information I added was simple. It is that in the years on the heels of Japan’s defeat in World War II, the Showa Emperor tried to express “profound regrets” for the calamity brought on during his reign. Full information on this came to light fully 14 years after his death.
Kyoko Kato, having published a biography of Michiji Tajima, was returning all the documents she had borrowed from the Tajima family, when she stumbled on an envelope she hadn’t opened. Opening it, she saw two sheets of paper in which Tajima had written the Emperor’s “apology.” It was to be issued as an Imperial rescript but never was.
Tajima at the time was director of the Imperial Household Office (Agency soon afterward). A banking professional for a number of years, he later joined a small startup as auditor, then became its chairman. The company soon morphed into Sony Corporation.
The discovery prompted Kato to write a detailed account of what might have happened. She then published it in the July 2003 issue of the monthly Bungei Shunju.
After the Showa Emperor’s proclamation accepting Japan’s defeat, on Aug. 15, 1945, calls rose for prosecuting him for “war responsibilities.” That was implicit in the Potsdam Declaration of July 26, 1945. The joint communique, threatening Japan with an “inevitable and complete destruction of the Japanese armed forces and just as inevitably the utter devastation of the Japanese homeland,” had also promised: “stern justice shall be meted out to all war criminals.”
In the United States, Capt. Robert Lee Dennison specified the navy’s terms at the House Subcommittee for the Far East and the Pacific. The U.S. should prosecute “Hirohito, Emperor of Japan,” if he abdicated, or if the Japanese people forced him to do the same, or if his prosecution did not interfere with the goal of achieving Occupation objectives.
In Japan, sentiment against the Emperor ran equally high. On top of the calamitous defeat, the press, now freed from severe censorship, flooded the country with daily tides of recriminatory exposes on military, political and financial leaders, even as it headlined, at the Occupation’s behest, Japanese atrocities during the war.
Many called for prosecuting the Emperor or else abolishing the tenno institution altogether.
The U.S. Occupation in the end neither forced the Emperor to abdicate nor put him on trial, deciding that either action would indeed interfere with the aim of achieving its policies.
But what did the Emperor himself feel about the war and his part in it? His silence and seeming non-action puzzled many.
Hajime Tanabe, for example, was blunt. “It would be at least morally natural for the Emperor, who represents our nation and rules us people, to take responsibility for the war vis-a-vis foreign countries,” the eminent philosopher wrote, in the March 1946 issue of Tembo. “Albeit with trepidation, I deplore the Emperor’s attitude on this point.”
Tanabe, who had chosen to live a hermit’s life even before the war ended, knew that the Showa Emperor was surrounded by many a councilor and aide, and that it was not the Emperor’s role to speak his mind directly to the people. The surrender broadcast was one of a kind. That’s why he added, “I cannot help but lament his misfortune of having no worthy person among his close aides.”
Still, in the aftermath of the disastrous war waged in his name, the Emperor should act more forthrightly, Tanabe clearly thought.
As Kyoko Kato clarified — if not revealed — nearly six decades later, the Emperor did give a good deal of thought on the matter, at times highly agitated. He wanted to abdicate, he told his grand chamberlain, Tanakobu Mitani. The former diplomat’s advice: Choose the decision that is more painful to you, the one you dislike more.
That was on Dec. 23, 1948, when six former military officers and one civilian were executed as a result of the judgments of the International Military Tribunal for the Far East.
In this regard, Shigeru Nambara, president of the University of Tokyo, who must have known what was going on in the Imperial Household, may well have been speaking the Emperor’s mind when he said, during a ceremony for the Emperor’s birthday, on April 29, 1946: “I respectfully surmise that it is His Majesty who feels most deeply a moral, spiritual responsibility for his ancestors, and for his people, as regards his country’s complete defeat that plunged his people into utter misery.”
Michiji Tajima first believed that the Emperor should step down. But as he served him closely and came to know him, he changed his mind and started preparing a statement to reflect the Emperor’s thinking.
In fact, it was known that seven of the Emperor’s top aides each prepared a separate statement and that they discussed them the day before the Dec. 23, 1948, execution of the top-ranking “war criminals.” But they did not agree on the overall acceptability of any of them, for either domestic or foreign reasons, and Tajima’s, along with the others, disappeared.
How would Mishima have reacted had Tajima’s “composition” carefully constructed with ancient Chinese vocabulary been issued as an Imperial rescript? It expressed the Emperor’s “profound regrets under heaven” for having allowed “unprecedented calamities” to occur because of his “lack of virtue.”
This is a question worth contemplating, if only because of Mishima’s “nationalistic” or “right-wing” reputation.
Yes, he argued, in “Voices of the Heroic Souls,” that the Showa Emperor should have been a “deity” (kami) at least twice in his life, once for those “young officers” of the 2.26 Incident and once for the kamikaze pilots. But that incantatory tract also hinted at his notion of “the tenno as a cultural concept” as something not quite nationalistic.
Mishima, who as a young man decided that the tenno institution was the last bulwark of “Oriental mysticism,” argued, before his death, for completely separating the tenno from governance, limiting his role to performing rituals. In that respect, Mishima’s idea of the tenno institution was folkloric.
Mishima most likely attended the Emperor’s birthday ceremony in 1946 at his university and agreed with President Shigeru Nanbara that the Showa Emperor must feel a grave moral responsibility for what had happened.
THE REDEMPTION OF HIROHITO
http://archive.spectator.co.uk/article/1st-october-1988/28/the-redemption-of-hirohito
ja.m.wikipedia.org/wiki/昭和天皇
en.m.wikipedia.org/wiki/Hirohito#Accountability_for_Japanese_war_crimes
極東軍事裁判の経過はさておき、日本人は何を根拠にどのようにとらえてきたか、時代の流れのなかでの受け止め方の変化など、いくらでも日本語で詳述できるだろうが避けている国語。
大陸への侵攻も米英との開戦も反対であったとされているのに、その信用を失墜させようとするような試みが繰り返された背景に踏み込めば、宮家の内側の暗闘が透けてきて非常によろしくないという忖度によって、奥歯になにか赤いものでも挟まったような曖昧さで、昭和天皇のご苦悩を宙ぶらりんにしておくのは、戦争という悲劇の「整理の手続き」としてはいささか野蛮で非常に乱暴だ。
神様ではナイのに神様っぽく使われ、神様じゃナイと言えば人間くささに関心が注がれる。
ジェットコースター風の見立てはどうでもいいのから、「らしく振る舞う」帝王学を修めた天皇が、敗戦を認め戦争状態を終結させようと格闘した全容をだれにでもよくわかるように開示してほしい。
ドラマや小説やドキュメンタリーではなく、国語できちんと説明していただきたいし、たくさんの疑問にも答えていただきたいし、新しく発掘された記録も検証を添えて集積していただきたい。
予算をあてて、本来あるべきかたちで、未曾有の悲劇の足跡を歴史の検証に耐えるように整えていただきたい。
第67師 上海 名古屋
鎌田銓一 マッカーサー 名古屋
https://www.theguardian.com › ... › Japan
Japan: Hirohito warned attack on Pearl Harbor would be 'self-destructive' | World news | The Guardian
Sep 10, 2014 - Official 12000-page biography reveals emperor's thinking but fails to settle debate over his role in decisions leading to Hiroshima.
https://www.japantimes.co.jp › national
Declassified British document depicts Emperor Hirohito as being wary of WWII military aggression | The ...
Jul 20, 2017 - LONDON – Emperor Hirohito, who is posthumously known as Emperor Showa, was uneasy with Japan's drift to war in the 1930s and 1940s but was unable to alter the course of events, according to a ...
news.abs-cbn.com › Opinions
www.nytimes.com › 1990/11/15 › world
In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor - NYTimes.com
Nov 15, 1990 - In the interviews, Emperor Hirohito described his own powers as weak, constrained by the Meiji Constitution that then governed Japan just as his ancestors were constrained by powerful shoguns.
https://books.google.co.jp › books
The Rhetoric of Emperor Hirohito: Continuity and Rupture in ...
Takeshi Suzuki - 2017 - HISTORY
... of the Tokugawa period.23 In my opinion, however, there lies a serious weakness in the previous Japanese ... tradition in Japan is “the psychological domination the Emperor has exerted over Japanese traditional life ...
https://books.google.co.jp › books
The Romance of American Psychology: Political Culture in the Age ...
Ellen Herman - 1996 - HISTORY
... of data used by PWD, pointed to the same soft spots in morale: powerful irrational and weak rational motives, ... they found, was the emotional role of authority, and especially the image of Japanese emperor Hirohito.
www.scmp.com › News › Asia › East Asia
Emperor Hirohito 'too weak' to stop Japan entering second world war, declassified documents show | South China Morning Post
Jul 20, 2017 - Former ambassador explains that although the emperor was considered “sacred” and all-powerful, his power was limited by ministers and the military.
https://books.google.co.jp › books
Group Psychology Of The Japanese - Page 253 - Google Books Result
Iritani - 2013 - SOCIAL SCIENCE
Preface 1 At the closing of the Military Tribunal for the Far East, the American Chief Prosecutor, Joseph Keenan , criticized Hirohito for being too weak to prevent and control the war. 'According to all evidence, the ...
www.theage.com.au › ... › World News
Hirohito planned apology for war, says writer - theage.com.au
Jun 11, 2003 - In the speech, Hirohito says that countless Japanese lost their lives. "When I consider the dead and their families, I cannot repress my mental agony." He talks of the grim state of Japan in the ...
Hirohito - Wikiquote
When I consider the dead and their families, I cannot repress my mental agony. ... I would like to apologise to successive emperors and people by doing my best for reconstruction of the nation and people's happiness.
quotes.yourdictionary.com › ... › Hirohito
Hanging of the Emperor to them would be comparable to the crucifixion of Christ to us
www.nytimes.com › 1979/09/05 › archives
Japan Is Not Invited to Lord Mountbatten's Funeral - The New York Times
Sep 5, 1979 - Japan, war foe of Lord Mountbatten of Burma, is not invited to his funeral, apparently at his express ... The 79‐year‐old Lord Mountbatten, a cousin of Queen Elizabeth II, was killed last week by a ...
articles.sun-sentinel.com › news › 89010...
Hirohito`s Funeral Creates A Dilemma For Some Nations - tribunedigital-sunsentinel - Articles from the Sun Sentinel
Jan 12, 1989 - 24 funeral observances for Emperor Hirohito -- which will delight the Japanese, who had feared what ... Nonetheless, it has been decided that Prince Philip, Queen Elizabeth II`s husband, and Britain`s ...
articles.latimes.com › ... › Funerals
Prince Philip Named to Represent Britain at Hirohito Rites - latimes
Jan 10, 1989 - ... Minister Geoffrey Howe will represent it in Tokyo next month for the state funeral of Emperor Hirohito. ... The selection of Queen Elizabeth II's husband, Prince Philip, to represent the Royal Family was ...
British document says Hirohito 'powerless' to stop move to war:The ...
www.asahi.com/ajw/articles/AJ201707200033.html
2017/07/20 - 7, 1989, death of Emperor Hirohito absolved him of responsibility for taking Japan to war, saying "he was ultimately ... It was written by John Whitehead, ambassador to Japan, and addressed to Geoffrey Howe, the foreign ...
Hirohito "uncomfortable" with war but powerless to stop - Kyodo News
https://english.kyodonews.net/.../758307910564-hirohito-uncomfor... -
2017/07/20 - Writing a few weeks after the monarch's death, John Whitehead, Britain's ambassador to Japan, stated, "A man of ... Whitehead's dispatch to the then Foreign Secretary Geoffrey Howe was declassified on Thursday at the ...
Declassified British document depicts Emperor ... - The Japan Times
https://www.japantimes.co.jp/.../declassified-british-document-depict...
2017/07/20 - Writing a few weeks after the Emperor's death, John Whitehead, Britain's ambassador to Japan, stated, “A man of ... Whitehead's dispatch to the then-Foreign Secretary Geoffrey Howe was declassified on Thursday at the ...
A few months before the end of the Pacific war, Fellers had advised MacArthur:
An absolute and unconditional defeat of Japan is the essential ingredient for a lasting peace in the Orient. Only through complete military disaster and the resulting chaos can the Japanese people be disillusioned from their fanatical indoctrination that they are the superior people, destined to be overlords in Asia. Only stinging defeat and colossal losses will prove to the people that the military machine is not invincible and that their fanatical leadership has taken them the way to disaster . . . There must be no weakness in the peace terms. However, to dethrone or hang the Emperor would cause tremendous and violent reaction from all Japanese . . . Hanging the Emperor would be comparable to the crucifixion of Christ to us. All would fight and die like ants. The position of the militarists would be strengthened immeasurably. An independent Japanese army responsible only to the Emperor is a permanent menace to peace. But the mystic hold the Emperor has on the people . . . properly directed need not be dangerous. The Emperor can be made a force for good and peace provided the military clique [around him] . . . is destroyed.
https://longreads.com/2015/11/11/how-the-emperor-became-human-and-macarthur-became-divine/
pdxscholar.library.pdx.edu › cgiPDF
Emperors in America: Haile Selassie and Hirohito on Tour - PDXScholar - Portland State University
BY RA FINDLAY - 2011 - Cited by 1 - Related articles
Jan 1, 2011 - 1954 and Emperor Hirohito of Japan in 1975, while billed as unofficial by all parties involved ...... down to one full day after the Drake Hotel, which was set to house Haile Selassie's entourage, refused ...
https://books.google.co.jp › books
The Great Tea Rooms of America - Page 29 - Google Books Result
2006 - COOKING
DRAKE. HOTEL. Chicago,. Illinois. DUNBAR TEA ROOM Sandwich, Massachusettes. The familiar strains of ... Tracy Drake, the National Registry landmark has hosted numerous world leaders from Emperor Hirohito of ...
en.m.wikibooks.org/wiki/Japanese_History/The_American_Occupation_of_Japan
ja.wikipedia.org › wiki › 実録
実録 - Wikipedia
実録(じつろく)は、中国の史官が、皇帝一代の事績を記録した書物である。 目次. [非表示]. 1 概要. 1.1 朝鮮の実録; 1.2 日本の実録. 2 脚注 ... 朝鮮の実録に関する最初の記録は、高麗朝の8代顕宗の時代に編纂され始め、9代 ...
ww.toyo-keizai.co.jp › news › post_5289
切手に描かれたソウル 第33回 「国宝第1号の南大門」 郵便学者 内藤 陽介 氏 | トピックス | ニュース ...
Apr 26, 2013 - トピックス>切手に描かれたソウル 第33回 「国宝第1号の南大門」 郵便学者 内藤 陽介 氏 ... 1907 年、皇太子時代の大正天皇の行啓を機に、ソウル市内の街路整備のため、門の両側に続いていた城壁は撤去 ...
天皇陛下万歳で死ぬのも、天皇陛下のために生きるのも、もちろん、どちらもおかしいのは当然ですが、微妙に皮肉る余裕は、いつの時代も同じで、時代劇のようにパターン化していて、そこに正論を見出すのも無理はあるけど、たかが一人の人間のために、死んだり生きたりすることが全員に求められると、それはやっぱりカルト
武蔵高萩駅 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵高萩駅
武蔵高萩駅(むさしたかはぎえき)は、埼玉県日高市大字高萩にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)川越線の駅である。 目次. [非表示]. 1 歴史; 2 駅構造; 3 利用状況; 4 駅周辺. 4.1 さくら口(南口); 4.2 あさひ口(北口). 5 バス路線; 6 隣の駅; 7 脚注; 8 関連項目; 9 外部リンク. 歴史[編集]. かつて、近くに旧日本陸軍の航空士官学校(現在の航空自衛隊入間基地)があり、その卒業式に臨席した昭和天皇が利用した貴賓室や車寄せ、地下防空壕が残っていたが、駅舎改築に伴い、旧駅舎と共に取り壊された。
The Emperors New Clothes – Deus Biorock - Deus Ex Machina
deuscustoms.com/blog/the-emperors-new-clothes-deus-biorock/
Deus ex Machina (god from the machine) roared into Australia's cultural consciousness in 2006, with some neatly customised motorcycles and a quaint notion ...
Remembering Hiroshima: Was it Just? - Google
https://books.google.co.jp/books?isbn=1351904515
Francis X. Winters - 2016 - Political Science
Chapter 3 Deus ex Machina: Hirohito Intervenes to Demand Surrender In the vast literature on the close of the Pacific war, ... It is a strange irony of history that the one clear expression of a Japanese Emperor«s will since ancient times sealed ...
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II
https://books.google.co.jp/books?isbn=0393345246
John W. Dower - 2000 - History
Fellers, who often emerged as the deus ex machina in MacArthur's imperial ... "if the Japanese side could prove to us that the emperor is completely blameless.
History of Contemporary Japan, 1945-1998
https://books.google.co.jp/books?isbn=0815327285
Edward R. Beauchamp - 1998 - History
s Tucked into Japan's Struggle is the notion of a remote emperor rinallv ... of the warl (Tokyo:
Kobunsha. loo^-the emperor is portrayed as a deus ex machina.
History of Contemporary Japan since World War II
https://books.google.co.jp/books?isbn=1136523995
Edward R. Beauchamp - 2013 - Social Science
s Tucked into Japan's Struggle is the notion of a remote emperor rinallv ... of the warl (Tokyo: Kobunsha. loo^-the emperor is portrayed as a deus ex machina.
Hiroshima in History and Memory - Page 83 - Google Books Result
https://books.google.co.jp/books?isbn=0521566827
Michael J. Hogan - 1996 - History
Nor did he perceive how one faction of the moderates, centered on Emperor ... we evaluate wartime and early postwar Japanese history.5 Hisatsune Sakomizu ... end of the war] (Tokyo, 1964) — the emperor is portrayed as a deus ex machina, ...
ロバート・ベーデン=パウエル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・ベーデン=パウエル
初代ギルウェルのベーデン=パウエル男爵ロバート・スティーヴンソン・スミス・ベーデン=パウエル(英語: Robert Stephenson Smyth Baden-Powell, 1st .... 連盟結成。妹のアグネス・ベーデン=パウエルがガールガイド(ガールスカウト)を創設する。 ... に推挙される。 1921年5月17日 ロンドンにおいて、イギリス訪問中の昭和天皇(当時は皇太子)に謁見し、英国ボーイスカウト連盟の最高功労章であるシルバー・ウルフ章を贈呈する。
「昭和天皇大喪の礼」に参列した国及び国際機関の代表
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1989/h01-shiryou-5.htm
[PDF]昭和天皇の崩御に伴う主な儀式・行事一覧(PDF / 177KB)
www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai2/sankou5.pdf
Jan 7, 1989 - 櫬殿行事. 両陛下. 平成元年1月17日. 陵所地鎮祭の儀. 陵所(*2). 大喪儀各儀. 平成元年1月19日. 殯. ひんきゅう. 宮移. い. 御 .... 注)昭和天皇を葬送申し上げる儀式として、国の儀式である「昭和天皇大喪の礼」と皇室の行事であ. る「昭和 ...
昭和天皇の大喪の礼の細目に関する件 - Wikisource
https://ja.wikisource.org/.../昭和天皇の大喪の礼の細目に関する件
Jun 17, 2017 - この著作物は、日本国著作権法10条2項又は13条により著作権の目的とならないため、パブリックドメインの状態にあります。同法10条2項及び13条は、次のいずれかに該当する著作物は著作権の目的とならない旨定めています。 憲法その他 ...
ニュース映像 第231号|ニュース映像|NHK 戦争証言アーカイブス
www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/.../movie.cgi?das...
かしこくも天皇陛下には、秋ようやく深き10月26日、靖国神社に行幸あそばされ、秋の臨時大祭に合祀されました新祭神、2万197柱をはじめ、護国の英魂に御親拝あらせられました。この日、天皇陛下には畏(おそ)れ多くも鹵簿を徐行せしめられ、参列新祭神 ...
天皇皇后両陛下御親拝靖国神社臨時大祭 - NHK オンライン
www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/.../movie.cgi?das...
[1], チャプター1, 天皇皇后両陛下御親拝靖国神社臨時大祭, 02:57. [2], チャプター2, 紀元二千六百年記念大観兵式, 03:25 ... 霊璽(れいじ)を納めた御羽車は、水漬(みづ)く屍(かばね)の奏楽に、12名の神職に奉戴(ほうたい)され、招魂斎庭(しょうこん ... 2日おいて18日、臨時大祭第3日、かしこくも天皇陛下には、親しく御国の英霊に御拝あらせられる御為、午前10時、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて宮城を御出門。御順路、靖国神社に行幸あらせられました。 .... 第2日目の17日、2万余名の若人を甲子園原頭に動員。
宮内庁移管極東国際軍事裁判関係資料について - 国立公文書館 ...
https://www.digital.archives.go.jp › pdf
有なものの実際の例として、「大島駐独大使の壮行会における松岡洋右外相の挨拶」を参考までに紹介しよう。原文は英文であるが、和文に翻訳したものを次に掲げる。 〈法務省移管資料及び東大社研所蔵資料と重複しない検察側 ...
宮内庁は自分のところで保存していた資料を故意に、長期間、劣化を懸念せずに放置しておく場合、どのような基準で忖度して仕分けていたのかしら
昭和天皇独白録の原本 米のオークションへ
11月21日 10時32分
昭和天皇が戦後、戦争に関する出来事を回想した「昭和天皇独白録」について、側近が記録した原本とされる文書が、来月、アメリカ・ニューヨークで開かれるオークションに出品されることになりました。
出品されるのは、戦後まもなく昭和天皇が回想し、元外交官で側近の寺崎英成氏に書き取らせた記録の原本とされる文書です。
オークション会社の発表によりますと、文書は、昭和天皇が陸軍の謀略による昭和3年の張作霖爆殺事件から昭和20年の終戦の際の玉音放送収録に至るまでを語った合わせて173ページ分で、寺崎氏が鉛筆などで記録しています。文書の内容は平成に入ってから出版され、大きな反響を呼んだ「昭和天皇独白録」と同じものだとしています。
寺崎氏は、昭和天皇とGHQ=連合国軍総司令部のマッカーサー最高司令官との会談の通訳を務めたことでも知られ、文書は戦後、アメリカに移った家族の自宅に保管されていたということです。
オークションは来月6日、ニューヨークで行われるということで、オークション会社では「20世紀の世界史を理解するうえで欠かせない歴史的資料を紹介する機会を得られ、大変栄誉なことだ」としており、10万ドル以上(1100万円)を超える価格で落札されるのではないかとしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171121/k10011230501000.html
Bonhams : HIROHITO, EMPEROR SHOWA. 1901-1989. Autograph Manuscript in Japanese, Showa Tenno Dokuhakuroku 昭和天皇独白録 "The Emperor's Monologue," transcribed by ...
https://www.bonhams.com › auctions › lot
Autograph Manuscript in Japanese, Showa Tenno Dokuhakuroku 昭和天皇独白録 "The Emperor's Monologue," transcribed by Terasaki Hidenari, 2 volumes, 173 leaves rectos only, 260 x 175 mm, [March - April ...
Bonhams : BONHAMS TO SELL EMPEROR HIROHITO'S RECOLLECTIONS OF WORLD WAR II
https://www.bonhams.com › press_release
Bonhams Voices of the 20th Century sale, to be held in New York on December 6, will include the only extant copy of Emperor Hirohito's recollections of World War Two. It is estimated at US$100,000-150,000.
Manuscript of Emperor Showa memoirs to be sold at auction
THE ASAHI SHIMBUN
November 21, 2017 at 16:40 JST
▼http://tokumei10.blogspot.jp/2013/08/blog-post_5487.html
The question arises -- if the Emperor possessed the power to stop the war 15 August 1945, before Japan was invaded, why did he permit the war to start in the first place?
Tuesday, November 21, 12:02
Emperor Showa's WW2 monologue to be auctioned
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A transcription of the former Japanese emperor's monologue about wartime days is set to be auctioned in New York in December.
The late Emperor Showa gave his thoughts on key events before and during World War Two in hearings shortly after the war.
The text was transcribed by former diplomat Hidenari Terasaki. He served as the emperor's close aide and interpreter when he met US General Douglas MacArthur, the Supreme Commander of the Allied Powers, after the end of World War Two.
The auction house says the original copy of Terasaki's handwritten transcription reaches 173 pages.
It covers the 1928 assassination of Manchurian warlord Zhang Zuolin to the emperor's August 15th, 1945, radio broadcast announcing Japan's surrender.
The auctioneer says the notes contain the same content that was published in Japan in the 1990s and became a best-seller.
It says the original transcriptions were kept by Terasaki's family members who moved to the United States after the war.
Auction officials say the lot is likely to fetch a price of least 100,000 dollars when it goes under the hammer on December 6th.
They say they are thrilled to have been given the opportunity to sell the only extant copy of a document that is critical for the understanding of 20th century world history.
www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20171121_17/
JAPAN: The USS Sumter disembarks occupation troops at Kii Suido.
The USS Grimes puts the US 2d Marines ashore at Nagasaki.
HQ USAAF 5th Air Force moves to Irumagawa.
Tokyo: Emperor Hirohito gives his first ever interview to a media organisation when he speaks to Hugh Baillie, president of the United Press wire service and Frank Kluckhohn, Pacific bureau chief for the New York Times. The emperor names Hideki Tojo an the man responsible for the attack on Pearl Harbor.
The interview was recorded by officials of the household agency's Board of the Ceremonies.
Analysts said aides to Hirohito clearly wanted the interview to stave off international moves to pursue the question of the emperor's responsibility for Japan's actions during the war.
The document includes responses to questions that were submitted to the emperor beforehand.
One crucial question posed by Kluckhohn centred on the Dec. 7, 1941, attack on Pearl Harbor. The emperor was asked whether he had intended to withhold Japan's declaration of war on the United States until after the attack, which is what Tojo did.
The emperor replied that it had never been his intention for the declaration of war to be issued to American officials hours after Japanese aircraft bombed Pearl Harbor. He said that decision was made by Tojo.
A draft of the interview compiled by former Prime Minister Kijuro Shidehara avoided directly naming any individual for the decision to attack Pearl Harbor. Instead, it said only that "details of war strategy were left up to the highest commanders in the (Imperial Japanese) army and navy."
In the Page One story that runs in todays edition of The New York Times, Kluckhohn wrote that the emperor placed responsibility on Tojo for the attack on Pearl Harbor.
Because the contents of that report differed from the draft put together by Shidehara, researchers had long pondered the accuracy of The New York Times report.
Asahi Herald Tribune (Japan) (26-07-06)
http://www.etherit.co.uk/1945/09/25.htm
昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる
2006年07月26日11時05分
終戦直後の45年9月25日、昭和天皇が米国のニューヨーク・タイムズ記者とUP通信(現UPI)社長に会い、開戦の経緯や戦後の日本が目指す方向などについて回答した 文書の控えが、宮内庁書陵部で見つかった。通告なしにハワイ・真珠湾を攻撃したのは 東条英機元首相の判断だったとする説明が事実と確認されたほか、戦争の反省に立って平和国家の建設を目指す意欲などが記されている。
天皇が報道機関の質問に答えたのは初めてで、国際世論に訴えることで天皇に対する戦争責任追及を回避する意図があったとみられる。
文書は、ニューヨーク・タイムズのフランク・クルックホーン太平洋支局長、UP通信のヒュー・べイリー社長がそれぞれ昭和天皇に面会した経緯を記録した式部職作成の「謁見(えっけん)録」(45年)の中にあった。
事前に提出した質問への回答という形を取っている。
クルックホーン氏への回答文は、これまで明らかになっていた幣原喜重郎元首相が作成した原案から複数の個所で修正されている。
米国で重視されていた真珠湾奇襲攻撃について、「宣戦の詔書は、東条大将が使ったように使う意図はあったのでしょうか」 という質問に、「東条大将が使ったように使われることは意図していなかった」と回答している。
幣原原案では「戦争の作戦上の詳細は陸海軍の最高指揮官に任される」と名指しを避けていた。
ニューヨーク・タイムズは9月25日付の1面トップの見出しで「裕仁、記者会見で東条に(真珠湾)奇襲の責任を転嫁」と報道。
同紙記事を転載した同月29日付の朝日新聞は 「天皇は『宣戦の大詔は東条のごとくにこれを使用することは
その意図ではなかった』と語った」と報じた。
当時、内閣情報局は「天皇陛下は伝統として個人に対する非難をしないはずだ」と記事を批判した。
タイムズ紙は10月2日付紙面で記事は正確だと反論した。
このため、研究者の間では「記事はクルックホーンの捏造(ねつぞう)ではないか」 「連合国軍総司令部(GHQ)の意向で改変されたのではないか」などと論議を呼んでいた。
今回の発見で、記事が回答文通りだと立証された。
http://www.asahi.com/national/update/0725/OSK200607250185.htmlt
占領政策は大成功というゴールに向かって必要な言論統制も花盛りの時代
謁見も独白録も、アリバイづくりではないかと揶揄されても、必要なことはする
求心力としての天皇マジックを放棄して、米国監視下で軍国主義の解体は現実的ではなく、復興への時間を短縮して国民の生活を安定させるための戦略としては、軍政で貧乏のままで苦しんだ国に比べるとマシで、その陰には貿易立国として成長の要となる競争原理と信義の再教育によって、元来の脆弱な国力が招く経済の低迷による人心の不安につけこむ勢力を統制するために、あらゆる手段を講じた卓越したセンスを持った稀有な人物が・・・
日本の戦後は、天皇陛下によってではなく、政治経験がゼロでも、彼のビジネスセンスが、日本とあの国を分けた
天皇陛下のおきもちを大切にすることはたしかになによりも重要なのかもしれないが、せっかく生き延びた日本を無駄にしちゃ、先人の努力も台無し
天皇陛下や皇室のためというのではなくて、生まれて生きてやがて終える時間を、それぞれが意味のあるものとするために
http://trove.nla.gov.au/newspaper/article/50263276
昭和天皇実録と昭和天皇実力と印象操作
Japan's Feet of Clay
Freda Utley
https://archive.org/stream/in.ernet.dli.2015.77419/2015.77419.Japans-Feet-Of-Claly#page/n11/mode/2up
Introductory: Japan's Bluff
Japan is putting up a big bluff to the world. She started the game of world politics and military aggression with the scantiest of resources, but unless her bluff is soon called she may actually achieve the success which could still easily be prevented.
Here is a country which claims to be the Britain of the East whose iron production is half that of Belgium, whose maximum coal production is | and consumption \ of Britain's. A country which has, it is true, a large navy and mercantile marine, but whose supplies of oil have all to be imported and whose supplies of coal are very scanty. A country, again, which believes it can take Britain's former place as the workshop of the world—or at least of Asia and Africa—yet whose industrial organisation, with the exception of certain specific industries such as armaments, shipbuilding and textiles, is at a stage of development still in many respects medieval, or at best corresponding to that of 17th and 18th century England. Here is an Imperialist Power which produces capital goods—iron, steel and machinery—in such small quantities that far from being able to export them she cannot even supply her own needs, much less those of the colonies which her armies are conquering.
大正天皇の朝鮮文化に対する強い耽溺があり、宮内省、枢密院の内部に特有の空気が醸成され、そうした流れの延長に摂政となられ天皇に即位なさったということは、相当のご苦労がおありでしたでしょう
昭和が突然始まったわけではないわけですし
東京新聞:天皇陛下 退位恒久制望む 電話受けた学友証言「お言葉」20日前 ...
www.tokyo-np.co.jp › 社会 › 紙面から › 12月の記事一覧
Dec 1, 2016 - 天皇陛下が八月にビデオメッセージを公表する約二十日前の七月、退位について恒久制度を望む思いを、学友の明石元紹(あかし ... 父である昭和天皇の大正時代の経験を踏まえ、摂政設置によって混乱が生じることへの懸念も示したという。
天皇陛下「譲位で元号を変えたいとの意向」もおありか NEWSポストセブン
www.news-postseven.com/archives/20170110_482006.html
Jan 10, 2017 - 【ご学友の明石元紹さんが天皇陛下のお気持ちを語る】 ... 明石さんは学習院高等科時代、馬術部で陛下とチームメイトだった。 ... その理由は、大正天皇のときに、昭和天皇が摂政になられたときに、それぞれの当事者(大正天皇と昭和天皇) ...
天皇陛下 ヒアリングの結果が不満でご学友まで動員 – これでいいのだ日記 ...
koredeii.com › 皇室・王室
Dec 4, 2016 - ここで、なぜか天皇陛下の昔からのご学友明石元紹氏がテレビに出て発言するのでした。 ... 陛下は「その当時、国の中に二つの意見ができて、大正天皇をお守りしたい人と摂政の昭和天皇をもり立てようとする二派ができ、意見の対立のような ...
陛下 友人に電話で“恒久的な退位制度を”|日テレNEWS24
www.news24.jp/articles/2016/12/01/07347939.html
Dec 1, 2016 - 天皇陛下が「退位」をめぐるお気持ちを公表する前の今年7月、友人で同級生の明石元紹氏に電話をかけ、「退位」の意向を ... 更に「摂政は絶対に嫌だ」と述べ、大正末期、昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたことで周囲の人々がそれぞれの ...
陛下が同級生に電話“恒久的な退位制度を”|日テレNEWS24
www.news24.jp/articles/2016/12/01/07348004.html
Dec 1, 2016 - 天皇陛下の小学校以来の同級生、明石元紹氏が日本テレビの取材に答えて明らかにした。 ... 陛下は大正末期、昭和天皇が大正天皇の摂政を務めたことで周囲の人々がそれぞれの天皇の支持派に二分し、2人とも不快な思いをしたとされる ...
天皇陛下ご譲位 「陛下のご真意を」証言の旧友、理由語る 割れる専門家の ...
www.iza.ne.jp/kiji/life/news/161201/lif16120108490006-n1.html -
Dec 1, 2016 - 天皇陛下が「譲位」に関して恒久的な制度を望まれていることが30日、明らかになった。 ... 同窓生の明石元紹氏(82)は「今のうちに、陛下のご真意を知ってもらいたかった」と今回証言した理由を打ち明けた。 ... 続けて譲位に関し、次世代も含めた恒久的な制度を望んでいるほか、大正天皇の前例を示して摂政に否定的な考えを示 ...
今上天皇の強い思いを支えるネットワークは続く
秋篠宮さま52歳 二重権威の懸念「あり得ない」 皇嗣ご活動「試行錯誤」
産経ニュース-14 hours ago
秋篠宮さまは30日、52歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で秋篠宮妃紀子さまとともに記者会見に臨み、天皇陛下の譲位を可能とする特例法が成立したことを安堵(あんど)する一方、譲位後の陛下と皇太子さま ...
B.Fellers_Hirohitos_Struggle_to_Surrender_Foreign_Service_July_1947.pdf 2.1 MB - Bonner Fellers
PDFwww.bonnerfellers.com › uploads › B.Fe...
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Mariko Terasaki Miller | Obituaries | trib.com
trib.com › lifestyles › announcements
Sep 13, 2016 · Mariko Terasaki Miller (best known to her friends as Mako) was born August 23, 1932. She graduated from East Tennessee State University in 1952, and married Mayne Miller, an attorney, in 1953.
Equality advocate and prominent Casperite Mariko Miller dies at 84 | Casper | trib.com - Casper Star-Tribune
trib.com › news › local › equality-advoc...
Sep 9, 2016 · Mariko "Mako" Miller, pictured in an undated family photo. ... Cole Miller still remembers the first time he watched his mother speak. He sat in a crowd of 1,200 in Japan, eager to hear Mariko Terasaki Miller’s words.
Former Honorary Consul General of Japan in Casper, Wyoming Passed Away (September 7, 2016) : Consulate-General of Japan in Denver ...
www.denver.us.emb-japan.go.jp › itpr_en
Sep 20, 2016 · Ms. Mariko Terasaki Miller, former Honorary Consul General of Japan in Casper, Wyoming, passed away on September 7, 2016. A memorial service was held in Casper on September 17th. Consul ...
A Child of Two Empires in an Age of Nuclear War - Los Angeles Review of Books
https://lareviewofbooks.org › article › a-c...
Aug 6, 2015 · On December 7, 1941, my father, Hidenari Terasaki, was first secretary at the Japanese embassy in Washington, DC. As my mother recounts in her book, he opened an unauthorized back channel to President Roosevelt just a few days before the Pearl Harbor attack.
昭和天皇独白録の原本 落札者は高須クリニック院長 ツイッターに「皇室 ...
西日本新聞-2 hours ago
昭和天皇独白録の原本 落札者は高須クリニック院長 ツイッターに「皇室に渡す」意向. 2017年12月07日 09時53分. 【ニューヨーク共同】競売会社ボナムスは6日、「昭和天皇独白録」の原本とされる文書の落札者は美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長だと明らかにした。高須氏はツイッター上で文書を皇室に渡す意向を示している。
「昭和天皇独白録」落札者は高須クリニック院長高須克弥氏 皇室に提供 ...
産経ニュース-2 hours ago
昭和天皇が太平洋戦争などに関する出来事を戦後に回想した「昭和天皇独白録」について、側近が記録した原本とされる文書が6日、ニューヨークで競売に掛けられ、手数料と合わせ27万5千ドル(約3090万円)で落札された。主催した競売会社ボナムスによると、落札者は愛知県西尾市出身で美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長。高須氏はツイッター上で文書を皇室に提供する意向を示している。ボナムスは「20世紀の日本の歴史を理解する上で鍵となる資料だ」としている。 独白録は、昭和天皇 ...
高須克弥院長「日本の未来に役立つ財産だ。皇室にお返しするぜ」 昭和 ...
産経ニュース-2 hours ago
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長(72)が自身のブログで落札したことを公表。皇室に提供する意向を明らかにした。主催した競売会社も産経新聞の取材に、高須氏が落札したと認めた。 独白録は、昭和天皇が昭和3年の張作霖爆殺事件から、昭和20年のポツダム宣言受諾を経て終戦に至るまでの経緯を語った内容が書かれており、元外交官で側近の寺崎英成氏が鉛筆などで記録した。出品されたのは173ページ分で、寺崎氏の死後、遺族が米国で保管していたという。独白録の内容は平成 ...
昭和天皇「独白録」競売へ=1600万円予想-NY
時事通信-2017/11/20
【ニューヨーク時事】昭和天皇が戦前や戦中の出来事を側近に語った談話をまとめた回想録「昭和天皇独白録」とされる文書が来月6日、ニューヨークで競売商ボナムズのオークションに掛けられる。ボナムズが ... 昭和天皇独白録は、宮内省御用掛だった元外交官の寺崎英成氏が作成し、1990年に文芸春秋で公表された。ボナムズの担当者はプレスリリースで「20世紀の世界史を理解する上で極めて重要な、現存する唯一の文書の記録を競売に掛ける機会を得られて光栄」と述べている。出品されるの ...
Memoir by Japanese WW2 emperor Hirohito sold in New York auction - BBC News - BBC.com
www.bbc.com › world-asia-42248054
9 hours ago · ...The notes handwritten by an aide to the Emperor are thought to have been made at the request of the US after WW2. It is assumed to have been carefully written to absolve the god-like emperor of personal responsibility for the war.
「昭和天皇独白録」原本が2500万円で落札 ニューヨーク競売で
BBCニュース-1 時間前
独白録は、戦後間もない1946年に数人の側近が天皇の言葉を書き取ったもので、「連合国軍総司令部のダグラス・マッカーサー最高司令官がうながしたと思われる」とボナムズは説明している。 競売にかけられた原本は、元外交官で天皇の側近だった寺崎英成氏が手書きで作成。寺崎氏は占領軍とのやり取りで天皇の通訳を務めた。 ボナムズは、2冊にまとめられた原本が天皇が語った内容を完全に記録した唯一のもので、日本の歴史を理解する上での「重要な資料の一つ」と解説した。 昭和天皇は ...
国立国会図書館デジタルコレクション - 敗戦直後の戦争調査会について : 政策を検証する試みとその挫折(資料 ...
dl.ndl.go.jp
永続的識別子: info:ndljp/pid/6019128; タイトル: 敗戦直後の戦争調査会について : 政策を検証する試みとその挫折( 資料); 著者: 冨田圭一郎; 出版者: 国立国会図書館; 出版年月日: 2013-01; 掲載雑誌名: レファレンス. (744 ...
戦争調査会 - Wikipedia
戦争調査会(せんそうちょうさかい)は、1945年(昭和20年)11月に幣原喜重郎内閣により設置された日本の大東亜戦争に関する調査、審議機関である。設置当初は大東亜戦争調査会という名称であったが、連合国軍最高司令官総 ...
コラムNo.3【 終戦後における戦争調査および史実調査 】|公文書に見る終戦 -復員・引揚の記録- ...
https://www.jacar.go.jp › column3
ひとつは内閣の下に置かれた“大東亜戦争調査会”であり、もうひとつは第一復員省および第二復員省の下に置かれた“ ..... 冨田圭一郎「敗戦直後の戦争調査会について―政策を検証する試みとその挫折―」(『レファレンス』平成25 ...
5-2 戦争責任 | 史料にみる日本の近代 - 国立国会図書館
www.ndl.go.jp › ... › a. 終戦と占領
戦争責任の所在を曖昧にしたままで国民に国家再建を呼びかけることの不条理を述べている。また、自身の戦争責任については、「責任を感じないのではない」としつつも、「率直に云ってあれ以上にどうすることもできなかった」
大東亜戦争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因並ニ其責任ノ所在ヲ明カニスルタメ政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問(テキスト) | ...
www.ndl.go.jp › modern › img_t
卑見によれば 大東亜戦争に際して我国が終に世界の四十個国を敵として戦ふの止むなき情況に陥れる根本は満洲事変の善後措置を誤れるに基因す。満洲事変直後の国際環境は其直接の相手が中華民国にして之を支持せるものは主として北米合衆国と蘇連邦、之に伴随して英仏を中心とする国際連盟参加国なりしことは今尚吾等の記憶に新なる所にして「ヂュネーヴ」に於ける外交的布陣は十三対一の票決により世上に明白にせられたり。
[政府の答弁書に関しての感想](テキスト) | 史料にみる日本の近代
www.ndl.go.jp › modern › img_t
終戦直前の疲弊困憊した危機に際して為政者は全く国民に真実を告げず、其時々に然るべき誤間化しを並べて、断末魔へ国民を引摺つて来たのである。九月初旬に戦力消耗の実相が発表された時、最も驚いたのは純真な国民であつた。国民が憤激したのも無理とは言へまい。
第11部「責任」1回目「昭和天皇」 「不問」のつけ、社会に 正面から向き合わず - 戦後70年 - スマホ版 - 47NEWS(よんななニュース ...
www.47news.jp › post_20160216115936
Feb 16, 2016 · 軍人と民間人合わせて310万人が死亡し、アジア諸国にも甚大な被害を与えた先の戦争。戦後、 連合国による東京裁判で、軍や政府の指導者が「戦争犯罪人」として裁かれ、7人が死刑になったが、惨禍の責任 ...
検証・戦争責任:読売新聞
www.yomiuri.co.jp › main › honsho_8_02
責任の不問. ちぐはぐな戦略. まるで修辞学の国策大綱. さらに乏しい資源を陸海軍で奪い合う縄張り主義. と挙げていくと. 典型的. な官僚体質に当てはま. っ. てしまう. それは戦争という非常時に大きな欠陥を露呈した. のこ. 東条は.
戦争責任
www2.rikkyo.ac.jp › web › taki › contents
May 7, 2001 · 連合国軍による戦犯裁判のみで日本国民の手による戦争責任の追及がなかった・連合国側の対日戦争責任がまったく不問のままである→このことが国の内外において第三次世界大戦を誘発しかねない危険な動向の ...
正しい戦争はあるのか?: 戦争倫理学入門
https://books.google.co.jp › books
眞嶋俊造 · 2016 · Philosophy
一方では「証拠に関するもっともあからさまな操作」として「そこから天皇を遮断しようとする検察側の運動」があり、他方では天皇を救うための「「勝者の証拠」操作」121が行われた。このように占領者が天皇の戦争責任を不問に ...
1975 年 10 月 31 日
渡辺理事長:ちょっと質問を変わった面に移しますが、陛下は、長い陛下としてのご在位の中で、いろんなご経験をなさったわけですけれども、その中で一番うれしくお思いになったことは、何でございましょうか。
もちろん今度のアメリカのご訪問もその一つだと存じますが。
天皇陛下:今言われたようにアメリカ訪問はそのひとつでありますが、そのほかにも私と皇后と一緒にヨーロッパを訪問したことであります。しかしなお、終戦後、日本国民が努力して、りっぱに日本の復興ができたということが一番うれしく感じています。
渡辺理事長:それとは逆に、ご在位中に最もつらく、悲しかった思い出というのは、どういうことでございましょうか。
天皇陛下:それは言うまでもなく、第 2 次大戦であると思います。私はこういう悲しむべきことが、今後も起こらないことを祈っております。
渡辺理事長:不幸な戦争のことでございますが、今度のご訪米中に、大統領の晩さん会でのお言葉とか、あるいはアーリントン墓地においでになりましたことで、アメリカとの間で、不幸な戦争の問題というものは、これですっかり消えたと存じます。大変われわれもうれしく思っております。
ところで、今度は日本の国内の方でございますが、不幸な時期に親や子や妻をなくした国民もたくさんございますけれども、その国民が先ほど仰せになりましたとおり、焦土の中から立ち上がって、日本に見事な復興をなし遂げたわけでございますから、陛下がこの際、そういう日本の国民に対して、お言葉がございましたらぜひお聞かせいただきたいと存じます。
天皇陛下:そのことについては、毎年 8 月 15 日に、私は胸がいたむのを覚えるという言葉を常に述べています。今これらの非常に苦しい人たちが、今述べたように、日本の発展に寄与したことはうれしく私は感じております。
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかり
ませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。
昭和天皇実録巻33昭和20年上 1945年3月18日 日曜日
去る十日の東京都内における空襲罹災地のうち、深川・本所・浅草・下谷・本郷・神田の各区を自動車にて御巡視になる。午後九時御出門、呉服橋より永代橋を進まれ、門前仲町を経て府社富岡八幡宮前において下車される。それより御徒歩にて参道を進まれ、九時十二分、本宮焼け跡前に仮設の御野立所に着御される。内務大臣大達茂雄・東京都長官西尾寿造・警視総監坂信弥・防空総本部次長熊谷憲一の奉迎あり。内務大臣は、卓上に設置の罹災地を朱色にて示した東京都白地図を利用し、被害状況等につき説明申し上げる。これに対して、復旧状況、及び被害者に対する処置につき御下問になり、救護措置については今後も万全を期するように仰せになる。また、同所より付近の罹災状況を御眺望になる。
日本陸軍の本土防空に対する考えとその防空作戦の結末 - 防衛研究所
www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/06.pdf
by 柳澤潤
本土防空の実施要領分類を別図のように区分する。これは、『最新世界航空大觀』. および『防空大鑑』を参考にして、筆者の考え(造語)を加えて作成したもの ... Jauneaud)陸軍少佐が航空戦術を指導するため来日した。彼は、国土防空について平時か. ら多大の注意を払って計画するべきであり、そのため国土防空機関を ..... 枝葉末節な燈火管制、家庭防空群の消火動作などが行われているに過ぎず、可燃性建築の. 都市は被害を局限するように、徹底した改造の実施が急務中の急務であると訴えた51。 また 40 年 10 ...
[DOC]訴 状
osakanet.web.fc2.com/osaka-kusyu/syomen1.doc
Jun 1, 2009 - イ 空襲による情報を隠蔽する政府による報道管制. ウ 国民に「軍を信頼せよ、詮索するな」と強要. (4)焼夷弾の威力も過小評価して伝えた・・・・・・・・・・・・46. (5)政府・軍部は、戦争継続のために空襲の脅威を隠した・・・・48. (6)命を投げ出す消火活動を美化. (7)およそ不可能な消火を練習する「防空訓練」・・・・・・・・49. 5 当時の担当者らによる反省・自己批判など ・・・・・・・・・・50. (1)坂信弥(もと警視総監)による反省の弁. (2)防衛庁も批判した戦時体制. (3)防空活動の義務付けが被害を拡大したのは ...
防空法制下の庶民生活7
www.asaho.com/jpn/sansei/122.html
避難の種類は、退去、事前退去、緊急避難の三つ。その実施時期は、東京の場合、内務大臣の指示で、警視総監が決定した(「東京都永年計画」六九条)。 火傷覚悟で飛び込め ところで、現場で消防活動に従事していた人々はリアルな認識をもっていた。たとえば、栗原久作『消防戦法概論』(大日本警防協会発行、1941年)はいう。「消防戦法必勝の要件は、優秀なる相当量の機械器具と之が使用に充分なる水利の重要なるは今更言を俟たざる所なり」と述べ(1頁)、消防車や消防水利の充実、人員の配置などを含む合理 ...
占領と日本宗教 - Page 501
https://books.google.co.jp/books?id..井門富二夫 - 1993 - Snippet view - More editions
それは、明治以降の国家神道がおそらく全面的に変革を要求されるだろうという前提に立っています。具体的には、官国幣社制度の変革、神社に対する国家の供進金制度の禁圧、政府による神職任免制度の廃棄、氏子制度の禁止、こういったことが起こってくるだろうと、情勢を展望しております。そして、それに基づく対応策として、第一が、神宮を初めとする勅祭社、天皇.皇族を祀る神社等は宮内省の所管に移す、たとえ供進金という ような国家補助的なものはなくなるとしても、お祭りにあたって陛下から幣帛を共進され る ...
皇室を徹底的に糾弾して廃絶し一般の国民として自由に生きる道を開くべきだなどというつもりは一切ない。
日本人の民度が戦後70年以上経過しても、天皇カルトを大多数の国民が信頼し敬愛し、この傾向を堂々と賛美する社会も、またひとつの国柄であって、在り方は自由だ。
日本の未来に幸運と調和をもたらすために必要不可欠な絶対的な仕組みかどうかを検討することを非礼とみなすことを異常とまではいえない。
ただ、この「美しすぎる純粋な理想の負の側面」に翻弄され辛酸をなめつくした歴史に、ある種の積極的なボカシを加えて、強烈な尊崇の念だけが強調されていくことに、無理を感じない人とそうでない人とどうでもいい人、いろんな人がいること自体はごく自然なことだ。
議論が許されないわけではないはずだが、敢えて議論を慎重に回避することで、日本人らしい礼節さを汚すことをヨシとせず、まさにこうした行為を「穢れ」として忌まわしく嫌う性分も、国家神道の凄みの効いた遺産であり、太刀打ちできる相手ではない。
古い中国の人心掌握術を体系化した古典に元号の由来を求め、その価値を大切にしていく伝統を愛おしく感じることを否定して、何か得ることもないし失うこともないだろう。
かえって、このままの体制が民度にしっくりくる貴重なシステムかもしれない。
だって、トレーニングを受ける機会が無いのであるから、中身のOSは、美しすぎるニッポン、それもアリ。
むしろ下手に半端なトレーニングを受けて発狂するより、うんとマシだ。
昭和天皇の生涯記録 実録を公開 終戦決意の一方で戦勝祈願 - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com › article
Sep 9, 2014 · 宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公開した。実録には戦時期に天皇が神前で戦勝を祈願した「御告文(おつげぶみ)」の原文が初めて掲載され、終戦直前の1945年7月末から8 ...
昭和天皇の全国のご巡幸でのお召列車を牽引したお召機関車を調査している。国鉄の管理局がまとめた三重県の... | レファレンス協同データベース - ...
crd.ndl.go.jp › servlet › detail.reference
Dec 27, 2012 · また、日本国有鉄道天王寺鉄道管理局編『天王寺鉄道管理局三十年写真史』(天王寺鉄道管理局 1981)p.52~53に「写真でみるあゆみ」として、昭和3年の昭和御大礼お召列車、昭和17年の戦勝祈願伊勢 ...
御召列車の資料発見 昭和17年、天皇の伊勢参拝時
www.kyoto-np.co.jp › dec › omeshitrain
昭和天皇が1942(昭和17)年12月、戦勝祈願で伊勢神宮に参拝した際の「御召(おめし)列車」の運行計画資料が、 このほど滋賀県坂田郡米原町役場で見つかった。戦中の御召列車運行は当時の最高機密。まとまった資料は ...
玉音という言葉のニュアンスは非難の対象になることを拒絶し諫める独特の空気を纏わせるので、戦後70年以上経過しても習慣として便宜的に言い換えるのはどうかと思うが、結果として玉音放送が電波に乗る日が先延ばしにされる間、攻撃目標にした環境に適合した殺傷能力の高い兵器の開発を促進し、兵器の性能を誇示することが支配力の獲得の証明となった、その後に訪れた未来が現代であり、核兵器の拡散に緊張し、北東アジアを含む核戦力をめぐるバランスを調整するために、さらに軍事費がかさむといふ軍事ビジネスの活況に繋がる皮肉。
昭和天皇が果たそうとした責任と困難を、もっときちんと丁寧に、時代の変化にあわせて公開できる記録も丹念に集積し、疑問を誠実に解き、あるべきかたちで価値を生む整理をし続け、その仕事の歩みのひとつひとつを、国内外すべての人が教訓を得る場となるように予算をつけようという常識を持つ国会議員を支える日本人がほとんどいないという致命傷。
○○らしい
○○にちがいない
○○であってほしい
○○なのかもしれない
これではいったいどこから誠実で厳粛な慰霊が芽生えるのか、よくわからない。
折り鶴に込める気持ちのすべては崇高に違いない。
折り鶴の先、折り鶴を越える向こうには、手をつけていない仕事があり、その不作為を許して、極端な左右の意見の応酬をしても、得るものが無い。
世論が割れて国民が分断されることを嫌って、○○であってほしい歴史認識に満足していく。
なぜ、その死が無駄死では無かったのか、一語一語、無惨な死体を想像しながら、答えていくことができるか。
これを弔いと表現するのが国語としての日本語だというなら、習得するには難しい言語で、努力と度胸が要る。
建国記念日審議会 国会議事録 site:go.jp
建国記念の日となる日を定める政令
昭和41年政令第376号
[PDF]State Visits - Emperor Hirohito (1) - Gerald R. Ford Presidential Museum
[PDF]State Visits - Emperor Hirohito (2) - Gerald R. Ford Presidential Museum
[PDF]State Visits - Emperor Hirohito (3) - Gerald R. Ford Presidential Museum
[PDF]State Visits - Emperor Hirohito (4) - Gerald R. Ford Presidential Museum
「天候(天運)常に幸せざりしは非科学的の考え方ながら、伊勢神宮の御援けなかりしが故と思う。神宮は軍の神にあらず平和の神なり。しかるに戦勝祈願をしたり何かしたので御怒りになったのではないか」
4163442103
残念なことに、日本国憲法が制定されても、日本は霊的に生まれ変わることができなかった。
軍部が天皇を利用することで、国民を悪魔的な呪縛で拘束して洗脳することに大成功してしまっていたので、その洗脳を解く過程の暫定的な緊張緩和策であったはずの象徴天皇という理念上の産物を、積極的に解釈して実践することを仕事にしてしまった。
wiki/日本国憲法第14条
日本国憲法の制定過程において、昭和天皇が華族の廃止について、「堂上華族(公家出身の華族)だけは残すことができないか」と指摘したが、かかる提案の十分な考慮がなされなかったと言われている。実際、下記の沿革にあるとおりGHQ草案や憲法改正草案要綱の段階では存命の華族一代の間はその栄爵を認める形になっており、自ら男爵でもあった幣原喜重郎もこの条項に強いこだわりを見せたものの[1]、衆議院で即時廃止に修正し可決(芦田修正のひとつ)、貴族院も衆議院で可決された原案通りでこれを可決した。
「法の下に平等」の意味には法適用平等説、法内容平等説(立法者拘束説)の考え方があり、平等の意味は絶対的平等とする説、相対的平等とする説がある。 また、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」を限定列挙と捕らえる説、例示列挙とする説がある。
最高裁は、この規定を事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨の規定と解している。
伝統を最重要視した身分制度の頂点の象徴であることは否めず、男女平等とは異なる皇室の在り方は独特のしつらえがあり、選挙権や被選挙権は無いが、定義が不明瞭な皇室外交という言葉を社会が認める。
Naval Institute Proceedings - Volume 94, Issues 7-12 - Page 122
books.google.co.jp/books?id=22s7AAAAIAAJ
1968 - Snippet view - More editions
Due principally to the efforts of Captain E. M. Zacharias, U. S. Navy, and Colonel Mashbir, U. S. Army, the two countries moved toward peace in early 1945. The writer must confess that one of the ... It is tragic to contemplate that Emperor Hirohito was so ignorant of world affairs he did not take the initiative, years before, on the advice of his most intelligent professionals, and realize that the war with the United States had to be won within 18 months, or lost. One of the most daring and ...
The World War II Chronicles: The Fall of Japan and Enemy at the Gates
books.google.co.jp/books?isbn=150404617X
William Craig - 2017 - Preview
continued demonstration of individual inferiority, appearances to the contrary notwithstanding, is the Japanese weakness which must be exploited to the fullest. His first broadcast, on May 8 (the same day that Fujimura first cabled his office about his contact with the OSS), told the Japanese that Germany had surrendered and that it was only a matter of time until Japan was destroyed. Speaking fluently in the enemy's tongue, Zacharias mentioned his relationships with Premier Suzuki, ...
Secret Missions: The Story of an Intelligence Officer
books.google.co.jp/books?isbn=1612517692
Ellis Zacharias - 2014 - Preview - More editions
Now, thanks to the Naval Institute Press and its nonpareil Bluejacket Booksseries,theautobiography by Ellis M. Zacharias, then a captain in the U.S. Navy, is rescuedfromanobscurity it doesn't deserve. Essentially a personal account of nearly forty years of service that begins in 1908 and concludes in1946withthe rank ofrear admiral,the astonishingly detailed memoiroffers far, far more. Readersare not only privy totherare psychological profiles of pre–World War II Japanese political ...
The Fall of Japan: The Final Weeks of World War II in the Pacific
books.google.co.jp/books?isbn=1504021339
William Craig - 2015 - Preview
The Final Weeks of World War II in the Pacific William Craig. of the enemy. Over it he continued to talk to the highest echelons in the Japanese hierarchy. His approach seemed to be working. Through July, Zacharias broadcast a new series of messages. He was joined in the attack by another military man, Colonel Sidney Mashbir, who broadcast a weekly series of commentaries on the war from Manila. Mashbir, too, directed his remarks to the cabinet and old friends from prewar days.
Cohen Brothers: The Big Store
books.google.co.jp/books?isbn=1614237301
Ennis Davis, Sarah Gojekian - 2012 - Preview
November 24, 1921, the Cohens' daughter Rae married the Zachariases' son Percy. When Halle Cohen eventually became the president of the Big Store, Percy Washington Zacharias served as vicepresident. The Zacharias family played a critical role in the outcome of World War II. Serving in both world wars, Percy's younger brother, Ellis Mark Zacharias Sr., was a rear admiral and naval attaché to Japan. By World War II, he had become one of America's foremost intelligence experts ...
"Per Jacobsson" "Emperor Hirohito"
「象徴」の由来,受容および普及をめぐって - J-Stage
https://www.jstage.jst.go.jp › article › _pdf
by 下條芳明 · 2017
日本国憲法の下で象徴天皇制が実施されて,やがて 70 年を迎える。日本国憲. 法第 1 条は,天皇は「日本国の象徴」 および「日本国民統合の象徴」であり,こ. の地位は主権者である「国民の総意」に基づくとして,国民主権に ...
象徴天皇制の形成過程 - 一橋大学大学院社会学研究科・社会学部
www.soc.hit-u.ac.jp › archives › doctor
具体的には平和の象徴は鳩といったようなことである。 そして、この象徴の機能は、「象徴が象徴されるものに存する 意味内容を表現し、具体化する」ことにある。つまり、「象徴」と「象徴されるもの」との間の関係は、「象徴される ...
「象徴」の意味を考える | 日本政策研究センター
www.seisaku-center.net › node
Jun 29, 2006 · 制定以来、四十年を経ても、意味するところが不明である憲法第一条の「象徴」。 ... 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』―この条文 ...
象徴天皇制の形成過程―宮内庁とマスメディアの関係を中心に - 一橋大学大学院社会学研究科 ...
www.soc.hit-u.ac.jp › archives › doctor
そして、特に皇太子は、マスメディアから見られているという意識を持っていたが故に、自ら理想とする「象徴」像を進んで演じ、側近達はその皇太子の姿をマスメディアに宣伝していった。そのために、正田美智子という「スター」的な ...
Title 象徴天皇制の形成過程 : 宮内庁とマスメディアの関係を 中心に Author(s) 瀬畑, 源 Citatio ...
PDFh ttps://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp › bitstream
by 瀬畑源 · 2010
Nov 30, 2010 · そして、特に皇太子は、マスメディアから見られているという意識を持っていた. が故に、自ら理想とする「象徴」像を進んで演じ、側近達はその皇太子の姿をマスメディ. アに宣伝していった。そのために、正田美智子 ...
Title マスメディアの中の帝室 : 戦前期「大衆天皇制」の形成 過程にかんする歴史社会学的考察( - ...
PDF https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp › D...
by 右田裕規 · 2006 · Related articles
知のように同年には、正田美智子と皇太子明仁との婚姻をめぐって、民衆・マスメディア. のあいだに一大ブームが生じて いる2。「大衆天皇制」という概念は、日本中を席捲したこの. 騒動を、松下がリアルタイムに見つめながら構築 ...
A History of International Broadcasting from Japan 80 years of NHK ...
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/chronology/chrono/1945.html
“The script went as follows: 'The Imperial Japanese Government has just announced that it is ready to accept the Potsdam Declaration on the understanding that the Imperial prerogative shall not be prejudiced.' Here is the full text of the announcement….” Ota says the military stopped the broadcast half-way through, and an ...
NHKは何を伝えてきたか 国際放送の80年 国際放送年代史+サービス概要 ...
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/ja/chronology/chrono/1945.html
ポツダム宣言は受諾発表前に国際放送で流された
ここで国際放送はもう一つ、重要な役割を担う。日本政府によるポツダム宣言の受諾が公表される前、8月10日に受諾の決定を放送するのである。これは外務省の発案で、当時の松本俊一外務事務次官が、「敵側将兵に早く報せる要がある」として同盟通信と日本放送協会に命じた。犠牲を少しでも減らしたいという判断だった。.....
「"The Imperial Japanese Government has just announced that it is ready to accept the Potsdam Declaration on the understanding that the Imperial prerogative shall not be prejudiced." Here is the full text of the announcement…」 大田の手記によれば、この放送は途中で軍に止められる。そして翌日には憲兵が捜査に来たという。
An ornate pair of ivory cuff links occupy a place of honor at the US Japan Center at VIPPS. Once the property of Japanese Emperor Hirohito, the cuff ... - Vanderbilt ...
https://news.vanderbilt.edu › articles
They sound like something out of a fairy tale: The Emperors Ivory Cuff Links. Instead, the ornate cuff links kept at U.S.-Japan Center at the Vanderbilt Institute for Public Policy Studies help illuminate a storied chapter of ...
The Rhetoric of Emperor Hirohito: Continuity and Rupture in ...
https://books.google.co.jp › books
Takeshi Suzuki · 2017 · History
Before and during World War II, he was “constructed” as the authority representing kokutai, the “imperial line unbroken for the age eternal,” to justify the introduction of imperialism into East Asian nations based upon ...
Untitled
www.welovecayce.com/.../終戦詔勅の起草者と関与者20120817.p...
Aug 21, 2012 - 草案が. 終戦の数日前、川田嘱託は内閣(首相官邸)に呼仙され、. 内閣書記官長から御前会議に於ける陸下の御言葉を覚書した. ものを示され、急ぎ語書の草案を作ること、陸下は特に「間. 違ひないやうに書けよ」と念をお押しになったといふことを. 聞き、覚書を熟読して、優温なる御思召の全幅を伺ひ知り、. これをこのま\文章に更めれば好い訳であるが、今や祖国は. 出来るまでの真相. ると、私は更に告論の事について問めて見た。翁は「あれは. 内閣嘱託某が下書したものを、書記官長等数人の者が集 ...
Mac Arthur Hirohito and Famine in Postwar Japan CSPAN January 29, 2017 9:05pm-10:01pm EST
why an american quaker tutor for the crown prince? an imperial household's strategy to save emperor hirohito in macarthur's - D-Scholarship@Pitt - University of Pittsburgh
PDF d-scholarship.pitt.edu › Kaoru_Hoshino_...
by K Hoshino · 2010 · Related articles
Apr 2, 2010 · State Department, such as Hugh Borton, George Blakeslee, and Cabot Coville. Their main point was that the emperor as well as the imperial institution could be used as a tool to rebuild Japan.
天皇陛下お誕生日に際し(平成25年) - 宮内庁
www.kunaicho.go.jp › ... › 天皇皇后両陛下の記者会見など
Dec 18, 2013 - 前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。 戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,
>また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います
en.wikipedia.org/wiki/Bonner_Fellers#cite_note-23
高須院長、昭和天皇独白録届ける - ロイター
https://jp.reuters.com/article/idJP2018021901002290
5 days ago - 昭和天皇が太平洋戦争前や戦中の出来事を回想した「昭和天皇独白録」を、米ニューヨークの競売で落札した美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が19日、宮内庁に原本を届けたことを明らかにした。 高須氏の秘書によると、落札後に宮内庁への寄贈を表明していた高須氏本人が同日、独白録を宮内庁の担当者に手渡した。宮内庁側は「1カ月ほど預かり、(寄贈を受けるかどうかなどの)対応を決めたい」と応じたという。 独白録は、昭和天皇が1946年春、日本の関東軍の謀略だった張作霖爆殺 ...
昭和天皇独白録:宮内庁に届ける 高須クリニック院長 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180220/ddm/012/040/165000c -
5 days ago - 昭和天皇が太平洋戦争前や戦中の出来事を回想した「昭和天皇独白録」を、米ニューヨークの競売で落札した美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長が19日、宮内庁に原本を届けたことを明らかにした。宮内庁側は「1カ月ほど預かり、(寄贈を受けるかどうかなどの)対応を決めたい」と応じたという。
高須院長、3000万円落札の「昭和天皇独白録」を宮内庁で開封 : スポーツ ...
www.hochi.co.jp/entertainment/20180219-OHT1T50133.html
5 days ago - 美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長(73)が、昨年12月に米国オークションで約3000万円で落札した「昭和天皇独白録」を19日、宮内庁書陵部で開封している様子を自身のツイッターで報告した。 「昭和天皇独白録」は、【芸能】
「昭和天皇独白録」高須克弥院長が宮内庁に届ける - zakzak
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/.../soc1802200016-n1.html -
4 days ago - 昭和天皇が先の大戦前や戦中の出来事を回想した「昭和天皇独白録」を、米ニューヨークの競売で落札した美容外科、高須クリニックの高須克弥院長が19日、宮内庁に原本を届…
Hitler's parade Mercedes-Benz set for US auction
Deutsche Welle-Dec 23, 2017
Hirohito wartime memoir sells for $275,000 07.12.2017. A memoir by Japan's World War II Emperor Hirohito fetched $275,000 at auction – more than double the expected price. The monologue is thought to have been designed to exonerate Hirohito of blame for the slide into war. Date 23.12.2017; Author ...
Japan's slide into war chronicled in Emperor Hirohito's memoir
Reuters-Dec 5, 2017
Memoirs from Emperor Hirohito, titled in Japanese "Emperor Showa's Monologue" transcribed by Terasaki Hidenari, will be auctioned at Bonhams Auction house in New York, is shown in this September 13, 2017 photo, provided December 5, 2017. Courtesy Bonhams Auctions/Handout via REUTERS.
General MacArthur Speeches and Reports 1908-1964
https://books.google.co.jp/books?isbn=1563115891 -
Ed Imparato, Edward T. Imparato - 2000 - History
The shock of sudden defeat was thus enormously increased, and left the populace doubtful and resentful, not only of their military and political leaders, but of their religions as well. I am a Christian and an Episcopalian, but I believe in all religions. They may differ in form and ritual, but all recognize a divine Creator, a superior power, that transcends all that is mortal. I, therefore, felt that it became my duty as a soldier of God to attempt to restore and revive religion in Japan, to fill this ...
The Living Church - 第 130 巻 - x ページ -
https://books.google.co.jp/books?id=8GXkAAAAMAAJ
1955
The influence of the Christian Church was minute. "I am a Christian and an Episcopalian," said the General, "but I believe in all religions. They may differ in form and ritual, but all recognize a Divine Creator, a superior power, that transcends all that is mortal. I, therefore, felt that it became my duty as a soldier of God to attempt to restore and revive religion in Japan, to fill this moral vacuum. . . . "Should I, with my full military power, arbitrarily decree the adoption of the Christian faith as a ...
Red Flags Over Tokyo | MONEY DOESN'T TALK, IT SWEARS - Tim Shorrock
timshorrock.com › korea › about › red-fl...
In their first meetings with Japanese Christians, they encountered a confused, dispirited community ashamed of its complicity with militarism, bitter at the terrible American firebombing that destroyed 457 churches and killed countless Japanese civilians, and desperate for outside assistance and relief.
裕仁皇太子の宇部訪問と報徳会、一九二六年 - 山口県大学共同リポジトリ - ...
PDFypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp › file › 01.int...
この論文は、一九二六年五月末に行われた裕仁皇太子(のちの昭和天皇)の. 宇部訪問と、宇部で強固な組織を持っ .... 難波作之進は即座に職を辞して自宅を竹の柵で閉ざして蟄居し、難波の兄も勤. 務先を辞職して帰郷し謝罪の意を ...
古い社会の好ましくない因習を諫めるかたちに
サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説 - データベース「世界と日本」 - ...
worldjpn.grips.ac.jp › texts › JPUS
ここに提示された平和条約は、懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久的な制限を課することもなく、 日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且つ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。
日本国との平和条約の説明書 - Wikisource
https://ja.wikisource.org › wiki › 日本国...
2017/10/26 · 提示された平和条約は、懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、わが国民に恒久 的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且つ平等の一員として国際社会へ迎える ...
法の下の平等(平等原則に関する重要問題∼ 1票の格差の問題、非嫡出子相続分等 企業と - ...
PDFwww.shugiin.go.jp › chosa › shukenshi038
平等(44 条)、夫婦の同等と両性の本質的平等(24 条)、教育の機会均等(26. 条)という規定を特別に設けて、平等権ないし平等原則の徹底化を図っている。 もっとも、世襲の天皇制はこの原則の大きな例外である。」(芦部 ...
天皇陛下「退位」の意向 日本報道 - BBCニュース - BBC.com
www.bbc.com › japanese
2016/07/14 · 即位27年になる天皇陛下は、第2次世界大戦の軍国主義やナショナリズムから皇室を遠く切り離したことなどが、広く称賛されている。その存在は象徴的で、役割は儀礼的なものが中心だが、多くの日本人に深く敬愛されている。
Emperor Akihito has been admired for distancing the monarchy from its association with the aggressive nationalism of World War Two.
http://www.bbc.com/news/world-asia-36784045
>日本に完全な主権と平等と自由とを回復し、日本を自由且つ平等の一員として国際社会へ迎える
平等と自由とを回復=例外を認めた平等と自由とを回復
文藝春秋 - 第 85 巻、第 4 号 - 482 ページ
books.google
2007 - スニペット表示 - 他の版
送金原資として、バチカンは日本の国債を提示した。バチカンが多額の日本国債を所有していることに原田は驚き、法王庁の奥深さを改めて思い知らされる思いだった。ローマの日本銀行支店には、前川春雄が勤務していた。後に日銀総裁となり、退任後「前川 レポート」で、日本経済の国際化を唱えた人物である。前川は、原田と金山の眼前で、 国債にパンチを入れ、現金化した。日銀経由で資金は、無事送金されたのである。戦況の推移が、さらに事態を面倒にしていた。ムッソリーニが失脚して、バドリオ政権が誕生すると、 ...
昭和天皇 - 第 2 巻 - 167 ページ
books.google
福田和也 - 2008 - スニペット表示 - 他の版
送金原资として、バチカンは日本の国債を用意した。バチカンが多額の日本国債を所有していることに原田は驚き、法王庁の奥深さを改めて思い知らされる思いだった。ロ—マの日本銀行支店には前川春雄が勤務していた。後に日銀総裁となり、退任後「前川レポ—ト」で、日本経済の国際化を唱えた人物である。前川は、原田と金山の眼前で、国債にパンチを入れ、現金化した。日銀経由で資金は、無事送金されたのである。戦況の推移が、さらに事態を面倒にしていた。ムッソリ I ニが失脚して、バドリオ政権が誕生すると、 駐 ...
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