聖徳太子はペットを飼っていたそうだ…
2013年08月04日(最終更新 2013年08月04日 10時36分)
聖徳太子はペットを飼っていたそうだ。雪のように白い犬で、名を「雪丸」といった。奈良県王寺町の達磨(だるま)寺に伝承と石像が残っている
▼10人の話を同時に聞いたとされる太子の愛犬らしく、雪丸は人の言葉を話し、経を唱えることもできたという。死後は太子ゆかりの同寺に葬ってほしいと遺言したと伝わる
▼犬は大昔から人と共に生きてきた。猟犬や番犬、救助犬、盲導犬、そしてかけがえのない家族として。だからこそ、人と犬の間にはほかの動物とは違う特別なつながりがあるように思える
▼東京・渋谷の駅前で、飼い主の死後も帰りを待ち続けた「忠犬ハチ公」。南極観測隊の犬ぞりを引き、極寒の地に置き去りにされながらも生き抜いて生還した樺太犬のタロとジロ。人と犬をめぐる胸を打つ話は、いくつも思い浮かぶ
▼山口県周南市で起きた連続殺人放火事件で逮捕された保見光成容疑者も犬を飼っていた。数年前に捨てられていた。飼い主募集の張り紙を見て保見容疑者が引き取り「オリーブ」と名付けた。「亡くなった父親の生まれ変わり」とかわいがっていたという
▼山中で保見容疑者の身柄が確保された時刻の1分後に、オリーブは急死した。ただの偶然か。それとも人知の及ばないつながりがあったのか。保見容疑者は飼い犬をめぐって近隣とトラブルがあったそうだ。もしもオリーブが雪丸のように話せたら、飼い主に何と言い残しただろうか。
=2013/08/04付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syunzyu/article/30964
→伊丹城
、、、(爆wwwwwww
2 件のコメント:
そういえば今日長崎のプールで子供が吸い込まれたニュースやってたレポーターの名前も松永という苗字w
10月10日、長い対陣の末に三人衆の陣である東大寺の奇襲に成功し、久秀は畿内の主導権を得た(東大寺大仏殿の戦い)。この時久秀が大仏殿に火を放ったとも言われるが、ルイス・フロイスの『日本史』によれば、この出火は三好方のキリシタンの放火によるものであると記述されている。
もしかして、出火は三好方じゃなくてマツ永久秀ってほうが正解たってたりしてw
>本願寺攻めから勝手に離脱。
w
元々らつぱ、すつぱの類じゃないんだろうかね~
やまぶしーってことにも繋がるだろうけどw
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