東京→静岡、盗んだ自転車で走破? 窃盗容疑の43歳
東京都国立市で自転車を盗んだとして、清水署は9日、住所不定、無職稲垣春之容疑者(43)を窃盗の疑いで逮捕し、発表した。稲垣容疑者は容疑を認めているといい、国立市から静岡市清水区まで約150キロを自転車で走ってきたとみられるという。
同署によると、稲垣容疑者は5日午後7時半ごろから6日午後1時ごろの間に、国立市のアパートの駐輪場から、自転車1台(1万円相当)を盗んだ疑いがある。9日未明、清水区内の駅のベンチで寝ていた稲垣容疑者に同署員が職務質問。防犯登録の番号を調べたところ、盗難届が出ていたという。
静岡県内では6日、三重県伊賀市で盗んだ自転車で湖西市まで約170キロを走ってきたとして、男が窃盗容疑で逮捕されている。
http://www.asahi.com/national/update/0709/TKY201307090408.html
で、
山内日豊@東光山護国寺逮捕 via kwout
で、写真といえばオリンパス・・・(爆w
6 件のコメント:
ツール・ド・フランスだから自転車、なるほど。
こっちの松が枝町も竹が多いっすねw
連投失礼
そういえば昨日どっかの芸人も自転車朴ってましたな手馴れた手口でw
最近釣具のリールはシマノよりもあのメーカーの方が元気いいような、、、
本業に集中してるのかしら
去年本社工場の大規模な工事やってたし
自転車競技法期成連盟
そもそも復興利権には…
競輪の誕生
太平洋戦争終結後、競輪は公営競技として開催されるようになった。元満州国官吏(後に国策会社の社員となる)の海老澤清(海老澤清文)と、久留米連隊に所属し後にGHQで働くことになる元陸軍大尉の倉茂貞助(本名は倉茂武)の2人が、東京の有楽町に「国際スポーツ株式会社」を設立したことで始まる。
当初は第二次世界大戦敗戦に伴う大陸や南方からの引揚者に、宝くじの利益をもとに住宅建設構想を練っていた海老澤の思惑と、湘南海岸に一大レジャーランドの建設を構想し、世界屈指の観光地とする構想を描いていた倉茂の思惑がそれぞれあったが、海老澤が構想を描いていた「住宅建設宝くじ」を取り入れる形で、「自転車産業の復興とサイクルスポーツの振興」を大義名分として、戦前は日本各地で人気を博していた自転車レースを競馬に倣って賭けの対象にし、その収益金をもとに戦後復興に役立てることはできないものかと考え出されたのが後の競輪であった。もっとも、後の競輪を国際スポーツ株式会社の運営で行うのは不可能と分かり、立法として取り上げてもらうべく働きかけた。
2人は、後に日本自転車振興会連合会会長となる、当時は日本社会党所属の代議士だった林大作と出会うことになる。林は戦前、三井物産の社員であったが、財閥解体と貿易国営を主張したものの受け入れられずに1942年(昭和17年)に退社。その後交易営団に移り、1947年(昭和22年)4月25日に行われた総選挙で当選を果たした。前述の通り、三井物産時代に貿易国営を唱えており、国家事業の重要性を考えていた林は2人の提案を気に入り、その話を当時の日本社会党委員長でもあった、片山哲内閣総理大臣に提言したところ、片山も「それは面白い」と乗り気になり、やがて社会党の中央執行委員会も同意して法案作りへと進むことになった。
しかし、この草案に対して、GHQがいったんは許可を下ろしながらも[† 16]、すぐさま白紙撤回する騒ぎとなった。GHQが説いていた地方分権に相反すると思われたからである。それに対して社会党は、GHQの地方分権案に同意。それにより、GHQも草案を認め、自転車競技法として国会審議へと入った。1948年(昭和23年)6月26日に衆議院本会議で可決し、参議院へと法案が送られたが、同年7月1日、自転車競技法は参議院でも可決し成立。同年8月1日より施行されることになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B6%E8%BC%AA#.E7.AB.B6.E8.BC.AA.E3.81.AE.E8.AA.95.E7.94.9F
グロ画像感もあり。
そこまでしてやるものなのか感。鉄剤注射を要する女子マラソンとかも。
運動系競技は健康を害さぬレベルを越えてるのが増えすぎ…というべきなのか、あるいは反GOD派スポーツがおかしいだけとみるべきか(ゴルフやクリケットは…表に出にくいだけ?)
CNN.co.jp : ツール・ド・フランス、選手がレース後の「脚」画像を公開
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35104491.html
2017.07.20 Thu posted at 11:23 JST
ツール・ド・フランス参加選手が厳しいレースを走り終えた後の両脚の画像を投稿
(CNN) 世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」の出場選手が20日までに、レース後の自身の脚を撮った画像をソーシャルメディアに投稿した。日に焼けた皮膚や一面に浮き上がった血管などが競技の過酷さを強く印象付けるとして大きな反響を呼んでいる。
画像を投稿したのはドイツのチーム、ボーラ・ハンスグローエに所属するポーランド人のパヴェル・ポリャンスキー選手。18日に行われたツールの第16ステージの後、自らの両脚を撮影し、インスタグラムに公開した。
太ももからくるぶしにかけて血管がくっきりと浮かび上がり、レース中強い日差しにさらされるひざの部分は茶色く焼けている。自転車界で最も栄誉あるレースに挑む上で、アスリートの肉体が日々どれほどの負担に耐えているかが一目でわかる画像だ。
27歳のポリャンスキー選手は画像に添えて、「16ステージを走り終え、自分の両脚は見たところ少し疲れ気味のようだ」とコメントした。
104回目を数える今年のツール・ド・フランスには198人の選手が参加。23日間にわたり全21ステージを走破する。総走行距離は3540キロ。険しい山岳コースも含まれるが、全日程中休息日は2日しかない。
19日には第17ステージが行われる。ポリャンスキー選手は現在個人総合順位で75位。所属するボーラ・ハンスグローエは22チーム中18位だ。
大会は23日に閉幕する。
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