天皇陛下からの供物の賜りについて(平成15年、平成10年、平成5年)天皇陛下からの供物の賜りについて平成15年12月5日(金)天皇陛下は,この度イラク北部のティクリット近郊において,イラク復興支援会議に向かう途中殉職した外務省職員に対し,下記のとおり賜りました。記御紋菓 1箱あて故 在英国日本国大使館大使 奥 克彦故 在イラク日本国大使館一等書記官 井ノ上 正盛https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okumotsu.html
Shokun - 第 36 巻 - 110 ページbooks.google2004外務省入省後、オックスフォード大学に留学していた奥氏は、同時期オックスフォード大学に留学していた浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)の御用掛にもなり、充実した日々を過ごしていた。
読売新聞オンライン外交官の奥克彦氏しのび、日英のラガーマンがロンドン郊外で対戦…03年にイラクで銃撃死【ロンドン=尾関航也】イラクで2003年に銃撃され死亡した外交官の奥克彦氏(当時45歳)をしのぶアマチュアラグビーの「奥克彦記念杯」が12...4時間前
イラクで銃撃死の奥大使しのび ラグビー追悼試合続ける英男性に秋の叙勲「カツが一緒に喜んでくれたら」2023/11/22 05:30社会阪神ラグビー2002年の早稲田大-オックスフォード大戦後、記念写真に納まる奥克彦さん(右)とレジ・クラークさん(クラークさん提供) 2003年にイラクで奥克彦大使(兵庫県宝塚市出身)が銃撃を受け死亡してから20年となる今月、秋の叙勲受章者の中に奥さんの親友だった英国人男性がいた。奥さんが英国に留学した際に意気投合し、ラグビー仲間でもあったレジ・クラークさん(65)。05年から英国で「奥記念杯」と名付けたラグビーの試合を開催し続けている功績などが評価され、「カツ(奥さんの愛称)が一緒に喜んでくれたらうれしい」と静かに喜びを語った。(小森準平) 奥さんは兵庫県立伊丹高校でラグビー部に所属し、2年時に全国大会に出場した。早稲田大を経て外務省に入り、1981年に英オックスフォード大に留学。同大でもラグビーをプレーし、日本人として初めてレギュラーを勝ち取った。 一方、クラークさんは同大で副将も務めた名ラガーマンで、80年に卒業して神戸製鋼に入社。強豪への成長段階だった同社ラグビー部で活躍した。82年に英国に出張した際、同大時代のチームメートから「ぜひ会ってみてほしい日本人がいる」と紹介され、初めて奥さんに会ったという。 「同い年だし、カツは宝塚出身、僕は神戸に住んでいた。共通項が多くてすぐに仲良くなった」。83年にクラークさんが英国に戻ってからは同じクラブチームでプレーし、奥さんが英国を離れても交流は続いた。「カツはエネルギッシュ、社交的で一緒にいて楽しかった。誕生日も2カ月違いで、双子のように思っていた」と振り返る。 2001年に奥さんが在英国大使館に赴任してからは一緒に仕事をすることもあった。突然の別れは、その2年後。イラクで人道復興支援に携わっていた奥さんが銃撃されたと知り、「どんな経験とも比較できないほど動揺した」と声を落とす。 悲しみが癒えない中、ラグビーを通じて日本と英国の親善などに大きく貢献した奥さんのために、つながりのあった人たちに声をかけて「奥記念杯」を05年に初開催。以降も実行委員長として毎年運営を手がけており、死去20年の節目となる今年も11月25日に開催する。 「カツは19年のラグビー・ワールドカップ日本開催実現にも大きく貢献した。ダイナミックで、私が出会った中で最も素晴らしい人物の一人。彼の人生を祝福するため、これからも奥記念杯を続けたい」。クラークさんは24日に在英国大使館で勲章(旭日双光章)の授与を受け、翌日の奥記念杯に臨むという。 ◇【日本人外交官殺害事件】 2003年11月29日、イラク北部の幹線道路上で日本大使館の車が銃の乱射を受け、在英国大使館の奥克彦大使=当時(45)、参事官から昇進=と在イラク大使館の井ノ上正盛1等書記官=当時(30)、3等書記官から昇進、イラク人運転手の計3人が死亡した。https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202311/0017053454.shtml
天皇陛下、イラクで殺害の外交官2人に御紋菓 天皇陛下は5日、イラクで殺害された奥克彦・在英大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官に、外務省を通じて、それぞれお供えの菓子「御紋菓」を送った。6日に東京都港区の青山葬儀所で行われる両家と外務省による2人の合同葬で供えられる予定。御紋菓は、98年に国連タジキスタン監視団(UNMOT)の活動中に殺害された秋野豊さんに送って以来となる。 皇太子ご夫妻は2人の死を悼み、侍従を通じて外務省の官房長に弔意を表した。皇太子さまが英国のオックスフォード大に留学したころ、奥参事官も同大に留学しており、何度か会ったことがあるという。(12/05 19:43)http://www.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312050313.html
諸君 - 第 36 巻 - 110 ページbooks.google2004 ... 早稲田大学ラグビ一部を二年の夏合宿で退部してから封印してきた何かが、心の中で弾け飛んだのだ。外務省入省後、オックスフォード大学に留学していた奥氏は、同時期オックスフォード大学に留学していた浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)の御用掛にもなり ...
テムズとともに: 英国の二年間 - 211 ページbooks.google.co.jp 浩宮徳仁 · 1993...「日々の生活の中でも……このようなことがあと何回できるか少しずつ考えるようになっていた。日々繰り返すたとえどんな小さなことでも、その一つ一つがひじょうに大切なもののように思えてきた。……(オックスフォードの)どんな小さな通りにも、広場にも、私の二年間の思い出はぎっしりと詰まっているように思われた。再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう」
砂漠の戦争: イラクを駆け抜けた友、奥克彦へbooks.google.com › books岡本行夫 · 2006 · プレビューは利用できません · 他の版2003年4月、内閣総理大臣補佐官に再任した著者は、イラク戦争の戦後復興策をどう進めるべきかの任務を帯びて現地に飛び、奥克彦参事官と再会する。奥参事官の行動力と決断力 ...追悼特別出版 国際人たる日本の若者へのメッセージ 海外をめざすビジネスパーソン、そして若者たちへ。 ...PRESIDENT WOMAN(プレジデントウーマン) 2017年10月号[雑誌]books.googlePRESIDENT WOMAN編集部 · 2017... 奥克彦へ」岡本行夫(文藝春秋):2003年、外交官が紛争に巻き込まれ殉職。上司であった岡本氏の“今までの日本がいかに世界の紛争に関心がなかったか”という怒りが伝わってきます。 “成熟した美術鑑賞者”をめざす人に西洋美術・日本美術の作家や作品の歴史
8 件のコメント:
天皇陛下からの供物の賜りについて(平成15年、平成10年、平成5年)
天皇陛下からの供物の賜りについて
平成15年12月5日(金)
天皇陛下は,この度イラク北部のティクリット近郊において,イラク復興支援会議に向かう途中殉職した外務省職員に対し,下記のとおり賜りました。
記
御紋菓 1箱あて
故 在英国日本国大使館大使 奥 克彦
故 在イラク日本国大使館一等書記官 井ノ上 正盛
https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okumotsu.html
Shokun - 第 36 巻 - 110 ページ
books.google
2004
外務省入省後、オックスフォード大学に留学していた奥氏は、同時期オックスフォード大学に留学していた浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)の御用掛にもなり、充実した日々を過ごしていた。
読売新聞オンライン
外交官の奥克彦氏しのび、日英のラガーマンがロンドン郊外で対戦…03年にイラクで銃撃死
【ロンドン=尾関航也】イラクで2003年に銃撃され死亡した外交官の奥克彦氏(当時45歳)をしのぶアマチュアラグビーの「奥克彦記念杯」が12...
4時間前
イラクで銃撃死の奥大使しのび ラグビー追悼試合続ける英男性に秋の叙勲「カツが一緒に喜んでくれたら」
2023/11/22 05:30
社会
阪神
ラグビー
2002年の早稲田大-オックスフォード大戦後、記念写真に納まる奥克彦さん(右)とレジ・クラークさん(クラークさん提供)
2003年にイラクで奥克彦大使(兵庫県宝塚市出身)が銃撃を受け死亡してから20年となる今月、秋の叙勲受章者の中に奥さんの親友だった英国人男性がいた。奥さんが英国に留学した際に意気投合し、ラグビー仲間でもあったレジ・クラークさん(65)。05年から英国で「奥記念杯」と名付けたラグビーの試合を開催し続けている功績などが評価され、「カツ(奥さんの愛称)が一緒に喜んでくれたらうれしい」と静かに喜びを語った。(小森準平)
奥さんは兵庫県立伊丹高校でラグビー部に所属し、2年時に全国大会に出場した。早稲田大を経て外務省に入り、1981年に英オックスフォード大に留学。同大でもラグビーをプレーし、日本人として初めてレギュラーを勝ち取った。
一方、クラークさんは同大で副将も務めた名ラガーマンで、80年に卒業して神戸製鋼に入社。強豪への成長段階だった同社ラグビー部で活躍した。82年に英国に出張した際、同大時代のチームメートから「ぜひ会ってみてほしい日本人がいる」と紹介され、初めて奥さんに会ったという。
「同い年だし、カツは宝塚出身、僕は神戸に住んでいた。共通項が多くてすぐに仲良くなった」。83年にクラークさんが英国に戻ってからは同じクラブチームでプレーし、奥さんが英国を離れても交流は続いた。「カツはエネルギッシュ、社交的で一緒にいて楽しかった。誕生日も2カ月違いで、双子のように思っていた」と振り返る。
2001年に奥さんが在英国大使館に赴任してからは一緒に仕事をすることもあった。突然の別れは、その2年後。イラクで人道復興支援に携わっていた奥さんが銃撃されたと知り、「どんな経験とも比較できないほど動揺した」と声を落とす。
悲しみが癒えない中、ラグビーを通じて日本と英国の親善などに大きく貢献した奥さんのために、つながりのあった人たちに声をかけて「奥記念杯」を05年に初開催。以降も実行委員長として毎年運営を手がけており、死去20年の節目となる今年も11月25日に開催する。
「カツは19年のラグビー・ワールドカップ日本開催実現にも大きく貢献した。ダイナミックで、私が出会った中で最も素晴らしい人物の一人。彼の人生を祝福するため、これからも奥記念杯を続けたい」。クラークさんは24日に在英国大使館で勲章(旭日双光章)の授与を受け、翌日の奥記念杯に臨むという。
◇
【日本人外交官殺害事件】 2003年11月29日、イラク北部の幹線道路上で日本大使館の車が銃の乱射を受け、在英国大使館の奥克彦大使=当時(45)、参事官から昇進=と在イラク大使館の井ノ上正盛1等書記官=当時(30)、3等書記官から昇進、イラク人運転手の計3人が死亡した。
https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202311/0017053454.shtml
天皇陛下、イラクで殺害の外交官2人に御紋菓
天皇陛下は5日、イラクで殺害された奥克彦・在英大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官に、外務省を通じて、それぞれお供えの菓子「御紋菓」を送った。6日に東京都港区の青山葬儀所で行われる両家と外務省による2人の合同葬で供えられる予定。御紋菓は、98年に国連タジキスタン監視団(UNMOT)の活動中に殺害された秋野豊さんに送って以来となる。
皇太子ご夫妻は2人の死を悼み、侍従を通じて外務省の官房長に弔意を表した。皇太子さまが英国のオックスフォード大に留学したころ、奥参事官も同大に留学しており、何度か会ったことがあるという。
(12/05 19:43)
http://www.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200312050313.html
諸君 - 第 36 巻 - 110 ページ
books.google
2004
... 早稲田大学ラグビ一部を二年の夏合宿で退部してから封印してきた何かが、心の中で弾け飛んだのだ。外務省入省後、オックスフォード大学に留学していた奥氏は、同時期オックスフォード大学に留学していた浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)の御用掛にもなり ...
テムズとともに: 英国の二年間 - 211 ページ
books.google.co.jp
浩宮徳仁 · 1993
...「日々の生活の中でも……このようなことがあと何回できるか少しずつ考えるようになっていた。日々繰り返すたとえどんな小さなことでも、その一つ一つがひじょうに大切なもののように思えてきた。……(オックスフォードの)どんな小さな通りにも、広場にも、私の二年間の思い出はぎっしりと詰まっているように思われた。再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう」
砂漠の戦争: イラクを駆け抜けた友、奥克彦へ
books.google.com › books
岡本行夫 · 2006 · プレビューは利用できません · 他の版
2003年4月、内閣総理大臣補佐官に再任した著者は、イラク戦争の戦後復興策をどう進めるべきかの任務を帯びて現地に飛び、奥克彦参事官と再会する。奥参事官の行動力と決断力 ...
追悼特別出版 国際人たる日本の若者へのメッセージ 海外をめざすビジネスパーソン、そして若者たちへ。 ...
PRESIDENT WOMAN(プレジデントウーマン) 2017年10月号[雑誌]
books.google
PRESIDENT WOMAN編集部 · 2017
... 奥克彦へ」岡本行夫(文藝春秋):2003年、外交官が紛争に巻き込まれ殉職。上司であった岡本氏の“今までの日本がいかに世界の紛争に関心がなかったか”という怒りが伝わってきます。 “成熟した美術鑑賞者”をめざす人に西洋美術・日本美術の作家や作品の歴史
コメントを投稿