2013年6月14日金曜日

皇室典範改正

 内閣官房と宮内庁は13日、同庁の風岡典之長官が、天皇の生前退位や皇位継承の辞退を可能にする皇室典範改正を安倍晋三首相に要請したとする週刊新潮6月20日号の記事について「このような事実は一切なく、この記事はまったく事実無根」と、同誌編集部に対し文書で抗議し、訂正を申し入れた。風岡長官本人も同日の定例記者会見で、「事実無根」と否定した。
記事では、風岡長官が今年2月1日、安倍首相に皇室典範の改正を提案したとしている。将来、皇太子さまが天皇に即位した後、早い段階で退位され、悠仁さまが皇位を継承されるという考えを宮内庁側が示し、そのために秋篠宮さまに皇位辞退の権利を認めるとしている。
また、「すべて天皇、皇后両陛下の思(おぼ)し召(め)し。すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ、納得されている」と宮内庁幹部が解説したとしている。
内閣官房と宮内庁の文書では、こうした内容を全面否定している。同庁によると、事前に同誌から文書による取材があり、こうした事実がないと回答したが、記事は、その回答について触れなかった。同誌編集部は「記事は機密性の高い水面下の動きに言及したもの。内容には自信を持っている」とコメントした。
2013.6.13 19:21
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130613/imp13061319220002-n1.htm



皇室はもう英国王室に逆らえないわけで、そして英国王室はGODに逆らえないわけです。(爆w


天皇陛下を「お出迎え」せず 神奈川・葉山町副議長
2013.6.13 18:00

天皇陛下が13日、神奈川県葉山町の葉山御用邸に静養のため来られた際、同町議会の近藤昇一副議長(63)が「お出迎え」を見送った。葉山町では天皇陛下が御用邸に入られる際、町長、議長、副議長らが御用邸内でお出迎えを行う慣例があるが、「見送ったのは今回がおそらく初めて」(議会関係者)という。

13日は町議会本会議が開かれていたが、天皇陛下のお出迎えを受け、午前11時~午後1時は休憩となっていた。近藤副議長は「本会議を休憩してまでお出迎えを行う必要はない」としている。一方、一部の町議からは「御用邸あっての葉山町で失礼に当たる」と反発の声も上がっている。

近藤副議長は共産党の会派に所属し現在9期目。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130613/kng13061318030004-n1.htm

まあ共産党ですからホントはコレが当然。日本のヘタレ左翼は皇室にウンコ投げなさ杉。(爆w
本来は皇室にウンコ投げまくってこそ左翼なのに、単なる三国人のパシリってのが日本の左翼いわゆる特定日本人。そして尊王攘夷派なんてのも単なる基地外カルト
皇室は形式的に敬い、生暖かく見守ってあげてるぐらいがちょうど良い。(爆w

 天皇陛下は13日、静養のため神奈川県葉山町の葉山御用邸に車で出発された。15日まで滞在される予定。14日には秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さまも合流される。体力低下などのため一部ご公務を控え、皇居・御所で静養する皇后さまは、残られた。

2013.6.13 11:16
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130613/imp13061311180000-n1.htm


、、、(w

5 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

>皇室は形式的に敬い、生暖かく見守ってあげてるぐらいがちょうど良い。(爆w

契約上の国王ですからねw

ミネ さんのコメント...

元号何になさるん??
>ユージン継承
さっさと皇太子を即位させる事が優先させる事が先やん、んなもん後でなんとでもなるぅてことなんでしょうけど、一瞬マジか?なった
ホントひ弱やねぇ皇室って3番手なのに常務というか正に中間管理職。部長及ばず課長以下クラスやわ

三国人の窮鼠対策くらいぱっぱとしたらえーやん
どうして常務で居続ける知恵が働かんのかねぇ
順位は変えられんでも存在価値は幾らでも弄れるもんでしょ

>生暖かく
国家元首挿げ替えは一応ナシでいーわけ?
それならぬるーく構えとくケドw

匿名 さんのコメント...

>皇室はもう英国王室に逆らえないわけで、そして英国王室はGODに逆らえないわけです。
庶民の私たちには良い方向?それともあまり影響ないことなのですか?
特定日本人や基地外カルトはうんざりなのが庶民の本心だと思います。

匿名 さんのコメント...

天皇陛下 象徴の務め果たせるものが天皇位にあるべき
7月13日 20時15分

関係者によりますと、天皇陛下が「生前退位」の意向を示されたのは、今から5年ほど前だということです。以来、天皇陛下は、「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」という考えを一貫して示されてきたということです。
天皇陛下は、昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、今の憲法のもと、初めて「象徴」として即位されました。現代にふさわしい皇室の在り方を求めて新たな社会の要請に応え続けられ、公務の量は昭和天皇の時代と比べ大幅に増えています。
天皇の務めには憲法で定められた国事行為のほかにも公的に関わることがふさわしい象徴的な行為があると考え、式典への出席や被災地のお見舞いなどさまざまな公務に臨まれてきました。前立腺がんや心臓の手術も乗り越え、高齢となっても、天皇の公務は公平に行われることが大切だとして、公務を大きく変えられることはほとんどありませんでした。
一方で、82歳の誕生日を前にした去年暮れの記者会見では、「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に老いや間違いを認め、「少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と述べられました。
関係者の1人は、「口には出されないが、負担感はかなり増しているのではないか。普通のお年寄りのように引退して好きな趣味などをゆっくり楽しまれたいはずのお年なのに、記者会見であのように話されたのが大変お気の毒で申し訳なく感じた」と話しています。
また、別の関係者は、「ご自身が考える象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなるという焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。公務の多さもされど、象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。譲位でしか解決は難しいと思う」と話しています。
歴代天皇の譲位
現在、天皇の「生前退位」の制度はありませんが、皇室の歴史をさかのぼると、昭和天皇までの124代の天皇のうち、半数近くで譲位が行われてきました。飛鳥時代半ばの645年、35代の皇極天皇が孝徳天皇に譲位したのが始まりだとされます。
その後、平安時代になると、譲位は頻繁に見られるようになり、江戸時代にかけて譲位による皇位継承が半数を大きく上回るようになりました。譲位した天皇には、最高の天皇という意味を表す「太上天皇」の尊称が贈られ、歴史の教科書にもたびたび登場する「上皇」という通称で呼ばれました。
しかし、明治時代半ば、大日本帝国憲法とともに定められた旧皇室典範で、譲位が強制されて政治的混乱を招いた時代があったことなどを理由に、皇位の継承は天皇の崩御だけに限られます。これは、戦後まもない昭和22年に制定された現在の皇室典範でも同様で、江戸時代後期の1817年に光格天皇が仁考天皇に譲位したのを最後に、およそ200年間、譲位は行われていません。
皇室典範 天皇退位の規定なし
天皇の位、皇位について、今の憲法では世襲されるとだけ定められ、皇室制度を定めた「皇室典範」にも退位に関する規定はありません。天皇の「生前退位」は認められておらず、天皇が崩御すると、皇位継承順位に従って自動的に次の天皇が即位する仕組みになっています。天皇は、生涯引退できない立場にあります。
こうした制度のもと、天皇が未成年であるか、重い病気などで国事行為にあたれない場合に限って、代役を務める「摂政」を置くことが認められているほか、天皇の一時的な体調不良や外国訪問などの際には、「国事行為の臨時代行」が行われています。
生前退位なら皇太子が不在に
今の皇室では、皇太子さまが天皇陛下に代わって即位されると、皇太子は不在となります。皇室制度を定めた皇室典範で、皇太子は、「天皇の子」であって、皇位継承順位が1位の皇族とされているためです。男のお子さまがいない皇太子さまが即位されると、弟の秋篠宮さまが皇位継承順位1位となりますが、皇太子にはなりません。
皇室の歴史では、天皇の兄弟や孫を皇太子としたケースや皇位継承順位1位の天皇の弟を「皇太弟」と呼んだケースもあります。天皇陛下の退位が認められるようになると、秋篠宮さまをどのように位置づけるのかが、にわかに検討の対象になってきそうです。
生前退位で元号も変わる
仮に、天皇陛下が生前に退位されて皇太子さまが新たな天皇として即位されると、「元号」が「平成」から新たな元号に変わることになります。昭和54年に制定された「元号法」では、「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」とされています。天皇の「生前退位」が認められていない今の制度では、天皇の崩御で皇位が継承された時にだけ元号が変わりますが、天皇の退位によっても元号が変わることになります。
関係者によりますと、天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、仮に、4年後に東京で開催されるオリンピックとパラリンピックの前に退位されると、東京オリンピック・パラリンピックは、皇太子さまを天皇とする新たな時代を迎えた日本で開かれることになります。
海外では相次ぐ退位
海外では、ここ数年、国王などによる「生前退位」の表明が相次いでいます。
3年前の2013年には、1月、日本の皇室とも親交の深いオランダのベアトリックス女王が、王位を皇太子に引き継ぐと発表し、続く2月には、ローマ法王のベネディクト16世が、高齢による体力の低下を理由に、ローマ法王としておよそ600年ぶりとされる「生前退位」を表明して世界の注目を集めました。さらに、この年の7月、同じく皇室と親交の深いベルギーの国王アルベール2世が、高齢などを理由に、皇太子に王位を譲ると表明しました。また、おととしにも、スペインの前国王、フアン・カルロス1世が、皇太子に王位を譲っています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594371000.html

匿名 さんのコメント...

2016年10月16日 朝刊

天皇陛下、6年前に譲位意向 参与会議で「80歳めど」
象徴としての務めについてのお気持ちを表明される天皇陛下=8月、皇居・御所応接室で(宮内庁提供)

 天皇陛下は二〇一〇年七月、八十歳をめどに生前退位したいとの意向を宮内庁参与会議で示されていた。この席で陛下は摂政設置に難色を示し、皇太子さまに皇位を譲ることへの強い思いをにじませていた。現在八十二歳の陛下が生前退位の意向を固めるに至る経緯の一端が、関係者への取材で明らかになった。

◆健康を懸念、摂政設置には難色

 参与は天皇、皇后両陛下の私的相談役。陛下が意向を示した会議は一〇年七月二十二日夜、両陛下の住まいの皇居・御所の一室で開かれた。

 関係者によると、両陛下と、当時の参与で元宮内庁長官の湯浅利夫、元外務次官の栗山尚一(たかかず)(故人)、東京大名誉教授の三谷太一郎の三氏をはじめ、当時の宮内庁長官、侍従長らが出席した。会議は午後七時に始まり、深夜まで続いた。

 冒頭、当時七十六歳だった陛下は、八十歳までは象徴としての務めを果たしたいと思っていると述べた。その上で、天皇が高齢化した場合に身を処す方法として、摂政設置と譲位があると選択肢を示し、自分としては譲位したいと思っていると話したという。

 これに対し、参与からは「摂政の設置で対応されるのが望ましい」などと翻意を促す声が多く出た。天皇の生前退位は皇室典範にも規定はなく、実現するには皇室典範の改正か特別法が必要となる。しかし、陛下は難色を示したという。

 陛下は〇三年に前立腺がんの手術を受け、〇八年には「ホルモン治療の副作用で骨粗しょう症に至る恐れがある」と診断された。〇九年には、式典での「お言葉」の廃止など、陛下の負担軽減策を宮内庁が発表していた。

 会議に出席した三谷氏は「陛下はご自身の健康問題だけでなく、大正天皇と香淳皇后の晩年の健康問題を先例として意識されていたように受け止めた」と語る。

 「陛下は大正天皇の悲運に深く同情されていた。また、今の自分の健康はそれほど問題ではないが、(香淳皇后と)同じような状況が自分にも将来、生じないという保証はないということを懸念されていたのではないかと私は理解した」

 参与会議での議論について、宮内庁幹部は「両陛下による私的な集まりなので記録もなく、宮内庁としては把握していない」としている。生前退位や法整備の在り方などを検討する政府の有識者会議の初会合は十七日に開かれる。

 (編集委員・吉原康和)

 <宮内庁参与会議> 皇室の重要事項について、両陛下から私的に相談を受けて話し合う宮内庁の任意組織。無報酬で定員は設けられていない。戦後、昭和天皇の話し相手として設置され、首相経験者や学者、裁判官、財界人ら有識者が選任された。現在の参与は元最高裁長官や元宮内庁長官ら5人。会議は1、2カ月に1回ほど開かれる。
www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016101602000087.html