2013年4月18日木曜日

ヨシフと26人の日本人

特定日本人のヨシフさんがやりたいのはこういふようなことでしょ。(爆w

スターリン大粛清、新たに日本人人の銃殺判明、犠牲者26人に 欠席裁判 スパイ容疑…格好の標的
2013.4.18 08:02 (1/2ページ)

【モスクワ=遠藤良介】旧ソ連の独裁者、スターリンによる1930年代後半の「大粛清」で、当時のソ連に滞在していた日本人4人が銃殺刑に処せられていたことが、ロシアの人権擁護団体「メモリアル」のとりまとめた資料から新たに判明した。専門家によると、大粛清での犠牲が確認された日本人はこれで26人となった。共産主義に共感してソ連入りした日本人がスパイ容疑をでっち上げられ、虐殺の嵐に巻き込まれた構図が資料から改めて浮かび上がった。

メモリアルはこのほど、スターリンが直接、粛清を裁可した約4万3500人の名簿を各種の公文書や地方の記録を基に作成。この中から日本人10人に関する情報を抽出し、産経新聞に提供した。大粛清の日本人犠牲者について調査している加藤哲郎・一橋大名誉教授によると、これにより日本人4人が銃殺され、1人が収容所内で死亡していたことが新たに確認された。

犠牲者5人が居住していたのは、モスクワに加えて西シベリアのノボシビルスクや極東のアムール州、ハバロフスク、ウラジオストク。加藤氏は「地方に居住し、地方で処刑された人の情報が出てきたことは貴重だ」と話す。

共産体制の分派を苛烈に弾圧したスターリンの粛清は37~38年に頂点を迎える。37年7月、各地の内務人民委員部(NKVD)にはあらゆる「反ソ分子」を粛清するノルマが課され、対象は一気に拡大した。

メモリアルでは、37~38年に銃殺された約70万人のうち9割が「欠席裁判」で判決を下されたと指摘している。今回、銃殺が判明した日本人4人のうち3人は「判決」と同日に刑が執行されていたことが資料で確認された。

加藤氏によれば、当時のソ連には、大使館の把握していた新聞記者や商社員を別にして約100人の日本人がいたとみられている。

(1)野坂参三氏ら日本共産党指導者(2)亡命した国崎定洞・元東大助教授ら知識人(3)北海道や樺太からの政治亡命者(4)極東ウラジオストクなどに入港して住み着いた漁民・船員といった人々だった。知識人や政治亡命者は共産主義を奉じていたほか、漁民・船員や労働者も多かれ少なかれソ連を「労働者の天国」と考えていた可能性が高い。


「日本人は『仮想敵国のスパイ』として格好の標的とされた。ソ連当局は1人を『人民の敵』として捕まえると、拷問によってその友人の名を割り出し、次々と『スパイ』に仕立てていった」

加藤氏はこう語り、「約100人の日本人のうち、全く“無傷”で生還できたのは野坂参三氏くらいであり、残りは銃殺や強制収容所送り、獄中死、国外追放といった道をたどったと考えられる」と指摘する。

日本人の粛清をめぐっては、女優の岡田嘉子さんと樺太から越境し、銃殺された演出家、杉本良吉氏のケースなどがよく知られる。ただ、戦後のシベリア抑留と違って国の調査は行われておらず、現在でも推定50人以上の消息が不明だ。



大粛清での犠牲が新たに判明したのは次の方々。(敬称略)

▽ニシデ・キンサク 1896年生まれ。ハバロフスク居住。商店店長。1938年4月7日銃殺

▽オンドー・モサブロー 1898年生まれ。アムール州ゼヤ居住。理容師。1938年4月7日銃殺(ハバロフスク)

▽トミカワ・ケイゾー 千葉出身。ウラジオストク居住。極東国立大講師。1938年4月7日銃殺

▽前島武夫 1910年生まれ。モスクワ在住。37年11月28日銃殺

▽ダテ・ユーサク 1881年生まれ。長崎出身。ノボシビルスク居住。収容先で1939年11月19日死亡
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130418/erp13041808030000-n2.htm

1 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

>ダテ

字は伊達、ですかね
ウチの地区では聞いたことないけど多分居るんでしょうね独眼流方面も当然w