2010年11月11日木曜日

「住」vs.「菱」DE神戸がSengokuに (補足)

例の件に付いてChottoだけ補足。(w






2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

麻薬追放国土浄化同盟→市川房江→菅直人

匿名 さんのコメント...

市川房枝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%88%BF%E6%9E%9D

意図的に抜かれて永久歯となったようなので、抜けた乳歯を探してみました。

愛知教会での出会い
市川房枝(1893〜1981) 小林橘川(1883〜1961)
聖書を学ぶ少人数の集まりから始まった愛知教会に金子白夢が牧師として着任したのは、明治45年のことでした。
「都市は一大芸術作品である。従ってそこには調和の美が表現されていなければならない」と雑誌『都市創作』に書いた白夢は牧師でありながら哲学者で、彼がいる愛知教会は文化人の集まる場になっていました。
当時、市立第二高等小学校の教師をしていた市川房枝も、その一人です。金子牧師によって洗礼を受けた彼女は、体をこわして職を失い、教会での縁をたよりに『名古屋新聞』主筆の小林橘川を訪ね、初の女性記者として働きはじめます。
房枝の仕事ぶりはまわりも目を見張るほどのものでしたが、「デモクラシーの風に触れるには東京に行くしかない」と、翌大正7年8月に上京。以後、平塚らいてう等と『新婦人協会』を設立するなど、婦人解放運動の道をひた走ることになります。
一方橘川は、戦後市政に転向し、名古屋市長を三期つとめますが、選挙の際には必ず応援演説をする房枝の姿がありました。橘川への感謝の気持ち、そして愛知教会で過ごした日々が、遠い記憶として彼女の中に残っていたにちがいありません。
http://web.archive.org/web/20041011092104/http://www.city.nagoya.jp/ku/02ku/bunka2004/bunka2004-02/bunka2004-02.html

秘書の紀平悌子さんは、聖心女子大学の一回生で、佐々淳行さんの姉上

市川房江さんの兄上は、1921年当時、読売新聞の外報部記者
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20090423ok06.htm