2010年3月27日土曜日

小沢一郎が部落差別

コレは本来、侵略的外来種マイノリティーより優遇されるべき在来種マイノリティーに対する酷い差別ですね。(w



野中さんは小沢一郎を部落差別という人権侵害で訴えるべきです。(w

まあ野中さんには散々ウンコ投げつけてる当ブログですが、政治家としての本質は、

野中>>>>>>>>>>>>>>>小沢>>>>>>>>鳩山

だと思ってますので、そこんとこ宜しく。(w


12 件のコメント:

妄語録 さんのコメント...

>コレは本来、侵略的外来種マイノリティーより優遇されるべき在来種マイノリティーに対する酷い差別ですね。(w
なかなか良い指摘だな・・・・・007。
これを酒に喩えると・・・・
日本人だと思い込んでいるのが年代物反日トンスル。
日本人の振りをしているのがボジョレーヌーボー反日トンスル。

ABC さんのコメント...

��政治家としての資質、本質
野中>>>>>小澤>>>>>>鳩山、谷垣
かと。
玉がないですな。

これは さんのコメント...

もはや宗教戦争!
伝統 被差別階級教 総代NONAKA vs 新興 拝金権力教 教祖OZAWA
ふぁいっ!(爆w

まるちゃん さんのコメント...

谷垣は意外とやると思うよ。
野中とタメ張るくらいの逸材。
ただ、育ちの良さから野中みたいに泥水すするような仕事はできんだろけどね。

? さんのコメント...

谷垣を誰が操るの?
意外とやるって、
どちら向きの意外?
海の内?外?

p さんのコメント...

小沢サイド露骨過ぎますねー。
こんなんで参議院選挙に勝てるのかっての!

あ さんのコメント...

毒食わば皿までだろう
 いつものことだが、また鳩山内閣が迷走している。生方騒動につづいて、今度は郵政民営化の見直し問題で閣内に亀裂だ。タイミングの悪いことに、中井洽国家公安委員長の女性スキャンダルまで噴き出した。よくもまあ、次から次へと問題が起こるものだ。
 これでは、支持率が下がるのも仕方がないのか。世論調査を見ると、昨年の衆院選で民主党を支持した有権者が、民主党政権に失望しはじめている。
 政権交代があったことについては「よかった」と68%が評価しているが、いまの政治に「満足」しているのは14%しかなく、「不満」が82%に達している。国民の意思を「反映している」は26%、「反映していない」は72%だ。
 しかし、日本の有権者は政治意識が低すぎる。国民が民主党を支持し、戦後初めて、選挙による政権交代を実現させたのは、ほんの半年前のことだ。少しくらい期待を裏切られても、自分たちでつくった政権なのだから、長い目で政権を育てる必要があるのではないか。
 だいたい政権が発足してから、まだ半年しかたっていないのに、失望するのは早すぎるというものだ。歴史作家の加来耕三氏がこう言う。
「国民はせっかち過ぎます。政権交代したからといって、次の日から成果があがるはずがありません。
 たとえば明治維新です。明治政府が落ち着くまで10年かかっている。1868年に江戸幕府を倒したが、その後も内乱の連続だった。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱……。77年に西南戦争を鎮圧し、やっと中央集権の明治政府の形が固まった。強大な武力を誇った明治政府でさえ既得権の抵抗に手を焼いたのです。まして、民主主義の下で一歩一歩、政策を進めなくてはいけない鳩山政権が、半年程度でなにもかもやれるはずがありません」
 民間企業だって、赤字会社を半年やそこいらでは黒字にできやしない。
●着実に実績を残している鳩山政権
 なにより、民主党政権の目指す「国民生活が第一」という方向は間違っていない。有権者が民主党を支持したのも、理念に共感したからだろう。
 国民は鳩山政権に失望するヒマがあったら、理念を実現するように民主党の尻を叩くことだ。
「国民の多くが鳩山政権に歯がゆさを感じているのはよく分かります。しかし、政治のプロから見ると予想以上に成果を挙げているのも事実です。大臣経験者がほとんどいない素人の集まりなのに、戦後5番目の速さで予算を成立させた。自民党政権では絶対に思いつかない『事業仕分け』という画期的なこともやった。驚くのは、日米外交の『密約』まで認めたことです。間違いなく、戦後史に残る成果です。迷走していると批判される普天間問題だって、もともと自民党が10年以上解決できなかった難問。ただでさえ難しい問題を、鳩山首相はなんとか『県外』という高いハードルで決着させようとしている。なぜ、大マスコミがあそこまで批判するのか分かりません」(政治評論家・本澤二郎氏)
 鳩山内閣の未熟さが目につくこともある。たしかに失敗も多い。しかし、あの中曽根康弘だって、首相就任半年間は、腰が落ち着かず、自分がなにをやっているのか、分からない状態だったそうだ。鳩山政権が、多少ガタつくのは仕方がない。
 しかも、民主党政権は、自民党政権が60年間築き上げた「政官財」の癒着構造を叩き壊して、「国民生活が第一」という、まったく新しい政治システムをつくろうとしている。簡単にやれるはずがない。カベにぶち当たるのは当たり前だ。
「もし、国民が鳩山政権にスピーディーな成果を求めるなら、剛腕の小沢一郎にすべての権限を与えることです。彼に権力を集中させれば、多くのことが解決していくでしょう。ところが、小沢一郎が動くと、国民は『独裁だ』と批判するのだから支離滅裂です」(本澤二郎氏=前出)
 国民は、自分たちが民主党政権をつくったという自覚がなさすぎる。ここで民主党に失望してもなにもはじまらない。昨年の衆院選の一票がムダになるだけだ。
●だったら自民党政権に戻せばいいのか!
 ところが、有権者だけでなく、民主党政権の実現のために論陣を張ってきた学者までが民主党批判に転じているのだから、どうかしている。「毒を食らわば皿まで」ではないが、一度、民主党を応援したのなら、最後まで初心を貫くのが学者の良心というものだろう。
 いまごろ「見込み違いだった」というなら、見識を疑われるというものだ。この先、なにを言っても信用されないと覚悟したほうがいい。
 それよりなにより、いま民主党を批判したら、自民党と官僚を喜ばせるだけということを分かっていないのではないか。九大名誉教授の斎藤文男氏(憲法)が言う。
「民主党を批判している人は、どんな政権を望んでいるのでしょうか。まさか、自民党政権の復活を期待しているわけじゃないでしょう。国民は、自民党の賞味期限は切れたと判断して民主党政権を誕生させたのです。実際、60年つづいた自民党政治は完全に行き詰まっていた。借金だけ膨らませ、福祉を削り、雇用まで破壊してしまった。国民は自民党にウンザリしているのです。しかし、このまま民主党への批判がやまず、支持率が下落したら、夏の参院選はどうなるか分からない。死んだはずの自民党が勢いづき、民主党は過半数を割り込み、日本の政治は再び大混乱に陥ってしまいかねない。国民が本当にそんな政治状況を望んでいるとは思えません」
 日本の政治をよみがえらせるためには、自民党政治を完全に叩き壊し、民主党に国民のための政策を実現させるしかない。
 そのために、いま国民がすべきことはなにか、ハッキリしているはずである。
http://gendai.net/news.php?m=view&g=syakai&c=020&no=45154
さしものヒュンダイでさえこう言うんだから、そりゃあ、最中も必死になりますよ

。。。 さんのコメント...

横路衆院議長:足骨折し手術、入院

ああ、、、 さんのコメント...

転倒骨折、ヨコミチぃ位か。。。
転倒稚拙、ヨコナ自由壱位。。。
どこか相通ずる部分あり帰か。。。

デブ さんのコメント...

人権擁護法があれば、今頃オワザンは火あぶりの刑に逆さ吊りサンドバックの刑で最後にホルマリン漬けにされてたのに・・・
残念だwwwww

てんこもり野郎 さんのコメント...

��人権擁護法があれば、今頃オワザンは火あぶりの刑に逆さ吊りサンドバック
��の刑で最後にホルマリン漬けにされてたのに・・・
アレは現在は民主に擦り寄ってる創価学会主導型で「国籍条項無し」でしたので役に立たなかったでしょうね。(爆w
ただ何らかの方法で日本国内の裏表勢力から侵略的外来種マイノリティーを排除し、本来はそうあるべきように 在来種マイノリティー及びマジョリティー主導型になるよう誘導できれば良いのですけどね。
在来種マイノリティーが自分らの限定された生息地域が このまま外来種を野放しにしておくと汚染されすぎて生息できない環境になってしまうという事実に気付いてくれれば良いのですけどね。
野中さんも今回の件でそれを思い知ったのでは?(爆w
ある意味法則発動です。(w

匿名 さんのコメント...

野中広務氏死去、92歳=「政界の狙撃手」、官房長官など歴任:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018012601113&g=obt

 官房長官や自民党幹事長などを歴任し、「政界の狙撃手」の異名でも呼ばれた野中広務(のなか・ひろむ)元自民党衆院議員が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。京都府出身。昨年11月、同市内での会合中に倒れ、病院に救急搬送されていた。党関係者によると、葬儀は親族のみで行い、後日「お別れの会」を開く。

 京都府園部町(現南丹市)生まれ。国鉄職員を経て、園部町議、同町長を務めた後、京都府議となり、野党の立場で革新府政の蜷川虎三知事と対峙(たいじ)。保守府政奪還後に副知事を務めた。中央政界入りは57歳と遅く、1983年の衆院補選で初当選。当選7回。
 自民党が下野した細川、羽田両内閣時代に、野党府議の経験を生かし衆院予算委理事として政権追及に活躍。自民、社会、さきがけ3党連立の村山内閣誕生の立役者となった。村山内閣では自治相・国家公安委員長として、阪神大震災や、地下鉄サリンなどオウム真理教による一連の事件への対応に当たった。
 参院選惨敗を受けて98年7月に発足した小渕内閣では官房長官に就任。政権基盤強化のため、旧竹下派分裂以来、宿敵関係にあった小沢一郎氏率いる自由党(当時)との自自連立、さらに公明党を加えた自自公連立の樹立へ抜群の行動力を発揮し、「影の総理」と形容された。森内閣で、加藤紘一元幹事長(故人)らが野党提出の内閣不信任決議案に同調しようとした2000年の「加藤の乱」では、幹事長として鎮圧に当たった。

 小泉内閣に対し反主流の立場を貫き、03年の総裁選では小泉純一郎首相(当時)の再選を支持した青木幹雄氏らと対立。同年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
 抜群の政局観と情報量で政敵から「政界の狙撃手」と恐れられた一方、外交や安全保障に関してはハト派で知られた。97年4月の駐留軍用地特別措置法改正の際、担当委員長として衆院本会議で「国会審議が大政翼賛会にならないようお願いする」と異例の発言を行った。03年7月にはイラク支援特別措置法の採決を退席した。 
 中国共産党と独自のパイプを持ち、同国との議員交流にも取り組んだ。11年に自民党を離党したが、16年6月に復党。引退後もテレビや講演などで「ご意見番」として活動を続けていた。(2018/01/26-23:05)