2009年3月30日月曜日

ウユニ塩湖ツアーと岩手県と千葉県と神奈川県

岩手の石川敬悟氏が何者かって方が重要なんですけどね・・・(w

本県本籍の2人犠牲か ボリビア自動車事故
日本の外務省によると、事故車に乗っていたのは東京都板橋区、石川敬悟さん(66)=本籍岩手県=らとみられているが、損傷が激しいため、在ボリビア日本大使館の医務官らが慎重に身元の最終確認を進める。


外務省によると、ほかの4人は小岩富美子さん(38)=横浜市・本籍岩手県、安田直行さん(51)=同・本籍神奈川県、安田明美さん(40)=同・同、鹿嶋恵里子さん(30)=千葉県佐倉市・本籍千葉県=とみられる。

 警察当局は、スピードの出し過ぎか、塩湖での太陽の反射光による視界不良が事故につながった可能性があるとみて、重傷を負った運転手とみられるボリビア人男性の回復を待って詳しい事情を聴く。http://www.47news.jp/CI/200805/CI-20080504-00248.html


ボリビア衝突事故:ウユニ塩湖ツアーの日本人とイスラエル人数名の死亡確認
http://antikimchi.seesaa.net/article/95467137.html



鹿嶋 敬 (かしま たかし) 1945年茨城県ひたちなか市生まれ。高校卒業と同時に1963年、日立製作所国分寺工場入社。1964年7月退社。1965年千葉大学文理学部入学。1969年同大学卒業と同時に、日本経済新聞社入社。生活家庭部記者として長く女性問題、女性労働問題等を取材。生活家庭部長、編集局次長兼文化部長、編集委員兼論説委員等を経て、2005年3月退社。2005年4月から実践女子大学人間社会学部教授。 <主な著書>『男女共同参画の時代』『男の座標軸』『男と女 変わる力学』(以上、岩波新書)、『雇用破壊 非正社員という生き方』『男女摩擦』(以上、岩波書店)など。内閣府・男女共同参画会議議員、社会経済生産性本部・ワーク・ライフ・バランス推進会議代表幹事、ワーキングウーマン・パワーアップ会議代表幹事等を務める。
http://www.nikkeibook.com/writer/2881/


実践女子大学(じっせんじょしだいがく、英語: Jissen Women's University)は、東京都日野市大坂上4-1-1に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は不明。 創設者は下田歌子。併設校に実践女子短期大学がある。日野駅から坂を上って徒歩10分。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E5%AD%A6


下田歌子

容姿と才能に恵まれ、「明治の紫式部」ともあだ名されるが、反面政府の高官との浮名も絶えなかったと言われ、特に平民新聞は『妖婦下田歌子』と題した特集を連載するまでに至った。特に「日本のラスプーチン」とまで言われた祈祷師飯野吉三郎の権力拡大のため尽力したとされ、のちの幸徳事件は飯野の差し金であるとの説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%94%B0%E6%AD%8C%E5%AD%90


幸徳事件

幸徳事件は、大逆事件の一つ。一般に「大逆事件」と言われる際は、この幸徳事件を指す。
なお、「幸徳秋水事件」という呼称は、一般にも研究者のあいだでも通用していない[要出典]。

明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした計画が発覚、この事件をきっかけに多くの社会主義者、アナキストに対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を、政府が主導、フレームアップしたとされる事件。敗戦後、関係資料が発見されて事件の全容が明らかになった。暗殺計画にいくらかでも関与・同調したとされているのは、宮下太吉、管野スガ、森近運平、新村忠雄、古河力作の5名にすぎなかった。1910年5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名が、1月25日に管野スガが処刑された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


1 件のコメント:

う さんのコメント...

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0488/04306060488020c.html
○猪俣委員 私はいま正確な年月日をはっきりしませんが、昭和の七、八年ごろからあと四、五年くらい、青山の穏田にあります飯野吉三郎という人物、穏田の神様といわれておって、新しい人はわかりませんが、古い政治家は知っておると思います。ある特別の事情があって、この人物と相当長い間つき合っておりました。そのときに、この飯野吉三郎なる人物が私に言うには、あの幸徳秋水の大逆事件というのは、ぼくが告発したのだ、あれによって日本の無政府社会主義者を一掃するチャンスをぼくが与えたのだ、それはぼくのところにいまおるそれがし――私はそのとき名前を覚えておったのですが、いま忘れてしまったのです。これは書生か執事かみたいになって飯野のうちに寄宿していた人物があるのです。どうも若く見えるけれども年は四十前後じゃないかと思うのです。これがスパイをやっておって、これが生きた証拠となってあの事件はできた。そうして明治天皇を救うて、日本の皇室を安泰にしたのだ、だからぼくは日本の皇室にとっては大忠臣なんだ。しかるに皇室がぼくに対する待遇ははなはだよろしくないというような気炎を上げておりましたが、幾らか御内帑金が来ておるようなことを言うて、紋章のついたキリの箱みたいなものを見せて、これが宮内省からくるのだというようなことを言うて見せた。自分に対する待遇がよろしくないというのは、金が少ないという意味であるか、もう少し自分を重く用いろという主張か、わかりませんが、そういう気炎をたびたび上げておりました。私も興味を持っていろいろ聞いたのですが、いま大半忘れておりますけれども、とにかくあの事件は自分があばいた、自分のところにおる人物が生き証人となってつくり上げられたということを言っておりましたことだけはっきり覚えている。こういうことに対して、大逆事件の歴史的な研究をなさっておる神崎さんに、その研究の中にこの飯野吉三郎なる人物が登場するかどうか、登場するとすれば一体どういう役割をしたように歴史的にはなっておるのであるか。いま実はあなたの説明を聞いて思い出したわけです。これをお尋ねいたします。
○神崎参考人 飯野吉三郎は穏田の怪行者といわれ、ロシア皇室のラスプーチンと比較される男でございますが、この飯野は確かに大逆事件の黒幕に姿が出てくるのでございます。飯野は秋水を何とか手なづけるというようなことで、秋水がたずねて行ったりしておりますが、しかし一緒に伊勢神宮に参拝しようじゃないかというときには、私は伊勢には行かないといって、秋水は、はっきり断わっております。そうしてこの告発云々に関係があると思われますのは、秋水が、奥宮健之という自由民権運動の老壮士に、自由党時代の爆裂弾の製法について聞いたりしております。そうしますと、奥宮健之が飯野のところへ参りまして、この秋水がこういう不穏な計画をやっておる、自分に一万円金をよこせ、そうすれば秋水を下野外遊させる、そうして事件をうまくおさめるということで売り込みに行っております。そうしますと、この飯野は、すぐ内務省警保局長有松のところへ電話をかけて、奥宮はこういうことをネタに金を要求してきておるが、どうしたものであろうか。それに対して有松警保局長は、これは金をやる必要はない、しかし情報連絡をして情報だけはとっておけ、そういう指令をしておることが事件記録の中にも、参考人に呼ばれた飯野の供述の中に出ております。
 それからもう一つ関係があるというのは、なくなった白柳秀湖という歴史家の説でありますが、これはあの事件をさかのぼっていくと、社会主義新聞で、「目白の花柳郷」という記事で、つまり下田歌子とこの飯野吉三郎のスキャンダルについていろいろあばき立てた。それで飯野は非常に恨みに思っていた。それで、あることないこと訴えてあの事件をつくり上げていったというようなことを話しておられるのを聞いたことがございます。しかし、これは大逆事件外伝というようなものであって、事件の本質にタッチしておるというふうには私どもは考えておりません。
○猪俣委員 飯野はそのとき、大いに自己宣伝といいますか、自慢話といいますか、誇張して言ったのかもしれませんが、あれが一網打尽にできて処罰せられるようになったのは、ぼくの働きと、ぼくのところにおる何とかいう男、これがちゃんと証人となって出たためである。だからぼくは、あの男を一生ここに飼い殺しにしておるのだ、それだけぼくは非常に犠牲を払っておるのだ、こういうようなことを言っておりましたが、聞きようによれば、その男を偽証させて、無実の者までもみなくくったというふうに、いまからいえば考えられるのですが、私もその男の名前をひとつ調べようと思っておるわけです。いま御説明のような中に、やはり飯野なる者が登場しておったとすれば、飯野の言ったことが全然でたらめでもないと考えるわけです。
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これが岩手の石川さんとどう繋がるのか、全く不明です。カルトつながりなんですか?