非常にややこしい問題なのでとりあえずここらあたりから・・・
経済記者のオフタイム~水島愛一朗~
新聞が報道しない「朝日新聞社とテレビ朝日の資本・業務提携」の゛舞台裏゛2008年06月24日
http://blog.sponichi.co.jp/writer/writer14/post_16.shtml
毎日のHENTAI問題を隠れ蓑として利用し上手く世間の目を逸らす事に成功してたようですが、界隈の方々の必死さからどうやらGDGDしそうな雰囲気になってきたんじゃないかな?(w
まあ根本的な問題は相続時における非公開株の物納とかあの阪神間の古いお家の方々特有の相続対策に対する拒否反応とかなんでしょうけど、根底にあるのはやっぱ村山問題だけじゃなくて、「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」という脅迫状が事件で使われた銃弾と同一の薬莢2個と同封されて届いた赤報隊事件なんでしょうね・・・
村山問題に関してはヒロさん日記を参照されたし。
■上野村山けふ越えて、アカき夢見し朝日新聞
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1146995
2005年にSBIの北尾氏が朝日新聞社主から朝日新聞社株式を1500億円で買ってほしいと打診されたが断ったと報じられたりしたわけで、まあ要するに引き取り手の選定条件が神戸方面に限定されてたわけなんですが・・・
最近の神戸阪神間方面やHIKARI関係のGDGDとか統一教会ヘリ墜落とか毎日新聞騒動等がリンクする接点と言えばやっぱ朝日新聞のお家騒動以外に考えられないんですよね。(w
ちょっと色々チェックしてる最中なのでとりあえず。
左方面や偽装右翼の方々にとっては一大事になりそうな雰囲気ですね。(爆w
後、KOコネクションにとっても。(w
4 件のコメント:
追記が面倒臭いのでとりあえず。
18代続くとされる南家も朝日の村山家も元は三重県出身で東灘区在住な件。(w
開くたびにソフトを実行したか、とか
動画のソフトを入れるか、とか
なんだか画面を切り替えるたびに
毎回毎回同じ事を繰り返させる。
ああ、何かされているのかな?
東灘区…某カビパン生協の本拠地ですね。
そして隣の区は…
【黒田勝弘の緯度経度】「朝鮮通信使」の裏表 日本を警戒 ... - 産経ニュース
www.sankei.com/world/news/171125/wor1711250011-n1.html - Translate this page
Nov 25, 2017 - 2017.11.25 11:00
【黒田勝弘の緯度経度】「朝鮮通信使」の裏表 日本を警戒、自国に入れず一方通行だった
パリの本部で開幕した国連教育科学文化機関(ユネスコ)第39回総会(ロイター)
クイズ風に「日本のメディアで韓国駐在の特派員になった第1号は誰でいつか?」といえば、われわれの業界でも知っている人はそういない。答えは「半井桃水(なからいとうすい)で明治14年(1881年)」である。
半井桃水という人物は日本文学史に名前が残っていて、五千円札の肖像になっている樋口一葉と一時、恋仲だったことで知られる。青年時代に大阪朝日新聞の通信員(特派員)として初めて韓国・釜山に派遣されたのだ。
出身が長崎県の対馬で、江戸末期に父にしたがって対岸の釜山にあった対馬藩の出先である「倭館」に滞在し韓国語にも通じていた。彼は韓国の古典ラブストーリー「春香伝」も翻訳し新聞に連載した。これが日本の新聞小説の草分けといわれる。
大阪朝日新聞は当時、新興紙で苦戦中だったが、「今後、朝鮮半島は商売になる」と思っていたビジネスマン(輸入商)の村山龍平が経営を引き受けた後、隣国情報のほか相場情報や連載小説を載せるなどビジネス感覚で面白い大衆紙にして人気が出た。半井桃水起用もその一環だった。
日本の新聞界はその後、朝鮮半島が舞台の日清・日露戦争で多数の従軍記者を送り込み大受けするが、その現地報道のスタートは対馬出身者による釜山通信員だったというわけである。
これを思い出したのは最近、江戸時代に日本に派遣された「朝鮮通信使」の記録がユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されたことからだ。「朝鮮通信使」は両国関係がよかった時代の友好・交流の歴史として近年もてはやされていて、珍しく双方の民間団体の協力で登録が実現した。
「通信」とは「信を通じる」の意味であり、ユネスコ遺産登録もそれはそれでいい話だが、ただこの歴史の実情も「朝鮮通信使」は日本を12回往来したのに逆に日本からの「日本通信使」は一度もなかったという、一方通行だった。
日本は使節団に対し、対馬や博多から瀬戸内、京・大阪を経て江戸まで往復させ、国をオープンにしているが、朝鮮側は日本を警戒し使節団を自国には入れなかったのだ。そして明治になり大阪朝日新聞の半井桃水・特派員も釜山止まりで首都には入れてもらえなかった。
数百人規模の「朝鮮通信使」には文人墨客から歌舞音曲の一行も加わっていたので好奇心の強い日本人にたいそう人気があった。
そこで今風に「韓流の草分け」などとヨイショする向きもあるが、江戸中期に一行を接遇した幕府の儒学者、新井白石を主人公にした小説『市塵』で作家・藤沢周平は白石に、「過度のもてなし」は彼らに「奢(おご)りと文化的優越感」をもたらしているといわせ、彼らは秀吉時代に攻められた日本への恨みを文化で晴らそうとしている…と書いている。隣国同士の付き合いというのはなかなか難しい。
話は飛ぶが半井桃水の故郷・対馬は今、韓国資本の進出で買い取られそうという現地ルポが最近、本紙に出ていたが、博多より釜山が近い対馬は昔から韓国への依存度が高い。今はもっと自由な国際経済時代なのだから、韓国資本に買い取られないためには日本人ががんばるしかない。済州島が中国に買い取られかねないと心配している韓国人の知人は「対馬も背後には中国がいるかも…」と言っていたが。(ソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘)
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