2023年6月26日月曜日

「猫のしっぽ カエルの手」ベニシアさん死去、72歳…京都・大原で古民家暮らし



ベニシア・スタンリー・スミス(Venetia Stanley-Smith、1950年12月27日 - 2023年6月21日)はイギリスロンドン出身のハーブ研究家・英会話学校経営者。夫は山岳写真家梶山正

曽祖父の異母兄はイギリスの外務大臣インド副王兼総督を務めた初代カーゾン侯爵(初代スカーズデール子爵)ジョージ・カーゾンであり、祖父リチャード・ナサニエル・カーゾンは第2代スカーズデール子爵
スカーズデール子爵#家系図」も参照
人物[編集]

1950年に第2代スカーズデール子爵リチャード・ナサニエル・カーゾン(1898–1977)の三女・ジュリアナ・カーゾンと、シェークスピア劇俳優を夢見ていた父デレク・スタンリー・スミスの間に生まれる[1][2][3]。 母の実家は、イギリスの建築家ロバート・アダムが手がけたケドルストンホール(2014年4月現在は、ナショナルトラストが管理[4])と呼ばれるカーゾン家のマナー・ハウスであった。スカースデイル子爵2世には男子がなく、爵位は1959年に親戚の家系が継いだ[5]

2歳のときに両親が離婚[6]、再婚を繰り返す母ジュリアナに従って国内外を転居し、6歳からジャージー島セント・ヘリアの小学校に通い、10歳から6年間ヒースフィールドという寄宿舎制の女子校で学ぶ。ロンドンの女子高に進学し、花嫁学校を経て[7]、19歳の時に母国を離れてバックパッカーとしてインドに辿り着き、暫く現地でグルに従事しながら生活をしていたが、1971年に船で日本の九州南部に渡り、1974年に日本人男性と結婚[2]東京岡山の生活を経て、1978年から京都長岡で英会話学校の経営を始める。

1992年に登山家の梶山正と再婚し、1996年大原に移住。これがきっかけとなり、テレビ・新聞・講演・カレンダーなどメディアが取り上げている。打ち込める趣味としてガーデニングを始め、友人のアドバイスでハーブを育て始め、6年後の2002年にNHKの「わたしのアイデアガーデニングコンテスト」で特別賞を受賞したことをきっかけに、ハーブ教室を始めるなど、ハーブ専門家として活動を始め、2007年に初めての著書『ベニシアのハーブ便り』を上梓し、その後エッセイ本やDVDなども出版[8]。また、NHK「猫のしっぽ カエルの手 京都 大原 ベニシアの手づくり暮らし」のスタッフによるドキュメンタリー映画が2013年9月14日に公開された。

前述の通り、日本人男性と2度の結婚歴があり、最初の夫との間に長女・サチア、次女・ジュリー、長男・主慈、2番目の夫である梶山との間に次男・悠仁がいる[8][2]。次女が産後鬱から統合失調症を発症したことを公表している[9]。また、母親の4回の結婚により6人の兄弟姉妹がおり、異父妹の一人は同じくガーデニングを趣味としアイルランドティペラリー県ニーナーでCurraquill Gardenを運営している[10]

2018年に番組内で視力の悪化と記憶障害を告白し、PCA(後部皮質萎縮症)の診断を受け、2021年に介護施設に入所[11]

2023年6月21日、誤嚥性肺炎のため死去。72歳没[12]


Sir John Curzon, 1st Baronet (13 November 1598 – 13 December 1686) of Kedleston Hall in Derbyshire was an English politician and landowner who served as an Member of Parliament from 1628 to 1629, then 1640 to 1648. A devout Presbyterian, he supported the Parliamentarian cause during the First English Civil War, but was excluded by Pride's Purge in 1648.[1]


Kirk、、、(爆wwwwwwwww 

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>長男・主慈、2番目の夫である梶山との間に次男・悠仁
ユージンユージンユージンw

>Kirk
あっ…

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