2017年8月22日火曜日

「朝鮮征伐」の拠点で風車焼ける

佐賀の風力発電所で風車焼ける けが人なし
8月21日 17時55分

21日午後、佐賀県唐津市の風力発電所で風車が焼ける火事があり、現在も燃え続けています。けが人などはいませんが、部品が落下するおそれがあることから、消防と警察が周辺で警戒にあたるとともに、火が出た原因を調べています。

21日午後3時前、佐賀県唐津市鎮西町の串崎風力発電所で、風車が燃えて黒い煙が出ているのが確認されました。
市によりますと、風車は高さがおよそ100メートル羽根1枚の長さがおよそ40メートルです。

火の勢いは収まりつつありますが現在も燃えていて、NHKのヘリコプターからの映像では、風車の羽根や根元の部分が焼けてしまっているのが分かります。
消防によりますと、これまでのところ、けが人などはいないということです。

現場は海に突き出た岬の先端付近のため周辺に住宅はなく、九州電力によりますと、玄海原子力発電所とは海を挟んで800メートル余り離れているため、原発への影響もないということです。

消防と警察は、部品が落下するおそれがあることから放水を行わず、周辺で警戒にあたるとともに、火が出た原因を調べています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170821/k10011106491000.html

1592年豊臣秀吉によって名護屋城が築かれ、朝鮮出兵の拠点となった。江戸時代には唐津藩の領地となり、1889年(明治22年)の町村制施行で東松浦郡名古屋村、打上村が成立した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鎮西町



豊臣政権時から江戸時代後期あたりまでは、この戦役が秀吉が明の征服を目指す途上の朝鮮半島で行われたものであるということから、「唐入り」や「唐御陣」と呼ばれたり、「高麗陣[注 12]」や「朝鮮陣」などの呼称が用いられていた[7]。秀吉自身は「唐入り」と称し、他の同時代のものとしては「大明へ御道座」[7]という表現もあった。
「朝鮮征伐」という表現も歴史的に頻繁に用いられてきた。


、、、(爆wwwwwwwww

1 件のコメント:

ミネ さんのコメント...

秀吉は唐=朝鮮でなく欧州くんだりまで行くがやー だったかも
自分一代では無理だけど
で、息子息子となっていたけど痴呆老人扱いで葬られだったけど
その主旨だったから広域の入り口で唐入りと

でも朝鮮征伐と言いなさいの古事記倣いされたのかな とw

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