2014年5月25日日曜日

山口県で田んぼの側溝に落ちたカエルに救いの「お助けシュロの糸」










お助けシュロの糸は、シュロ皮の束を三つ編みにし、上下を麻ひもで結んだもの。カエルの生態に詳しい秋吉台エコ・ミュージアムの自然解説指導員、田原義寛 さん(41)のアドバイスもあり、環境を汚さない自然の素材で、比較的簡単に手に入るシュロを使った。村田さんが自宅で行なった実験では、吸盤のないカエ ルがシュロの糸を登ることを確認した。
今月11日、農家の協力を得て、美祢市秋芳町嘉万の水田で深さ約40センチの側溝にシュロの糸と登ったカエルを捕獲する容器を設置。佐賀県で開かれた日本 自然保護協会のカエル調査講習会を通じて佐賀、長崎、福岡県の同協会会員らにもシュロの糸を設置してもらっており、登ったカエルの種類や数のデータを集め て小学校最後の自由研究にまとめるつもりだ。
さらに、同協会の会報にシュロの糸設置と調査協力を呼び掛ける文章を投稿したところ、絶滅危惧種のナゴヤダルマガエルが生息する岡山県倉敷市の環境政策課 から問い合わせがあった。村田さんは6月にも倉敷市を訪れ、地元の専門家とナゴヤダルマガエルの保護に生かせるか効果を調べるという。
同課によると、ナゴヤダルマガエルの保護対策は実績が上がっていないのが現状。担当者は「シュロの糸は手軽な方法で、コンクリート張りの側溝で試してみる 価値があるのではと考えた。小学生にシュロの糸を作ってもらうなどの活用もでき、今後の展開に期待したい」と話している。


中華人民共和国湖北省からミャンマー北部まで分布する。日本では九州地方南部に自生する。日本に産するヤシ科の植物の中ではもっとも耐寒性が強いため、東北地方まで栽培されている。
雌雄異株で、稀に雌雄同株も存在する。雌株は5 - 6月に葉の間から花枝を伸ばし、微細な粒状の黄色い花を密集して咲かせる。果実は11 - 12月頃に黒く熟す。
幹は円柱形で、分岐せずに垂直に伸びる。大きいものでは樹高が10mほどになる。
幹の先端に扇状に葉柄を広げて数十枚の熊手の葉をつける。葉柄の基部は幹に接する部分で大きく三角形に広がり、幹を抱くような形になっている。この部分の下端から下に30-50cmにわたって幹を暗褐色の繊維質が包んでおり、これをシュロ皮という。
シュロ皮を煮沸し、亜硫酸ガスで燻蒸した後、天日で干したものは「晒葉」と呼ばれ、繊維をとるのに用いられる。シュロ皮の繊維は、腐りにくく伸縮性に富むため、縄や敷物、ホウキなどの加工品とされる。又、シュロの皮を用いて作られた化粧品も発売されている。
1830年フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト出島から初めて西洋に移出し、後にイギリス植物学者ロバート・フォーチュン献名された。英名はロバート・フォーチュンが初めてワジュロを見た中国浙江省舟山島にちなむ。



ロバート・フォーチュン(Robert Fortune、1812年9月16日 - 1880年4月13日)はスコットランド出身の植物学者プラントハンター商人中国からインドチャノキを持ち出したことで有名。
略歴バーウィックシャー(現在のスコティッシュ・ボーダーズ)のKelloe出身。
エジンバラ王立植物園園芸を修め、ロンドン園芸協会温室を担当し、北東アジア植物に興味を持つ。1842年南京条約ののち、中国で植物を集めるために派遣され、中国人に変装して当時外国人の立ち入りが禁止されていた奥地へ潜入し、中国産の多くの美しい花をヨーロッパへもたらした。英国東インド会社の代表として1848年から3年間インドに旅行し、ダージリン地方への20,000株のチャノキ苗の導入に成功し、重要な成果をあげた。彼の努力によってインドとセイロンの茶産業が成長し、ヨーロッパの茶市場における中国茶の独占を終了させた。また、紅茶および緑茶が同じ種類のチャノキから生まれることを発見する最初のヨーロッパ人となった。後の旅行では、台湾日本1860年)を訪れて、養蚕および稲の栽培について記述し、キンカンを含む多くの樹木および花を調査、収集しヨーロッパに導入した。ロンドンで歿。
日本について日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明する物であるとすれば、 日本の庶民は我が国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる」という言葉を著書『幕末日本探訪記―江戸と北京』に残している。
他にも「サボテンアロエなど中国で知られていない物がすでに日本にある。これは日本人の気性の現れである」、「イギリス産のイチゴが売られていて驚愕した」などと長く鎖国を続けていた島国の日本の文化に驚いた様子が伺える。


西洋絵画西洋絵画において、シュロ(実際はナツメヤシなど)は勝利および殉教を象徴する図像として描かれる。元来、戦争に勝利した軍隊が凱旋行進の際に持ち歩く姿が描かれていたが、初期キリスト教会はこれを死に対する信仰の勝利と読み替え、殉教者を意味する持物としてとりいれ、定着した。
家紋家紋にシュロを図案化したものがある。富士氏などに代表される。
長倉追罰記』に「しゆろの丸は富士大宮司」とあり、富士氏の分かれともいわれる米津氏もシュロを用いている。

富士氏(ふじし、ふじうじ)は、日本氏族駿河国富士郡富士上方(現在の静岡県富士宮市)の領主富士山本宮浅間大社大宮司を継承した家柄であり、富士山の祭祀などを司っていた。










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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Kew Garden

匿名 さんのコメント...

books.google.co.jp/books?isbn=3891298714

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