2016年9月12日月曜日

枝野幸男が蓮舫の「一つの中国論」戦略にタイムラグウンコ投げ!(爆wwwww

第164回国会 法務委員会 第31号 平成十八年六月十四日(水曜日) 
○枝野委員 … その上で、お尋ねをしたいのは、台湾の皆さん、台湾に住み、あるいは台湾の陳水扁総統の統治下に国籍があるといいますか、この皆さんの本国法はどうなるんでしょうか。
○杉浦国務大臣 台湾の人々につきましては、今までの法例においての解釈があったわけでありますが、
本法案によっても、どのように決定するかについては、現行法例どおり、変わるところはございません。
国際私法上、考え方としては複数ございまして、一つは、国際私法においては、外交上の承認のあるなしとは関係なく、
中国の状態を二つの国家が存在するものと見て、それぞれの国の国籍法によって二重国籍になる場合には、
重国籍者の本国法の決定の問題として処理するという考え方が一つございますし、また、国内に二つの政府が存在して、
それぞれの支配地域に独自の法を有する地域的不統一法国類似のものと見まして、本法案三十八条三項を類推適用するというような考え方もあるわけでございます。
いずれにしても、準拠法の指定は、国際私法においては、私法関係に適用すべき最も適切な法は関係する法のうちどれであるかという観点から決まる問題でございまして、
一般に国家または政府に対する外交上の承認の有無とは関係がないと解されておりまして、台湾出身の方については、国際私法上は、
台湾において台湾の法が実効性を有している以上、その法が本国法として適用されるということとなり、実務上もそのように取り扱われているというふうに承知しております。
○枝野委員 当然、台湾法が適用されなければいけないと思いますし、また、そのことは国際関係上の国家としての承認ということとは全く別次元で決められる、これも非常に正しいことだというふうに思っております。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/164/0004/16406140004031c.html








枝野 幸男(えだの ゆきお、1964年5月31日 - )は、日本政治家弁護士(登録番号:22259、司法修習43期、第二東京弁護士会)。民進党所属の衆議院議員(8期)。民進党幹事長(初代)。
民主党政策調査会長(第6代)、民主党幹事長(第10代・第15代)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)内閣官房長官第79代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)経済産業大臣第16代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償支援機構担当)などを歴任した。予算委員会等の答弁では、野田内閣の内閣法制局長官に代わって、憲法及び法律解釈も担当していた。
栃木県宇都宮市出身。

祖父尾崎行雄のファンで、男の初孫である枝野には「ゆきお」という名前をつけろと父が祖父から言われていて、字は違うが"幸男"と名付けたというのが名前の由来である[1]。自身の名前の由来を聞かされたことが影響し、物心がついた頃から政治家を志望していた[2]





、、、(爆wwwwwwwwwwwwww

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ルーピー元総理を超えた10年越しのブーメランwwwwwwww

匿名 さんのコメント...

長い時間軸を絡めるというとてつもなく高度なフレンドリーファイア…

匿名 さんのコメント...

もんじゅ廃炉で最終調整 | ロイター
http://jp.reuters.com/article/idJP2016091201002192?il=0

Domestic | 2016年 09月 13日 00:08 JST

 政府は12日、原子力規制委員会が運営主体の変更を求めている日本原子力研究開発機構の高速増殖炉もんじゅ(福井県)を廃炉にする方向で最終調整に入った。再稼働には数千億円の追加費用が必要となり、国民の理解が得られないとの判断に傾いた。核燃料サイクル政策の枠組みの見直しは必至で、関係省庁で対応を急ぐ。

 所管の文部科学省は、規制委から運営主体の変更勧告を受け、原子力機構からもんじゅ関連部門を分離し、新法人を設置して存続させる案を今月に入り、内閣官房に伝えた。しかし、電力会社やプラントメーカーは協力に難色を示しており、新たな受け皿の設立は困難な情勢。

【共同通信】



もんじゅがレンホーに仕分けされてしまいそうな件(w
http://tokumei10.blogspot.jp/2011/11/blog-post_6382.html

銀魂w

匿名 さんのコメント...

加藤九祚氏が死去 シルクロード研究、民族学博物館名誉教授

 シルクロードの研究などに尽力した国立民族学博物館名誉教授の加藤九祚(かとう・きゅうぞう)氏が、仏教遺跡の発掘調査のため訪れていたウズベキスタン南部テルメズの病院で現地時間11日午後、死去した。94歳だった。

 名誉会長を務めるNPO法人ユーラシアンクラブ(東京)によると、テルメズには研究のため長年通っており、数日前に現地で倒れ、入院中だったという。

 出征し中国東北部で終戦を迎え、シベリアに抑留された。帰国後に平凡社の勤務などを経て、1975年に民博教授。著書にアイヌ民族の研究者として知られるニコライ・ネフスキーの生涯を書いた「天の蛇」や「ユーラシア文明の旅」など。