2015年10月28日水曜日

Israel > Palestine












しかし、日本は・・・




やっぱ高橋さん@ベルハンドクラブが引っかかったようですなあ・・・(爆wwwwwww

で、









なわけで・・・




要するに・・・





はアウト確定、




の亀は大掃除の結果次第ってな感じですかねえ・・・(爆wwwwwwwwwww

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

イトーヨーカ堂、71歳亀井氏が異例の社長復帰 : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20160108-OYT1T50093.html

 セブン&アイ・ホールディングス(HD)傘下の総合スーパー、イトーヨーカ堂は8日、前社長の亀井淳顧問(71)が同日付で社長に復帰する人事を発表した。

 イトーヨーカ堂は業績不振が続いており、戸井和久社長(61)から7日、セブン&アイHDの鈴木敏文会長(83)に「責任をとりたい」として辞任の申し出があったという。

 いったん顧問に退いていた亀井氏の異例の社長復帰について、セブン&アイHDは「改革路線にブレーキがかからないよう、当面のかじ取りを託した」(幹部)としている。

 セブン&アイHDが7日発表した2015年3~11月期連結決算で、イトーヨーカ堂の営業利益は同期としては過去最大の144億円の赤字(前年同期は25億円の赤字)となった。地元産の生鮮食品や加工品の品ぞろえを増やし、不採算の約40店を閉鎖する方針を打ち出すなど、改革に取り組んできたが、客離れに歯止めがかかっていない。
2016年01月08日 20時31分

匿名 さんのコメント...

松竹梅
http://tokumei10.blogspot.jp/2015/02/blog-post_905.html


とコチラ、どちらに投稿するか迷いましたがこちらに
高橋“泰”三氏というお名前も気になりますが、松竹梅、鳳凰、鶴…


宮中の着物には、日本の歴史が息づいている | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
http://toyokeizai.net/articles/-/100960

押さえておくべき日本文化の要諦
安積 明子 :ジャーナリスト
2016年1月19日
洋装が多い内親王だが着物にも特別の秘密がある。写真は今年の一般参賀での眞子さま(左)と佳子さま(写真:Motoo Naka/アフロ)
世界を股にかけて活躍するビジネスリーダーに必要とされるのは、経済の動きを読む力だ。しかしそれだけで真のビジネスリーダーとはいえない。国際社会で抜きんでるためには、深い教養も必要になる。そこで、京都で高級呉服を商う高橋泰三氏に4回にわたって着物文化に基づく教養を伝授していただく。今回は第1回(日本政府の紋「五七の桐」を知っていますか)に続く第2回。伝統芸能や宮中に息づく着物文化について学ぶ。



新年を迎えた歌舞伎座は、着物姿の観客が普段より多く、一段と華やいで見える。彼らのお目当てのひとつは、夜の演目である「廓文章」だ。

「廓文章」は近松門左衛門の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」の「吉田屋」の段が歌舞伎用にアレンジされたもの。そのあらすじは以下の通りだ。
「廓文章」とは?

大店(おおだな)・藤屋の放蕩息子・伊佐衛門は吉田屋の遊女・夕霧にほれ込み、通い詰めたため勘当されてしまう。一文無しになって「紙衣」を着るまでに落ちぶれた伊佐衛門は、それでも夕霧が病気と聞いていたたまれず、吉田屋にやってくる。そんな伊佐衛門を吉田屋の亭主と女将は温かく迎えて座敷に上げたが、夕霧は阿波のお大尽に呼ばれていて、なかなかやってこない。嫉妬のためにいじけたりすねたりする伊佐衛門の演技が面白い。

ようやく夕霧がやってきて、2人が再会の喜びに浸っているところに、藤屋から千両箱が届けられる。夕霧が身請けされ、伊佐衛門の勘当が解けるというハッピーエンドのストーリーだ。まさに新年に相応しいめでたい演目だが、とりわけ夕霧役の坂東玉三郎丈が着用する緋色の打ち掛けが素晴らしい。背に鳳凰、裾に牡丹が縫いとられたその柄は、長身の玉三郎丈だからこそ映えるものだ。それを観客に披露するためにぐっと背をそらせると、客席から大きなどよめきが湧きあがる。

「年明け早々は何かと多忙ですが、幕見席でも玉三郎丈の『廓文章』を見たいですね」

そう話すのは、歌舞伎座から徒歩で2、3分の「銀座きものギャラリー泰三」を経営する高橋泰三氏。実はこの打ち掛けは、高橋氏が手掛けたものである。

「最初は『伽羅先代萩』の政岡の衣裳の修理を依頼されました。それがお気に召したのか、その後に衣裳の発注をいただいたのです」
日本一華やかですばらしい衣装を

もともと高橋氏と玉三郎丈とは縁が深かった。高橋氏の亡父が玉三郎丈の後援者だったからだ。

「かつて京都の旦那衆らが作った後援会があり、父はそこのメンバーでした。坂東流の名取でもあったので、玉三郎丈と懇意にさせていただいていたようです。安土桃山時代の小袖など、伝統から学んで着物を作っていた父は、日本で一番華やかで素晴らしい文化を『泰三風』にアレンジし、たくさんのお客様に喜んでいただきました。私も歌舞伎の伝統美を表現しつつ、現代の観客でも感動するような衣装を作りたいと思いました。とはいえ舞台と客席は離れていますので、普通の糸で刺繍したのでは、何なのかがわからなくなってしまいます。そこで刺繍糸は最低12倍から24倍は太く、金糸も最低36倍は太いものを使いました。舞台映えする大胆さに泰三流の上品さも加えなくてはいけませんが、最高の技術を持つ手刺繍職人さんのおかげで実現し、玉三郎丈にも満足していただけたようです」

高橋氏が手掛けた玉三郎丈の打ち掛けはもう1枚ある。「天守物語」で、富姫役を演じる玉三郎丈が亀姫を迎える場面で着用した御簾とくす玉の模様のものだ。

「天守物語」は泉鏡花の原作で、姫路城の天守閣に魔物が棲むという伝説をモチーフにした戯曲。美しき異形たちが耽美的な鏡花ワールドを織りなしている。

「くす玉は薬玉とも書き、古くは中に薬草などを入れて厄除けとしたのです。5月5日はめでたい奇数の数字が重なる『重五』の日ですが、季節の変わり目で体調を崩しやすいため、香り高い菖蒲や蓬を入れて邪気を払ったのでしょう。これが中国から日本に伝わって宮中の『端午の節会』になり、御簾にくす玉を飾り付けることになったのです」

宮中の行事にも着物は欠かせない。高橋氏は愛子内親王殿下と秋篠宮家の眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の御地赤(おじあか)も作っている。

「御地赤とは内親王殿下が成人されるまで、元旦に新年の挨拶のために参内される時などに着用される特別の赤い着物のことです。2004年に女官を通じて美智子さまからご連絡をいただき、愛子さまの御地赤をお作りしました。同時に宮内庁からの依頼で、秋篠宮家の眞子さまと佳子さまの2枚目の御地赤もお作りすることになったのです」
御地赤に込められた皇后陛下の思い

内親王殿下が御地赤を着用された写真は公式には公開されていないが、「銀座きものギャラリー泰三」で特別に見ることができた。

「愛子様の御地赤は、背にゴヨウツツジと松竹梅の紋が金糸で縫いとられています。ゴヨウツツジは愛子様のお印です。そして身ごろや袖には鳳凰が飛び交う刺繍がこれも金糸で施されており、シンプルですが非常に格調高いものになっています」

作成の際には皇后陛下から丁寧な指示があり、その意向が反映されたという。

「眞子様と佳子様の御地赤は、背に松竹梅の紋が入っていますが、お印は入っていません。身ごろや袖には鶴が飛び交っています。これもとても格調高いものです」

鳳凰は最高の鳥で、中国では皇后の象徴とされる。鶴も亀と並んで長寿の象徴とされた上、江戸時代には禁鳥とされ、一般に捕獲することは許されなかった。将軍が鷹狩りで鶴を獲ることは「鶴御成」と言われ、朝廷に献上されていた。

内廷の内親王、宮家の内親王という身位による格差はあるが、いずれの御地赤にも孫娘たちの健やかな成長を祈る皇后陛下の思いが偲ばれる。

「このように、宮中には古来から伝わってきた着物文化が息づいているのです。ところが明治に入り、宮中祭祀や即位の礼などを除いて洋装が公式のものとされてしまいました。国際プロトコールは西洋式によるべきものが多いのは事実ですが、それでも鎌倉中期に始まったとされる歌会始などは、ローブ・モンタントよりも着物の方がふさわしいのではないでしょうか。女性皇族の方々には、もっと着物をお召しいただきたいですね」

匿名 さんのコメント...

要るすに・・・


(前略)

宮崎友禅が考案したという友禅染は金彩加工も、刺繍も使われていません。
それは江戸初期に町民があまりに豪華な衣裳に身をやつすのを苦々しく思った時の幕府が奢侈禁止令を発令し、それに応じてこの友禅染がもてはやされたので、当然加飾の加工は施していません。

ですから泰三の作品はどちらかというとそれ以前の慶長小袖に見られる、日本美術史上最も絢爛豪華な時代の服飾を現代に再現したものといえるかも知れません。この頃の文様を慶長模様と言います。

泰三は現代に慶長模様を取り入れた最初のものであり、また現在では泰三のみのものとなっております。

勿論背景には友禅加工を施すのですが、あまり細かな友禅加工をせず、それを金彩や、総刺繍で表現するところが、泰三の作品の特徴です。

なかでも泰三の振袖はまさに慶長小袖の現代版といえます。
当時の技法をより高度なものとして昇華させ、泰三のセンスで表現した上品で華麗な作品は、後世に残る美術品だろうと自負いたしております。
大変難しい桶染めという技法を使いますので、今ではこういうものを作るところも泰三だけとなっています。

(中略)

ところが昭和50年代に入り、京刺繍の加工賃が暴騰し、以前のような加工をし続けますと、すべての作品が小売価格で数百万円となるため、とても続けていくことが不可能だろうと思われました。
ちょうどその頃に出会いがあったのが、国交再開後間もない中国蘇州の長い歴史を誇る刺繍の技で、昭和49年から、その秀逸な平縫い(糸を撚らないで使う刺繍)を京刺繍の技と組み合わせることで、高級な刺繍の技に新たな境地を開拓することが出来ました。
この蘇州との関係構築のお陰で、泰三の作品はほとんど値動きのない、安定した小売価格を維持できるものとなったのです。

京刺繍は縒り糸を使うのが特徴ですが、中国は極細の平糸使いで表現するので、大変写実的な立体感のある表現が可能です。
終始一貫その極細の糸使いをしているのも泰三だけで、他の業者はほとんどもっと太い糸で、簡単な加工をさせているのです。
美術工芸品とも思える高級な刺繍技は泰三の作品の最大のこだわりですし、手にとって良くご覧頂ければ他のものとの差は歴然です。

この中国との関係を今まで維持するために、私は大変苦労を致しました。中国が完全な社会主義国から、現在のような日本以上の拝金主義的資本主義に移行する過程をずっと見つめながら、その変遷の中で同じ仕事を続けることは本当に至難の業でしたが、理解ある現地の人と協力して、その中国の文化である技の継承にも一役買ってまいりました。

現在泰三の作品は、刺繍加工のとても重いものは蘇州で、それ以外の友禅を主体としたようなものなどは、京都で刺繍を施すというように使い分けております。
その重い加工に耐えるための生地も、振袖は全量誂えておりますし、留袖も白生地屋さんのご理解で、ほとんど泰三のもの作りのための重いものを織っていただいております。

(以下略)


ってことは
皇室和装のコア部分は
Made in China
やっぱりね

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