2014年6月4日水曜日

極ZERO、追加酒税116億円も







もう今更なので詳しくは説明しませんがコレもまあ当然の流れですな。(爆w





1876年明治9年)、開拓使村橋久成中川清兵衛を始めとする有志が、札幌に「開拓使麦酒醸造所」を設立し、翌年冷製札幌ビールを製造。
1886年(明治19年)、大倉喜八郎率いる大倉組商会が開拓使麦酒醸造所の払い下げを受けるが、1887年(明治20年)、大倉と渋沢栄一浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社を設立し、同社が製造販売を行う。
1906年(明治39年)に日本麦酒醸造(ヱビスビールを製造販売。三井物産系)・大阪麦酒(アサヒビールを製造販売)と合併し、大日本麦酒株式会社となる。この時、静岡県東部・長野県・新潟県以東での同社のブランドとしてサッポロビールは存続。
1933年昭和8年)日本麦酒鑛泉(ユニオンビール・三ツ矢サイダーを製造販売。根津嘉一郎経営)を、1943年(昭和18年)櫻麦酒(サクラビールを製造販売。1939年帝国麦酒から社名変更。旧鈴木商店系)を合併し、大日本麦酒製品のシェアは全体の7割以上を占める事になった。
しかし、1943年(昭和18年)にビールの商標が禁止されサッポロビールのブランドは消滅。1949年(昭和24年)に、過度経済力集中排除法に基づき、朝日麦酒(現・アサヒビール)と、後にサッポロビールとなる日本麦酒に分割された際も、日本麦酒はニッポンビールのブランドを採用する事になり、サッポロブランドは引き続き封印されたままとなった。
やがて、ニッポンビールの苦戦と共に愛飲家の中からサッポロビール商標復活の声が起こるようになり、1956年(昭和31年)にまず北海道で復活。1957年(昭和32年)より日本全国でサッポロビールが発売されるようになり、1964年(昭和39年)に会社の商号も「サッポロビール株式会社」となる。商標復活には当時社長の松山茂助が尽力しており、彼はビール業界で数少ない醸造技術者出身の社長だった。
ビール類のシェアについて、会社分割後の1949年(当時・日本麦酒)は38.7%で第1位[1]、引き続き1952年まで単独1位、1953年は原料配給の関係で日本・麒麟・朝日のシェアは3社同率[1][2]、1954年は第1位が麒麟、第2位が朝日、日本麦酒は第3位に転落[1]。1961年に第2位となり以降商号変更後も2位を継続し、1970年代の生ビール競争も善戦したが、1989年にアサヒが2位となったことでサッポロは第3位に転落[1]。2008年にはサントリーにも抜かれ第4位に転落し、2009年も4位であった[3]。自ら開拓した第3のビール分野でも、「のどごし〈生〉」などを揃えるキリンビールに抜かれシェア第2位に下がり、更に2008年・2009年上半期ブランド別ビール類販売数量順位にて、キリン・アサヒ・サントリーの第3のビール商品は順位入りしているがサッポロビールは一つも入っておらず、唯一ビールの黒ラベルがランクインしただけに留まった[4]。サッポログループ全体では恵比寿ガーデンプレイスなどの不動産事業による利益が酒類販売による利益を圧倒しており(2006年度連結決算では酒類事業の経常利益9億円に対し、不動産事業は37億円)本業よりも不動産で稼いでいる「サッポロビル株式会社」と揶揄された事も。後述のスティール・パートナーズによる株取得も、不動産事業に目をつけたものであると言われている。
その経緯から北海道では最もポピュラーなビールとなっている。北海道内での鉄道の駅では同社の看板がよく見られる(「本場の味:サッポロビール」など)。また道内で単に「ビール」と注文するとサッポロビールが出ることが多い、という時期が長かった。しかし平成に入り、北海道でも他社のビールの追い上げが激しくなっており、しばしば北海道内限定のキャンペーン(近年は、「北海道は、サッポロビール。」の企業イメージCMが地元限定で放映されている)を行うなど、北海道でのシェア確保に尽力している。
一方で、旧大日本麦酒が分割された際、東日本を主要エリアとする日本麦酒(当時)として発足したためか、現在も大阪など関西・西日本地区でのシェア は低い状態が続いている。歴史的に見て、ブランド力ではアサヒビール(旧大阪麦酒として創業。その後旧大日本麦酒へ統合した後、同社の分割の際は西日本を 主要エリアとする会社として発足した。)・サントリーの大阪発祥メーカーに、販売力ではキリンビールに、いずれも及ばないのが要因とされている。一時はそ の打開策として、吉本興業とのコラボレーション企画(後述の「よーし、もっと黒ラベル」キャンペーンほか)などが行われたこともあった。
サッポロビールのラベルに描かれている星は北極星(ポラリス)を表し、前身の開拓使麦酒醸造所を保有していた北海道開拓使の徽章であり、サッポロビールとなったあとも使用が続けられ、同社の伝統となっている。
現在のサッポロビールは、2003年(平成15年)7月1日に当時のサッポロビール株式会社(同日付でサッポロホールディングス株式会社と商号変更)の会社分割により設立されたものである。
2007年(平成19年)2月15日の各紙報道によると、アメリカ系投資ファンド「スティール・パートナーズ」がサッポロホールディングスの株式を発行済み株式の3分の2にあたる66.7%の保有をめざしTOBを提案した模様。敵対的買収の可能性も否定できないとされている。これに加えて業績低迷、不二家からの生産委託停止等(現在は再開)同業他者との経営統合(特に、かつては同じ会社でもあったアサヒビール、または同じ北海道発祥のオエノンホールディングスが噂される)や業界再編等、去就が注目される。
2008年(平成20年)3月末をもって大阪工場(大阪府茨木市)が閉鎖され、現在の西日本の生産拠点は九州日田工場(大分県日田市:開設当時は「新九州工場」)の1ヶ所のみとなっている。

同業他社やアルコール取り扱いメーカーでも展開している容器入り低アルコール事業において、同社も2004年から参入し、缶入りチューハイカクテルを製造・販売していたが、ビール類(ビール・発泡酒・第三のビール)事業に経営資源を集中するため2007年(平成19年)までに業務用の「氷彩サワー」を除いて撤退した[5]。しかし、若年層のビール離れが進み低アルコール飲料を好む状況から商品ラインナップの充実化が必要と判断して2010年(平成22年)に容器入り低アルコール事業に再参入し[5]、同年5月26日に不二家との共同開発による「ネクターピーチサワー」を発売した[6]

フラグだらけですな。(爆wwwwwww




、、、(w

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アサヒビール 福島工場
事故当初から色々いわれてたけど実際に放射能は大丈夫?

匿名 さんのコメント...

>事故当初から色々いわれてたけど実際に放射能は大丈夫?

役員共は放射能より先にアル中で死ぬから
分かりゃしないとか思ってるんじゃないですかね?(爆wwwww

匿名 さんのコメント...

ましゅまろがおしりあいだといってた会社ですねw
恵比寿駅の看板降ろしたらどうかねw

ミネ さんのコメント...

116億円黙って納めたワケデスネwwwwww

>福島工場
キリンの完全復活宣言もお忘れなく
ビールは麦かホップに独産を入れてるトコ多いから福島由来だけ心配すればいいものじゃなぃから
関係者はチェルノ方向向いて しんぱーぃなぃさー してるしょ

>恵比寿駅
看板よか
あのグッラグラ日常揺れ捲るホーム
工事してるとか聞いたことないから今でもだと思う
看板代でなく補強か改造に金出してやったらどうだろうか

匿名 さんのコメント...

サッポロ115億円返還されず
(2015年)04月28日 17時51分
大手ビールメーカーの「サッポロビール」は、酒税が低い第3のビールとして販売した商品について、いったん納めた115億円の酒税の返還を求めていましたが、国税当局から返還に応じられないとの回答があったことを明らかにしました。

サッポロビールは、おととし6月からおよそ1年間販売した「極ZERO」が、第3のビールに該当しない可能性があるとして、去年、国税当局に116億円の酒税を自主的に納めました。
しかし、その後、当時の製造工程を検証した結果、第3のビールに該当するとして、ことし1月、延滞税分を除いた115億円の酒税を返還するよう国税当局に求めていました。
サッポロによりますと、28日、国税当局から「返還には応じられない」という内容の文書を受け取ったということです。
この文書には、返還に応じられない理由が記載されているということですが、サッポロは「今後の対応方針が決まっていないため、現段階で明らかにできない」としています。
一方、国税庁は「個別の案件についてはコメントを差し控えさせていただきたい」としています。
サッポロビールは去年7月以降、商品の製法を一部見直したうえで、第3のビールよりも酒税が高い発泡酒として販売しています。
www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20150428/4404481.html

コメントを投稿