野々村が命を賭けて当麻の元に送ったシンプルプランの小瓶

 　

劇場版SPEC～結～爻ノ篇

脚本：西荻弓絵　シナリオ：豊田美加

愛する者の命を奪ったやつを、絶対に許さない。どんな手を使っても。

　終焉に向けて、いま運命は走りだした――。

　　　１

　無数のミジンコは、平穏な日々を紡いでいた。
　彼らの見た夢なのか、いくつもの泡が現れては消えてゆく。
　その小さな世界を壊すかのように、突然、亀裂が走った。
　すべてを呑み込んでしまおうと、おぞましいマグマが亀裂から見え隠れする。



　警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係、通称未詳。
　老いてなお熱き刑事魂を貫いて、野々村光太郎は逝った。


　――この世界の未来は任せたよ。心臓が息の根を止めるまで、真実を求めてひた走れ、それが刑事だ……よ……――

　野々村の最期の言葉が、耳にこびりついて離れない。
　いつも嫌なところだとビビっていた霊安室で、野々村は今、ひっそりと荼毘に付されるのを待っている。
　当麻紗綾は、眩しいほど白い菊の花を、野々村の大好物だった柿ピーの瓶と共に、主のいなくなったデスクに供えた。ついでに、置いてあった三角柱のネームプレートをひっくり返す。底には、エッグポーズをキメた最愛の女性――正汽雅ちゃんの写真が貼りつけてあった。
　……もう、隠す必要もないだろう。
　当麻は寂しげに息を吐き、写真をそのままにして、自分のデスクに戻った。ピーポくん人形やら妙な玩具雑貨やら日用品やらお風呂セットやら、相変わらずヴィレッジヴァンガードなデスク周りだ。
　毛布を無造作に肩にかけ、ぐびぐびとハチミツをボトル呑みする。多少の熱ならこれで退散してしまうが、今回のはわけが違う。
　ふう、と大きく息をつき、キーボードに突っ伏した。とたんにゴホゴホと咳が出る。
「……大丈夫か。医者に行ったらどうだ」
　瀬文焚流が心配そうに声をかけた。そういう自分も両頬に大判の絆創膏を貼りつけ、いまだ傷跡は癒えていない。
「はっ！？　これだけ大騒ぎしてるシンプルプランが、医者行って治ったら、逆にすごくないっすか」
　シンプルプラン。スペックホルダーを壊滅させる、プロフェッサーＪなる謎の人物が創り出した恐るべきウィルスだ。
　野々村は命を賭けて当麻の元にシンプルプランの小瓶を送ってきた。当麻はそれを京大時代の先輩である福田健太郎に託し、シンプルプランに対抗するワクチンを作ろうとした。しかしその小瓶は、城旭斎浄海との戦いで、当麻の手のひらの上で割れてしまった。結局当麻は、もろにそのウィルスを浴びてしまったのだ。当麻はそれからほどなく、すさまじい高熱に襲われた。
「――ダメモトという言葉もある」
　瀬文が、野々村の好きだった言葉をなぞった。
「ある！　な？」
　応接ソファでシャリシャリと野太い声を張り上げたのは、ミイラ死体から蘇生した元・マル暴刑事、吉川州だ。
「ある！」
　一列に並んだパンチ刑事集団、パンチーズも力強く同意する。しかし当麻は乗っからない。
「――ねぇ」
　そんなもん、ねぇんだよ。息苦しそうな当麻のうめきが続く。
　未詳に重い空気が流れる中、日本ザコキャラ協会のみなさん――ではなく、捜査一課の馬鹿猪トリオが息を切らせて駆け込んできた。すなわちエリート管理官の馬場香、係長の鹿浜歩、若手刑事の猪俣宗次である。
「当麻君、瀬文君、よしかわ君！」
　慢性運動不足の馬場が肩で息をしながら言った。
「きっかわだ！　殺すぞ」
　凍結乾燥痕の残る顔を引きつらせて吉川が怒鳴る。よしかわじゃねぇぞ、きっかわだ。幾度となく繰り返してきたアピールも、今となってはみなスルーだ。
「朗報だよ」
「なんすか？」
　けだるそうに当麻が顔を上げた。
「調査したところ、例のシンプルプランは、ただのインフルエンザウィルスだと判明した」
「ただのインフルエンザ？」
「うん。ただの」馬場がうなずく。
「ただの、ただの」と鹿浜が続き、
「ただのひとし。なんちゃって」
　生ぬるいオヤジギャクでオチをつけた猪俣に鹿浜の裏拳が飛ぶ。
「ほんまかいなー。そーかいなー。それはめっちゃよかっ……」途中でフリーズドライ化した吉川を、パンチーズが慌てて息を吹きかけ揉み揉みする。「たやん」蘇生終了。
「タミフルがあればなんてことはない」
　鹿浜が皆を安心させるように言った。
「あんたらの分の薬をもらってきてやったけ」
　猪俣が得意げに薬を出して、吉川たちに「ホンマは処方箋がいるとこじゃけど」と小声でささやく。気がきくな、おい。

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