2019年6月28日金曜日

高島忠夫@御影@無職の大地主の息子 死去

高島 忠夫(たかしま ただお、1930年7月27日 - 2019年6月26日[1][2])は、日本俳優タレント司会者である。本名は高嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。4人姉妹弟の長男(姉1人、妹1人、弟1人)。所属事務所東宝芸能
 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影町)で、姉妹弟のいる4人きょうだいの長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を称していたが弟子もおらず、生涯定職についていない家だった[3]。成績は優秀で神戸一中に進学。水泳部に所属した。同じクラスに作家の小松左京國弘正雄がいた[4]。小松とは、一緒にバンドを組んでいたこともある仲[5]
学制改革により六・三・三制となり、神戸一中5年から新制神戸高校3年へと進学する[6]が、ジャズに没頭して退学[6]。翌年に関西学院高等部へ今で言う「水泳推薦」で編入学[6]する。高校では団鬼六がボーカルだった軽音楽クラブに所属した[7]

芸能界へ

1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。スターレット同期生は天知茂久保菜穂子小笠原弘松本朝夫ら18人[8][9]。映画界入りしたことで関西学院大学は2年で中退した[6]
本名の高嶋忠夫から芸名を高島忠夫として、21歳で上京して東京暮らしを始める[9]俳優座で俳優の勉強とボイストレーニングをし、このときに歌の才能が認められて、本格的に歌の練習をやるよう勧められる[10]
1952年の映画『恋の応援団長』でデビュー。同年に『チョイト姐さん思い出柳』で初主演し、以後新東宝で主演級の歌うスターとして活躍。高島の映画出演は1950年代から1960年代が中心で100本以上の出演作の大半がこの時期のものである[11]。特に『坊ちゃんシリーズ』の主役は当たり役となった。作曲もこなし、1958年には「東京ダーク・ムーン」をフランク永井に提供している。その後、「君はミュージカルスターになれる」との菊田一夫の誘いで東宝に移籍。東宝ミュージカルのほか、コミカルな演技が印象的な『キングコング対ゴジラ』や「日本製の本格的ミュージカル映画」として後年評価された『君も出世ができる』などの東宝映画や、東宝系列の宝塚映画に出演するようになる。1963年には日本初のブロードウェイミュージカルとして上演された『マイ・フェア・レディ』に出演して評判となる[12][13]
女優の寿美花代とは、1961年に寿美が司会のテレビ番組『季節のミュージカル』にゲスト出演したことから知り合い[14][15]、2年間の交際を経て、1963年に結婚[16]。『ごちそうさま』で長く夫婦で共演していた。結婚後、長男・道夫をもうけるが、1964年に生後5か月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという事件に見舞われる[17]高島忠夫長男殺害事件)。
1968年、東映動画の『アンデルセン物語』では声優をこなし、ミュージカル仕込みの明朗なテノールの歌声を披露している。
東宝移籍後は壮年にさしかかるとバイプレーヤーとして脇に回り、『土曜ショー』の司会者をしたことをきっかけにテレビの仕事が増え始め、1970年代からは本格的にテレビに進出して司会業を行う[18]。料理番組『ごちそうさま』やクイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』などの司会業の他、『ゴールデン洋画劇場』では映画解説をつとめ、いずれも長期に渡る人気番組のホスト役として活躍する。
1970年代半ばには暴飲暴食によって、糖尿病を発病。一時は体重が120kg近くになったが、和食中心の食事にして3年後に体重を70kg台に落とした[19]
1980年代後半に次男の政宏、三男の政伸がともに俳優としてデビュー。以降は芸能一家の代表格として親しまれる。1993年からは家族4人共演でファミリーコンサートを定期開催した[20]
1995年に実家が阪神・淡路大震災で被災して全壊[注 1]

闘病の日々

糖尿病を発症して以後、一時禁酒したがダイエットに成功した頃より飲酒を再開。不眠症で酒と睡眠薬に頼って眠る日々で、アルコール依存症になっていた[22]
1997年から1998年にかけて26年間続けて愛着のあった仕事である『ごちそうさま』の司会交代や母親が入院(2000年死去)したことなどがきっかけで、1998年に重度のうつ病を発症し[23]、レギュラー番組の『ゴールデン洋画劇場』『暴れん坊将軍』など4本を降板して治療にあたる[24]。降板にあたっては糖尿病であると説明していた。翌年に症状が改善したことから仕事復帰し、復帰初仕事のトーク番組『徹子の部屋』の出演の際にうつ病だったことを告白した[25]。しかし無理がたたって再発し、再び療養していたが[26]、2003年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春から完全復帰。以降は家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っていた。
高島の闘病生活は2007年6月にドラマ化された(ドキュメンタリー・ドラマ『うつへの復讐 〜絶望からの復活〜』、日本テレビ6月26日放送)。
さらにパーキンソン病を発症し、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付ける手術を行った[14][27]2013年6月18日には「カスペ!」(フジテレビ)で『独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜』[28]と題して、5年ぶりにテレビ出演を果たした[14][27]
2017年8月に初孫が誕生した。
2019年6月26日13時1分、老衰のため自宅で死去[1]


、、、(爆wwwwwwwww

2 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

そういやワイの知り合いにご親戚の方が居たような

匿名 さんのコメント...

あの辺りの大地主って
どなたにお貸ししてらしたんでしょうね、
イェーイ