2017年3月1日水曜日

瑞穂の國記念小學院と塚本幼稚園は実質的に宮内庁公認の今上天皇記念小学校と皇室記念幼稚園

さらに、安倍総理大臣は「払い下げが不当なものだったとすれば、学校法人の教育方針に賛同してきた安倍総理大臣夫妻の政治的・道義的責任は免れない」と指摘され、「例えば、『安倍昭恵幼稚園』と書いてあれば、理財局が『恐れ入りました』と安くするのか、そんなことはありえない。まさに印象操作だ」と反論しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170301/k10010895181000.html

アベシンゾーも実質的にバラしてる件。(爆wwwwwww

仮に「安倍晋三記念小学校」とか「小沢一郎記念小学校」だったとしてもただ同然になんぞしたら各方面の担当者のクビが飛ぶわけでよほど大きな見返りが無い限り誰もそんなリスクは取らないわけですよ。(爆wwwww


実質的に宮内庁公認の天皇陛下記念幼稚園だから安くしてくれ」と言われたら各方面の担当者も見返り無しで「恐れ入りました」とただ同然にするかもしれんけどね。だって菊タブー案件だから。(爆wwwwwww





http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/koushitsu/

塚本幼稚園では、御皇室、自衛隊、警察など様々な式典に招かれて、歌や演奏など披露しています。


皇室・宮内庁絡みなわけで・・・(爆wwwwwww


























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おまけ




社会福祉法人恩賜財団母子愛育会愛育幼稚園(しゃかいふくしほうじんおんしざいだんぼしあいいくかいあいいくようちえん、英語Imperial Gift Foundation Boshi-Aiiku-Kai Aiiku Kindergarten)は、東京都港区南麻布にある私立幼稚園3歳以上の幼児の3年保育を行っている(6クラス・定員150名)。
愛育幼稚園は、1934年昭和9年)に、明仁親王の出産を記念し、昭和天皇より受けた下賜金をもとに作られた「恩賜財団母子愛育会」によって、1947年(昭和22年)に創立された。現在の設置者は「社会福祉法人恩賜財団母子愛育会」であり、総裁文仁親王妃紀子に推戴している[1]
毎年10月の第3日曜日には、母の会記念祭委員が中心となって「創立記念祭」が行われており、多くの卒園生やゆかりの人々が「記念祭で会いましょう」を合言葉に集い、旧交を温めている。
東京のいわゆる「お受験」界においては、若葉会幼稚園港区西麻布)、枝光会幼稚園(港区三田ほか)とともに『御三家』(進学幼稚園とされている[2]

立地

姉妹施設の愛育クリニック(旧・愛育病院)や、東京ローンテニスクラブが隣接する他、道をはさみ有栖川宮記念公園東京都立中央図書館麻布学園が所在する。港区という都会の中央に位置しながらも、自然環境・園外活動環境の両面において恵まれ、有栖川宮記念公園内で水遊びをしたりお弁当を食べたり豊かな環境で保育が実施されている。

歴史

愛育幼稚園の歴史は、その母体となる母子愛育会の創立から始まる。本会は、1933年昭和8年)12月23日皇太子明仁親王今上天皇)誕生を契機として創立された。1934年(昭和9年)2月23日、皇居において催された御誕生祝宴に際し、昭和天皇より、宮内大臣湯浅倉平を介して、内閣総理大臣斎藤実に対し
皇太子殿下御誕生ニ際シ本邦児童及母性ニ対スル教化並ニ養護ニ関スル諸施設ノ資トシテ金七拾五万円下賜候旨御沙汰アラセラレ候
旨の御沙汰書が伝達された。この聖旨を奉戴して、宮内内務文部拓務の四大臣が協議した結果、同年3月13日に文部省を主管とする「恩賜財団愛育会」を創立し、初代総裁久邇宮大妃俔子を推戴し、母子愛育事業を実施することとなった。その後、所管が厚生省に移り、名称も「恩賜財団母子愛育会」と変更される。初代総裁は1946年(昭和21年)に退任し、1948年(昭和23年)4月、二代総裁として崇仁親王妃百合子を推戴した。2010年平成22年)、二代総裁が高齢などを理由に9月30日付で退任したため、同年10月1日、三代総裁として文仁親王妃紀子を推戴した。本会が創立された当時の日本は、母子に関する施策は未だほとんど皆無に等しい状況であったが、本会は聖旨に則り、母子の保健福祉を推進すべく、まず愛育調査会を設けて、基本的な調査研究を行うことから活動を始めた。次いで、稲田龍吉を所長とする「愛育研究所」を設置し、国立児童問題研究所に代わるものとして「日本総合愛育研究所」(後の「日本子ども家庭総合研究所」。現在の「愛育研究所」)に発展させるなど、母子の心身両面に関する総合的・実証的な研究を行うと共に、実践的な活動を行う諸施設を順次設けてきた。そのひとつが「愛育幼稚園」である。本園は、「日本の幼児に関する基本的習慣」の研究を日本で初めてまとめ、今日の幼稚園保育の基礎をつくった、当時の愛育研究所教養部長山下俊郎によって、幼児保育に関する実践の場として創設された。

略年表

  • 1934年昭和 9年) 3月 - 「恩賜財団愛育会」設立。初代総裁久邇宮大妃俔子を推戴。
  • 1938年(昭和13年)11月 - 「愛育研究所」開所。
  • 1940年(昭和15年) 5月 - 「愛育研究所」教養部における幼児教育の実証研究の場として「母の研究室」開所(愛育幼稚園の前身)。
  • 1946年(昭和21年) 1月 - 「財団法人恩賜財団母子愛育会」に改称。初代総裁久邇宮大妃俔子退任。
  • 1947年(昭和22年) 4月 - 「愛育幼稚園」設立。初代園長に山下俊郎が就任。開園時の園児数は19名。
  • 1948年(昭和23年) 4月 - 二代総裁に崇仁親王妃百合子を推戴。
  • 1949年(昭和24年) 4月 - 二代園長に牛島義友が就任。
  • 1952年(昭和27年) 5月 - 社会福祉法人に組織変更。
  • 1953年(昭和28年) 5月 - 八角園舎落成。
  • 1954年(昭和29年) 4月 - 「母と子の教室」開設。
  • 1957年(昭和32年)12月 - 円形園舎落成。
  • 1958年(昭和33年) 5月 - 「ナーサリールーム」開設。
  • 1964年(昭和39年) 9月 - 「愛育研究所」を「日本総合愛育研究所」と改称。
  • 1985年(昭和60年) 2月 - 新園舎落成。
  • 1986年(昭和61年)10月 - 創立40周年記念祭。
  • 1997年平成9年) 4月 - 「日本総合愛育研究所」を「日本子ども家庭総合研究所」と改称。
  • 2001年(平成13年) 4月 - 「母と子の教室」は発展的に解消され、3年保育を導入。 
  • 2005年(平成17年) 4月 - 「ナーサリールーム」が東京都認証保育施設となる。
  • 2010年(平成22年) 9月 - 二代総裁崇仁親王妃百合子退任。
  • 2010年(平成22年)10月 - 三代総裁文仁親王妃紀子を推戴。
  • 2015年(平成27年) 3月 - 「日本子ども家庭総合研究所」廃止。
  • 2015年(平成27年) 4月 - 「日本子ども家庭総合研究所」の一部事業を継続し、新たに医療保健分野を中心とした「愛育研究所」が発足。

園の特色

愛育幼稚園は、初代山下俊郎園長、二代牛島義友園長によって保育方針が確立され、以来その伝統に則った保育が行われてきた。後に東京都立大学教授を歴任し、日本保育学会会長、世界幼児機構(OMEP)日本委員長を務めた山下俊郎は、人間形成の基礎的段階である幼児期に、将来社会的にも文化的にも適応できる行動様式を習得させる必要があるとして、基本的習慣の大切さを強調した。次の牛島義友は、幼児期は「想像生活時代」であるとして、子供の想像力を十分に伸ばすよう、伸々と遊びを豊富に体験させ、遊びを通じて協調的な社会生活を経験するようにとの方針を打ち出した。子供が積木でつくるような夢のある旧・八角形園舎(昭和28年落成)を建てたのもこの趣旨からである。また。牛島は、「発達カリキュラム」をつくり、保育の方針と具体的な経験のさせ方を研究し、指導した。したがって、愛育幼稚園の保育は知識教育ではなく、社会性情操の涵養、基礎的生活訓練を主とした総合的保育のなかで、子供の自然の発達を促進させ、子供の基本的要求(教師を独占したいという強い願望的要求)と他の社会的要求(協力への要求)とを調和的に満足させるような保育となっている。

教育方針


  • 「なごやかな雰囲気の中でのびのびと活動させ、社会性を円満にのばし情緒面の調和的発達を図る」







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8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ふと気になったんですけど、なぜ「非韓三原則」なんでしょう?

なぜ「非朝韓三原則」「非コリア三原則」ではないんでしょう?
北シンパにとって北に三原則は該当しないからでしょうか?

匿名 さんのコメント...

福岡県苅田町って、殆どのニュースが「京都郡みやこぐん」を省いてる件w
やっぱりミヤコは禁句でしょうか(笑)
隣町は、京都郡豊津町w
女子高生、彼氏を刺す

http://matomame.jp/user/bohetiku/03138aa6df06d5a82965

匿名 さんのコメント...

昭恵夫人が涙 新映像入手
03/01 20:40

匿名 さんのコメント...

森永西洋菓子製造所 宮内庁御用達

匿名 さんのコメント...

森永 松崎

匿名 さんのコメント...

当學院精神の拠り所として、必然的なる學院神社造営でありましたが、奇しくも伊勢の神宮と出雲大社とを結ぶ、その線上に在る当地へのご造営となりましたことは、 我が国の根本である「神ながらの道」と当學院との深い繋がりを感ぜざるを得ません。

去る1月17日(阪神大震災の日)私、自らが斎主をつとめ、当地に於いて瑞穂神社造営清祓式の祭典を執り行い、神々へ当學院建設のご報告を申し上げ、 我が国の弥栄と子供たちの安寧を祈願致しました。

瑞穂神社は神宮の鎮まり坐す伊勢の国、宮川上流域の木材と松阪の宮大工によって施工されました。これより行先、当學院はもとより、所縁(ゆかり)の皆様をしかとお見守り下さります。ぜひお参り下さいませ。

瑞穂の國記念小學院 

総裁・校長籠池泰典


(偶然にも平沼赳夫=津山も出雲-伊勢もこの線上にw)

site://tokumei10.blogspot.com 神の通り道 消毒

匿名 さんのコメント...

2017.6.16 19:08
両陛下、皇居外でテニスお楽しみ 混合ダブルスで勝利される 譲位特例法公布日に

東京都内のクラブでテニスを楽しまれた天皇、皇后両陛下=16日午後4時58分
天皇陛下の退位を実現する特例法が公布された16日、天皇、皇后両陛下は、東京都港区の東京ローンテニスクラブで、友人らとテニスを楽しまれた。
一緒にプレーした友人によると、この日は、鎌倉ローンテニスクラブ(神奈川県)との交流試合。天皇陛下は2試合、計約1時間にわたって汗を流された。皇后さまと組んだ男女混合ダブルスで勝利した陛下は、笑顔を見せられていたという。
約2時間、クラブに滞在した両陛下は、友人らに見送られて皇居に戻られた。
両陛下にとって、テニスは出会われるきっかけとなった思い出のスポーツ。今年5月にも、同じ場所で友人らとテニスを楽まれていた。
www.sankei.com/life/print/170616/lif1706160050-c.html

匿名 さんのコメント...

昭和天皇に園児が花束を渡したことは、これまでは必ず事前に審査され承諾された者、つまり指定された検査済みの者、素性の知れた仕込み要員だけに特別に許されていた行為だったが、わずかな隙間をかいくぐって、偶然にハプニングとして花束を渡すことができた幸運なできごと、それだけだった。
当時としては事前の段取りから逸脱したこの行為は、相手がいたいけな園児であったことが幸いして、自然な微笑ましい風景にはなったが、宮内庁サイドでは極めて例外的なハプニングとして認識していたことが昭和天皇実録から読みとれる。
この偶然を経営に巧みに活用したのだろうが、やりすぎ。
逆に、天皇の親しみやすさの演出として、双方に利得が発生したともいえる。