2017年3月5日日曜日

ファン・ボイ・チャウ




いろいろありますがもうめんどうくさいので・・・(爆wwwww




1907年(明治40年)、故郷・東浅羽村に帰っていた浅羽は、道端で行き倒れになっていた、ベトナムの民主主義運動家だった阮泰抜(Nguyễn Thái Bạt)を助けた。そして阮に対して東京同文書院(後の東亜同文書院大学)への入学手続きや学費まで支払い、金銭的な援助をした。これが同じベトナムの民主主義運動家のファン・ボイ・チャウの耳に入り、2人の交流が始まった。
ja.wikipedia.org/wiki/浅羽佐喜太郎



東亜同文会(とうあどうぶんかい)とは、1898年明治31年)から1946年昭和21年)にかけて、日本に存在した民間外交団体及びアジア主義団体。上海に設立された東亜同文書院の経営母体であったことで知られる。現在の霞山会の前身である。








、、、(爆wwwwwww

2 件のコメント:

ご近所 さんのコメント...

管理者としての責任を完全に放棄ですか?w

じゃあたっぷり落とし前つけさせましょうよ)^o^(

匿名 さんのコメント...

天皇とベトナムに入った小室さん、昔、どなたかに追い込みかけられて自殺未遂に追い込まれていたそうです。彼を助けたのがさもAのつく事務所の松の名前がつく社長とネットで工作されてますが、実は心ある日本人たちによびだされて説教されてしぶしぶ金=保釈金を出させられたんですよ。松のつく人は押尾事件のときも名前があがって、女の葬式にでた女の友人からは影愚痴たたかれて死人に口なしと言われてましたね。