2016年11月22日火曜日

中絶女性への「許し」継続 ローマ法王、全聖職者に権限

2016.11.21 23:46更新
中絶女性への「許し」継続 ローマ法王、全聖職者に権限

ローマ法王フランシスコは21日、カトリック教会で罪とされる人工妊娠中絶への許しを求める女性を赦免する権限を、全ての聖職者に無期限で認める考えを示した。許しは一部の高位聖職者にしか認められておらず、法王は信者らの過ちに特別の許しを与える「特別聖年」期間中(昨年12月8日~今年11月20日)に限り全聖職者に権限を認めていた。

法王は聖年閉幕後の21日に公表した文書で「中絶は無実の命を絶つことで、重罪だ」と強調した上で「心から後悔して許しを求めるのなら、神の慈悲で許せない罪は存在しない」と表明。神は誠実に救いを求める人を受け入れるとして、弱者に寄り添う姿勢を示した。

法王は2013年の就任以来、同性愛者や離婚した信者らに対しても慈悲深い対応が必要との考えを示している。ただ教会内には教義に厳格な保守派と、現実社会に合わせた柔軟姿勢を求める改革派との対立がある。(共同)
http://www.sankei.com/world/news/161121/wor1611210083-n1.html





キリスト教

キリスト教は、初代教会から一貫して中絶を殺人と見なし非難している[46][47]ディダケーは、「中絶、殺害によって、子を殺してはならない」と述べる。バルナバの手紙も「堕胎によって子供を殺してはいけない、また生れた子供を殺してはいけない」[48]と述べ、中絶が殺人であると表明している[46]アレクサンドリアのクレメンスは、胎内の子どもを人間とみなした[46]テルトゥリアヌスは、ルカによる福音書1:41、46節、エレミヤ書1:5から、胎児が人間であることを証明し、未形成の胎児でも生きた存在として認めるべきだとした[46]。シリアの神学者エフライムは中絶の罪を犯した者に死刑を宣告した。314年のアンカラ会議は、形成された胎児と未形成の胎児と区別をしないと決定した。カイサリアのバシレイオスは、中絶した女は殺人の罪に問われなければならないとし、また胎児の発達段階に勝手に区別を設けて、妊娠初期などの段階に応じて中絶を認めるという中絶観は、キリストの愛と矛盾するとし、形成胎児と未形成の胎児を区別する議論を退けた[46]。ただし、歴史的にはキリスト教圏でも、教会法が中絶に厳しくなったのは近世から近代にかけてであり、世俗的には中絶も密かに行われていた。動機としては不道徳な性交を隠すため、自分の財産を贈与・相続させないため、生活のため、性的魅力の維持のため、母体の健康の保護のためなどであったとされる[46]。これら中絶を行った者に対するキリスト教会の対応として、カトリック教会では破門になり[49]、プロテスタントでは戒規の対象となる。教派を超えた協力の動きとしては2009年11月、正教会カトリック教会福音派の指導者がアメリカ合衆国マンハッタン宣言を発表し、人間の生命の神聖、結婚の尊厳、良心と信仰の自由を守り、信者に対してこれを圧迫する勢力を斥けることを求めている[50]

カトリック教会

カトリック教会は、1869年のピウス9世の勅書 Apostolicae Sedis は中絶を例外なく殺人と見なしている。これは胎児は受精後直ちに〈人間になる〉存在であるとの見解を示したものであり、ローマ・カトリック教会は公式に他の主張を退けている。20世紀にはこの見解が公教会の教える所のものとなり、医療現場における中絶従事者の破門処分が教会法に明記されている。さらに21世紀に連なる教会の立場を示したのは1965年の第2バチカン公会議であり、ここでは生命をその胚胎から尊重する意味で中絶は罪であるとされ (Gaudium et Spes)、中絶を禁ずる根拠が姦淫の罪の隠蔽だけではなく生命の尊重へと深化した。また1968年にはパウロ6世が回勅『フマーネ・ヴィテ』(Humane Vitae) で同様に生命の尊重と人工的な産児制限への反対を表明した。これら以降の中絶の議論においては、胎児が中絶の時点で〈人間であるか否か〉という主張は退けられ、1970年代から21世紀まで続く生存権を背景にする反中絶の立場、すなわち胎児は受胎(受精)の瞬間から〈生命〉であるためその生存する権利を侵すことはできない、仮に様々な事情で親が育てならない場合は養子縁組をすることで中絶はせず子供も生存できるとする立場を教会はとっており、これを受けて今日では多くのプロライフ団体が中絶の廃止に向けて活動している[51]。そして、カトリック系の大学である上智大学において、1991年4月にプロライフの立場から国際生命尊重会議が実施され1991年4月27日に胎児の人権宣言が宣言された[52]。生殖と無関係な性交は常に断罪されてきた。ただし、妊娠初期の中絶についてはカトリック教会内ではかつて議論が存在した[51]。それは5世紀のアウグスティヌス、中世の神学者トマス・アクィナスヴィエンヌ公会議にあった議論である[51]。しかし、今日のローマ・カトリック教会においてこれらの主張は退けられている。1588年にローマの風紀の悪化を重く見たシクストゥス5世により中絶や避妊を殺人の罪に相当する「破門」に処すとの勅書 (Effraenatam) が発せられるが、3年後の1591年にグレゴリウス14世によって緩和された。この時に「殺人および魂を宿した胎児が関わっていない件については、教会法および市民法よりも厳しい罰は課さない」旨の勅書 (Sedes Apostolica) が発せられ、これは1869年まで効力をもった。17世紀においても胎児が受胎から期間を経て〈人間になる〉との見解を支持する立場があったが、教会は姦淫の罪を隠蔽するものとしての中絶には厳しい態度で臨み、インノケンティウス11世はたとえ妊娠した少女がこれを咎めた両親による殺害に直面したとしても中絶は容認されないとしている[51]

プロテスタント

プロテスタントジャン・カルヴァンマルティン・ルター以来、初代教会と同様に人工妊娠中絶を殺人の罪と見なしてきた。1960年代の後半以降には中絶を容認するプロチョイス(選択派)の立場もあり、その見解を反映して様々な運動団体が組織されている[53][54]自由主義神学フェミニスト神学はプロチョイスの立場をとるとされる[55]。一方、保守的なプロテスタントは中絶に強く反対しており、その立場はプロライフ(生命尊重)と呼ばれ、日本にはプロライフ団体の小さないのちを守る会などがある[56]。また、20世紀後半のアメリカ合衆国における人工妊娠中絶の合法化を巡る議論では福音主義者・根本主義者などを中心にした保守的キリスト教の立場が、この論点を主要な課題として掲げ、プロライフ(生命尊重)を主張している[57]

イスラム教

イスラム教では中絶は母体を救うという目的以外はハラーム(禁止)であると記述されている。また一部の宗派においては胎児が受精120日以内では入魂していないので道義的には悪であることには変わりないが、宗教法で罰せられるハラーム(禁止)ではないとの立場を取ると記述されている[58][53]

仏教

中絶は仏教徒において最も重要な戒律である不殺生戒に触れるため、伝統的な仏教では中絶に反対している[59]。これの根拠は仏教宗派殆どすべての系列で受け入れられている上座部の経典において、中絶に僧が関与した7つの案件に関して全て例外なく、釈迦はサンガからその僧侶を追放するべしとの結論をだしたとの記述が存在するからである[59]。さらに詳しく述べれば、生命の始まりは性行為、女性の生理、輪廻の魂の入魂が合致した時に成立するとされる。この文面から、受精し胚になった段階で生命とみなし、それを破壊することは殺生であるとの考え方が一般的である[59]

ヒンズー教

ヒンズー教の主要経典では、中絶に関する直接の記述が存在する。中絶は、親や僧を殺すに当たる大罪であるや、中絶を行った女性はカーストを喪失するなど、中絶がヒンズー教の不殺生の重大な違反であるという立場を明確にしている[60]

ユダヤ教

ユダヤ教は民族が経験した苦難の歴史から子供、および子孫繁栄に大きな価値をおく宗教となっているものの、胎児は完全な人間であるとはみなさないので妊娠初期の中絶には一定の理解を示す、妊娠中期以降は反対との立場をとる[61]中絶を女性の選択肢として認める立場は主に、アメリカなどの改革派のユダヤ教徒の立場である[要出典]

ゾロアスター教

聖典アヴェスターの『ウィーデーウ・ダート』第十五章9-15では堕胎を行うこと、また家族が堕胎を行わせることを禁じている。妊娠した女性が相手の男性に妊娠を告げ、その後男性側が、老婆(流産をもたらす薬効に通じた人物)に堕胎させてもらえ、と女性に言い、女性が「老婆」に依頼し、堕胎が完了したとする。この場合、女性、男性、施術を行った人物は三人とも等しく罪をおかしたことになるとされる。たとえ妊娠させた相手が未婚だとしても男性側は子供が生まれるまで世話しなければならない[62]



で、世界連邦法的にはどうなんでしょうか?(爆wwwwwwwww





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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

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