2016年8月12日金曜日

九条の真の提案者は喜んでThe Symbol of the Stateになる前の・・・  

「9条は幣原首相が提案」マッカーサーが憲法調査会の高柳会長に宛てた書簡に明記された史料を発見・・・「押しつけ憲法」否定


日本国憲法の成立過程で、戦争の放棄をうたった九条は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時、以下同じ)が連合国軍総司令部(GHQ)側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた。
史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。
今秋から各党による憲法論議が始まった場合、制定過程が議論される可能性がある。 (安藤美由紀、北條香子)

九条は、一九四六年一月二十四日に幣原首相とマッカーサーGHQ最高司令官が会談した結果生まれたとされるが、どちらが提案したかは両説がある。
マッカーサーは米上院などで幣原首相の発案と証言しているが、「信用できない」とする識者もいる。

堀尾氏は五七年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。
高柳は「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、
幣原の発案と結論づけたとみられている。だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。

堀尾氏は国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。今年一月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、
高柳は五八年十二月十日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。

マッカーサーから十五日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいる。

九条一項の戦争放棄は諸外国の憲法にもみられる。しかし、二項の戦力不保持と交戦権の否認は世界に類を見ない斬新な規定として評価されてきた。
堀尾氏が見つけたマッカーサーから高柳に宛てた別の手紙では「本条は(中略)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」とあり、堀尾氏は二項も含めて幣原の発案と推測する。

改憲を目指す安倍晋三首相は「(今の憲法は)極めて短期間にGHQによって作られた」などと強調してきた。堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話す。

<しではら・きじゅうろう> 1872~1951年。外交官から政界に転じ、大正から昭和初期にかけ外相を4度務めた。国際協調、軍縮路線で知られる。軍部独走を受けて政界を退いたが、終戦後の45年10月から半年余り首相に就き、現憲法の制定にかかわった。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201608/CK2016081202000116.html




幣原喜重郎は幣原九市郎の婿養子である幣原新治郎の次男として生まれた[25]。新治郎の長男、つまり喜重郎の兄にあたる幣原坦(幼名・徳治郎)は東洋史学者で教育行政官[25][26][27][28]。坦の次女・澄江は農芸化学者古在由直の長男・由正に嫁いだ[26][29][28]。由正・澄江夫妻の長男が「コザイの式」で知られている天文学者古在由秀であり[26][28]、由正の弟、すなわち由直の次男がマルクス主義哲学者古在由重である[26][28]。古在由秀は最後の東京天文台(国立天文台の前身)台長及び国立天文台の初代台長を務め「星の手帖」(既に廃刊)の編集委員としても知られており、2009年平成21年)には文化功労者に選ばれている。また坦の孫にあたる幣原廣は弁護士で、古在由秀の従弟にあたる。第二東京弁護士会所属であり、副会長経験あり。多数の委員会活動に関与しているため、弁護士会では「多重会務者」などと呼ばれている。
幣原喜重郎の妻・雅子は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の四女。したがって喜重郎は加藤高明(春路夫人が弥太郎の長女)や岩崎久弥(弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)、木内重四郎(磯路夫人が弥太郎の次女)らの義弟にあたる[30]。ただし春路・久弥・磯路の3人は弥太郎の正妻・喜勢が産んだのに対し雅子は妾腹の出である。したがって雅子は春路・久弥・磯路の異母妹にあたる。喜重郎・雅子夫妻は3人の男子をもうけた。長男・道太郎は元獨協大学教授[25]、次男・重雄は元三菱製紙勤務[25]、三男・平三は夭折。なお幣原内閣で大蔵大臣を務めた渋沢敬三も磯路の婿にあたる姻戚である[30]。渋沢敬三は渋沢栄一の孫にあたり、日銀総裁や大蔵大臣を務める傍ら、日本における民俗学の発展に多大な貢献をした学者でもある。また、1947年岩崎家との縁から、財団法人東洋文庫の理事長に就任し、三菱財閥解体をうけて運営危機に陥った同文庫を翌年に国立国会図書館支部として維持させることに成功した。戦前より続く日本の東洋学研究の中心であった同文庫を解散の危機から救ったその功績は今日少なからず評価されている。
























、、、(爆wwwwwwwwwww

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

http://www.nippon.com/ja/column/g00269/

匿名 さんのコメント...

"Kellogg-Briand Pact" "Article 9"

匿名 さんのコメント...

幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について

反帝平和主義 さんのコメント...

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう。

匿名 さんのコメント...

「私たちが日本の憲法書いた」=トランプ氏の核武装論を批判-米副大統領

【ワシントン時事】バイデン米副大統領は15日、ペンシルベニア州スクラントンで米大統領選の民主党候補ヒラリー・クリントン前国務長官(68)の応援演説を行い、「私たちが(日本が)核保有国になり得ないとうたった日本の憲法を書いた」と発言した。

 大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏(70)が主張する日本や韓国の核武装容認論を批判したものだが、副大統領が日本国憲法を「私たちが書いた」とあからさまに言うのは異例。バイデン氏は、「(トランプ氏は)学校で習わなかったのか?彼に(大統領として)核兵器発射コードを知る資格はない」とも攻撃した。 
 一方、バイデン氏は6月、米公共テレビ(PBS)のインタビューで、中国の習近平国家主席に対して、北朝鮮の核開発阻止で協力を求める文脈で「日本は事実上、一夜で核兵器を製造する能力がある」と語ったことを明らかにしている。