2016年8月18日木曜日

ドイツ生まれの白いミシシッピアリゲーター(笑)

 真っ白な細長い体に、ぎょろりとした赤い目がひときわ目立つ。静岡県河津町の動物園「iZoo(イズー)」が突然変異で全身が白くなった珍しいワニを展示し、来園者を楽しませている。

ドイツ生まれのミシシッピアリゲーターの雌で4歳。体長は140センチほどだ。「アルビノ」という遺伝子異常で色素が欠乏し、白くなった。白輪剛史園長(47)によると、アルビノのミシシッピアリゲーターは世界的に希少で、展示は国内で初めてという。

アルビノの個体は光に敏感で視力が弱いため、照明をまぶしすぎないようにし、えさを目の前に置くなど、特性に配慮しながら育てている。

夏休み真っただ中の8月上旬、園を訪れた家族連れやカップルが写真を撮りながら、物珍しさに驚きの声を上げていた。浜松市の松葉敦達さん(24)は「神秘的で、しかも(顔立ちが)イケてますね」とまじまじ見つめていた。8月末までの展示。

http://www.sankei.com/life/news/160818/lif1608180008-n1.html





  • 1986年、平凡社「動物大百科」のCM出演。



  • ja.wikipedia.org/wiki/白輪剛史




    株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本出版社百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「TRON 2-9C72.gif」を用いる(大正末期創業のため)。
    教育家の下中彌三郎が設立。1923年株式会社となる。創業当初に刊行された『現代大衆文学全集』や『世界美術全集』からはじまり、『東洋文庫』や『別冊太陽』にいたるまで、学術的成果を一般読者に還元する出版物を多く出している。


    下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。
    1878年6月12日、兵庫県多紀郡今田村に生まれ、幼くして父を亡くし陶工となる。1898年神戸市雲中小学校の代用教員となり、小学校準教員検定試験に合格。1902年に上京、『児童新聞』や『婦人新聞』の編輯に携わる。1910年中等教員検定試験教育科に合格し、1911年 - 1918年埼玉県師範学校の嘱託教師となる。農本主義の影響を受け、1919年、啓明会を結成(翌1920年に日本教員組合啓明会と改称)。学習権、教育委員会制度、教員組合結成の促進を要求した「教育改造の四綱領」を発表。1923年、「教育の世紀社」を創立。1924年、「児童の村小学校」の設立に協力する。その間、1914年には『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために平凡社を創設、1931年 - 1935年には『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。1930年頃から国家主義国家社会主義)の立場に立ち、新日本国民同盟日本革新党などを創設。1940年には大政翼賛会の発足に協力、大日本興亜同盟の役員となる。

    敗戦後、公職追放1951年、追放解除とともに再び平凡社社長に復帰。1955年世界平和アピール七人委員会を結成。1955年 - 1959年、『世界大百科事典』を出版。1957年、日本書籍出版協会初代会長。晩年は平和運動や世界連邦運動を推進した。1961年2月21日没。享年82。









    、、、(爆wwwwwwwwwwwww

    おまけ

     札幌市の円山動物園のアムールトラのオス「タツオ」が18日、19歳4カ月で死んだ。
    国内で飼育されている最高齢のオスだった。
     名古屋市の東山動物園生まれ。99年に円山動物園に迎えられ、2004年には
    ドイツ・ベルリンの動物園から花嫁として「アイ」を迎えたが、子宝には恵まれなかった。
    今月6日ごろから食欲がなくなり、16日に牛レバーを少量食べたのが最後の
    食事になった。
     飼育展示課の箕岡健輔係長は「人なつっこい性格で、オスにしては穏やかな
    顔つきだった。タツオを見て心が和んだ来園者は多かったと思う。まさに究極の
    癒やし系の男子でした」と振り返った。
     アムールトラはロシアや中国に生息し、絶滅危惧種に指定されている。園によると、
    国内では62頭が飼育されており、メスの最高齢は旭山動物園(旭川市)にいる
    という。
    asahi.com
    http://www.asahi.com/articles/ASJ8L53Y6J8LIIPE00H.html

    2 件のコメント:

    匿名 さんのコメント...

    "リスザルは輸出をストップしていた国と直接交渉して輸出の窓口を開けました。それで独占的に輸入できるようになり、1990年代のリスザルは全部うちから出ていました。サルのおかげで家が建ったようなものです。"

    世界に向けて罰ゲーム、オシオキが欲しいと、おねだりしているようなものですね!

    匿名 さんのコメント...

    "当初5万セット売れれば上々との見込みを大きく上回り、4年間で100万セットを売り上げ"