2011年3月17日木曜日

米国が東京、名古屋、横浜にいる約600人の大使館スタッフの家族の自主的出国を承認


さらに米国務省は16日、チャーター機を東京に向かわせ、米国人の日本出国を支援するとともに、東京、名古屋、横浜にいる約600人の大使館スタッフの家族の自主的出国を承認したことを明らかにした。

名古屋もですか・・・
横須賀から米軍が撤退したら東京はアウトかもね。

23 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>名古屋もですか…。
となると、こちらもアウト範囲内です。
春休みから某所に疎開と思いましたが、
間に合わない悪寒…。

匿名 さんのコメント...

<東日本大地震>中国「人民解放軍医療部隊を送る」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=138255&servcode=A00&sectcode=A00

バ菅は受け入れそうな悪寒ですね・・

匿名 さんのコメント...

小沢、生きてた…。

http://ozawa-ichiro.jp/
東北関東大震災に際して
 11日発生の東日本巨大地震と津波による大災害に際しまして、岩手県、宮城県、福島県の3県をはじめ、全国で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 また、被災で亡くなられたご遺族の皆様に、衷心よりお悔やみを申し上げます。

 今日の地震と津波による、福島県の原子力発電所における火災や、爆発による放射性物質拡散などの事態につきましては、政府、東京電力に対し、正しい情報を迅速に公表することを、強く求めるものです。

 この度の災害は、現在も被害の実態が把握できないほどであり、戦後の荒廃期に匹敵するほどの危機的状況ともいえます。

 私たち日本国民は有史以来、幾多の国難を乗り越えてきました。この事態にあたり、今こそ私たちは、その勇気と英知を結集して、この危機を乗り切らなければなりません。

衆議院議員 小沢 一郎


最終更新日:2011年3月17日

匿名 さんのコメント...

仙谷前官房長官が官房副長官に
http://livedoor.blogimg.jp/newsfact/imgs/1/d/1dbd55a0.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/newsfact/imgs/a/b/ab96bd36.jpg

更に手詰まり

匿名 さんのコメント...

>横須賀から米軍が撤退したら東京はアウトかもね

米軍撤退後に首都圏で工作員が、暴動を起こす。
自国民保護を名目に支邦政府が、人民解放軍が進駐をバ菅政権に要求。
バ菅、喜んで受け入れる。
そのまま、永久に駐留。
西日本:米帝、東日本:支邦で分割統治完了.

匿名 さんのコメント...

そういや原子力のCMで三五とか言う名字の職員が出てたと思うんだけど気のせいかなあ、ちゃんと見とけばよかった。

ミネ さんのコメント...

普段ある地震ですら怯える外国人にとって
これだけ揺れ捲るのは驚異のストレスだろうという帰国
つまりは放射能でなく地震が理由
だったらいいなと思うけども

名古屋は別プレートだった ぬをっ

匿名 さんのコメント...

名古屋では刃傷沙汰とか

弘道会関連では・・・

備蓄の仕分けやら実に
的を得てルーピーとは
思えませんねぇ。

匿名 さんのコメント...

オザワン キタ
ttp://www.ozawa-ichiro.jp/

ミネ さんのコメント...

ダサいにもほどがあるんですけどミンスの軍服ですか?
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/photonews/278661.html

ヤクポッポ さんのコメント...

>どこの軍服
なぜかサマナ服と錯覚したっす

つかZAKZAKに消失を指摘されたその日のHP更新するオザワンバロス
光学迷彩が解けて「スーツがオシャカになった!」って感じかい?w

各社もおざわんの動向を記事にし始めたね

じゃあ次の手口は
「被災地の代表として政府の数値隠しを追及するホワイトナイト計画」
じゃなイカ?

(自称)被爆者がおざーの身内から出たら100パーセントこの路線だとオモ

どうせなら被災者向けに赤坂のホテルとか秘書寮とか解放してやれば
もっと高得点スよおざーさん

匿名 さんのコメント...

フランス外務省は3月17日、東京周辺在住のフランス人に安定ヨウ素剤の配布を始めたと発表ー

原発周辺住民は「ヨウ素剤飲むべきだった」 識者が8月27日になって指摘
http://www.asahi.com/national/update/0827/TKY201108270350.html
3月17日、18日に福島県で実施された住民の外部被曝検査の数値を計算すると、4割が安定ヨウ素剤を飲む基準を超えていた恐れがあるという。

どんな資格の人が何をどう検査して、そのときに、誰の責任で、安定ヨウ素剤を服用しなくて大丈夫だと判断したの?

匿名 さんのコメント...

日医工  内部被曝予防の医薬品、25万人分出荷( 2011年3月14日 )
http://nk.jiho.jp/servlet/nk/kigyo/article/1226555575204.html?pageKind=outline

「ヨウ化カリウム丸」約25万人分を3月12日に福島県の卸へ出荷(無償)した。

この25万人分の「ヨウ化カリウム丸」って、どうなったの?

匿名 さんのコメント...

「安心して暮らしたい」福島の子どもが政府に訴え
http://www.youtube.com/watch?v=cqWS-6wjD_0&feature=player_embedded

わたしは普通に子どもが産めますか、何歳まで生きられますか

匿名 さんのコメント...

Japan Officials Failed to Hand Out Radiation Pills in Quake's Aftermath
SEPTEMBER 29, 2011
http://.wsj.com/article/SB10001424052970204010604576596321581004368.html

予めヨウ素剤の備蓄のある原発周辺の自治体は、東京(政府)からの指示があって、住民へのヨウ素剤の配布を認められる仕組み。専門家の指摘があったにも関わらず、政府が適切な指示を出さなかった為に、然るべき時期にヨウ素剤の服用ができなかった。事態の深刻さを独自に判断した一部の自治体では、指示が出されなかったが、住民の健康を考えて配布した。

匿名 さんのコメント...

上記の記事は、現在ではアドレスバーに直接入力してもアクセスできず、以下のアドレスに変更されています。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204010604576596321581004368.html

日本版
配布されなかった安定ヨウ素剤―福島原発事故後の混乱で
2011年 9月 29日
http://jp.wsj.com/Japan/node_316375

記事の中で言及されている、長崎大学の教授で事故後、福島県でアドバイザーを務めた松田尚樹先生のサイトは以下です。

「避難所の住民の不安を煽らないために、アラーム音は消すこと、タイベックスーツやマスクもなるべく着用しないことなどが申し合わされた」という「福島ルール」も確認できます。
http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/nuric/docs/from.html

今後、運悪く、同様の事態に遭遇した場合、アラーム音が意図的に消されていることもあるのですね。まあ、ピィピィ連続して鳴っていたら、それはそれで、苦しいですが。

匿名 さんのコメント...

上記の記事は、以下のアドレスに変更されています。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204010604576596321581004368.html
日本版
http://jp.wsj.com/Japan/node_316375

記事の中で言及されている、長崎大学の教授で事故後、福島県でアドバイザーを務めた松田尚樹先生のサイトは以下です。
「避難所の住民の不安を煽らないために、アラーム音は消すこと、タイベックスーツやマスクもなるべく着用しないことなどが申し合わされた」という「福島ルール」も確認できます。
http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/nuric/docs/from.html

今後、運悪く、同様の事態に遭遇した場合、アラーム音が意図的に消されていることもあるのですね。まあ、ピィピィ連続して鳴っていたら、それはそれで、苦しいですが、相手は目に見えないから、現実認識が大切です。

…汚染の現実に追従するように引き上げられた基準値であるが、という表現が出てくるのですが、3月11日以降、これらの深刻な事態に、政府当局がとってきた対応を鑑みて、万が一、将来、遭遇してしまったら、自分が測定された値を直に確認して、WHOの勧告に従えば、ヨウ素剤を服用する範囲だから、服用させてほしい、とか自分から申し出なければなりませんね。

2011年3月13日の09時30分 付の原子力災害対策現地本部長名で出された指示(案)
http://www.nsc.go.jp/senmon/shidai/hibakubun/hibakuken021/siryo-21-5.pdf

匿名 さんのコメント...

スイスでは原発から半径20キロメートル以内の住人は、全員ヨウ素剤を持っている。それが原発を持つ国の安全対策の基本であり、国民に対する責任だ。たとえ持っていなかったとしてもすぐに子どもに配るべきだった。

http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=31290712

該当する日本の地方自治体の首長も、気に留めてほしいですが。

匿名 さんのコメント...

米帝様の見立ては、工事ミスがなけりゃ、大正解だったってことですね。

4号機、工事ミスに救われた震災時の福島第一原発
2012年3月8日
http://digital.asahi.com/articles/TKY201203070856.html

東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていた

シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。

4号機核燃料プールの危険性
http://nucleus.asablo.jp/blog/2012/03/10/6369818
http://nucleus.asablo.jp/blog/2012/03/10/6369825

だからといって、ミスしてばかりでよろしいとは言えませんね。


非常用電源未接続 情報送れず(1月19日 13:00更新)
東京電力福島第一原子力発電所で、原子炉の状態などのデータを監視している国のシステムへ情報を送る装置に非常用電源が接続されていなかったため、震災直後に必要な情報を送れなくなっていたことが分かりました。
非常用電源が接続されていなかったのは、全国の原発の原子炉の温度や、周辺の放射線量などの情報をリアルタイムで監視する「ERSS」という国のシステムに情報を送るための装置です。
東京電力によりますと、福島第一原発では、事故の4か月前のおととし11月、この装置に予備として非常用電源を接続することを計画していましたが、用意したケーブルの長さが足りずに、接続しないまま放置していたということです。
このため福島第一原発では、去年3月11日の地震直後に外部電源を失って以降、必要な情報を送れなかったということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20120119/1300_erss.html

どちらも2010年11月の工事に行われているミスですが、どこの業者なのでしょう?

寸法違いだのケーブルの長さが足りないだの、部品落としちゃったとか…津波だ地震だ補助電源の確保だいう以前の問題だ。

おまけに

原子力学会:福島原発事故、独自調査へ 「志低い」批判で
2012年3月19日

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120320k0000m040056000c.html>

「学会として科学的な事故分析をまとめていないのは志が低すぎる」と批判

放射能漏れと連動しての「おしっこちびりまくりの与太話」満載の「報告書」が人気の日本。

日本以外の国の行政機関や業界団体、学会、シンクタンクは、これまでに膨大な報告書をWEB上にアップ。

揃いも揃って有閑有識者満載の日本。

匿名 さんのコメント...

国務省から事実上追放されたメアさんによれば、2011年3月11日以降、日米間の調整にあたった際に、日本からもたらされた情報のひとつに、日本政府側は東電が全面撤退する、と解釈しているらしい情報があり、そのことが自主出国を促す要因となり、米国においては日本の大使を呼び出し、これは東京電力の問題ではなく日本は国家として積極的に関与する事態でしょ、という話をした、と本日午前8時からの日本テレビの特集で話していました。

東電が全面撤退するようだから米軍に入ってもらおう的なものが出されてきたから、米国大使館がひとつの決断を下す理由のひとつになったと。

そりゃそうですね。

匿名 さんのコメント...

Japan, US officials recall 2011 disaster relief
Former Japanese and US senior officials involved in relief operations following the March 2011 disaster that hit northeastern Japan gathered at a symposium in Washington on Tuesday to look back on the disaster.

Friday of this week marks the 5th anniversary of the massive earthquake and tsunami that devastated northeastern Japan, followed by a nuclear power plant accident in Fukushima Prefecture.

In a speech at the symposium, former US Ambassador to Japan John Roos said President Barack Obama had instructed him to do whatever he could to help Japan, a friend of the United States.

Roos stressed that the 2 countries together overcame the crisis and deepened ties.

A senior member of Japan's opposition Democratic Party, Goshi Hosono, expressed gratitude for the US assistance. Hosono served as nuclear crisis minister in the Democratic government following the disaster.

He said that while the situation in Fukushima Prefecture remains serious, signs of positive development are now being seen.

A former chief of staff of Japan's Self-Defense Forces, Ryoichi Oriki, and a former commander of US Forces in Japan, Burton Field, stressed the importance of the Japan-US alliance, recalling the massive relief operation mounted by US forces.

Oriki was in charge of the SDF relief operations and dealing with the nuclear crisis, and Field led the US relief mission called "Operation Tomodachi."

www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160309_12/

匿名 さんのコメント...

2016.2.23 07:00
【福島第1原発事故 5年目の真実(1)】米、誤情報で80キロ退避勧告 米軍制服組トップ「自衛隊は何しているんだ」


廃炉作業が続く東京電力福島第1原発。現在の姿を象徴するかのように、福島県双葉町と大熊町にまたがる施設前の太平洋は好天にもかかわらず荒れていた(大西史朗撮影)
 東日本大震災から間もなく5年。それに伴って発生した福島第1原発事故はいまなお日本に暗い影を落としている。あのとき何が起きていたのか、そして今は-。福島第1原発をめぐる“真実”を追う。

米軍制服組トップ「自衛隊は何しているんだ」

 「自衛隊は何をしているんだ」。米軍制服組トップのマイケル・マレン統合参謀本部議長は東京電力福島第1原発事故から数日後、自衛隊トップの折木良一統合幕僚長に電話でこう迫った。

 自衛隊関係者によると、日本政府が東京電力任せとも取れる対応に終始していたことに業を煮やしたためだという。原子力空母や原子力潜水艦を世界で運用している米軍には放射線の専門家がおり、原発を早期に冷却しなければ放射線が大量に放出されかねないと危機感を強めていた。

 マレン氏の電話によってさまざまな事故対応が動き出し、原発事故から7日目の平成23年3月17日、日本政府は陸上自衛隊のヘリコプターによる冷却水投下に踏み切った。

×  ×  ×

 この出来事に象徴されるように、米政府は日本政府の対応に不信感を募らせていた。

 米東部時間の3月16日朝、ホワイトハウスのシチュエーションルーム(緊急対応室)。「米国で50マイル(約80キロ)退避になる事態なら、日本に住む米国民にも同じ勧告をしよう」

 原発事故への対応を話し合う会議は、日本在住の米国民に対する避難勧告の規模をめぐって意見が割れた。最後に決断を下したのが、オバマ大統領だった。

 原発の半径80キロ圏内からの退避勧告。オバマ氏の決断の根拠になったのが、米原子力規制委員会(NRC)の判断だ。米国で同じ事故が起きた場合には「80キロ圏内からの退避」を実施すべきだと進言していた。日本政府が当時示していたのは「半径20キロ圏内からの退避」。それより格段に広い範囲が対象となる「80キロ退避勧告」は3月16日午後(日本時間17日未明)に出された。日本政府の判断に公然と疑問を呈する勧告であり、会議では「日米同盟に悪影響を及ぼすのでは」との懸念も出たという。だが米政府は、在日米国人17万人の安全確保を優先した。

 米国務省は「80キロ退避」の決定を受け、日本側に「必要があれば在日米軍の避難もありえる」との通告を突きつけた。ホワイトハウスでは、原発から200キロ以上離れた東京に住む9万人の米国人の避難が必要になる可能性も検討された。ある高官は「現実となれば東京にパニックを引き起こしかねない事態だった」と振り返る。

 米国の対日不信がにじむ勧告にはしかし、重大な欠陥があった。

×  ×  ×

 NRC内部の危機感を急速に高めたのが、3月16日朝、事故対応のため日本に送り込んでいた支援チームから寄せられた「4号機の爆発で使用済み核燃料のプールが崩壊した」との情報だった。プールの水がためられなくなれば使用済み核燃料が冷却できなくなり、大量の放射線が漏れ出すリスクが高まる。これは後に誤情報であることが明らかになったが、情報が入ったのはホワイトハウスで会議が開かれる数時間前。NRCの動揺がそのまま会議の流れを決める形となった。

 では、なぜ退避の規模が半径80キロに決まったのか。決め手となったのは米エネルギー省の航空機を使った観測で、原発の北西側40キロの地点で高い放射線量が測定されていたという事実だ。当時、来日してNRCの支援チームを率いたチャールズ・カストー氏は産経新聞に驚くべき証言をした。「緊急事態に対応しなくてはならなかった。80キロ退避は高い放射線が見つかった地点の40キロという数字を、念のために2倍してはじき出したのだ」



非科学的、冷静さ欠く決定 米規制委員長「事故当日に信頼崩れていた」

 「東京電力福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールが崩壊」との情報は、2号機の原子炉の状況を最重要視していた米原子力規制委員会(NRC)にとって想定外の事態だった。

 「水が入れられないなら、何でもいいから入れろ。泥でも砂でもプールに入るものなら何でもだ」。NRC本部から日本の支援チームにげきが飛んだ。

 だが、日本政府は4号機の「プール崩壊」情報をこの後に否定。枝野幸男官房長官は米国による「80キロ退避勧告」の発出から約10時間後の日本時間平成23年3月17日正午ごろ、「情報伝達に時間的な差があった」と述べ、米国に誤った情報が伝わっていたことを認めた。4号機のプールはその後、徐々に安定的な冷却状態へと向かう。

 NRCのグレゴリー・ヤツコ委員長は勧告を出した翌日の17日の記者会見で、「いくつもの相反する情報があるが、プール内の使用済み燃料の冷却が難題であることは明らかだ」と弁明し、情報の軌道修正に追われた。米国内の規制では原発周辺の避難計画は16キロ圏内までしか想定していない。にもかかわらず、「80キロ退避」を打ち出したことには米国内でも強い批判が出た。

 原発事故から2カ月後、マサチューセッツ工科大学の専門家チームは「20マイル(32キロ)を超えるような退避勧告は出すべきでない」とNRCの決定を批判する報告書を発表した。行き過ぎた範囲の住民の退避に力を注げば、災害で重大なダメージを受けた住民や地域への対応能力を削(そ)ぐ可能性があるからだ。

×  ×  ×

 状況把握と対策に頭を悩ますNRCに、追い打ちをかけたのが米軍だった。

 「ひとつの原子炉を失えば、すべての原子炉を失うことも大いにあり得る。われわれは事態を過小評価しているのではないか」

 ある海軍関係者は3月16日朝の電話会議で、それまで日本の20キロ退避勧告に異を唱えていなかったNRCに決断を迫った。福島から270キロ離れた横須賀の米軍基地や福島沖160キロの艦船で高い放射線を検知しており、安全確保への強い危機感があった。

 日本政府は避難指示区域を3キロ、10キロ、20キロと段階的に拡大し、状況は悪化の一途をたどるかにみえた。駐日米国大使だったジョン・ルース氏は5年前の心境について、「日本政府の判断を疑ったわけではない。ただ、米国として日本と異なる勧告を出すことは大きな問題ではなかった」と明かす。

 これに対し、米国務省で対日支援の調整役を務めたケビン・メア氏は、米軍撤退の可能性まで口にした米政府内の反応は行き過ぎだったと振り返る。「米国には日本政府が正確な情報を伝えているのかといういらだちがあった」

×  ×  ×

 「80キロ退避」決定の当事者だったヤツコ氏は今回の取材で、「米国の勧告が日本政府への信頼を損ねたといわれるが、信頼は原発事故が起きたその日のうちに崩れていた」として、日本政府を厳しく批判した。また、英国やドイツが原発から200キロ以上離れた東京からの退避を呼びかけていたことと比べれば、「米国の決定は比較的穏当なものだった」と強調した。

 しかし、原子力に深い知見を有する米国の影響力は大きい。原発から40キロの地点で高い放射線量が測定され、それを「念のために2倍」したのが80キロ退避の最大の根拠だったのなら、あまりに非科学的で冷静さを欠いた判断だったというほかない。

 原発事故から約1年間にわたって何度も福島第1原発に足を運び、吉田昌郎所長らとともに原発事故の現場で対応に当たったNRCのカストー氏が言う。「当時の米国としては妥当な判断だったが、誤情報に基づいていたことも確かだ。後から考えてみれば、80キロ退避勧告を出すことはなかった」 (肩書は当時)



 東京電力福島第1原発事故

 平成23年3月11日の東日本大震災により、福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)で発生した炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発を伴う過酷事故。大量の放射性物質の飛散と汚染水の海洋流出を引き起こし、深刻度は国際原子力事象評価尺度(INES)で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故以来2例目の「レベル7」に分類される。

 三陸沖の海底を震源とするマグニチュード(M)9・0の地震により、運転中だった1~3号機が緊急停止。約50分後に最大高さ約13メートルの津波が敷地全体に押し寄せ、原子炉6基のうち、1~5号機で全電源を喪失、原子炉や燃料貯蔵プールの冷却ができなくなった。1~3号機で炉心溶融が起き、1、3、4号機の原子炉建屋が水素爆発。放射性物質が大気中に放出され、原発から半径20キロ圏内の住民に避難指示が出た。現在も、多くの住民が避難生活を余儀なくされている。

 事故をめぐっては、国際原子力機関(IAEA)が27年9月、東電や日本政府の規制当局に対し、「津波の危険を認識していながら、実効的な対策を怠っていた」とする最終報告書をまとめている。
©2016 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.
sankei.com/affairs/news/160223/afr1602230004-n1.html

匿名 さんのコメント...

2016.3.7 13:00
【元統合幕僚長が原発事故を振り返る】米統合参謀本部議長は言った…「日本政府は適宜適切に決心してるのか?そこを心配しているんだ」


離任式で栄誉礼を受ける折木良一元統合幕僚長(中央)=平成24年1月31日、東京都新宿区の防衛省(栗橋隆悦撮影)
 平成23年の東日本大震災と東電福島第1原発事故の際に統合幕僚議長を務めた折木良一氏が当時を振り返った。

          ◇

 平成23年3月11日の東日本大震災では、自衛隊制服組トップとして初めて陸海空自衛隊からなる統合任務部隊を編成し、被災者の救助、行方不明者の発見に全力で当たりました。約10万人の自衛官が困難な任務に向き合ってくれました。

 一方、11日午後7時半に北沢俊美防衛相の原子力災害派遣命令を受け、東京電力福島第1原発には中央特殊武器防護隊長の岩熊真司1佐らが入り、支援していました。専門家が現場で対応していたので抑えられると思っていました。認識が一変したのは、14日午前11時1分の3号機爆発です。

 その日、東北方面総監の君塚栄治陸将を統合任務部隊指揮官に任命するため、仙台市に向かっていました。任命式の直後、3号機爆発の報告を受け、「原発がとんでもない方向に進んでいる。これはやばい」と直感しました。

  ■    ■

 米政府や米軍も原発事故に神経をとがらせていました。翌15日、米軍制服組トップのマイケル・マレン統合参謀本部議長から電話がありました。米側は当時、情報がないことにものすごく焦っていました。米軍は何でも支援する姿勢を示してくれていましたが、原発に関しては「いろんな情報を提供してほしい」ということでした。ただ、政府も原子炉の正確な情報を把握できていなかったし、自衛隊も持っていなかった。

 マレン氏から2回目の電話があったのは、17日午前7時半でした。「日本政府は適宜、適切に決心しているのか。そこを心配しているんだ」と言っていました。彼は純粋な軍人として電話してきたのではありません。政府と軍の間で対応していたから、米政府のいらだちも含めて話してきたのだろうと思います。一方、ミリタリー対ミリタリーの関係では「自衛隊が最後のとりでだ。統幕長も厳しいかもしれないが、決心してやらなければならない」と言われ、「それはそうだ」と返しました。

 その前日の16日午後には、自衛隊ヘリコプターが放水準備のため、3、4号機に上空から接近した。帰ってきた隊員たちの被曝量の数値を見て「これで行けるぞ」と思った。だから16日夜、北沢氏に「明日は絶対にやりますから」と話した。マレン氏の電話がある前の17日午前7時の段階で部隊は動いていたのです。

 マレン氏は電話で「自衛隊は何で動かないんだ」と言ってきましたが、私は「今、自衛隊はヘリ放水準備を進めている。上空からの放水が終わったら自衛隊と警察、消防が一緒になって地上から放水する」と伝えました。「自衛隊はなんで動かないんだ」というマレン氏の言葉を「昨日、引き返したけれども、今日はやるよね」ぐらいの意味でしか考えていなかった。

 あのとき本当に厳しい状況だったから、1滴でも2滴でも原子炉に水をかぶせたかった。われわれの意思を米軍も当然、理解していたと思います。いずれにしても当時、自衛隊が米軍の要請を受け、初めて原発事故対応に動いたという事実はありません。

  ■    ■

 原発事故の教訓としても思い出さなければならないのは、原子力災害が起こったときの様相を想定しながら何をやるべきか、どの手段を使うのかといった危機が発生したときの対応計画を策定しておくべきだったということです。

 あの当時、原発事故は絶対に起こらないという「安全神話」が前提にあったから、対応が遅れ、事故が深刻化しました。東電幹部は経営は管理していたが、危機管理は全くしていなかった。事故が起こるまで、そういう発想すらなかった。

 今、首都直下地震や南海トラフ地震も想定されています。原発などの重要インフラを扱う企業の危機管理がどうなっているのか、改めて気になっています。国民の生命や生活に関わる重要インフラを扱う企業は経営管理だけでなく、危機管理の観点を入れるべきで、再点検すべきでしょう。

 例えば、テロやサイバー攻撃を受けたとき、企業としてどう対応するかを常に考え続けてほしい。また、常に最悪の事態を考えながら国民の生命、生活を守るための仕組みをつくるのは政府や政治家の仕事です。

 われわれは日頃から常に最悪の事態を考えて計画や訓練を続けるのです。危機を想定し、訓練を積み重ねてこそ、最悪の事態にも対応できるのです。危機管理の重要性を改めて指摘しておきたいと思います。

=肩書はいずれも当時

(政治部 千田恒弥)

 ■折木良一(おりき・りょういち) 昭和25年2月、熊本県生まれ。47年、防衛大学校卒業後、自衛隊に入隊。第9師団長(青森県)、中部方面総監(兵庫県)、陸上幕僚長などを経て平成21年3月から第3代統合幕僚長に就任。24年に退官後、防衛省顧問、防衛相補佐官などを歴任。

©2016 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.
sankei.com/premium/news/160307/prm1603070016-n1.html

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