2020年8月15日土曜日

金欠で「ワールドドリームチーム」じゃなくなった三菱航空機

三菱スペースジェット「おカネがなくて飛べない」

新型コロナウイルスの感染拡大で、三菱スペースジェットの開発は事実上の中断に追い込まれている。6月以降、三菱航空機が持つ試験機はすべて試験飛行を行っていない。大きな理由は開発費の制約があるからだ。

◇データの再検証などを優先

三菱航空機は、航空当局から安全性の承認を得る「型式証明」を早期に取得したい考えは変わらないとするが、試験飛行ができなければ、いったん立ち止まるしかない。

現在、飛行できる試験機は、米国の拠点・ワシントン州モーゼスレークの空港に4機、名古屋空港に1機の計5機がある。ただ、米国の4機は古い設計によるもの。名古屋空港にある試験機(10号機)は、飛行制御機器の配置を変更して1月に完成した新型機だ。型式証明を取るためには10号機の試験飛行を繰り返す必要がある。

新型コロナ問題が起きる前、三菱航空機は10号機を早期に米国に送り、型式証明の取得を急ぐ構えだった。しかし、新型コロナの感染の広がりで経由地の空港が使えなくなり、米国行きを断念せざるをえなくなった。

さらに、コロナの影響で親会社・三菱重工業の収益も悪化し、今年度の三菱航空機の開発費は600億円と前年度の半分程度になった。人員も大幅な削減を余儀なくされており、資金的な余裕はまったくない。

そこで当面は多額の経費がかかる試験飛行を行わず、地上で事務的にできる作業を優先するという判断になった。つまるところ、スペースジェットの試験機はおカネがないので飛べない状態なのだ。技術者は、これまでの計3900時間の試験飛行で積み上げたデータの再検証や、国土交通省と米連邦航空局に提出する書類の精査などを行っている。三菱航空機は「限られた予算の中で最適の判断をした結果」としている。

◇三菱重工は四半期で過去最大の赤字



データの検証はもちろん重要だが、試験飛行が行えなければ、型式証明にはたどり着けない。ただ、この状況は簡単に変わりそうもない。8月3日に発表された三菱重工の2020年度第1四半期決算は、最終(当期)損益が579億円の赤字(前年同期は163億円の黒字)で、四半期で過去最大の赤字となった。

特に、同じく新型コロナで大きなダメージを受けているボーイング向けの部品納入は前年比で半分以下という厳しさだった。三菱重工は、B777の後部胴体、B787の主翼を製造している。777の後部胴体は、19年度第1四半期の16基が20年度第1四半期は6基、787の主翼は43基が18基と、いずれも半分以下に落ち込んだ。

決算記者会見で小沢寿人最高財務責任者(CFO)は「第1四半期が底だと見ている」としたが、航空アナリストは「コロナ問題が長引けば、第2四半期以降も大幅減が続く可能性がある」とみる。

その他、民間航空機向けエンジン事業、自動車向けのターボチャージャーなども苦戦。プラント・インフラ事業、物流機器などを含め、ほぼすべての事業分野で売り上げ、事業(営業)利益ともに前年同期比で減少した。

第1四半期の三菱航空機の開発費は約200億円だった。今年度の600億円の3分の1を使った計算になる。残り3四半期で400億円だが、三菱重工の収益が急速に回復することは見通せず、今年度内に試験飛行再開のメドは立たないのが実態だろう。

◇「ワールドドリームチーム」でなくなった

三菱航空機の人員削減は「正社員は配置転換などに応じてもらい、契約社員は契約の終了をお願いする形で進めている」(小沢氏)という。最高開発責任者を務めていたアレックス・ベラミー氏が6月末で退任したのが象徴的だったが、今後も毎月の月末を区切りに、退職、異動などで削減が続くという。

そのような中、ベラミー氏退任後の7月初め、三菱航空機のホームページの幹部紹介欄にちょっとした変化があった。6月末まで紹介していた幹部社員は22人。そのうち外国人社員はベラミー氏をはじめ13人。日本人は水谷久和会長、丹羽高興社長以下9人で外国人の方が多かった。それが7月以降は日本人ばかりの6人となった。

水谷氏はかつて、「三菱航空機には多くの外国人技術者が国籍関係なく集う。われわれはワールドドリームチームだ」と語っていた。しかし現在のホームページが示すように、少なくとも表看板は「ワールドドリームチーム」ではなくなってしまった。

コロナ禍で漂流するスペースジェット。再び日本人中心に縮こまってしまった三菱航空機。開発の行く手はまだ見通せないでいる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/61df3c9e7edb3ed02fa2329ddc176084cfd5a715


世界連邦の夢、強制終了!(爆wwwwwwwwwwww

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

自力優勝、消滅。

もとから他力優勝の可能性なし。

ミネ さんのコメント...

さすがコロナくん 
なるようになっただけのことなんだけどダメ押しがステキすぎるw

>ワールドドリームチーム
の国籍の内訳はなんなのさwwww

前にもコメした気がするけど、この国内企業製航空機、国交省で働く皆さんには
超思いを馳せてる多いのが ネ、

YS-11 イレブン脳はとっとと死に絶えて欲しいわ
失意で次々自決とかがいーんじゃまいか

コメント さんのコメント...

三菱重工は海軍の船造ってるから±0なイメージですけど

皇室のあれな群馬で陸軍中島飛行機スバルは

北朝イエズス会トヨタの傘下になって
CM増えまくりでウザすぎる


まあジャンボ機製造は
EU崩壊→エアバス倒産→ボーイングシェア90%一人勝ちで完成。待ち

匿名 さんのコメント...

堀越 二郎(ほりこし じろう、1903年6月22日 - 1982年1月11日)は、日本の航空技術者。位階は従四位。勲等は勲三等。学位は工学博士(東京大学・1965年)。零式艦上戦闘機の設計者として有名。

戦後は木村秀政らとともにYS-11の設計に参加した。三菱重工業は戦後分割されたため、それにともない発足した中日本重工業(のちの新三菱重工業)に勤務した。新三菱重工業では参与を務めた


佐々木謙一郎 - 妻須磨子の父。専売局長官、南満州鉄道副総裁。


赤澤 璋一(あかざわ しょういち、1919年11月25日 - 2002年9月29日)は、日本の通産官僚。日本貿易振興会(ジェトロ)第6代理事長。
戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる。


YS-11の生産終了
安定的な販売網の構築を待たずに売上は鈍化し始めた。特に日本国外での販売では競合国並の長期繰り延べ低金利払で対抗せざるを得なくなったことや、第二次世界大戦後の日本で初めて作った機体のため、実績不足から足元を見られて、原価を割った値引き販売を余儀なくされることも珍しくなかった。また、宣伝費などの販売、営業関連費を初期コストの中に換算していなかったなど、原価管理も杜撰であったと言われている。加えて、航空機製造各社の寄せ集め所帯であったことで責任の所在が曖昧となり、納入部品価格の引き下げもままならず、官僚の天下りが増加したことで社内に公務員気質が蔓延し始め、抜本的な経営改革が行われず赤字を加速させて行った。

軍用機を基に設計されたYS-11の素性では、旅客機としての機能が時代の進展と共に乖離し、期待した市場では受け容れ難く、現状のままでは今後の販売増加は見込まれないこともあった。日本航空機製造の解散を提言したのは当時の通産省重工業局長であった赤澤璋一である。赤澤は輸送機設計研究協会設立に奔走した当時の通産省重工業局航空機武器課課長でもあり、自らYS-11の立ち上げと、その幕引きを行うことになった。

日本航空機製造が解散したことで、旅客機の設計、製造だけでなく、販売・金融・プロダクト・サポートなどのアフターサービスのノウハウなどの次世代への継承が行われず、その後の旅客機の設計・製造・販売能力を自ら放棄してしまったことになったが、以後の民間旅客機の企画・設計・生産・販売における教訓は残した。


・・・教訓生かされず、再びwwwww

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