2017年7月16日日曜日

組織的「米軍慰安婦」ビジネスの首謀者は「大日本帝国陸軍士官学校、第57期生の高木正雄」

米軍基地村「慰安婦」被害者らの被害実態を究明し、彼らの名誉を回復できる法案が発議された。

共に民主党ユ・スンヒ議員は14日、このような内容の「米軍慰安婦問題に関する真相究明と名誉回復および支援などに関する法律案(以下米軍慰安婦法)」を発議した。

米軍慰安婦法は政府が実施した基地村管理政策で被害をこうむった米軍「慰安婦」被害者らに対する実態を究明し、彼らを支援できる法的根拠を用意する内容を主な骨子とする。

ユ議員によれば、韓国政府は1950年代初めから外貨稼ぎのために米軍慰安所を作って管理した。特にパク・チョンヒ元大統領時代には政府がより一層組織的かつ体系的な方式で介入し、米軍「慰安婦」らを管理した。

当時、パク・チョンヒ政府は売春行為が不法であったにもかかわらず、売春取り締まりをしない特定堕落地域を指定して売春行為をほう助した。また、米軍「慰安婦」女性たちを名簿に登録して性病を管理し、別途の機構を作って米軍「慰安婦」らを教育した。

米軍「慰安婦」被害者らは自身の経験を証言して国家が直接、基地村を作って、売春を薦め助長したと主張した。

彼らは2014年に政府を相手に訴訟を始めたが、韓国政府は直接、慰安所を作らなかったという理由で責任を回避した。しかし、該当訴訟で裁判所は米軍「慰安婦」被害者らの精神的被害の国家賠償責任を認める判決をして国家責任を一部認めた。

ユ議員は米軍慰安婦法案の通過を促して「国家が率先して国民の人権を甚大に侵害し死亡に至るまでするなど、人権がじゅうりんされた米軍「慰安婦」らに対する早急な真相究明と被害者支援が切実だ」と強調した。

ナム・ソヨン記者

民衆の声(韓国語) 過去独裁政府が作った「米軍慰安婦」、名誉回復の道開かれるか
http://www.vop.co.kr/A00001179677.html





朴 正𤋮(パク・チョンヒ、朝鮮語: 박정희、日本語読み: ぼく せいき、1917年11月14日時憲暦9月30日[註釈 1]〉 - 1979年10月26日)は、韓国軍人政治家
職業軍人だったが、1961年軍事クーデター国家再建最高会議議長に就任し、1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。彼の時代から約30年間にわたって『漢江の奇跡』と呼ばれる高度経済成長が実現されて韓国は世界最貧国の層から脱したと評価される[2]
一方で1972年の改憲で大統領任期と重任制限を撤廃することで永久執権を図ろうとし、また民主化運動をスパイ操作・司法殺人などで弾圧したとして「独裁者」との批判的評価も受けている。 1979年に側近の金載圭によって暗殺された。

本貫高霊朴氏は「中樹(チュンス、중수)」。創氏改名による日本名高木 正雄(たかぎ まさお)[3]。1番目の妻に金好南。2番目の妻に文世光事件で暗殺の犠牲となった陸英修。好南との間に長女の朴在玉。英修との間に、次女で第18代大統領の朴槿恵と、長男でEGテック現会長の朴志晩がある。

日韓併合後の朝鮮半島朴成彬白南義の末っ子として生まれる。朝鮮名では朴正𤋮、日本名では高木正雄と名乗った[3]大邱師範学校経て学校教師を務めていたが、やがて軍人を志して同じく日本の影響下にあった満州国の軍官学校(士官学校)に志願入隊する。卒業後は成績優秀者が選抜される日本陸軍士官学校への留学生となり、第57期生として日本式の士官教育を受ける帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えた。
第二次世界大戦後、中国の北京に設置されていた大韓民国臨時政府(朝鮮系住民による独立組織)に加わり、朝鮮半島の南北分離時は南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となった。国防警備隊が韓国国軍に再編された後も従軍を続け、朝鮮戦争終結時には陸軍大佐にまで昇進、1959年には陸軍少将・第2軍副司令官の重職に就いた。一方、内戦を終えた韓国内では議会の混乱によって一向に復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化していた。これらの状態に対して軍の将官・将校・士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させた(5・16軍事クーデター)。形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党による事実上の独裁体制を形成し、第5代から第9代大韓民国大統領(在任:1963年 - 1979年)と大統領任期を5期に亘って務め、権威主義体制による開発独裁を推し進めた。[4]
独裁政権下では日本の内閣総理大臣佐藤栄作との間で日韓基本条約を批准して日韓両国の国交を正常化し、更にアメリカ合衆国リンドン・ジョンソン大統領の要請を受けて1964年ベトナム戦争に韓国軍を派兵した。日米両国の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成した。大韓民国は1960年代から1970年代にかけての朴正煕執政下の高度経済成長により、1970年頃まで経済的に劣位であった同じ朝鮮民族分断国家朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を経済的に追い越し、最貧国グループから脱した。
一方で統制的な軍事政権下では民主化などの運動は徹底して弾圧され、人権上問題のある拷問や政治犯の投獄なども行われた。また対外政策においてもアメリカとの強固な同盟関係を作り出したベトナム戦争において、米軍同様に虐殺や戦争犯罪に関与させる結果となり、ベトナムとの外交関係は悪化した。また日本との友好姿勢も国内の民族主義左派ナショナリズム)から敵視される背景となった。政権後半には単独での核武装などの自主国防路線や、日本に滞在していた民主化活動家の金大中を諜報機関(KCIA)により拉致し国家主権を侵害する(金大中拉致事件)など強硬な政策を進めた。

1979年10月26日、大規模な民主化デモの鎮圧を命じた直後、側近である金載圭情報長官により暗殺された。享年61。


慰安婦ことSEX Slaveは日本式の士官教育とキムチ脳の産物。(爆wwwwwwwww

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

朴正熙氏の生誕100周年切手、発行中止 前大統領の父:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK7F3R0SK7FUHBI00M.html

2017年7月13日14時50分

1980年2月に発行された、朴正熙元大統領の逝去を追慕する記念切手(韓国郵政事業本部提供)

 韓国郵政事業本部は12日、ソウルで切手発行審議委員会理事会を開き、朴槿恵(パククネ)前大統領の父、朴正熙(パクチョンヒ)元大統領の生誕100周年記念切手の発行を中止することを決めた。一度決めた記念切手の発行を取りやめるのは初めて。韓国の保守系は強く反発している。

 この記念切手は、朴氏の故郷、慶尚北道亀尾(キョンサンプクトクミ)市が発行を要請。切手発行審議委員会が朴槿恵政権下の昨年5月、出席者全員の賛成で発行を決めた。発行中止について、韓国郵政事業本部は「メディアや市民団体から切手発行の適正性について問題提起が出たため、再び審議した」と説明した。

 保守系の最大野党・自由韓国党は13日、「文在寅(ムンジェイン)政権の顔色をうかがった行為だ。政権交代から100日も経たないうちに、前政権が決めたというだけで白紙化した」と反発する論評を発表。これに対し、与党・共に民主党は同日、「国会や市民団体、郵政事業本部労組などから多くの反発を買っていた」と反論した。(ソウル=牧野愛博)

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