2017年1月5日木曜日

昭和天皇陵近くで出火

Domestic | 2017年 01月 5日 20:47 JST
昭和天皇陵近くで出火

 5日午後4時40分ごろ、東京都八王子市城山手2丁目の公園の斜面から出火した。警視庁高尾署と東京消防庁によると、下草を焼きながら燃え広がり、昭和天皇らの陵がある近くの武蔵陵墓地に迫った。約2時間後に墓地の北西約300メートル手前で消し止められた。約500平方メートルを焼いた。けが人はなかった。高尾署などが出火原因を調べている。

 午後3時半ごろには、墓地から約3キロ離れた同市横川町の公園で滑り台や下草が燃えた。

 武蔵陵墓地は、大正天皇の多摩陵と貞明皇后の多摩東陵、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵がある。面積は約46万平方メートル。

【共同通信】
http://jp.reuters.com/article/idJP2017010501001350

武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)は、東京都八王子市長房町にある皇室墓地大正天皇貞明皇后陵・昭和天皇香淳皇后陵の4陵が造営されている。
昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵(たまごりょう)と称していたが、現在でも通称として使われている。八王子八十八景のひとつ。宮内庁書陵部多摩陵墓監区事務所がある。

武藏野陵(むさしののみささぎ)は昭和天皇の陵。
昭和天皇は1989年(昭和64年)1月7日に崩御した。平成元年1月17日には陵所地鎮祭が行なわれ、造営が始まった。同年2月24日に斂葬の儀(大喪の礼)が行なわれ、造営中の陵所に埋葬された。同月27日に「武蔵野陵」と命名された。なお、陵の命名に先立ち、昭和天皇の柩に添えられた陵誌(墓碑)には、礼宮文仁親王(後の秋篠宮文仁親王)の揮毫により「昭和天皇 武蔵野陵 昭和六十四年一月七日午前六時三十三分崩御 平成元年二月二十四日斂葬」と刻まれている。また、この昭和天皇陵の造営により、墓地の名称が「武蔵陵墓地」と改称された。
大正天皇陵の北東に位置し、ほぼ南面している。陵の形態は大正天皇陵などと同じく、上部2段・下部3段の上円下方墳である。陵の形や拝所の構成などは一般拝所に段がないことを除けば大正天皇陵とほぼ同じだが、大正天皇陵より上円部の丸みがなだらかになり、また一般拝所から墳丘がある段までの高さが低くなっており、威圧感を減らす試みがなされている。

毎年1月7日に陵および皇居宮中三殿で昭和天皇祭が行われている。当日には陵所に幔幕が巡らされ、皇族拝所に仮屋が設置されて祭祀が行なわれる。


速い車とロックが好きななまず殿下ですな。(爆wwwwwwwwwww

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

キムチは排除出来る。 iとか言ってる場合じゃねぇ。

匿名 さんのコメント...

アキシノが揮毫とかw
裕仁さんも浮ばれませんね。。

ミネ さんのコメント...

で、その毫鯰のヒゲでできてるんです とか
その火で鯰の蒲焼 とか ないの~?

前に比べて突抜けてる感に欠けてきた感じするね
まとめ系でも生残りにくくなってきてるみたぃだし
当然ちゃ当然か

匿名 さんのコメント...

火葬場も造らなくてはならないし、昨今の気象災害の甚大な影響に備えて、儀式に参集する方々の身の安全に配慮した施設の必要性もご提案されておいでだ。
皇室に関連して国民的な議論を深めるテーマは実は多岐にわたる。
国民の無関心を利用してコトを進めるのではなく闊達な議論を歓迎するのが開かれた皇室。
議論と人格攻撃は違う。
昭和天皇の象徴天皇の在り方に親近感が強かった宮内庁内部の勢力が今上天皇が解釈する象徴天皇の具現化に抵抗したことが、かつてのバッシング報道の背景にあったそうで、今般の譲位に向けた流れのなかで、皇太子夫妻への批判的な記事が拡大解釈され野放し状態になってしまうことが無いように、宮内庁は過去の苦い教訓から動向を注視し対応していく、産経新聞の皇室関連新年特集記事の場を借りる形で言明。
珍しく記事の途中から課金される形式で。

匿名 さんのコメント...

有栖川流

コメントを投稿