2016年7月27日水曜日

TOKMAから芋づる式に


テレンス・リー容疑者ら逮捕 参院選応援演説で買収容疑
2016年7月26日18時51分


10日投開票の参院選東京選挙区(改選数6)で、応援演説の報酬として現金の授受があったとして、警視庁は26日、幸福実現党の公認で立候補し、落選したトクマ(本名・椙杜〈すぎのもり〉徳馬)氏(49)陣営の関係者ら3人を公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕し、発表した。

逮捕されたのは、タレントのテレンス・リーこと加藤善照容疑者(51)=相模原市中央区=と、いずれも会社役員の一木昭克(48)=東京都杉並区=、今井一郎(61)=同文京区=の両容疑者の計3人。加藤容疑者は「現金はもらったが選挙運動の報酬ではない」と容疑を否認し、ほかの2人は認めているという。

捜査2課などによると、6月下旬に豊島区内で加藤容疑者がトクマ氏の応援演説をした見返りとして、陣営関係者の一木容疑者から今井容疑者に10万円、そのうち5万円が加藤容疑者に支払われた疑いがある。一木容疑者は今井容疑者を通じ、加藤容疑者に応援を依頼したという。

投開票の結果、トクマ氏は2万412票を獲得したものの落選した。幸福実現党は「事実関係を確認中」とコメントしている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7V5RD6J7VUTIL047.html



TOKMAトクマ1966年11月11日 - )は、日本ロックミュージシャン。東京都出身。本名:椙杜 徳馬(すぎのもり とくま)。

来歴

1966年東京都にて出生。白金小学校卒業。1979年青山学院中等部に入学し、青山学院大学に進学。大学在学中には、自主映画で蓮舫と共演している。また、在学中にバンド活動を開始。1989年同大学経済学部経済学科卒業後に、アメリカ合衆国に渡る。その後帰国し、サラリーマンとしてトヨタ自動車に勤務するも退社、音楽活動に専念した[1]
以来、曲作りを続け、1stシングルCD『Oh!Angelina』をインディーズ発売、これが1996年メジャーデビューを果たして以降、ロサンゼルスでのレコーディング、楽曲「555」がCS番組にタイアップに起用される。
2004年にはスズキ自動車『スズキ・エリオ』のテレビコマーシャルのタイアップも務めた。
2008年1月公開の映画『ピューと吹く!ジャガー THE MOVIE』に珍楽器楽団として、バンドメンバーと共に出演をした。
2009年幸福の科学の映画『ボディ・ジャック』の挿入歌『さらば!ボディ・ジャック』とエンディング『SUN CHILD』を担当、また同作品に幽霊役で出演を務める。
2009年ザック・ワイルドオジー・オズボーン)とマーティ・フリードマンが参加したシングル「LOVE」、2010年アルバム「I LOVE ZIPANG」をリリース。
2010年12月から2011年3月まで放送されたSHIBUYA-FMの番組「ロッカーTOKMAのハッピートレイン」で3ヶ月間DJを務めるなど、各種メディアで活動。
2012年10月 アルバムCD『GET YOUR FREEDOM!!』リリース

政治との関わり

2012年9月18日に、国有化されて間もない尖閣諸島に上陸した[2][3][4]日本人活動家尖閣諸島上陸事件 参照)。
この行為に対し9月28日沖縄県警察八重山警察署軽犯罪法違反容疑で那覇地方検察庁石垣支部に書類送検したが[5][6]不起訴処分となった。[7]不起訴となったものの、軽犯罪法違反で書類送検されたことに政治的な問題意識を感じ、政治家を志すようになった。
その後、2012年10月に幸福実現党青年局長に就任し、11月7日東京都知事選挙への立候補表明した。[8][9]
2013年7月21日、第23回参議院議員通常選挙に幸福実現党の比例代表として出馬した。 また、2014年12月14日に行われた第47回衆議院議員総選挙にも同様に幸福実現党の比例代表として出馬。
2016年第24回参議院議員通常選挙に幸福実現党の東京都選挙区の候補として出馬した[10]

政策

家族 親族



  • 父方の曾祖父 砂田重政(1955年自民党結党時の鳩山一郎内閣・防衛庁長官、自由民主党総務会長〔2代目〕)




  • 父方の祖父 椙杜正太郎(通産省官僚、東京帝大卒、終戦時の内閣事務官)[12]




  • 父方の伯母 犬丸純子(元・芝パークホテル社長で実業家犬丸二郎の妻)[13]





  • 母方の祖父 吉田彦太郎(のちに吉田裕彦)」(戦前の大手日刊紙やまと新聞 副社長、社長を歴任)[14]




  • 椙杜 正太郎(すぎのもり しょうたろう、生年不明 - 1977年(昭和52年)4月20日)は、通商産業省官僚東京帝国大学卒。72歳で没した[1]。元アラビア石油常務。元石油鉱業連盟顧問。



    山下 太郎(やました たろう、明治22年(1889年4月9日 - 昭和42年(1967年6月9日)は、日本実業家。その業績から「満州太郎」「アラビア太郎」などと呼ばれた。
    楠木正成の子孫楠木正具の子孫にあたり、「楠木同族会」の初代会長を務めた[1]


    アラビア石油の創立

    戦後は日本の復興のために石油資源の獲得に奔走、昭和31年(1956年)、日本輸出石油株式会社を創立し、翌1957年ペルシャ湾海底油田の開発利権を獲得して1958年アラビア石油株式会社」を創立した[3]。山下は、産業の根幹をなす石油が100%アメリカ合衆国の供給と統制に依存している現実を危惧しており、日本国政府・財界等の要路をまわり、経済発展のため日本が自前で確保するよう説いて回ったといわれている。世界の予想に反して、サウジアラビアクウェートの両国から採掘の利権を獲得したが、とくにクウェートが数多くのライバルの中から日本に権利を与えたのは、山下の努力・人柄もさることながら、欧米諸国に対するアラブ人たちの民族感情が左右していたともみられている。
    山下が苦心して採掘権を得て設立したアラビア石油は1960年1月31日、1回目のボーリングで大規模海底油田(日産1,000kl)を発見した[3]。これが、カフジ油田であり、世界第1級の大噴油について「アラビア太郎、100万ドルの笑顔」と世界中で報道された[3]。以降も順調に石油メジャーに拠らない「日の丸油田」と呼ばれる油田の発見と採掘・輸出を進めた。

    山下太郎は心筋梗塞のため昭和42年(1967年)、78歳にて死去した。周囲にのこした言葉は「俺はまだやることがある」であったという。故郷の横手市大森町大慈寺に墓がある[注釈 3]。死後、民間人としてはめずらしい従三位勲一等が追贈された[2]





    site://tokumei10.blogspot.com 宇治山田

    イスラム国問題は宗教問題といふより白人ヘイトな民族問題なんですよ。白人が作った近代社会になじめない人々問題ですな。(爆wwwwwwww


    1 件のコメント:

    GABRIEL さんのコメント...

    武器以外
    すっかり
    文明後退

    宮崎駿氏
    80年代から
    世に出した
    ナウシカの世界観
    モデル地域がモロに
    当てはまってしまうま

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