2013年9月15日日曜日

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」大敗北!(爆w

「教会群」見送りに衝撃 世界遺産政府方針

政府が世界文化遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、今年の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への推薦を見送る方針を固めた14日、推薦を確信していた関係者には、「信じられない」と衝撃が広がった。一方、推薦方針が固まった「明治日本の産業革命遺産」の県内関係者も、「素直に喜べない」と複雑な胸の内を明かした。

県世界遺産登録推進室の担当者は、「産業革命遺産は準備不足と何度も言ってきた。どうして推薦されるのか、とにかく理由が知りたい」と困惑していた。

また、教会群の構成資産「原城跡」(南島原市)でガイドをしている内山哲利さん(66)も、「ショックで言葉にならない。(原城で起きた島原の乱のように)もう一度、国に一揆を仕掛けたい気持ちだ」と語った。

一方、産業革命遺産では、28の構成資産のうち八つが県内にある。「旧グラバー住宅」(長崎市)のあるグラバー園の吉田利一副園長(60)は「世界的な価値が認められてうれしい」としつつも、「推薦は教会群の後だと思っていた。複雑な気持ちだ」と話していた。
(2013年9月15日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news/20130914-OYT8T01023.htm

各方面、ワケワケメで呆然としてるようですな。(爆w

また反米サマナが大敗北!(爆wwwww

っていふか実質的に反米サマナなんてもんの存在意義が無くなっていくわけですよ。これからは。(爆wwwww



で、法則発動ってのもありますが、そもそも・・・・

結果的に数百万人の日本人が無駄死にした負け戦へと日本を欺き導いた連中のシンボル的なモンを日本が世界文化遺産候補として推薦するのってどうよ?

って話しなわけで。(爆wwwww



→ベルナデッタ






□天主公教会時代の幟町教会

広島・幟町教会は、百余年前の1902年(明治35年)にパリ外国宣教会のマリー神父が幟町148番地に824坪の土地を購入し、翌年に木造の聖堂(80坪)と伝導所、司祭館を建てたのが始まりです。キリシタン禁教の時代を経て、広島でカトリックの宣教が再開されたのは、聖堂が出来る前の1882年(明治15年)からです。パリ外国宣教会のプチジャン司教(長崎の大浦天主堂で潜伏キリシタン発見で知られる神父)が、同会のオリエンチス神父に広島の布教を託しました。幟町に聖堂が完成するまでは、山口町、研屋町など市内の借家を点々としています。布教再開のその年に、最初の洗礼者がありました。クリゾストモ岡村協夫さんです。この人の墓は、比治山の墓地にありましたが、現在は廿日市にあるカトリック墓地に移されています。

「天主公教会」という呼び名は、1889年(明治32年)9月30日に設立認可された時の名称です。1942年(昭和17年)3月15日に宗教団体法に基づいて出された認可申請書に、1903年(明治36年)8月15日に聖堂が竣工し、1939年(昭和14年)2月21日に司教座聖堂と書かれています。この時の申請名称は日本天主公教会広島教会という名称でした。ちなみに申請者は、教会主管者フーゴ・ラッサールとなっています。

フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサールHugo Makibi Enomiya-Lassalle, 1898年11月11日 - 1990年7月7日)は、ドイツ生まれのイエズス会員で、カトリック教会司祭宣教師。日本語表記では姓と名がそれぞれ、フーゴーともラサールとも、あるいはまれにラッサルとも表記される。1948年昭和23年)に日本に帰化しており、日本名は愛宮真備(えのみや まきび)。英語版ウィキペディア “Hugo Enomiya-Lassalle”にある英語表記 Aiun-ken は、ラッサールの禅仏教上での名乗り愛雲軒の音訳。
キリスト教聖職者として初めて、坐禅を宗教生活のなかに実践的に導入した。1945年(昭和20年)8月6日広島市幟町天主公教会幟町教会)で原子爆弾の投下に会い直接被爆したことで、犠牲者への慰霊のためだけではなく、世界平和を目指した祈念の場の必要性を痛感し、ヒロシマの地に世界平和記念聖堂を建設することに尽力した。それら広島の文化福祉の発展に広く貢献した功績が認められて、1968年(昭和43年)4月広島市の名誉市民として顕彰されている[1][注 1]
帰化名にもよく現れているように日本文化に対する造詣が深く、特に日本人の霊性への関心から禅宗に深い興味を抱き、自ら参禅しただけでなく他のキリスト教関係者にも積極的に坐禅を勧めた。日本国外ではむしろ、その理論と実践において「カトリック禅」[2]ともいえる新境地を開拓したことで知られる。
生い立ち1898年明治31年)11月11日にドイツヴェストファーレン地方ニーハイム エクステンブロック(Externbrock)で誕生。祖先はおそらくフランスから亡命したユグノーであると考えられている[3]。小学校4年生からギムナジウムに進んだ後、その8年目(Unterprima)に徴兵されて、第一次世界大戦西部戦線に送られた。負傷と関節リウマチのために何度か入院したが、1919年大正8年)に高等上等兵(Obergefreiter)で除隊。2級鉄十字勲章受章[4]
修業時代1919年(大正8年)4月25日イエズス会に入会。当時ドイツのイエズス会西管区に所属する修錬院は、国境で接するオランダシェーレンベルフオランダ語版にあり、そこで2年間の修練期を過ごしたのち、オランダの南ホラント州ファルケンブルフオランダ語版の聖イグナチオ大学で学ぶ。またイギリスストーニーハースト・カレッジ英語版ヘイスロップ・カレッジ英語版などでも、哲学を3年間、神学を4年間ほど学び、哲学博士号取得。1927年(昭和2年)神学課程の3年目終了時に、ファルケンブルフにて司祭に叙階された[4]
フランスのアミアンで受けた第三修練英語版の期間中に神秘思想に興味を抱き、十字架の聖ヨハネアビラの聖テレサの著作を熱心に読み込む。この経験がのちに東洋の神秘主義思想とも言える禅体験と呼応して両者が結びつき、独自の道を切り開いてゆくことになった[4]
ミッションローマ法王庁から当時ドイツのイエズス会西管区に与えられたミッションに日本があり、そこでの主な事業内容は上智大学での教育であったため[注 2]、ラッサールは1929年(昭和4年)に上智大学に派遣されることになった。しかしラッサールは当初アフリカハンセン病院への派遣を望んでいたこともあって、大学で学生相手にドイツ語を教えることよりも、市井の人々の間に積極的に飛び込んで社会事業を行なうことを好み[4]関東大震災の被災者が多く住んでいて、1931年(昭和6年)当時東京市最大の困窮地帯であった荒川区三河島に、学生たちと活動するための拠点となる「上智セツルメント」を設立した[5][注 3]
1935年(昭和10年)ドイツ本国のイエズス会管区長クライン神父が、ラッサールを37歳の若さでイエズス会日本管区の上長に任命すると、立場上住み慣れた下町から上智大学に付属するS.J.ハウス[注 4]に移らなければならなくなった。そこでラッサールは一計を案じ、上長の権限でイエズス会の日本管区(ミッション)の本部自体を広島に移してしまう[4]。それまでパリ外国宣教会に委託されていた大阪教区のうち、広島岡山山口島根鳥取中国地方5県を含んだ西地域が1923年(大正12年)に正式に分割され、広島代牧区としての布教活動がイエズス会ドイツ西管区に委ねられていたからである[6]ラッサールが広島で原爆に被災してしまうのも、このような経緯による。


っていふかコレが長崎と広島に原爆が落とされた理由なわけで・・・(爆w










ナチスのバックがイエズス会、そして日本を不毛な戦争に導いたのもイエズス会といふバチカンにとって極めて不都合な真実は日本人や世界のパンピーどもはともかくもう既に世界の先進国の支配者層や権力者やそれなりの人達の間では定説なわけで、バチカンの命がかかってるバチカン本体の20世紀における人類大虐殺への積極的関与を否定するためのイエズス会への全ての責任転換及び不都合な事実の隠蔽や証人の友愛などを行うためにTFAPに鬼畜英米より与えられた時間は限られてるわけで・・・(爆wwwww









、、、(爆wwwww

21 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

トルコライスの日:長崎市撤回 「エルトゥールル号」事件、トルコ大使館「遭難死追悼日」と指摘 /長崎

 長崎市はご当地グルメ「トルコライス」をPRしようと制定した「トルコライスの日」(16日)を今年、撤回した。1890(明治23)年9月16日、和歌山県沖で遭難したオスマン帝国(トルコ)軍艦エルトゥールル号乗組員を日本人が救助したというエピソードにちなんで2010年に制定したが、今年7月、駐日トルコ大使館から「トルコでは遭難死した乗組員を追悼する日になぜ?」と指摘があった。市は「配慮不足」を認め、新たな記念日を設けるかなど対応を検討している。【梅田啓祐】

 トルコライスは豚カツとスパゲティとピラフなどを一皿に盛る料理。イスラム圏では食べない豚肉を使うことからそもそも、トルコとは無関係とされる。ネーミングの由来には▽考案した店の名前からとった▽3品の盛りつけを三色旗(トリコロール)になぞらえた−−など諸説ある。

 和歌山県串本町観光協会などによると、「エルトゥールル号」は、明治天皇と面会して帰国途上で台風に遭い、岩礁に乗り上げ沈没した。近くの住民が総出で救助。69人を救ったが、乗組員580人以上が亡くなった。遺体は遭難現場を見下ろす丘に埋葬され、慰霊碑では毎年慰霊祭が営まれ、駐日トルコ大使らが参列する。トルコ大使館は「エルトゥールル号の遭難をトルコ国民は教科書で学ぶ。国民には深い悲しみと追悼の思いが根付いている」と話した。

 一方の長崎市。江戸時代の鎖国で中国、オランダとの貿易で栄えたが、トルコとの縁は薄かった。市内の飲食店から「長崎の名物をPRすべき」と提案を受け、「トルコライスの日」の制定を農水産、飲食、流通などの関係団体で構成した委員会で検討し、エルトゥールル号遭難を両国友好のエピソードと捉えたという。

月夜 さんのコメント...

推薦されたらどうしたものか
と危機感持ってしまった(苦笑

シビリアンコントロールとしては
一般人が知らぬ間に…の方が色々良いのでしょうね。

個人的には深い真相を知りたいけどな。

匿名 さんのコメント...

団長さんこんにちは。左巻きの知人が秘密保護法案についてギャースカうるさいのですが、団長さんはこの件についてはどう御覧になりますか?

匿名 さんのコメント...

「天皇の座に即位しませんか」 「力作」迷惑メールの狙いはやはり…
http://news.livedoor.com/article/detail/8066675/

「正当な皇位は我が熊野宮家にある」

匿名 さんのコメント...

「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見募集について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060130903&Mode=0

おめめ さんのコメント...

ちょっとサルベージしていたら、あら!こんなところにもwww

東京電音
ソリスト

で、ソリストの事業を継承された会社
イーグローバレッジの・・・
 主要株主:オリンパスビジネスクリエイツ
 
 オリンパスwww

で、ソリストの経営者は何処へ・・・

匿名 さんのコメント...

イエズス会だけでつか・・・
戦後日本においてえげつないことしておる
修道会は男子女子と問わずあといくつかあるはずなんでつがねぇ・・・

そういえば、BBAも「女子」っていうの、
キリスト教風なんでつかねぇ・・・

匿名 さんのコメント...

 デビアス社で有名なセシル・ローズも若いころ、英米の統合を目指していて、統合を促進するための組織モデルとしてイエズス会の組織を研究したそうです。
 しかし、上手くいかなかったので、方針転換して、結果として奨学金制度を導入しようと考えたそうで、現在に残るローズ奨学金制度を創設したそうですね。
 イエズス会の組織形態は何かしら特色があるのでしょうか...。

匿名 さんのコメント...

ヴァチカン腹黒…
それにしても☆のサイン主張がうざいこのごろ。

団長、ヒロシマナガサキが出るといつも気になるのですが、3つ目の投下候補地として福岡が検討されていたのでしょうか?
福岡にも投下計画があったものの、計画当日に曇天だったために実行されなかった、と親に昔よく聞かされたのですが…。

匿名 さんのコメント...

アメリカの労働事情を知る本
大搾取http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%90%BE%E5%8F%96-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9/dp/4163715509

ご近所 さんのコメント...

ウチの田舎のアフォ共がまた世間をお騒がせしまして大変申し訳御座いません^^:

ミネ さんのコメント...

本日目出度く山口・九州の届け出と公表
ものつくりとカルトでは当然の経緯w

ご近所 さんのコメント...

>南島原市
>「ショックで言葉にならない。(原城で起きた島原の乱のように)もう一度、国に一揆を仕掛けたい気持ちだ」

末裔ですねわかり末w
雲仙普賢岳の火砕流が流れたのは南島原方面
あれも天罰みたいなもんですな
ヒゲの市長さんはお元気されてるんでしょうかw

匿名 さんのコメント...

http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/isanbukai/sekaiisanbukai/3/01/pdf/shiryo_4_2_4.pdf

おめでとうございます。

匿名 さんのコメント...

世界遺産へバチカン訪問を報告

長崎の教会群の世界遺産登録に向けた活動をしている市民団体が県庁で記者会見を開き、10月、カトリック教会の中心地、バチカンを訪れて活動への支援を求めたことを報告しました。
長崎市の国宝・大浦天主堂などで構成される「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は、政府が平成28年の世界文化遺産への登録を目指してユネスコに推薦することを決めています。
「教会群」の世界文化遺産への登録に向けた活動をしている市民団体「長崎の教会群を世界遺産にする会」の林一馬会長らは、10月、バチカンを訪れて、活動への支援を求めた結果について、6日、長崎県庁で記者会見を開いて報告しました。
林会長によりますと、会では、10月21日、バチカンの省庁のひとつである文化評議会のアゼベド大司教と面会し、会の活動への支援を要請したということです。
これに対して大司教は、会の活動を評価したうえで、文化評議会としてもユネスコの世界遺産委員会に推薦状を送る考えを明らかにしたということです。
林会長らは2003年にもバチカンを訪問し、支援を要請したということで、「今回は11年前と比べて手応えがあった。これからは教会や集落を守る活動や、登録が決まったあとに観光客を受け入れる態勢づくりに取り組みたい」と話していました。
(2014年)11月06日 13時17分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5035867121.html?t=1415321898957

匿名 さんのコメント...

教会群、世界遺産へ ローマ法王庁が支援の意向
2014年11月07日
教会関係者や県内外の有志らでつくる市民団体「長崎の教会群を世界遺産にする会」(林一馬会長)は6日、県庁で記者会見し、政府が世界文化遺産への推薦を決めた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、ローマ法王庁文化評議会から支援の意向を伝えられたことを明らかにした。
世界遺産にする会によると、メンバーら15人は、10月20~27日にバチカンなどを訪問。21日に文化評議会局長のカルロス・モレイラ・アゼベド大司教と面談し、世界遺産登録に向けて協力を要請した。この際、大司教は、評議会として、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)に推薦状を送る考えを明らかにしたという。
林会長は「大変ありがたい。(評議会は)大変好意的で、手応えがあった」と総括。今後も、関係機関と連携し、観光客受け入れに向けた準備などに取り組む考えを示した。会は2001年9月に発足。これまで教会群に関するシンポジウムや、パネル展などを開催し、03年にもバチカンを訪問していた。
2014年11月07日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:EtRn9kZ6be4J:www.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/news/20141106-OYTNT50192.html+&cd=5&hl=en&ct=clnk&gl=uk

匿名 さんのコメント...

あらゆる記事にアクセスできないのですが、これは個別の特殊事情ですか?

匿名 さんのコメント...

韓国の神父招いたツアー

キリスト教徒が多い韓国から長崎に来る観光客を増やそうと、韓国の神父を招いて長崎のキリスト教ゆかりの場所をめぐるツアーが行われました。
県が実施したツアーは韓国の神父や教会関係者など5人が参加して、県内各地の教会などキリスト教に関連する遺産を8日から見て回りました。
一行は10日、16世紀末にキリシタンに対する弾圧によって6人の宣教師と20人の信徒が殉教した地にある長崎市西坂町の「日本二十六聖人記念館」を訪れました。
記念館では韓国出身のカトリック教会のシスターが、26人が殉教することになったいきさつや初めてキリシタン大名となった大村純忠がキリスト教を広める上で重要な役割を果たしたことなど、長崎のキリスト教の歴史について説明しました。
またシスターは記念館に展示されている26聖人の記念像の下絵や「踏み絵」の様子を描いた絵などを案内し、韓国の神父たちは熱心に見入っていました。
神父の1人は、「日本での殉教の歴史について知らないことばかりだったので良い機会になりました。
次は信徒たちも連れて来たいです」と話していました。
また県観光連盟海外誘致課の川本洋志課長代理は、「長崎には殉教の地が多いことを韓国の人に知ってもらい、巡礼に訪れる人が増えてほしいと思います」と話していました。
12月10日 19時04分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5033753621.html?t=1418345655684

>日本での殉教の歴史について知らないことばかりだったので

多方面の分野について博学で有名なのは神父さんや宣教師さん。

匿名 さんのコメント...

世界遺産、長崎教会群の推薦取り下げへ 諮問機関指摘で政府
日本経済新聞

匿名 さんのコメント...

大浦天主堂が小バジリカに

長崎市にある国宝・大浦天主堂について、由緒ある教会にローマ法王庁から与えられる称号「小バジリカ」を国内の教会として初めて与えられ、21日夜、記念のミサが開かれます。
カトリック長崎大司教区によりますと、「小バジリカ」の称号は、歴史や宗教の観点から重要な教会に与えられるもので、世界では1700以上の教会に与えられています。
大浦天主堂は、今から150年以上前、幕末のキリスト教が禁止されていた時代に外国人用の教会として建てられ、国内に現存するものとしては最も古い教会です。
かつての禁教時代には、信仰を守ったキリシタンたちが、長崎を訪れたフランス人の宣教師に信仰を打ち明けた「信徒発見」の舞台とされていて、ローマ法王庁が、大浦天主堂の歴史性を評価し、小バジリカに申請するよう勧めていました。
カトリック長崎大司教区は、ことし2月に申請書を提出し、4月に認定されました。
認定されたのは国内では初めてだということです。
それを記念して、21日午後6時半から記念のミサが行われるということです。
認定を受け、カトリック長崎大司教区のたか見三明大司教は、「今回の小バジリカの認定で、大浦天主堂の価値が世界的に認められて、よかった」とコメントしています。
10月21日 12時58分
www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5033716261.html

匿名 さんのコメント...

世界遺産登録で来訪者最大6倍に
09月19日 17時05分

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されたことを受けて、遺産を構成する県内の施設では、登録後のことし7月の来場者の数が前の年の同じ月と比べて最大で6倍以上と大幅に伸びていることが分かりました。

ことし世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の遺産を構成する県内の教会や施設などの来訪者について、登録直後のことし7月と前の年の同じ月の人数を長崎県などがまとめました。

それによりますと、来訪者の伸び率が最も高かったのは五島市の江上天主堂で、197人から1254人に増えておよそ6.37倍になりました。

続いて長崎市の大野教会堂で279人が930人に増えて、およそ3.33倍となっています。

一方、最も伸び率が低かったのは長崎市にある大浦天主堂のおよそ1.16倍ですが、人数は2万6292人から3万411人と調査した中では最も多い来訪者となっています。

これは大浦天主堂が長崎市中心部からのアクセスがよく、世界遺産の登録前にも多くの観光客が訪れていたためだということです。

長崎市では、増える来訪者に対応して、外海地区にある歴史民俗資料館で展示している潜伏キリシタン関連遺産についてのパネルを今年度中に増やすなど、遺産の歴史と価値を分かりやすく説明していきたいとしています。

五島市の江上集落にある江上天主堂には19日も午前中から海上タクシーを利用して教会巡りのツアー客が大勢訪れていました。

世界文化遺産の登録を受けて神奈川県から来た女性は「おごそかで歴史を感じました」と話していました。

また、埼玉県からきた男性は「外観に水色が入っていてかわいかった。こんなところに教会があるんだという意外さを感じたし、昔の人がどうやってここにきたのか不思議です」と話していました。

また、年配の女性のひとりは「建物がりっぱでびっくりしました。江上天主堂にこれるのを楽しみにしていたのでよかったです」と話していました。

五島市観光協会の市来敦会長は、世界遺産登録が「観光の呼び水になっているのは間違いないのでしっかり受け止めていきたい。いいところがたくさんあるので仕掛け作り仕組み作りが課せられた課題で、体験型観光を含めて観光の内容の充実を図っていく必要があると思っている」と話していました。
nagasaki/20180919/5030002025.html

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