2013年8月21日水曜日

金峰神社の石柱に保見光成容疑者の祖先と思しき名











金峰神社へと続く“けもの道”。保見容疑者はここを登って逃走したと目され、事件直後から捜索活動が実施された




 だが、最も因縁めいた共通点は、その土地にまつわる“伝説”だろう。地元の歴史に精通する政治家が話す。

「このへんは壇ノ浦の戦いで逃げ延びた平家の落人が逃げ延びた土地なんです。金峰の北にある平家ヶ岳はそのまんまですが、金峰から東に5kmほど行った須万(すま)も平家ゆかりの播州(兵庫県西部)の『須磨』をしのんで名付けられた土地。そのほかにも五郎丸という土地は、平家水軍にちなんだ地名だし、秘密尾という土地は文字通り、逃げ延びた落人が身を隠したことにちなんだ地名です。馬糞ヶ岳といった武士にまつわる地名が多いのも特徴的です」


「周南市徳山には戦中、海軍燃料廠がありました。日露戦争のときには満州軍総参謀長も務めた名称・児玉源太郎が徳山出身で、いち早くこの地に眠る無煙炭に 目をつけたんです。当時の軍艦のほとんどは石炭を使っていましたが、ここで採れる無煙炭は特に良質だった。それを使うことで船足を早めて、日本海軍は数多 くの戦果を挙げたわけです。だから、佐世保から出港する直前に戦艦大和が寄港した最後の軍港もここ徳山でした。加えて、徳山から海を挟んで西南10kmほ どに位置する大津島は人間魚雷として知られる『回天特別攻撃隊』の訓練基地がありました。ここ徳山には数多くの軍事拠点があったため、昭和20年の5月と 7月の2度わたって大規模な空襲を受け、1000人単位の死者が出た。特に7月の空襲ではぐるりと市街を囲うように焼夷弾を落とされ、市民を追い込んだう えで爆撃されたといいます」






、、、(爆w





6 件のコメント:

月夜 さんのコメント...

金峰の石柱
もしかして保見一族は
平家落ち武者末裔

過疎集落に暮らしていた世帯は
炭鉱が活気づいてた頃に
住み着いた外様さん?

名がバラバラの限界集落なんて有り得ない
ウチの糞田舎でさえ、名が同じ集落が点在してる

ミネ さんのコメント...

あら?その地元政治家は????wwwwww

回天 ぉ海老蔵~

>バラバラの集落 
は下の名前の呼び捨てがするのもされるのも大嫌いなオラも思ってた。
外様さんらは源氏方なのかねぇ、、


前々から思っちゃいたんだけど
峰他色んな峯で
ここは一つゴールデンミネとかにオラ替えた方がいいかなんて思ったりするんだよ

ご近所 さんのコメント...

だるまさんがころんだ、を昨日やってたら、面白い反応がありましたねw

匿名 さんのコメント...

児玉源太郎展
周南市出身で、明治時代の軍人で政治家、児玉源太郎の半生を振り返る展示会が周南市で開かれています。
この展示会は周南市出身の軍人で政治家の児玉源太郎の半生を振り返ることを通じて周南市の幕末の歴史に関心を持ってもらおうと開かれ、当時の徳山藩の文書や写真など60点が紹介されています。
このうち150年前に書かれた「家督相続願書」は、児玉が13歳のとき一時、断絶となった児玉家を再び興そうと親族が藩に願い出た書面です。
申し出のあと藩が児玉に対し家督を継ぐことを許した「仰付」とともに展示されています。
また、児玉の生誕の地など市内にあるゆかりの地を掲載した地図と写真も展示されていて、訪れた人たちは地元で激動の幕末を生き抜いた児玉の足跡に触れていました。
学芸員の松本久美子さんは「市内には石碑などもあるので展示を見たあとは、児玉たちに思いをはせながら、散策してもらいたい」と話していました。
この展示会は今月27日まで周南市美術博物館で開かれています。
09月22日 12時19分
www3.nhk.or.jp/lnews/yamaguchi/4065085831.html?t=

匿名 さんのコメント...

周南市 鹿野 おみくじ 女子道社

匿名 さんのコメント...

児玉源太郎の業績発信 生誕地・周南に顕彰会
2016年06月10日

児玉源太郎(周南市美術博物館提供)
 日露戦争で活躍した軍人で政治家の児玉源太郎(1852~1906年)の生誕地・周南市で9日、「児玉源太郎顕彰会」が設立された。今年は児玉の没後110年に当たり、郷土の偉人の業績を広く内外にPRし、後世に語り継いでいこうと、地元有志が昨年から準備を進めてきた。当面は機関誌の発行や記念講演会などの情報発信に力を入れる考えだ。

 同市岐山通にある生家跡には「産湯の井戸」が残るほか、近くに児玉を祭る児玉神社がある。生家跡には戦前まで、児玉が私財を投じて開設した図書館「児玉文庫」があったが、1945年7月の徳山空襲で焼失。跡地は、土地を所有する会社から寄贈を受けた市が昨年、「児玉源太郎生誕の地公園」として整備した。

 顕彰会設立に向けた動きはこれまでもあったが、受け皿などがネックとなり立ち消えになっていたという。生家跡への公園整備を機に再び気運が盛り上がり、昨年8月、元徳山市長の小川亮さん(92)や西崎博史・周南文化協会会長らが発起人となって準備委員会が発足した。

 顕彰会は、同市の文化・経済団体、郷土史研究会など各界の30人で構成。機関誌の発行や供養祭と記念講演会の開催といった情報発信に加え、関係史料の収集や調査研究を通して児玉の業績を明らかにする活動にも取り組む。

 今年度の取り組みとしては、9月中に機関誌の創刊号を発行し、秋に設立記念講演会を予定する。当面は500人を目標に会員を募る。

 市文化会館で開かれた設立総会には、22人が出席。会長に就任した小川さんが「児玉は軍人としての評価が高いが、明治の近代国家を建設する上で大きな働きをしている。郷土の誇りであり、その業績を後世に伝えていかなければならない」とあいさつした。

2016年06月10日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/culture/history/20160610-OYS1T50016.html

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