2012年8月25日土曜日

ジェッシー・ロブレド内務・自治相@フィリピン死去

【フィリピン】小型機墜落事故 内相の遺体を発見

フィリピン中部のマスバテ島沖で8月18日、ジェッシー・ロブレド内務・自治相(54)らを乗せた小型機が海に墜落し、3人が行方不明になっていたが、捜索隊が21日午前、水深55メートルの海底でロブレド氏の遺体を発見した。
http://www.nangoku.com.my/20120822-1847/
サクリファイスですな。(w




http://www.ide.go.jp
ジェシー・ロブレド内務自治長官(フィリピン)の急逝
川中 豪(地域研究センター)

8月、不慮の飛行機事故によってフィリピンのジェシー・ロブレド内務自治長官が亡くなった。54歳の若さだった。
内務自治長官は、国家警察と地方政府というフィリピン国内統治の要を管轄する重要なポストであり、政権の柱とも言うべき立場あったロブレド氏の急逝は、アキノ現政権にとって大きな痛手である。しかしながら、ロブレド氏の逝去が意味するのは、単に現職閣僚が亡くなり政府の活動に支障が出ることが懸念されることにとどまらない。有能な市長として長く地方行政の世界で注目されてきたロブレド氏は、2年前の内務自治長官就任によって国政に登場し、今後、その手腕を大きく発揮することを期待されていた。さらに、清廉で勤勉な彼の人格は、これからのフィリピンにとって必要な政治家のモデルとして、多くの人々の尊敬を集めていた。フィリピンの政治にとって大きな資産が失われたと言っても過言ではない。
マニラから南東に約270km離れたナガ市に生まれたロブレド氏は、マニラのデラサール大学、フィリピン大学で学び、フィリピンでも有数の大企業サンミゲール社での勤務を経て、29歳でナガ市の市長に当選した。2010年に現大統領のベニグノ・アキノ三世によって内務自治長官に任命されるまで、途中ハーバード大学への留学期間を除いて、計6期19年もの間、市長を務めてきた。この間、アジアのノーベル賞とも呼ばれるラモン・マグサイサイ賞の受賞をはじめ、その市政運営の手腕はフィリピン国内のみならず、国際的にも高く評価されてきた。税収拡大と歳出見直しによる市財政の建て直し、フエテンと呼ばれる違法賭博の取り締まり、土地所有権獲得事業や小規模生業への低利融資など貧困層への様々な支援プログラム、NGOや住民組織との積極的な対話、商業活動振興のためのインフラ整備、いずれも市長としてのロブレド氏のイニシアティブによって始まり、途上国における地方政府運営のモデルとして認知されるようになっていった。
ロブレド氏が傑出していたのは、汚職と無縁で政府運営の技術に長けていたからばかりではない。彼はフィリピン政治の本質を熟知し、そこで展開される権力闘争、政治競争に対処するタフさをもっていた。ナガ市長時代には、貧困層を中心として住民を組織化し、効率的に住民の利益・情報を集約して資源配分を進めた。一方で、対抗勢力の関係者は徹底してそうした資源配分から排除し圧力をかけていった。政治マシン、集票マシンと呼ばれるものがかなり純化した形で運営されていた。こうした政治動員によって、自らが再選を繰り返しただけでなく、2回目の選挙以降は市議会の全議席を自陣営で独占してきたのである。



ロブレド氏の中にはビジネスで培った組織運営の倫理、敬虔なクリスチャンとしての強い道徳感、そして、タフな政治家としてのプラグマティズムが同居していたように思われる。
フィリピンにおいてあるべき政治家を語るとき、今後、ロブレド氏は必ず言及される存在であり続けるだろう。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Asia/Radar/pdf/201208_kawanaka.pdf

→早稲田

今が旬ですなあ・・・(w



彼自身はカトリック教徒であるが、フィリピンで最大のプロテスタント教会の一つである「イエスは主である」より支援を受け



、、、(w

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アキノ家と石原家の、そもそもの接点は何だったのでしょうか?
親しい関係だと公言しておられますが。

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