2012年4月29日日曜日

バス会社「陸援隊」(笑)



関越道事故:「白バス」で社長は過去に2度摘発

毎日新聞 2012年04月29日 22時24分(最終更新 04月29日 23時24分)
負傷者が搬送された前橋赤十字病院に入る針生裕美秀社長=前橋市で2012年4月29日午後3時16分、久保玲撮影
負傷者が搬送された前橋赤十字病院に入る針生裕美秀社長=前橋市で2012年4月29日午後3時16分、久保玲撮影
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事故を起こした高速ツアーバス「針生エキスプレス」を運営する千葉県印西市のバス会社「陸援隊」の針生裕美秀社長は29日早朝、現場に向かい、残された従業員らが報道陣に「責任者不在で対応できない」と繰り返した。移動中に電話取材に応じた針生社長は「運転手からの携帯電話で事故を知った。いろいろなことを確かめた上で記者会見もちゃんと開きたい」と話した。

同社は同市西部の利根川沿いに広がる田園地帯を走る国道356号沿いにある。約10台のバスが並ぶ駐車場奥の4階建てビル1階に入居。系列の旅行代理店なども同じビルにある。

従業員の一人は針生社長について「運転手思いで無理なことはさせない。大変な時は宿泊先のホテルも予約してくれる」と話した。





おまけ


→「ハーヴェストホールディング」




、、、(w



7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>針生 蘆名 
>蘆名 天海

最近、明智さん大活躍すねw

匿名 さんのコメント...

「ええじゃないか」からボルト落下、女性けが

29日午後0時25分頃、山梨県富士吉田市の遊園地「富士急ハイランド」で、走行中のジェットコースター「ええじゃないか」からボルト1本が落下、真下を歩いていた東京都の女性会社員(30)の額に当たり、約6センチ切るケガを負った。

同遊園地を運営する富士急行(富士吉田市新西原)によると、ジェットコースターは5両編成で、前から2両目の底に取り付けられた直径12ミリ、長さ13センチのボルトが折れた。このボルトは、車両の逆走を防ぐ「逆走防止フック」を固定する部品だという。富士吉田署で原因を調べている。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120429-OYT1T00493.htm

匿名 さんのコメント...

ソース
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120429-00000485-yom-soci

群馬県藤岡市の関越自動車道で起きたバス事故で、ハーヴェストホールディングスの説明に基づくバス経路は次の通り。

 27日午後9時20分

 TDRから乗客を乗せて出発

 28日午前8時前

 金沢に到着、乗客を降ろす

 28日午前8時

 河野運転手は石川県白山市のホテルにチェックイン

 28日午後4時30分

 河野運転手はホテルをチェックアウト

 28日午後10時10分

 金沢駅から乗客33人を乗せて出発

 28日午後11時20分

 高岡駅から乗客12人を乗せて出発

 29日午前4時40分

 関越自動車道・藤岡ジャンクション(JCT)付近で事故を起こす

匿名 さんのコメント...

死亡したのは富山県高岡市のアルバイト林郁子さん(50)、同市に住む別会社のバスガイド宮下紗知さん(19)、同市に住む会社員長谷川茉耶さん(23)、金沢市の会社員木沢正弘さん(50)、同市の会社員松本智加子さん(29)、石川県能登町の会社役員山瀬直美さん(43)、同県白山市の高校生岩上胡桃さん(17)。

51 :学生さんは名前がない[sage]:2012/01/24(火) 17:23:56.70 ID:Y8bczUQh0 三澤涼太
岩上胡桃

http://unkar.org/read.html#!/campus/1325948028

ミネ さんのコメント...

この社長自身の名前や運転手の名前からのニオイより
後で突かれそうな事はゴニョゴニョにしてたのも1つの才能とし取材にも迂闊な言葉使いをしないでいた様子だったのと
更に昨日は気温も加味してもノータイは別に・・咄嗟で駆けつけた場ならではとなれ
少しは頭の回るタイプかと思いきや
帰路につく寸前の取材陣の前でマックの持帰りを手にしてたので、ぉー、ヤッパアホだった と。

それまでは直接の原因の加害者らより前橋赤十字が院内に取材クルー入れちゃう状態のが目立ってたのが

サンダル履きっすか、、凄いなぁ
ソシテそれを叩くのにその画像映像を出さないマスコミもゴミっすなぁww

2012年4月30日4:05サンの時系列
変な名前の社長はこの乗車まで「三日間休んでた」とハッキリ取材に答えてた
時間軸まで変な人?w

針生 ガラスはグラスのハリオ  須田衆
井深大依頼でTVブラウン管の輝かしい栄光なんかも自社の社歴やプロフに出さないのは奥ゆかしさって事ですかねw

現本社が馬喰、小伝馬なのも隠れというか隠れてないというかデスネ
イヒッのトコとどっちが強いんでしょうか?w

匿名 さんのコメント...

“運転手 急ブレーキが多かった”

29日、群馬県の関越自動車道で大型バスが道路脇の壁に衝突した事故で、大けがをした石川県志賀町の牧出光さん(23)は、バスの運転手について「カーナビゲーションばかり見ていたり、急ブレーキが多かったりして様子がおかしく、気になっていた」と家族に話したということです。

光さんは、父親に「座席のシートベルトが壊れていたため、運転手にシートベルトを直してほしいと頼んだところ、運転手は『バスの中でシートベルトをする人はいないですよ』」と答えたということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120430/k10014816981000.html

匿名 さんのコメント...

陸援隊(りくえんたい)とは、1867年(慶応3年)に、土佐藩士の中岡慎太郎によって組織された倒幕運動のための浪士隊のこと。

坂本龍馬の海援隊結成から3カ月後、海援隊に呼応した中岡慎太郎を隊長として、土佐藩の独立部隊として発足。拠点を京都に置き、倒幕運動を展開した。

陸援隊の隊士は尊皇攘夷の思想を持つ脱藩浪士などが主で、総員は70名以上にも及んでいる。

陸援隊は、倒幕の軍事クーデターの為に結成されたということもあり、薩摩藩から派遣された洋式軍学者・鈴木武五郎から洋式調練を受けるなど、いざという時は自在に動き敵を破るべく、より実戦向けの訓練を行っていた。中岡慎太郎の武力倒幕への決意を代替するものがまさに「陸援隊」であったといえる。

しかし、鳥羽・伏見の戦いが起こる前に隊長の中岡が坂本龍馬とともに京都・近江屋で暗殺されてしまったため、「陸援隊」としての大きな活動の成果を得ることは出来ていない。

中岡の死後は、土佐藩小監察・谷干城らが陸援隊を指導し、高野山挙兵においては田中顕助の指揮のもとに参戦、紀州藩兵を牽制している。

鳥羽伏見戦の後には「陸援隊」は「御親兵」として改編され、隊士たちはその後はそれぞれの意志で倒幕戦の一翼を担っていくととなる

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